4.戦地
「これが、戦場か」
なだらかに隆起した丘から平原を見下ろす。人の手で作られた築山の上には、街道を睨みつけるような形で木製の砦が建てられており、幾重にも巻いた防壁の内側には、いくつもの天幕が建てられているのが見えた。
その外では獅子王国の軍勢がずらりと並び、遥か遠方、霞むほど遠くには竪琴王国の軍勢が見えた。空はこの時期に珍しくも曇り空で、重々しい雰囲気が漂っていた。
並び立つ軍勢は色とりどりの軍装に身を包み、その間からいくつもの旗が飛び出している。
この旗を目印に、何処の部隊が何処に居るのか、自らの隊は前進しているのか後退しているのかを見分ける訳だから、旗の数がそのまま戦力を表すようなものだ。
時折、腹に響くような大太鼓と喇叭の音が鳴り、そのたびに部隊は移動する。それに合わせて対抗する側も動き、ひどくゆっくりとしたダンスを見ているような気持ちになる。
「すごい、人数ですね」
「千人規模でしょうから、まだ増えるとは思いますけれど」
事もなげにエレインが言うのに驚く。ヨアンはこれほどの人数を見るのは初めてだった。
これで、千人。まるで王国中から全ての人間が集まっているように思える。精々が百人もいかない村に住んでいたヨアンには思いつかない数だった。
駒を進めていたエセルフリーダが、停止の命令を出し、装備を整えるように言った。皆が外していた兜を被り、旅塵を払って武具に砥石を当てる者もいた。
何をすればいいのか、と困惑したのは村からついてきた新兵らだ。
「何をしてるんで?」
「おう、そうかひよっこ、初めてだったな」
「閲兵だよ、閲兵」
閲兵。相応しい賃金と振り分ける戦場を定めるために傭兵隊の戦力を評定するものだ。
ここでどれだけの格を得られるか、というのと、戦場での活躍が傭兵隊の給与を決めるものだから、身だしなみを整えるのにはとても念が入っている。
古参の兵らが中心に、服の解れを隠し皺を取ってピンと張ってやったり、鎖帷子の裾を引っ張ってヨレを直したりと慌ただしく動く。
「まるで娘っ子が祭りに出るみたいだ」
と、評したのは若衆の中では年長の一人で、言い得て妙だった。見た目を気にして良く思われよう、という考えは農夫らにはないものだった。
「祭りも祭り、大祭りよ」
「上手くすれば酒も出るし、肉も食えるぞ」
傭兵らはそう言って笑いあっている。戦は別に恐ろしいものという印象もないのは確かだ。
確かに人死にも出るのだが、別にどこに住んでいようと死の危険は常にあったし、閉塞的な農村で暮らし、飢えや凍えに怯えて暮らすよりは確かに傭兵稼業は気楽に見えた。
殊、獅子王国と竪琴王国に関しては別に互いが滅ぼしあうような戦ではなく、そもそもが同じ国であったのだから顔見知りも居るような次第だ。
「祭り、か」
そう思えば気楽なものである。初めて見る戦場に、新兵らは浮足立っている様子だった。
その中でヨアンは、といえば、拳を握り戦場を怒りとも恨みともいえない、微妙な目で見ていた。戦さえなければ村は襲われることはなかった、というのが思う所である。
「ヨアン、君は槍を持つと良い」
「はっ、預からせて頂きます」
三角旗のついた槍をエセルフリーダから預かる。つまるところ槍持ち身分という扱いだった。
騎士を動かすには通常、数人の従者が必要になる。馬の世話、武具の手入れ、そして騎士本人の世話が必要だ。
馬は蹄を掘り、毛並みに手入れをして、秣や水を与えなければあっという間に病んでしまうものであるし、時に蹄鉄も打ち直してやらねばならない。
重装の鎧は生半可な槍矛、矢を通さぬが、その部品の点数も多く、錆びてしまえば効果もなくなってしまうから手入れは怠れない。
槍は消耗品で、騎士の突撃の度に往々にして折れるものだから、その予備は大量に必要だった。
戦に赴く時にはいざ槍を取って準備万端、という状況も長く続けられるものではなく、これを騎士一人で全て行うのは不可能に近い。
エセルフリーダの隊では手隙の古参や、主にニナとナナがこれに当たっているのだが、毎日毎日の維持の為だけにかなりの労力が割かれている。
ヨアンも騎士ではないが、ほぼ従士と同等となっており、毎日の馬の手入れや装具の点検はなかなかの負担となっていた。
野営の見張りなどからは馬持ちは外されていたが、それも当然のことに思える。
「準備は良いかー?」
「応」
と、バーナードの掛け声に皆が応えたのを確認して、傭兵隊は砦へ向かう。
門衛に立っていた兵らは、エセルフリーダの旗を確認すると、砦の中へ走っていき、さほどの時間もなく門は開かれた。
「おお、エセルフリーダ卿、戻られたか」
中庭まで歩んだエセルフリーダ隊を歓迎的な態度で出迎えたのは、大きさに余裕のある服を着て頭には帽子を乗せた小太りの男性だ。
金糸で紋様が縫い込まれた華美な服装を見るに貴族、それも武官ではなく事務方の文官だろう。エセルフリーダはその人物を認めると馬から降りた。ヨアンもそれに倣って降りる。
「どれ、また人数が増えたのではないかな」
「はい、十人ばかり数が増えまして」
文官はそれを頷きながら聞いて、羊皮紙に羽ペンで何やら書き付け始めた。
「決まりなので悪く思わないでくれたまえ」
「全員、整列!」
そう言いながら、彼は整列した傭兵の一人一人の装具や体格を検めていく。
「ふむ、この鎧は解れがないかね」
「槍に罅が入っているようだが」
「靴に穴があいているな」
「この弓はどれほどの重さかね」
傭兵らが緊張した面持ちで立っている中をそういった具合に細かく見ていくのに、新兵らは完全にしゃちほこばってしまう。
「おお、若い者が増えましたな」
「一度下がってしまいました故、只では帰ってこれぬと思いまして」
「それはまた殊勝な心掛けでございますな。元帥殿も喜ばれるでしょう」
エセルフリーダ卿はまさに騎士の鑑であられる。と、彼は呵々と笑った。
「それで、この従士殿は」
「はっ、そちらは獅子王国騎士、パウロ卿の子息でヨアンと申す者です」
「騎士殿のご子息。いやはや、良い先任騎士につかれましたな」
彼の目がこちらを向く。何とも、計りがたい人物だった。言葉上では友好的で、笑みも浮かべてはいるのだが、目が笑っていない。
こちらを値踏みするような視線に、ヨアンは口も開けず固まってしまった。そも、明らかに高級な貴族相手にどう話せば良いのか。
「こちらにお目通しいただければ、正統であると確信いただけるかと」
「いや、いや。疑っている訳ではありませんが」
領主からの紹介状を見た文官の彼はふーむ、と鼻から息を漏らした。
「確かに、確かに。ノルン卿の御紹介とあれば間違いはありますまい」
ノルン、と言うのは、ヨアンの住んでいた地域一帯の名前だ。農村から移動することはないから、その名前を聞くのは稀で、出立するまですっかり忘れていた。
「また忠誠の厚い騎士を我が国は失ったようだが、その子息たる貴君には期待をしておる」
「はっ、有り難き幸せ」
ようやくそれだけを口から出して、ヨアンは頭を垂れた。その姿を彼はうんうん、と頷いてみると、すぐにまた羊皮紙を取り出す。
「では、弓兵十二の歩兵が二十一の新兵が八、従士が一に騎士が御一人の戦力ですな」
「間違いなく」
今日は休まれるがよい、と言って離れていく背中に、皆がほっと胸をなでおろした。
「さて、荷を下ろすぞ」
しかし、作業はこれからだ。旅の疲れも置いておいて、とりあえずは野営の準備もしなくてはならない。全ての兵を収容できるほど、仮設の砦は広くはないのだ。