3.行軍
「獅子王国は今、危険な状況にあるのですよ」
「と、言うと?」
穏やかな昼下がり、そう評していいだろう。燦々と太陽の照り付ける中を傭兵らは歩いている。
見渡す限り、丈の短い青々とした草に覆われた平原で、その中を幾重にも折れ曲がった小川が走っている。
それらの中で縫い目のように、道が続いており、それは石畳で補強されていた。
とはいえ、道の整備は長い間放置されているような状況で、思い出したように通行人や、あるいは行商ギルドの面々が直す程度であり、石畳は凹凸と歯抜けが目立った。
そもそもこの道は、旧帝国の時代に整備されたもので、石畳は見た目に結構で蹄鉄の音も高らかではあるが、馬の脚には不安が残る。
村を出た当初は物珍しさも相まって景観を楽しんでいたヨアンだったが、騎乗にも慣れてきた今、代り映えしない景色にげんなりとし始めていた。
「リュング城と、山脈が取られたことで、竪琴王国軍が平原に直接出れるようになったのです」
「えーっと、地理には詳しくないのですが、つまり」
「王都までまっすぐ道が開いている状態、ですね」
暇な道中、馬を馬車の横につけて、エレインと雑談をしていた。彼女も暇だったようで、話しかけてきたのである。
傭兵隊の馬車は二台あり、エレインの乗っているこちら側はニナが、もう片方はナナが手綱を握っている。意外も意外、その御者姿は実に見事なものだった。
「どうにか軍を当てて足止めをしている状態なのですけれど、どうにもお互いに攻めあぐねていて」
「こちらは必死にもなるし、向こうは山を越えなきゃいけませんよね」
「そうなのですよ。こちらは勝って攻め進んでも、それで兵力を削られれば拙いことになりますし」
いつかは攻め込まなくてはいけないのですけれどねぇ、と、困ったようにエレインは言う。
ヨアンの村の領主然り、戦線にすべての諸侯が参加できているわけではない。そんな危機的状況なら全力で当たるべきではないのか、と思うのだが、その例を思えば仕方のないことに思えた。
足止めだけならさほどの戦力を割くこともなく、しかし、初めから勝つ積りのない戦いだと参加するだけ損だ、というのはエレインの言葉である。
「傭兵としても、美味しくない話なのでは?」
「いえ、傭兵には払いも良いし、悪くない話なのですよ」
ここにきて戦線はお互いに膠着状態に陥りつつある。冬季には示し合わせたかのような、いや、示し合わせて停戦もあり、偶の衝突もおざなりなものだ。
そうなると、諸侯の軍は温存することになり、傭兵達が戦場の主役となるのだが、互いに見知った顔ならなあなあのうちに戦闘を終わらせることもできる。
無駄に戦いたくない、というのは、現在、国側、傭兵側の共通認識である。
かといって、片方に戦力が偏れば即座に膠着状態は解消されてしまうだろうから、条件を良くして敵方に流れるのを防ごう、という意図があるようだった。
「後は次の会戦に向けて諸侯がどれだけ戦力を用意できるか、ですね」
「今のうちに戦力を整えておこう、と」
そうして傭兵らが戦線を保っている間に貯めていた戦力で、次の決戦を行うものらしい。
「戦争、とはいえずっと戦っている訳ではないのですね」
「そんなことしていたらぁ、あっという間に皆死んじゃうでしょう?」
御者仕事に飽きたのか、大口を開けてあくびをしながら、ニナが言う。
それもそうか、とヨアンは頷いた。確かに年中戦闘を続けられる訳もあるまい。人も物資も足りはしないだろう。
「おっと」
馬車の車輪が大きなくぼみに引っかかって跳ねた。エレインは少々眉をしかめる。
「乗り物は楽そうでええなぁ」
などと何も知らない歩兵は言うものだが、実はそうでもない。
馬車はガタガタと揺れ、硬い座席も相まって腰に痛みを感じるほどで乗り心地はまず最悪であるし、馬は馬で勝手に歩いてくれるもの、という訳ではない。
多少は慣れてきたとはいえ、姿勢を崩せばすぐに立ち止まるし、脚の合図は常に出しておかねばならない。ヨアンを傍から見ればじたばたと脚を動かしているのが見えるだろう。
その点、エセルフリーダの騎座は美しい。背筋を伸ばして片手で手綱を握る姿は実に悠々として見える。
まるで何もせずに馬が歩いているように見える。これが熟練者の馬術だった。
「お館様ぁ! 兎取れましたぜ!」
「それは大声で言う事じゃねぇんじゃねぇか」
獲物を手に自慢顔なのは例のフェルト帽である。隊列に顔が見えないと思ったら、道を逸れて狩りをしていたらしい。
これに苦言を呈したのはバーナード。動物の猟区と権限はその土地の領主が持っているもので、勝手に狩りを行うのは密猟として厳に戒められていた。
しかしながら、それは建前上の事で、誰も見ていないところでは日常的に密猟者がそれを行っていた。
「おっと、こいつは失礼」
「私は何も見ていない。偶々、兎が飛び出してきた来ただけだろう」
「流石はお館様、話が分かる!」
傭兵達の中に笑いが広がった。道中に取る食事と言えばエンドウ豆のスープや堅パンであり、こうして新鮮な食材が手に入るのは喜びこそすれ、困ることではない。
「これで良いのかなぁ」
「そんなこと言ってると、傭兵の中で暮らしていけねぇぜ」
思わずぼやくヨアンに、髭面の弓兵が豪放に笑いながら言う。
「しっかし、ご立派な風体になったもんだなぁ」
「いや、僕の実力には不相応で……」
「良いんだよ良いんだよ。俺らなんて馬にゃ乗れんからな」
逆にヨアンは弓を使えない。つまるところ、これもまた役割分担というところだろうか。
馬の腰には満載の荷物が乗っており、多少なりとも傭兵らの荷を軽くしていた。
「それに読み書きだってできるんだろ」
「ええ、まぁ」
「だったら後ろででーん、としてりゃいいんだよ」
ほら見ろ、と彼が指さして見せたのは、隊の中央を歩く、ヨアンの村近くから集まってきた若い衆だ。
彼らはパウロの息子であるヨアンが居るから、と、この隊に集まってきていたし、今も目を向ければ手を振って元気さをアピールしている。
「兄ちゃん、騎士様のとこのボンなんだってな」
「父が騎士ってだけで僕は別に」
「いやいや、俺らからしてみれば十分に高い身分よ」
騎士というのは半平民などともいわれるが、男爵以上の爵位と違って、世襲されるものではない。
しかしながら、騎士の子息が騎士になりやすい、というのも確かだ。
そも、剣技や乗馬、読み書き算術などという教養は、貴族でなければ受ける暇も金もなく、よしんばそれが出来ても、騎士に任ずる貴族との繋がりもない。
ヨアンの父はもともとは富裕な農家の出で、領主の軍からの叩き上げ騎士であり、だからこそ尊敬を集めていたという事もある。
「まぁ、黙って担がれとけや」
「はぁ……」
それも何とも複雑な気分になるのだが。
その実、ヨアンは戦場を心待ちにしていた。いつまでも燻っている苛立ちをぶつける先に、これ以上のものはないような気がするのだ。
「今度こそ、やってみせる」
一人呟いて、馬に拍車を当てる。駈歩で村の若衆を追い越してみれば、囃し立てる声が上がった。