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5 土曜日の散策での珍妙な出会い

 ロケットバズーカで、脳天を撃ち抜かれるような悪夢を見た気がする。しかし、あまりに強烈過ぎて記憶の一部が欠けてしまっていた。


 悪夢だ、とぼいて僕はゆっくりと身体を起こした。自分を見下ろしてみると、なんと制服姿のままである。

 昨夜、豆人に恐ろしい顔を見せられたような気がするが、生憎僕の記憶は都合よくその表情を霞めてしまっていた。あのあと、耐えきれずベッドに崩れ落ちたことは覚えているけれど。


「……風呂、入ろう」


 立ち上がった僕は、昨日買った本が袋からも取り出されないまま、床の上に転がっていることに気付いた。この僕が新作の本に手を付けなかっただなんて、今までだったら本当に有り得ない話だ。あの豆人が来てから、少し調子がおかしい。


 目覚ましもかけていない時計を見やった。時計は午前八時を差している。土曜日まで仕事がある父さんと母さんは、もう家を出ている時間である。学校ではないので起こしに来なかったのだろう、と僕は考えながらカーテンを開けた。


 外は、すっかり青空であった。窓を開けると肌寒い空気が入って来たが、日差しが暑かったので、それほどまでの寒気は感じない。


 床に転がっている本を机の上に移動した僕は、そこに一枚の紙が置かれていることに気がついた。それは豆人からの置き手紙だった。



――仕事に行ってきます。昨日少し自信がついたので、今日は、気になる彼女にアピールしてみようと思います。



「……気になる彼女?」


 僕はしばらく寝起きの頭で考えて、「ああ、なるほど」と一人相槌を打った。


 昨日、豆人に何があったかは知らないが、ドラマなどであるパターンだと、職場に好みの女性がいるというやつなのではないだろうか。そして、きっとそこには奴が言うところの『かっこいい豆人』もいるのかもしれない。


「……なんだか、妙な流れになって来たな、と思うのは僕だけかな」

 

 僕は頭をかきながら、その紙を引き出しにしまった。

 つい『女豆人』『かっこいい豆人』ってなんだよ、と自分にツッコミを入れたくなる。まるで、僕のそばで小さな世界が進行していて、少しずつそれを、僕がこちら側に引きこんでいるみたいだ。


 いや、僕の方が巻き込まれていっているような。

 

 …………まぁそんなこと、あるわけないけどな。

 

 なんだか、奴を拾った日から、今日の土曜日までがひどく長かったような気がする。

 僕は風呂を済ませると、目玉焼きとベーコンで遅めの朝食を取って、しばらくテレビのニュースを眺めた。どこのニュース番組も似たような内容である。昨日から同じことやっているような気がするなぁ、と思いながらテレビの電源を切った。


             ※※※


 そのあと僕は、自分でもよく分からないまま、理由もなく家を出ていた。


 行くあても目的もなく書店をいくつか回り、ひどい暑さに参って近くにある市立図書館へ寄った。途中、部活動生の中高生たちと擦れ違い、自分とは全く違う十代の姿をしばらく目で追いかけたりもした。


 図書館で約二時間半の読書をしてから、再び外に出た。正午もだいぶ過ぎたとはいえ、日差しもまだまだ暑い。日陰に入っても、涼しい風が吹くのを感じなかった。秋は朝方と深夜ばかりで、日中に冷たい風が訪れるまでは、まだまだかかりそうだ。


 僕は次に、いきつけの古本屋へ立ち寄り、携帯しやすい文庫本を一つ購入した。紙が茶色く焼け、こびりついた埃の匂いがする本だった。僕は気にしない性質だったので、袋をすすめた店主の優しさを丁寧に断って、そのまま手に持って歩いた。


 家に戻るようにして町の中を歩きながら、以前「豆人はあちらそちらにいる」と言われたことを考えた。小さなへんてこ生物なんて、奴以外は見ていない。


 僕は知らず眉根を寄せていた。目を凝らして辺りをきょろきょろと見てみたが、それらしい影は一つだってなかった。

 もしかしたら人通りの多い道は避けているのかも、と考えて、家の近くにある公園に入ってみた。隅っこにおいやられるようにして置かれているバスケットコートを通り過ぎて、ベンチに腰かける。


 豆人なんて、やっぱり滅多にいないじゃないか。


 彼がいうには豆人の社会は確立されているようだが、それなら、通勤途中や買い物をしている豆人の生活様式を、結構目撃していてもいいような気がする。


「学校の行き帰りも見かけないし、今日も見てない。やっぱり豆人は珍しいんじゃないかな?」

 

 誰にいうわけでもなく一人呟いた時、不意に、妙な気配と違和感を覚えた。


 その直後、前触れもなく突風が通り抜けて、僕は思わず両手で身を庇っていた。耳元で煩く鳴る風の音とともに、膝に置いた文庫本が何十ページかめくれる音が聞こえた。

 風は一瞬にして通り過ぎて行った。僕は髪をぐしゃぐしゃにしていった突風を思い返して、「一体なんだったんだ」とぼやき、好き放題いろいろな方向にはねた髪をざっくり整え直した。



「やれやれ、相変わらず荒い便じゃい。ちなみにそこの若いの、普段みんな仕事中なのだから、そうほいほい出歩いとるわけがなかろう」



 すぐ隣から、高めのしゃがれた声が聞こえた。反射的にそちらを見た僕は、すぐ隣に、小さな一人の豆人が座っていることに気付いた。


 茶色い細長い丸みをもった頭部と、少し垂れたような棒線状の目と、小さな白い口鬚。頭部全体には乾いたような皺が入っていて、僕は思わず「落花生だ」――という言葉をどうにか呑みこんで「豆人の、お爺さん」と言い換えた。

 

 落書きから出てきたような棒人間の身体は相変わらずだったが、その豆老人は僕が知っている豆人よりも手足が短くて、全体的に頭が大きい印象があった。よくよく見てみると、棒状の胴体も少し太いような……?


「ほっほっほ、老いた豆人を見るのは初めてかな?」

「え? はぁ、まぁ、そうですね……」


 僕は、まじまじと見つめていた自分が途端に恥ずかしくなり、誤魔化すように頭をかいた。

 豆老人はおっとりとした様子で笑った。しかし、やはりあまり表情は細かくはなく――ハッキリ言うと彼もまた一、一、中央から線を引っ張って小さな髭、という大雑把な顔の作りをしている。


「今日は良い天気じゃのう」


 頭上を仰いだ豆老人につられて、僕も空を見上げた。


「そうですね、すごくいい天気です」

「うむ。天気がいいと、頭がじめじめしなくていい。天気が悪いと、わしの頭はひどく重たくなったりするのじゃ」


 僕は、乾燥しきった落花生だもんなぁ、と言うわけにもいかず黙っていた。


「そこの若いの」


 不意に、彼が再び口を開いた。僕は「なんですか」と、少しぶっきらぼうに尋ね返してみた。

 僕の引き出しに住んでいる豆人と同じように、豆老人はしばらく微動だにしなかった。少し垂れた目でぼんやりと公園を見つめている。何を考えているのか全く分からないうえ、こちらの豆人も、見ているとやる気や声を絞り出す筋肉さえしぼんでしまいそうだ。


「お前さんの家にも、若い歩く幸せの種が一人、おるようだね」

「豆ですよ、お爺さん」


 勿体ぶるように話しを切り出した豆老人に、僕は間髪入れずそう返していた。自分でも驚くほど鋭い声が出た。


 豆老人は、しばらく言葉を返してこなかった。

 どこからか遠くで、カラスが鳴く声が聞こえてきた。


「……歩く幸せの種は、元気にやっておるか?」


 数分経って、豆老人は再びそう口にしてきた。

 相手が老人だろうが手加減をしてはいけないと感じた僕は、正面を見つめたまま冷静に「豆ですよ、お爺さん」と容赦なく同じ言葉を返した。


「若い幸せの種は、悩みことも多いからのぉ」


 彼はどうやら、僕の話を一向に聞いてくれないようだ。


 僕は豆人が昨日「モテる、モテない」で、悩んでいたことを思い起こした。不意に、あるモザイクがかった映像とともに激しい頭痛がして、頭を抱え視線を足元に落としハッと身震いした。


「……どうしてだろう。今、ひどく恐ろしいことを思い出しかけたような気が」


 隣にいた豆老人が、「ほっほっほっ」と甲高いしゃがれた声で笑い――とはいっても特に表情が劇的に変わるわけでもなく、口髭をいっちょ前に揺らして僕の方を見た。


「若いのはラッキーじゃ。こんなに早く幸せの種を見つけた」

「いや、だから豆――」


 言いかけた僕は、豆老人が続けて発した次の言葉に口を閉ざしていた。



「お前さんに、沢山たくさん、幸せが来るといいのぉ。彼らを見つけたお前さんは、誰よりも幸せに笑わないといかん。健康でたくましくあれ。そして、誰よりも幸せな子になりなさい」



 僕はどうしてか、こちらに一心に向けられる優しさに、胸の辺りをきゅっと締めつめられた。理由も分からず、涙腺が緩みそうになった。


 それは、一体どういう意味ですか? 


 そう尋ねたかったのに、上手く言葉が出て来なかった。豆老人は、まるで膝と腰が悪い普通の老人のようにベンチの上に立つと、自分よりもはるかに大きい僕を見上げてきた。


「お前さんは、幸せになるべきだ。こんなにも、綺麗な心を持っておる」


 豆老人は短い両手を上げると、僕に向かってゆっくりと広げて見せた。


「すでに成熟して、役目を終えたわしらの目は、若い豆人とは見え方が少し違う。わしには、お前さんの心が綺麗な結晶に見える。きらきらと輝く小さな、わしらが守るべき大切な宝じゃ」

 

 僕は、豆老人の目が僅かに震えるのを見た。棒線一本の目の端に、小さな涙と共に光がこぼれて――


 次の瞬間、彼が眩しく光って、僕は思わず目を閉じてしまっていた。荒々しい突風が吹き抜けたかと思ったら、彼は僕の前からいなくなっていた。


「お爺さん!」


 僕はびっくりして、辺りを見回して豆老人の姿を捜した。人の声が聞こえてきて、反射的に息を潜めてそちらに目を向けると、小さな子供をつれた女性三人が公園に入ってきて目が合った。

 まるで化かされたような気分で、僕は膝の上の文庫本に目を落とした。


 彼は、一体何が言いたかったのだろう。


 そもそも、彼らは一体何者なのだろう……?


 考えても何も分からなかった。先程の突風のせいで、またしても自分の髪がばさばさになっていることに気付いて頭を振ろうとしたら、今度は柔らかい風が優しく吹き抜けていって、その拍子に髪が元の位置に落ちついてくれた。


 豆老人が風とともに頭上を通り過ぎたような気がして、目で追いかけた。柔らかな風は公園の芝生を揺らして、フェンスの向こうへと消えていった。


 ぼんやりとその様子を眺めていた僕は、どうしてか一気に疲労感が込み上げて、ちょっとだけだと自分に言い聞かせて目を閉じた。

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