15.選択
夜。おおよその尋問が終わり、幾人かの騎士や兵はぐったりと頭を垂れていた。
取り調べは苛烈だったが、虜囚となったからには文句も言えまい。
彼らが輸送隊から取った捕虜をどうしたかを考えれば、口を突いて出る言葉も力なくなろうものだ。
その中で一人、凶暴な色に目を爛々と輝かせて、食って掛からんとする者が居た。
捕虜となった兵らを率いていたリュング城伯ジェスロその人だ。
尋問にあたっているのは、怜悧な瞳をした一人の騎士。エセルフリーダである。
彼女は助手となっていた傭兵達に用は済んだ。と告げる。
それにほっと胸をなでおろしたのは、どちら側の兵だったか。
「ああ、そうだ」
ふと、思い出したようにエセルフリーダは振り向く。
「この前のノルン領への浸透について、何か知らないか」
ぐっ、と言葉を詰める騎士の態度、それだけで十分である。
エセルフリーダに顎で示され、気乗りしない態度の傭兵が焼きごてを手にその騎士へと近づいた。
「は、話す! 待ってくれ!」
「お前!」
留めるように叫んだのはジェスロ。
彼は一つ舌打ちをすると、開き直ったように下卑た笑みを口元に浮かべた。
「へっ、ノルンってどこかと思えば、あの田舎か。そうだ。そこを襲うように指示をだしたのは俺だよ」
「そうか、もういい。用は済んだ」
理由は聞くまでもない。ノルンの領主の下にエセルフリーダが居ると知っていての行動だろう。
もともと、獅子王国側の陣営に居た彼の事だ、旗と領地、諸侯の動向は当然、知悉している。
今の質問自体、ただ少し、興味があっただけのことだ。
エセルフリーダは踵を返し、捕虜らから離れて行く。後に残されたのは監視要員の兵だけ。
「何、だって……」
いや、もう一人、エセルフリーダを呼びに来ていて、その話を聞いてしまったヨアンである。
思わず、といった様子で剣の柄に手を当てて、唇を噛むその顔は青く、血の気が引いていた。
※※※※※
ヨアンは眠れずに野営地の片隅で膝を抱えていた。
眠れるわけもない。まさに仇というべきものが、すぐ近くに居るのだ。
父の、幼馴染、いや、許嫁と言っても良い彼女の、村人たちの命を奪った元凶。
そんな男がのうのうと生きている。
「僕は……」
何をしようというのか。
腰には父から譲り受けた剣が、そして、懐にはブレンダから受け取った短剣が。
復讐。その二文字が脳裏に浮かぶ。しかし、それは許されざることだった。
捕虜とはいえ、貴族を殺せばどうなるかは、言うまでもない。
「いや、僕が死ねばそれだけで済む」
言葉にしてみて、背筋に寒気が走った。
そうだ。ここで復讐を遂げたところで、裁かれるのはヨアンだけだ。
旅に出る時、もはや生きている意味はない。そう考えていたのではないか。
もし、それを実行に移すならば、この夜の間しか機会はないだろう。
周囲にはエセルフリーダの指揮する隊しかなく、捕虜たちは縛られ、地べたに座っている。
「見張りはどうするか」
交代しにきた。と言えば信じてもらえるだろうか。
短剣を引き抜く。鋭い刀身には、血の錆が残っている。
「やるなら、今しかない」
言葉に出して、その声が震えていることに気づく。
夜気は凍えるほどに冷たく、今や、心の底まで冷え込むようだった。
幸い周囲には、目を覚ましている者は居ないようで、こっそりとヨアンは寝床を抜け出した。
心臓は痛いほどに鳴っている。これが誰かに聞かれはしないか、という程だった。
「あら? ヨアンさん、眠れないのですか?」
思わず飛び上がりそうになった。
「え、ええ。エレイン様はどうしましたか?」
「怪我をされた方もいらっしゃるので、その治療に」
後ろを振り向けば、朧げに浮かび上がる白い顔と白金の髪。
こうして月明かりの下で見ると、さながら古代の大理石で作られた彫像のようだ。
「おひとりで歩かれては危ないかと」
「先ほどまで、ニナさんとナナさんに手伝って貰っていたのですけれど」
ちょっと空気を吸いに、と彼女が微笑むのが見える。
その表情はこちらを信頼しているようで、ヨアンは胸が痛む思いをしていた。
これから人を殺そう、と考えている人物ほど危険なものはないだろう。
「そうだ。よかったらお散歩に付き合って頂けませんか?」
「僕が、ですか? それは……」
断る理由を探して目をさまよわせる。
「駄目、ですか?」
彼女の眉が悲し気に傾ぐ。
ここで断ってしまっては、怪しまれはしないだろうか。
「いえ、そうですね。少し、歩きましょうか」
誰かを呼ばれるくらいなら、彼女と暫く歩いても良いだろう。
散歩が終わる頃には夜も更け、捕虜に近づくのはもっと容易になっているかもしれない。
月明かりと、僅かにちらつく焚火の炎とに照らされる中を歩いていく。
「夜の空気は、好きです」
エレインが何とはなしに呟く。それに応える言葉も持たず、沈黙で返していた。
沈黙の中、ぽつぽつと彼女が呟く言葉だけが、夜のしじまに溶けて行った。
焦る気持ちは残っているものの、それは意外なことに不快なものではなかった。
「ヨアンさんはどうして戦場に居るのですか?」
「それは……」
そもそも、戦の場に向いていないという事は自覚している。
それでも戦場に立つのは、やはり復讐の為。そう。今まで薄く意識していたそれが、今や確固たるものとして目の前にあった。
口を開こうとしたところで、何か違和感を覚える。
「うん?」
ふと、くぐもった声が聞こえた気がした。
聞き間違いかと思ってエレインの方を見れば、彼女もこちらの方を見ている。
「今のは?」
「行きましょう!」
駆けだす彼女に遅れること数歩、慌ててその背中を追いかける。
「……ぐぅ、姫さん、来ちゃだめだ」
「どうしました!?」
辿り着いたのは捕虜らが居る場所で、そこには一人の傭兵がうずくまっていた。
如何にも苦しそうに、大きな声を出すこともできず、それでも絶え絶えにエレインに警告をしていた。
慌てて周囲を見る。そこには暗がりに身を隠すようにして縛めを抜け出そうとする騎士が居た。
「ちっ、見つかっちまったか!」
「いや、このお姫様を捕まえれば良い人質になりますぜ!」
片やリュング城伯ジェスロ、もう片方はその配下の騎士だろう。
これは天機だ。逃亡しようとする捕虜であれば、正統な理由をもって斬ることができる。
「良いから逃げるぞ!」
「何、容易い仕事です!」
逃げようとするジェスロと、エレインに襲い掛かろうとする騎士。
ヨアンは躊躇った。この千載一遇の機会を逃せば、父や幼馴染の仇をこの手で討つ機会は二度とないかもしれない。
エレインを見捨てれば、今はまだ足についた縄を切ろうとしているジェスロに追いつき、斬ることが出来るだろう。
そうだ。それに、エレインの剣の腕は知っているだろう。ジェスロを切ってから助太刀しても、彼女ならその間持ちこたえるはずだ。
ならば、迷うことはない。ヨアンは剣を抜き、精一杯の声を上げながら切りかかった。
「邪魔しやがって!」
剣と剣がぶつかり合い、夜闇の中で火花が散った。
「ヨアンさん!」
切りかかったのは、エレインに襲い掛かろうしていた騎士に向かってだ。
視界の端に、逃げ出すジェスロの背中が見えた。
どうして自分はこうしているのか。そんなことを考えている暇はなかった。
どうしても、エレインを見捨てるという事は出来なかったのだ。
背中を押す強い感情に任せて、ヨアンは遮二無二切り込んでいた。
「エレインさん! 今すぐ人を呼んでください!」
「っ、はい! どうかご無事で!」
一旦距離を取った騎士と睨み合いに入る。相手もこちらも鎧は身に着けていない。
探りあうように刹那が過ぎる。先に切りかかったのは騎士の方だった。
「くっ!」
何とか剣を打ち合わせてそれを防ぐ。盾もない状況では、剣だけが頼りだった。
受けた剣を押し返すようにして剣を振るうが、それは掠りもしなかった。
数合打ち合ううちに、ヨアンは徐々に押し込まれていく。
「諦めちまいな! 何、見逃すってんなら、殺しはしねぇ」
「くっ、そんなこと、出来るか!」
全力を込めた一撃を放つ。それを騎士はがっしりと受け止めた。
ヨアンの放った刃が剣の半ばまで食い込んだのを見て、それまでの余裕ぶった顔を引き締める。
「ちっ! 死んじまいな!」
ヨアンが打ち込む暇もあらば、騎士は次々と斬撃を放つ。
受けきれなかった剣が浅く肉を食み、あっという間にヨアンは血まみれになっていく。
それでも何とか、ヨアンは相手の隙を窺い続けていた。
「これで、終わりだ!」
「まだだ!」
騎士が大振りに剣を振るのを見て、しゃがみこむようにして飛び掛かる。
騎士とヨアンはもつれあうようにして地面を転がった。
「離せ! この野郎!」
抱き着くような形で刃が届かないのを見て、騎士は剣の柄でヨアンを殴る。
がつん、と強烈な一撃を受けて、意識が一瞬遠のいた。
ここで意識を失えば、命はない。何とか細いそれを引き寄せて、騎士を抑え込む。
額が割れたか、血が目に入ってどうにも見づらい。
腰から短剣を抜いて、男の首に振り下ろすが、相手も剣から手を離して、こちらの手を抑え込む。
この時ばかりは、もっと体重が欲しかった。
「兄ちゃん! どけ!」
「っ!」
聞き覚えのある声に、ヨアンははじけ飛ぶようにして騎士の上から退いた。
その後には、斧槍の風を切る音と、柔らかい何かが潰れる音が聞こえた。
「ヨアンさん! 大丈夫ですか!? ヨアンさん!」
気付けば、エレインの顔が目の前にあった。後頭部には柔らかい何かを感じる。
「ああ、エレイン様……良かった」
泣いている彼女の顔を見るのは、初めてのような気がする。ああ、彼女に涙は似合わないな。
今になって、ようやくヨアンは自分を突き動かした感情に気づいた。
それは、正気であれば考えもしなかったことだ。自分には許されないと思っただろう。
朦朧とした意識の中だからこそ考えたこと。
ただ僕は、彼女の事が――。




