2.餞別
あれよあれよと数日が過ぎ、その間の傭兵隊の動きは早いものだった。
「どうでしょう? 計算あっていますか?」
「今のところは間違いは一か所でしたが……」
ヨアンはその中で、調達した食料や装備品の内訳について書類を見直していた。作業の合間に顔を出したエレインが尋ねる。
実質、糧秣などの管理はエレイン一人が負っているもので、補助としてはニナとナナが行っているのだが、改めて見直すとなるともう一人は欲しい、という話だった。
エセルフリーダの手が空いていれば彼女が最終的に確認をするのだが、常にそんな暇があるわけでもなく、結果、適当にならざるを得ない。
「やっぱりありましたか」
苦笑して、誤魔化すように舌を出して見せるエレインは、少々子供っぽく映った。
「予備分の水なので、そこまで問題ではないと思うのですが……」
やはり、多少は書き間違い、計算間違いがあるのは避けられないだろう。
そも、読み書き算術が貴族の習いである。糧秣などで基準の数が増えれば増えるほど、厄介なものになっていく。
ヨアンは見直しで検算を行っているが、これだけ莫大な数を実際に調達作業をしながらこなすのは中々に骨であるように思える。
支払いの欄に至っては、基準銀貨で何枚分から金銀銅貨に算出しなおすのだが、銅貨百八十枚で銀貨、銀貨十二枚で金貨などなどややこしい計算が待っている。
挙句、各貨幣は重量によって価値が違う訳だから、煩雑にならざるを得ない。すべての計算を終えるのには、前日の夕方に初めて結局、日を跨ぐことになっていた。
ようやく終わったというところで、何度見直しても不安が残る。金貨、などというのは普通に生活している上では見るようなものではなく、農村となれば物々交換が常で、偶に行商人が寄ったときに使うかくらいなものだから、それも当然である。
こうしてみれば、傭兵隊、というよりも、これだけの人数が動くにはこれほどの費用がかかるのか、と溜息の出る気持ちだった。
「ありがとうございます、助かります!」
「いえ、自分にもできることがあると思えば気も楽になります」
作り終えた書類をエレインに渡すと、大げさに感謝された。軽く羊皮紙に目を通して、これなら、と安心したように肩を落としてほっと息を吐いていた。
ヨアンの言ったことも本当である。気を紛らわすのに、仕事があるのはありがたかった。
「次からは調達の際からお願いしますね」
「あー、まぁ、微力を尽くさせていただきます」
言葉を濁してしまうのも致し方あるまい。エレインの小さな背中が心持ち軽い足取りで離れて行くのを見送って、苦笑をしてしまう。
机に向かって凝った背中を伸ばして、改めて傭兵の陣を見れば、出立の時間に向けて最後の確認を行っているところだった。
前線に戻るための準備は粛々と進んでいたが、数日がかかるのは、部隊の規模から仕方があるまい。一度下ろした荷物をまとめるだけでも一仕事なのだ。
エセルフリーダの隊は大きく分けて二つの層に分かれる。一つはバーナードら、エセルフリーダに昔から付き従う古参の者たち。もう一方はヨアンのように途中から隊に加わった新参だ。
出発の準備をしている間にも、村を追われた避難民のうち、まだ若い者らが声を上げ、隊に加わらんとしていた。
「坊ちゃん、俺らも行きますぜ」
「どうせもう何も残っちゃいねぇからな」
「パウロ様には世話になっただ」
などというものだった。体の良い口減らし……いや、厄介払いにも思えるが、誰もがそれは口にしない。
農地は残っているのだから、この復興のためにも人手は必要だが、村には次男三男を養うだけの余裕はすでにないのだ。
彼らからしてみても、こうして知り合いもいる上に騎士の率いる傭兵団に入れるのは悪い話ではなかった。
少なくとも、食事が支給される。それだけで十分なのだった。今までついぞ祭り以外で腹一杯に食べたこともない、という者も少なくはない。
ヨアンは代官の息子ということでかなり恵まれていた部類である。農夫の息子らは痩せぎすで、肌に吹き出物の浮いているような様子だ。
「ヨアン君!」
慌ただしく準備に駆けまわる陣内で、声をかけてくる者が居た。誰かと思って目を向ければ、そこには領主が居た。
「間に合ってよかったよ」
「わざわざ御足労頂き……」
しかし、何用だろうか。見れば、彼の後ろでは馬飼いの少年が軍馬、というには少々心もとないが乗用には申し分のない馬を曳いている。
「いや、旅立ちに当たって何か送らないとパウロ卿に申し訳なくてだね」
「それはまた、ありがとうございます」
用意されていたのは鎖帷子に鼻当てのついた鉄兜、革の長靴、家紋こそないもののサーコートと凧型の盾に、銀色の拍車。
従士としては十二分な装具一式である。着けてみたまえ、という言葉に従い身に着けてみれば、ずっしりとした重量はむしろ安心感を与えるものだった。
鎧下がないために少々肩に食い込む感じがあるが、贅沢も言っていられない。キルトの鎧下は絹よりも高価な木綿を用いているゆえに、かなり値の張るものだった。
「そこはこうするのだよ」
と、領主が手ずから腰に帯を巻いてくれる。随分と肩が軽くなった。なるほど、腰で一旦、重量を分けるのか。
「うむ、うむ。なかなか男前ではないか」
領主は何度も頷きながら、ヨアンの肩を叩く。勧められるままに馬に跨ってみせれば、見送りに来ていた村の者たちも口々にささやき始めた。
「おお、若いころのパウロ様にそっくりじゃ」
「流石は騎士様の御子じゃのう」
傭兵隊についてきている村の若い衆からは羨望の眼差しを向けられ、少々、気恥ずかしい。
馬に慣れておくといい、と言いおいて、領主はエセルフリーダの方へと向かっていった。
「これから、よろしくな」
馬の首を叩く。首を下ろして草を食み、何を考えているかわからない様子ではあったが、それだけ穏やかな気性の持ち主なのだろう。
長靴で抑えても進もうとしないので、拍車で軽く馬腹を摺ってやると、ようやく歩き始めた。しかし、うまくハミを受けてくれない。
そうこうしているうちに、準備を終えたらしいエセルフリーダが、馬を寄せてきた。何とか速歩を維持しているヨアンに対して、すっと横につける辺り馬術の差を感じる。
「話は領主殿から伺った」
馬に乗れぬ訳ではなさそうだな、とエセルフリーダは頷いている。だがしかし、騎乗戦闘が出来るほどではない。まぁ、槍を小脇に抱えて突っ込む程度はできるだろうか。
横に並ぶと、馬体の大きさの差も目立つ。元よりヨアンよりも僅かに背の高いエセルフリーダであるが、今は話すために顔を見上げなくてはならない。
そうして余所見をしていると、ヨアンの馬は足を止めていた。
「戦場では降りた方がよさそうだな」
「……面目ないです」