2 不思議が多いへんてこな豆人は語る
一日の中で、僕がもっとも気に入っている時間は、家族で一緒に取る食事だった。
楽しそうに話しをする母さんと、相槌を打ちながら話しを広げてる父さんの間に僕がいて、美味しい物を食べている時間が好きなのだ。特に大きな何かが起こるわけでもないけれど、家族が揃う時間が心地良い。
それなのに、この日の夜は少しだけ違っていた。
僕は、母さんが作ってくれたオムライスよりも、今、口に運んでいる大好物のポテトサラダよりも、自分の部屋に残してきた豆人が気になっている。
一体、彼は今何をしているんだろう?
そればかりが僕の頭にはあった。
部屋を出てからずっと、でたらめで変な生き物である豆人の事ばかり考えている。目の前の美味しい夕飯よりも、僕は奴のことが気になってしょうがない。
僕は、父さんと母さんの話に適当に相槌を打ちながら、いつもの倍のスピードで食事を終わらせて席を立った。父さんが驚いたように「どうした?」と尋ねてきたので、「明日出る小テストの勉強」とだけ答えた。
母さんは「すっかり高校生ねぇ」と顔をほころばせたが、その隣で父さんが複雑そうな心境を表情で語った。
僕の部屋には、昔からおもちゃやゲームなど子供らしいものは一切なかった。二棚分の本があるとはいえ、そこには参考書や難しい書籍があるわけではなく、僕はどちらかというと、そこまで勉強に熱を入れない子供だった。
何事にも感心が薄い性格のせいで、本を読むか、ぼけぇっと座っているか、昼寝をしていることが多い。
小中学校共に成績は平均で、高校に進学してからもそれは変わっていない。
何せ僕は、平均値を保つように、手を抜きつつ勉強をしているのだ。これも一種の才能だと言いたいが、どうせ自慢にはならないので口にはしない。父さんは、僕のそんな性格を分かっているから「大丈夫かなぁ」という顔をするのである。
両親に見送られてリビングを出た僕は、階段を上って、自分の部屋の前に立った。室内にいる豆人が何かしら集中するような作業をしていたら申し訳ないと思い、扉をゆっくりと開けて中に入った。
電気がついた僕の部屋は、ひっそりと静まり返っていた。机の引き出しはすべて閉じられ、そのそばに本が数冊置かれているばかりだ。
僕は、見慣れた勉強机の一番下の大きな引き出しの様子が、いつもとは違うことに気付いた。歩み寄ってまじまじと観察すると、小さなドアノブが付いており、うっすらと扉形に線が入っているのが見えた。
「奏吾さん、お食事はもう済んだのですか?」
「わぁ!」
突然背後から小さな声が聞こえて、僕は飛び上がった。後ろにいた豆人を振り返ると、相変わらず気の抜けたような面をしていた。
「ちょうど部屋が整ったところなのですよ。わたくしも、先程食事を済ませました」
「そ、そうなんだ」
僕は、ドキドキした心音を鎮めようと、内心地味な努力を続けながらそう答えた。
その間にも、小さな豆人は、アニメの棒人間のように足と腕を滑らかに曲げ伸ばしして、ドアノブのついた扉に歩み寄っていた。
「扉がついていたから、びっくりした」
驚いたことを教えたら、豆人が自分の部屋の扉を見つめたまま頷いた。
上から彼を見下ろしている僕は、へんてこな米粒形をした大豆が、上下に動いているようにしか見えなかった。
「豆人協会は、便利な物を作ってくれたと感謝していたところです」
「豆人協会……?」
声を上ずらせた僕に、彼はゆっくりと振り返った。少し右眉辺りに影が差していて、まるで眉を寄せているような表情だった。
どこか馬鹿にされているような気がするのは、僕だけだろうか。
「知りません? 豆人協会」
「いや、知らないなぁ……」
「各地に支店がありまして、わたくしたちの生活が便利になるよう努力されているのです。……とはいえ、新しい宅配方法として行われていた『空の宅急便』は、鳥に餌豆と勘違いされ、悲惨な結果に終わりましたが」
僕は、語られているその内容を笑っていいのか、それを人間にたとえて想像し、しっかり同情してやればいいのか分からず、すぐに反応出来なかった。
「命がけだったのです。わたくしも、あの頃バイトでしていましたが」
そう豆人は続けたところで、一度言葉を切り「大切な友人を何人も失いました」と神妙な口調で言った。
しかし、その表情からは言葉ほどの深刻さが窺えず、僕は対応に困って頬をかいた。
ひとまず、笑ってはいけないらしいとは察した。
「今はほとんど地中宅急便になりました……。おや、話がずれてしまいましたね。そういうわけでして、豆人協会はわたくしたちの生活の中で、重要な役割を果たしているものなのです」
僕は餌豆の下りがしつこく脳裏に繰り返されて、だんだんと腹が震えそうになるのを感じた。このままだと、笑いで腹筋が崩壊する恐れがあったので、ひとまず床に座ってから、ずっと思っていた疑問を口にしてみた。
「豆人ってことは、君はやっぱり豆なの?」
すると、彼はゆっくりと右手を持ち上げて、頬をかくような仕草をした。短い両足を開いて腰をやや斜め後ろに引き、左手を無造作に垂らしたまま僕を見上げている。
先程の『いってらっしゃいポーズ』とさほど変わらないところを見ると、彼の立ち癖なのだろうかと推測された。足は乙女的ではないが、微妙に斜め後ろに引かれた腰も雰囲気も、まるで同じような雰囲気だった。
「言うのは難しいですが、そうですね……わたくしたちは、何気なくそこにいるわけではありません」
勿体ぶるような口調である。豆人は、見ている僕のやる気を更に削ぐような表情をした。ぼんやりと顔を持ち上げたかと思うと、きゅっと右に捻る。
「『幸福の種をまく人』という言葉は、ご存知でしょうか?」
「うん、聞いたことはあるよ」
僕が頷いてみせると、彼は右指を口元に当てて小首を傾げるような仕草をした。まるで何を表現したいのか分からない、というよりも、むしろ小馬鹿にされているようで苛立ちを煽ってくる表情とポーズである。
「では、その幸福の種が一人でに歩いて動く、というのはどうでしょう?」
途端に僕は、彼が言いたいことを理解して、胡散臭さに思わず顰め面を作っていた。
「君が『歩く幸福の種』だとでも言いたいの?」
「わたくしたちも、一体自分がどこで生まれ、どこから始まったのか分かりません」
「いきなり語り出したね。――まぁいいや、それで?」
「しかし、偉い豆人はこう言いました。『生まれたことには全て意味がある』、『幸福の種が一人歩きしても、全然不思議ではないでしょう』――ということで、豆人協会は我々の存在理由をまとめました」
「いやいやいや、ちょっとざっくりすぎるだろう。それは違うと思うけど? だって君は『豆』であって、『種』ではないだろう」
僕が指摘すると、彼はしばらく同じポーズでぼんやりとを見つめてきた。
豆人協会とやらは、解説も決定もいい加減過ぎやしないだろうか。僕は、正論を通すべく豆人を顰め面で見ていたのだが、少しすると集中力がなくなってきた。
あの、気力が全て抜け落ちて行くような、奴の顔のせいだ。
それでも、僕は数分間頑張った。次第に豆人の変わらないその表情を直視することが、精神的に非常に厳しくなり始め、居心地の悪さに唇を引き結んで唾を呑むと、そのタイミングで、豆人が小首を更にゆっくりと傾げた。
豆人は、八の字になったような眉影を刻んでいた。そのせいで、彼の表情は更にへんてこなものになった。長い鼻線の下の小さな口に押し当てられた指も、真面目に見つめ合っていることが馬鹿らしく思えるほどの傑作に仕上がっている。
長い沈黙の後、豆人がようやく動いた。更に左腕をだらんと垂れ下げて、彼は一つ頷いた。
「豆も種も、同じようなものでしょう?」
「全然違うよ!」
このクソ長い間に一体何を考えていたんだよ!
僕は思わず叫んだが、豆人は特に反応を変える様子もなく、まるで可哀そうな人を見るような目を僕に向けた――ような気がした。
苛々した僕が、立ち上がってベッドに腰かけると、豆人が腰の位置をそのままに、両手をぱたぱたとさせてこう言った。
「幸福の種に手足が生えても不思議ではないでしょう? 幸福の種なのですよ? 出会えたら嬉しさ百倍じゃないですか?」
抑揚のない口調で、わざとらしく各単語を強調した豆人に、僕は「いいや、違うね。そもそも」と前置きしてこう断言した。
「だから、お前豆じゃん!」
豆はどこにいったよ、豆の話題は!
そう続けた僕の前で、豆人がわざとらく視線をそらして「おや?」と言った。彼は唐突に歩き出したかと思うと、一番下の大きな引き出しについた、小さなドアノブに手を掛ける。
「そろそろ就寝時間でした。おやすみなさい」
相変わらずやる気がない面を僕に向け、豆人は軽く頭を下げてから、もう一度「おやすみなさい」と告げて引き出しに閉じこもってしまった。
僕は「逃げたな」と思ったものの、帰宅してまだ一度も本を開いていないことに気付いて、ちょっとびっくりした。趣味である読書もそっちのけで、誰かとお喋りをしていたというのも珍しい。
僕は、小さな物音が上がった引き出しを、不思議な気持ちで眺めたあと「本は明日読もう」と呟いて、電気を消してベッドに横になった。