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1.目醒

 その戦の記憶は、そこからはっきりとしない。

 次にはっきりと気づいたときには、見た事もないような広い部屋で、一人、ベッドの上で寝ていた。

 このベッドというのも、藁を使ったようなものではなく、中綿が詰められた、大きなもので、清潔な敷布や上掛けまである。

 見上げた天井には、無骨ながら鉄製のシャンデリアまで下げられている。


「まるで、貴族様の部屋だな」


 と、呟いたところで、体を持ち上げる。それにも随分と力がいった。どれほどの時間を寝ていたのだろうか。

 ふと、頭を掻こうとしてみれば、その手が包帯に触れた。見れば、体中、包帯でがんじがらめになっている。


「あれ? 起きたぁ? ナナァ!」

「うん、エレイン様、呼んでくる」


 手に洗濯物を持ったニナが肩で押して扉を開くと、こちらを見てすぐ取って返した。

 寝ぼけていた意識がはっきりとしてくると、体中の痛みに思わず唸る。

 一体、何があったのかと思い出そうとしてみれば、城壁の上から落ちたのを思い出した。


「そういえば、戦はどうなったんだ」


 というよりも、ここはどこだろうか。硬くなった関節を伸ばそうとして、足に添え木が当てられているのに気づいた。

 どうやら、体中なかなかの重傷だったようで、我ながらよく生きている。と、思うほどである。

 城壁から堀まで、一体どれだけの高さがあったものか。そこから突き落としてくれた老兵に文句の一つも言ってやりたいものだが……。


「いや、感謝するべきか」


 あの状況では、彼も無事ではないだろう。そうなれば独り言にするしかない。

 恩の売り逃げ、というのはずるい。バーナードにせよ、例の弓兵にせよ、共に城に乗り込んだ六人は皆、そうだ。


「頭打って、おかしくなった?」

「いや、ただの独り言だよ」


 直截的な物言いは、ナナだ。いつの間に部屋に戻ってきたものか、無表情な顔に若干、呆れの色が混ざっているように思えた。


「僕は一体、どれくらい寝てたのかな」

「大体、一週間」

「一週間」


 それほど長い時間を寝ていたのか。


「途中、起きてたけど」


 それもそうだ。一週間、完全に飲まず食わずでは生きていられないのではないか。

 言われてみれば、何度か目を覚ましていたような気もする。何が起きたか曖昧なものだが。


「それで、ここは……?」

「ここは、リュング城」

「リュング城! それじゃあ!」

「うん。勝った」


 端的に過ぎるナナだったが、この際はそれがありがたい。

 慌てて窓の外を見ると、陽光に照らされた城壁が見えた。

 考えてみれば、内側からゆっくりと見たわけではないから、ここがそこと解るわけがない。

 首を伸ばしてみれば、中庭は戦闘の跡で荒れてはいたものの、すっかり空になっている。


「お兄さんが寝てる間にもう一戦あったのだけれど……」


 聞けば、一時追い出されるようにして逃げた現リュング城伯……いや、もはやこの表現は正しくないのか。

 さておき、彼が援軍を連れて戻ってきたようで、詳細な話はナナはしなかったものの、こうして城に残っているということは追い払ったのだろう。

 と、現状についてヨアンがナナに尋ねていたところに、ばたばたと足音が近づいてくる。


「ヨアンさん! 起きられたのですか!」


 扉から駆け込んで来たのはエレインだった。心労、というよりも純然たる疲労からその白い顔に隈が浮かび上がっていたが、それが彼女の容貌を損なうということはなかった。

 走り込んできた勢いのままにその冷たい指に手を包まれて、焦ったのはヨアンだ。

 間近でみるその瞳には、涙が湛えられ、きらきらと光っている。


「え、エレイン様、近すぎで……」

「良かった……もう起きてこないかと思ったのですよ」


 ヨアンは口を噤む。彼女の言が大袈裟だとはとても言えない。

 自身の怪我を見たのも彼女だろうし、その疲れた様子は、多くの兵を看てきたからということもあるだろう。

 良かった、と繰り返し言う彼女に、暫くの間されるがままにしていた。


「すみません。どうにもご心配をおかけしたみたいで」


 落ち着いた頃にそう声を掛ければ、彼女は弾かれたようにヨアンの手を放して飛びのいた。


「あっ、その、私こそ取り乱してしまって」


 怪我をしたのはヨアンの方なのに、と恥ずかしげにエレインは頬を染めた。


「それで、御加減どうですか?」

「そうですね、包帯も外れればもうすっかり」


 言って肩を回して見せ、思わず痛みに呻きが漏れそうになるのを我慢する。

 強がって見せたいものだったが、どうもそうはいかないようだ。


「大丈夫、じゃなさそうですね」


 くすくす、と彼女が笑う。ようやく、明るい表情が見れた。


「意識もはっきりとしていますし、大丈夫かと思いますけれど、絶対安静ですよ?」

「忙しい時期でしょうに、申し訳ないです」

「ヨアンさんは十分に、いえ、十二分に働かれたのですから、今くらい休んでも文句は言われませんよ」

「そう、ですか」


 頭の上では、今、自分が動いても邪魔になるだけだとはわかっているが、目の前に忙しそうな人がいると落ち着かないものである。

 二人でそうして話していると、ごほん、と咳払いの音が聞こえた。はっ、としてそちらをみると、ナナの横にニナが立っている。

 そういえば、この部屋には始めからナナが居たのだった。特にやましいことはしていないが、少々、気恥ずかしい。

 咳払いで注目を集めたナナの意図は何か、と首を傾げれば、続いて、エセルフリーダが部屋に入ってきた。

 思わず、立ち上がろうとして、また痛みに呻くことになる。エレインは、少々、気まずそうに一歩引いた。


「そのままでいい。話せるか?」

「はい。このような姿勢で申し訳ありません」

「構わん。騎士が負傷しているのに、それを咎めることはできないだろう」


 騎士、か。ヨアンの目指すところではあるが、何かの比喩だろうか。

 その辺りが表情に出ていたか、エセルフリーダは少し目を逸らした。


「覚えていないのも仕方のないことだが、枕元を見てみろ」


 彼女が目を向けたのは、まさに枕元だった。その視線を追いかけてみれば、自身の剣と共に、金の拍車が置かれている。

 それは騎士の象徴でもあり、叙勲された者だけが着けることを許されたものだ。


「これ、は」

「ああ。今回の攻城戦に参加した指揮官総員の合意の上、既に陛下からも許可を得ている」


 思わず目線をエセルフリーダと拍車の間で行き来させてしまう。


「今回の戦勝の立役者、しかもその唯一の生き残りだ。しかも、血筋には文句がないと来ている」


 これで、騎士に叙勲されなければ嘘だ。ということらしい。


「やはり、僕以外は……」


 引っ掛かったのはそこだった。七人中残ったのが一人。それは誇れることとは思えなかった。


「何があったのかは解らないが、十分、いや、十二分に仕事をしてくれた」

「バーナードさんは……」

「長く、仕えてくれたな」


 エセルフリーダも、何も思わない訳ではないらしい。しかし、悲しむ、というようでもなかった。

 それに多少の反感を覚えたのも確かだ。しかし、それは子供の我がままのようなものだとも理解している。

 彼女は一体、どれだけの兵の死を見てきたのだろうか。


「彼は、最期に隊を任せた。と」

「そうか。そうだな。残った兵の半分は、リュングから来た兵だ」


 エセルフリーダの下で騎士をするとなれば、ヨアンが指揮を執るのに不都合はない。古参の者も、文句は言わないだろうとのことだ。

 バーナードはそこまで考えていたのだろう。思えば、彼の側に置かれていたのも、その仕事を見て覚えろ、という事だったのかもしれない。

 ほとんど確定した事実として、エセルフリーダはリュング城伯に返り咲く。その時に下につく騎士の一人もいないのでは格好もつくまい。


「それに、君は書類仕事もできるようだからな」


 それにはエレインも頷いた。


「それで、剣はエレインに捧げるという話――」

「えっ」

「うん?」


 驚きの声を上げたのはエレインだった。怪訝そうにエセルフリーダは首を傾げる。


「……まさか、まだエレインには言ってなかったのか」

「はい……」


 何というか気恥ずかしいということもあったし、まだ戦功も挙げられていないのに、というのは言い訳だ。

 もしも断られたら、と思い口にだせなかったのだ。我ながら小心者だと笑うしかない。


「そうか」


 エセルフリーダが軽く目をさまよわせ、その後ろではニナとナナが呆れた、という顔をしている。

 当事者の一人であるエレインは驚きに声が出ないという様子で、部屋には微妙な空気が流れた。

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