0 始まりは植木鉢モドキ
いつもの高校から帰る道の途中、僕はある電柱の前で足を止めた。佐伯のじいさんがいつもゴミを出すその場所は、普段から綺麗に掃除されていて何もないはずなのに、その日は、そこに似つかわしくない物が置かれていた。
灰色のアスファルトに浮く、不法投棄でもなさそうな蜜柑色の物体には、妙な内容の貼り紙もされていた。それは塵袋でもダンボール箱でもなくて、新品みたいな丸い植木鉢だった。
しかし、ただの蜜柑色の植木鉢と認識するには、どうもしっくりと来ない違和感を覚えた。植木鉢には、きちんと土も入っているのだが、僕にはそれが、下手くそな作り物のように思えてならなかったのだ。
よくよく覗きこんで見れば、土は色が明るすぎるうえ、花壇の物とは比べ物にならないほど偽物じみていた。まるで土に似せた柔らかい粒々が、植木鉢の形をした軽そうな器に入っているだけのようだ。
植木鉢モドキの張り紙には、女の子のような丸字で、こう書かれていた。
『豆人居ます。同居オーケーの方、是非わたくしをお持ち帰りください。しかし、目を回してしまいますので、ゆっくりと運んで下さい。びっくりしますので水はかけないでください。部屋としては、少し大きめの引き出しを所望しております』
僕はまるで、小さな何かが引っ越しでもするような印象を受けた。誰かの悪戯だろうとは思ったけれど、なんとなく好奇心が勝って、僕はその植木鉢を持って帰ることにした。
実際に持ってみると、植木鉢モドキは煉瓦のような硬く冷たい感触でありながら、発泡スチロールほど軽いという重量感のアンバランスを覚えた。鉢は丸くて土も均等に入っているはずなのに、まるで左右の重さがちぐはぐみたいでもあった。
※※※
家に帰った僕は、夕飯を作っている母さんに「ただいま」と答えて二階に向かった。キッチンから「お帰り、高校生の二学期はどう?」と聞こえてきたので、部屋の扉前で「一学期と同じさ。相変わらずつまらないよ」と大きな声で返した。
その時、僕の手の中の植木鉢が、まるで驚いたみたにビクリと揺れた。
僕もびっくりして、なぜか久しぶりに胸がどきどきして、急くように部屋に入って扉を締めた。
鞄をベッドに放り投げて、僕は張り紙をそっと取り外して机の上に置いた。ベッドのそばに腰かけて植木鉢モドキを床に置き、しばらく何をするわけでもなくそれを眺めていた。
数分待っても反応がなかったので、僕は植木鉢モドキを二回軽く叩いてみた。まるで扉をノックするような感じだ。
すると、植木鉢モドキが驚いたように、びくっと揺れた。
張り紙に書かれていた『びっくりするので』の文面を思い起こした。あれが悪戯ではなかったとすると、一体これには何が隠れているのだろうか?
僕は、ちらりと植木鉢を見降ろした。
もしかして、と実に馬鹿げた発想がこみ上げて、こう声を掛けてみた。
「僕の家についたよ。引き出しも一つ空けられる」
いつもの僕だったら、馬鹿みたいに独り言をもらしたり、路肩に放置された悪戯に付き合おうとは思わなかったはずだ。それなのに僕は、返事を待つように黙って植木鉢モドキを見つめていた。
しばらくすると、植木鉢モドキが揺れ出した。発泡スチロールの粒がこすれるような音と共に、土モドキの中央が、ゆっくりと盛り上がった。
「……少し大きめの引き出しが良いのですが、空いていますか?」
土モドキの中から、高めの小さい声が聞こえてきた。まるで小さめの生き物が、人間の言葉を発しているような音域の声にも思えた。
あまり実感はないのだが、僕は昔から、驚いたり怒ったり、泣いたり笑ったり、悲しんだりという感覚が少し薄いらしい。多分、そのせいもあって、今の状況への驚きが他人事になっている可能性もある。
けれど同時に、僕自身が、植木鉢モドキの中から言葉が返って来ることを知っていたような、不思議な感覚もあった。
問われた僕は、勉強机の一番下の大きな引き出しを思い浮かべた。中には、高校からもらった資料がいくつか入っているばかりで、言ってしまえばがらがらの状態である。
中身を空いている他の引き出しに移すか。僕はそう考えて、「勉強机の一番下の大きい引き出しを空けられるよ」と答えた。
「そうですか、それは良かった。何分スペースを取るものですから」
盛り上がった土の中央から、小麦色を明るくしたような肌色が覗いた。そそそそそ、とゆっくり慎重にそれが出てきたかと思ったら、途中でその動きが止まった。
「おや、誰もいらっしゃいませんね」
先端部分が細く、下にいくに従って膨らんでいる肌色のその物体から、そんな声が聞こえてきた。そこが後頭部であると何故か理解した僕は、思わず反射的にこう言っていた。
「そっちじゃなくてこっちだよ」
すると「ああ、そちらでしたか」と声が聞こえた次の瞬間、滑らかなその物体が、くるりと反転してこちらを向いた。
「はじめまして、こんにちは。わたしく『豆人』と申します」
そいつは、まるで、ノートの落書きのようなへんてこな顔をしていた。