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14.捕縛

「おう、兄ちゃん大丈夫か」

「ええ、まぁ」


 後頭部が痛い。兜を付けたまま、受け身も取れずに落馬すればこうなるだろう。

 空はいつの間にやら朱く染まり始めている。

 どうやら声をかけてきたバーナードは、走っていったノルンを捕まえていたようで、その大きな顔が目の前にある。

 湿った鼻息がくすぐったい。その首を軽くたたいて、勢いを付けて立ち上がった。


「どうやら本当に大丈夫みたいだな」


 周囲を見渡せば、傭兵達が戦利品をはぎ取っているのが見えた。


「兄ちゃん、持っていくかい?」

「いえ、僕は……」


 右手に握ったままだった剣を見る。その先は血に濡れており、近くには死体が転がっていた。

 傭兵の習いというもので、討ち取った敵の持ち物は、討ち取った者が手に入れるという約束事がある。

 しかし、どうにも慣れないものだった。

 今も、もはや意思のない空虚な目で空を見上げているそれを直視することが出来ないでいる。

 そう。村の近くの森に放っていた豚を解体したことがある。

 初めの頃には嫌悪感にも似た恐怖を感じていたものだが、後には何も感じないようになっていた。

 寧ろ、その手間に文句を言ったり、暴れる豚に苛立ちを覚えるようになっていたものだ。

 それと同じ事なのかもしれない。

 改めてそれを見下ろしながら、そんなことを考える。


「うわっと」


 いきなりノルンが首を回してきた。押されてよろめく。

 首を掻きたかったのかもしれないが、彼ら、馬と言うものは自分の大きさを解っていないのだ。

 子犬がじゃれつくように頭を擦り寄せられても、その重さで人の方が倒れてしまう。

 倒れたら倒れたで、それに驚く始末だから何とも憎めないところではあるのだが。

 考えていたこともどこかへ行ってしまった。苦笑しながらノルンの首を撫でてやる。

 今日は良い働きをしてくれたものだ。


「ま、これだけでも取っとけや」

「どうも」


 手早く持ち物を確かめたバーナードが、短刀で財布を固定していた紐を切って、それを投げてくる。

 受け取ったそれは如何にも軽く、大した金額も入っていないのは確かだ。


「畜生! 離しやがれ! 俺を誰だと思っている」

「うるせぇ、手前が誰だかはよく知ってるぜ。領主様よう」


 捕えられた騎士の一人が、盛大に騒いでいる。

 痩せ気味の顔に、無精に生やされた髭。荒れっぱなしの髪は戦場とは言えとても貴族とは思えない。


「あれは……」

「ここで会ったが百年目、ってな。アレが現リュング城伯様の野郎だ」


 言葉を失う。逃げきれずに捕まったものだろうが、まさかこんなに早くまみえる事になろうとは。

 今もみっともなく抵抗の様子を見せている男は、如何にも粗野、といった印象だった。


「お前、この前こっち側にいた傭兵の野郎じゃねえか!」

「おお、こいつぁお久しぶりで」


 睨みつけられたのを気にしていないように、朗らかな笑みで迎えたのはギブソンだ。


「この裏切り者め、恩を忘れやがって犬畜生」

「いやぁ、そんな御恩を受けた覚えもありませんで」


 罵倒されても柳に風、寧ろ面白そうに捕縛された男を見ている。


「犬ってのも食いっぱぐれちまったら生きていけないんで、ま、餌くれる飼い主につくのは当たり前なことでしょうなぁ」

「金か、金ならやる。だから今すぐ俺を解放しろ!」

「そろそろ黙れ! 手前には聞かなきゃならねぇことがたっぷりあんだよ。話なら後で聞いてやる」

「無礼な!」


 槍の穂先をちらつかせて、ようやく男は黙った。そのまま、他の捕虜達の下へ連れていかれる。


「よく怒らずにいられますね」 

「まぁ、この程度、お貴族様には言われ慣れてるからなぁ」


 ギブソンは苦笑しながら、参った、とばかりに頭を掻く。

 この人物の気性からして黙ってはいないだろうと思っていたが、存外冷静なものである。


「兄ちゃん、俺の事、馬鹿だと思ってないか?」

「っ! いえいえ。まさかそんな」


 まさしく思っていたことを言い当てられて、思わず息を詰めた。

 その様子を見ていたギブソンは呵々と笑って見せる。


「良いんだよ良いんだよ。馬鹿じゃなきゃやってられねぇってもんだ」


 うだうだ考えているような姿を見せていたら、下の者が不安になってしまう。

 そう言った彼の目には、理知的な光があるように思えた。


「そうですか」

「まぁな」


 笑いを引っ込めて真面目な顔をすると、ギブソンも随分と歳を取って見えた。

 バーナードの事を爺と呼んで憚らない彼だが、その差は十程だろうか。

 考えてみれば、戦場であろうとどこであろうと、彼が傲岸不遜に笑っている所しか見た覚えがない。


「戦場には笑みを連れて行くもんだ」


 どこか遠くを見て彼は言うと、いつもの笑みを口の端に浮かべた。


「いや、つまらない話をしたな。まるで年寄り見たいじゃないか。いやだいやだ、歳は取りたくねぇもんだ」


 あの野郎やっぱり許せねぇ。一発殴ってやらなけりゃ。

 そんなことを言いながらふらふらと歩いて行く彼の広い背中を見送る。


「笑みを、ね」


 真似をしてみようかとも思ったがなかなか難しい。


「あいつも何だかんだ長いからなぁ」

「どれほどの間、傭兵をしているのですか?」

「ざっと十五、六年ってところか」


 それほどにか。三十半ばほどだろうから、半生を傭兵生活で過ごしていることになる。

 どうしてか、と問うのも躊躇われる。それぞれの都合に首を突っ込んで良いことはない。


「もう夜になるぜ。今日はここで野営だな」 


 そうと決まれば、とバーナードは傭兵達に指示を飛ばしていく。

 今頃、前線の方はどうなっているものか。赤い月が顔を見せていた。

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