1.対談
「エセルフリーダ様、伺いたいことがあります」
そう言うと、彼女は少し驚いたような顔をした。
それまで天幕の薄い暗闇の中、難しそうな顔で書類を見ていたが、それを脇に置いて向き直った。
手を組んで、その青く澄んだ目を向けてくる。その目を見て、今更ながら彼女がエレインと姉妹なのだと確信した。
「珍しいな、ヨアン。何か要望か」
今まで何も言わなかった方が不自然だ。と彼女は言う。
正直なところ、ヨアンには彼女に苦手意識があった。
何故かと問われれば、まず、初めて会ったときの恐怖が挙げられるだろう。
剣を習っている時にも、古代の剣闘士もかくや、と言うような厳しい訓練だったし。
何度も地面に転がされて、それで休むことも許されないそれを思い出して、ヨアンは少し震えた。
「傷の具合はどうだ?」
「はい。妹御様のお陰で、特に問題は」
今は頭に包帯をぐるぐる巻きにされ、さながら話に聞く砂漠の商人のような有様だ。
少々、格好はつかないがそれもまた仕方ないだろう。
「それは良かった。それで?」
「私事で恐縮なのですが……自分は騎士になれるでしょうか?」
質問の意図が理解できない。とばかりに彼女は首を傾げた。それはそうだろう。
この前の野営の夜、自身の気持ちに気付いた。
エレインの手厚い看護の下、意外と傷は浅かったらしくすぐに本調子に戻ったのだが、そこで想いを伝えられるほどヨアンは積極的でもなかった。
それまで考えていた父や幼馴染への想いもまた、嘘ではないのだ。
そもそも、エレインに対してヨアンでは身分が釣り合わない。今は騎士の妹、ということだが、それでも従士というのでは立場が弱い。
どうしたものか、と考えた時に騎士になれば良いのだ。と思い至ったのである。
幸い、ヨアンは騎士の息子であり、父もそれほど期待はしていなかったとはいえ、その道を進んでほしいと考えていた節がある。
今考えれば、野盗狩りに連れていかれたのもその一環であるし、ノルンの領主も気前よく馬や装具を送ってくれたことから、同様の事を考えていたのではないか。
それで、バーナードに騎士になるにはどうすれば良いか、と問えば、エセルフリーダに聞け、と返された訳である。
ヨアンはエセルフリーダの従士であるのだし、彼女が最終的な推薦者となるのだから当然といえば当然だ。
「戦功が有れば、まず間違いなく騎士になれるだろう」
「そうですか。いえ、すみません。これからはもっと気合を入れていきたいと思います」
「士気が高いのは良いことだが……何かあったか?」
エセルフリーダの困惑顔、というのは中々見れるものではないだろう。
眉間にしわが寄るのをもみほぐしている。
ヨアンは逡巡するように口を二度三度、開けたり閉じたりしながら、結局、言ってしまう事にした。
「その、もしも騎士になれましたら、妹御様に剣を捧げるのをお許し願えるでしょうか」
「それは……私が決めることではないな」
剣を捧げる、というのは騎士の習慣である。
心に決めた淑女を持て。というのは、従士の頃から言われるもので、それは必ずしも本当の恋愛という訳ではない。
剣を捧げた淑女の笑み、労いの言葉、そのようなものを求めて、その淑女の名誉のために戦う。
この国で最も美しいのは彼女だ、最も勇ましいのは彼女だ。といった具合だ。
妻帯者であれば普通、妻の名誉のために戦うものだが、別に誰か、例えば主君の配偶者などに剣を捧げる事も多い。
純粋な崇拝、とでもいえば良いのだろうか。それは恋愛というよりも遊戯に程近い。
そういう意味では、ヨアンが騎士となれば主となるエセルフリーダの妹であるエレインに剣を捧げるのは何もおかしなことではない。
「エレインの気持ち次第ではあるが……まぁ、私は反対しない」
「それが伺えただけで十分です。ありがとうございます」
もしもこの恋、という風な言葉にすると恥ずかしいものだが、ともかく、それが成らなかったとしても、騎士として剣を捧げれば離れることはない。
そのような打算の気持ちもないと言えば嘘になる。
「ノルン伯の推薦もある。まず間違いなく、いつかは騎士になれるだろう」
「はっ、身に余る光栄です」
「あまり功に焦るなよ」
「……はい。肝に銘じておきます」
エセルフリーダの顔は言っても無駄だろうがな、と語っていた。
それを否定できないというのも痛い所だ。
「話はそれだけかな?」
「はい。お忙しいところお時間を頂きましてすみません」
「いや、偶の頼みだ。心には留めておこう」
一礼して、ヨアンは天幕から出る。寝てる間に馬車に揺られて、いつの間にやら砦についていたのだ。
前線のあわただしさで、今も人が右往左往している。
エセルフリーダ隊は、前の補給線確保の戦いの報告の間に休養中という訳だった。
リュング城伯を取り逃してしまったのは痛いところだったが、作戦の企図は達している。
今は問題なく補給が続いているのがその証拠だった。
「しかし、造反者が居たとは」
逃亡された時の手際が良すぎると思ったものだが、ヨアンが抑え、バーナードが仕留めた男は獅子王国側の騎士隊に加わっていた一人だった。
道理で捕虜は武装解除されたにも関わらず、剣を持っていたわけだ。それに気づいたときの従士、騎士らの反応は劇的なものだった。
エセルフリーダが長い間、書類をまとめに籠っているのも、事の重大さを証左している。
死してなお、疑心暗鬼の種を撒く。実に嫌らしい相手である。
最早、彼はエセルフリーダらだけではなく、ヨアンにとっても仇敵。
誰もが思いを同じくする。とすれば、やる気も出ようというものだ。
あの夜の選択をした時から、ヨアンは一つ、覚悟を改めていた。