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ルリーナ、傭兵隊を辞する。

「今まで、ありがとうございました」


 そう行って、笑顔のまま崩れた敬礼をして見せたのは、短く切りそろえた栗色の髪、こぼれ落ちそうなドングリ眼、そばかすは浮いているが、つやつやとした紅顔の美少年といって差支えのない中世的な少年だった。

 腰からは曲がりくねった鍔に魚の尾を模した柄頭を持つ短い剣、俗に喧嘩剣と呼ばれるそれを提げ、粋に胴衣を着崩した姿は、正に傭兵のそれである。


「すまんな、ベルント……いや、ルリーナ嬢」


 ルリーナ『嬢』、そう。この少年、その実少女だったのである。


「いえいえ、ここまで匿っていただけただけでも十分な事ですよー」


 少々、荒っぽい環境だったけれど。そういって笑みを浮かべた彼女に苦笑を返したのは、鎧下に身を包んだ壮年の男だった。

 壮年と言えど、白くはなっているが豊かな髭をたたえ、櫛を入れられた髪は後ろに撫でつけられている。今は困ったようにまなじりを下げているが、その眼差しはそれでも鋭い。

 この男は、その名を聞けば誰もが震えあがる神聖帝国の誇る最強の傭兵隊、その大隊長にもなる者だった。傭兵、とは言うものの、その実態は諸国をうろちょろとする鼠かイナゴのようなソレとは様相を大きく異としていた。

 鉄製のシャンデリアが下げられ、壁には斧槍と火縄銃の掛けられたこの部屋も、帝都にある傭兵本拠の館、その一室だった。


「娘っ子預かってもどうすれば良いか解らんからなぁ」


 伝法な口調で言った大隊長はがりがりと頭を掻いて見せる。

 ルリーナはその名をルリーナ・フォン・ベンゼルと言った。つまるところ、青い血を引いた貴族である。

 そんな貴族がどうして傭兵などというものに身をやつしていたかと言えば、家が政争に巻き込まれたからであった。

 あらぬ嫌疑を掛けられて、次々と親族があるいは隠密裏に暗殺され、あるいは明るみで処刑されていくなか、何とか知り合いだった傭兵隊長に匿ってもらうことになったのだ。

 そうして生き延びたは良いものの、もはやルリーナは天涯孤独の身。他に頼る所もなく、傭兵隊の世話になっていたのである。

 初めは下っ端として馬の世話から初めて、十二を数えた頃からは斧槍を手に、長々と続く神聖帝国と白王国の戦に繰り出していたものだ。

 貴族の子女、とはいえ、武こそを是とする神聖帝国、世継ぎの男子の居ないベンゼル家の一人っ子だったルリーナは幼いころより武術を仕込まれていた。

 それにどうやら、戦の場にあり、ルリーナは天稟を発揮してめきめきと頭角を現していた。

 傭兵達に一人前と認められるのもあっという間であり、そうして肩を並べ戦っていたのだがふとした切欠で女だとバレたのである。

 大隊長のお気に入りという事で諸々誤魔化していたのだが、さすがに何年もすれば気付く者もいるだろう。何より、幼い時分であればまだしも、一応は年頃の娘になっているのだ。


「まぁ、色気はないけどな」

「それは、私に、言っているのですかー?」


 決闘も辞さない、と腰の剣に手を当てたルリーナの凄みを効かせた笑顔には大隊長であっても狼狽えさせるものらしい。一つ咳ばらいをして、彼は話題を切り替えた。


「おう、そうだ、これが預かってた金と、装具分の代金と、退職金だな」

「あらら、ありがとうございます」


 斧槍や火縄銃、赤や黄色を使った鮮やかな隊服は各人の私物ではあったが、傭兵以外が街中で持ち歩き、身に着けることを許可された物ではない。

 傭兵の身分を証明するようなそれらを返却して、久々に平服を着たルリーナはさっぱりするような、少々落ち着かないような気分だった。


「この剣も、返却しますね」

「いや、それは持って行ってくれ」


 良いのです? とルリーナは首を傾げる。少なくとも傭兵隊の名が広まっている中にあっては、この喧嘩剣は身分証明の代わりに使える。

 そもそもがこの大隊揃いで用意された支給品である。柄頭には隊章が押印されていた。


「叔父さんからのせめてもの餞別だ」

「はぁ……」


 そういうものか、とルリーナは首を傾げる。使えるものなら使わせてもらおう。

 そうなると、ルリーナの持ち物は少なくない金貨と自費で購った長靴の国風の白黒鎧の一部である胸甲、そして喧嘩剣という事になる。


「それでは改めて、ありがとうございました!」

「おう、偶には手紙でも出せよ」


 最期に握手をして、ルリーナは大隊長の部屋を去った。歩きなれた廊下ではあったが、二度と入ることもないと考えれば感慨深いものがある。

 さてどうしたものか、と溜息をついた。とりあえず、しばらくは生活に困らないどころか遊んで暮らせるくらいの金はある。

 かといって一生何もせずともよい、というほどではないので、当然、何かしら手に職つけなければいけないのだが。

 館を出ると、大隊の同僚……いや、元同僚らが並んでいた。今や関係者でもなく、それどころか皆を欺いていたルリーナに声をかけることはなかったが、ただ敬礼をして見せた。

 見送りの積りらしい。ルリーナは館の敷地から一歩出て、後ろを振り向くと、完璧な敬礼を返して見せた。大隊の者らと笑みを交わして、それで終わり。

 湿っぽいのも苦手だし、これでよいのだ。


「ありがとうございましたー!」

「武運を祈る!」


 最後に一言だけ礼の声を投げかけると、そんな言葉が返ってきた。

 武運。そう、武運か。結局のところ、ルリーナに何ができるか、と言えば剣を振るうことだけなのだ。

 いまさら村娘のようなことはできないし、嫌と言うほど見てきた野蛮な男どもに媚びを売るだなんて論外だ。

 そう、ルリーナは根っからの武人だった。


「とはいえ、また性別を偽る、というのは難しいですし」


 神聖帝国内で傭兵なぞしていればすぐに顔なじみと会うだろうし、かといって白王国に下るのは論外だ。

 いくらなんでもルリーナのような少女を雇おうなんて国はないだろうし――いや、そういえばどこかで性別に限らず武人であれば地位を得られる場所があると聞いた覚えがある。

 傭兵にとっては夢物語のような話ではあったが、大陸の西にある島ではそれが当り前だとか何とか。


「ウェスタンブリア、そう、ウェスタンブリアでしたね」


 そうだ、確かそういう名前の場所だった。とはいえ、大陸から海に出るのは長い旅路になる。

 ウェスタンブリアに至るには白王国側の港から出る船に乗らねばならないだろう。なかなかに骨が折れる。だがまぁ、何とかなるだろう。

 どんな旅路も、潜り抜けてきた激戦を考えれば楽なもののように思える。


「そういえば、もう髪を伸ばしても良いし、男物を着ている理由もないのですね」


 ふと思い出したが、そうだ。何年ともう娘としてのお洒落とは縁遠い生活をしていたが、今はそれを着ても良いのだ。

 というよりも、教会の定めからすると、男物を着ている方が問題なのだった。これは早めに服を見繕わないと。僅かな発見であったが、それはうれしいことだった。


「あら? ベルントじゃない? どうしんだい、こんなに日の高いうちに」

「これはこれはカミラさん。私、傭兵隊を首になりまして」


 考えながら歩いているうちに、歓楽街の辺りまで来ていたらしい。

 声をかけてきたのは初夏に実った麦穂を思わせる金髪に、とび色の瞳を持った二十も後半の婦人である。白粉を振った顔に赤く艶やかな唇、豊満な体つきを見せつけるように襟ぐりの開いた服は、白昼に見るには違和感のあるほどの蠱惑的な雰囲気を醸しだしている。

 彼女は傭兵団を相手にする娼婦の一人で、一つの店の顔役でもある、高級娼婦と言って良い存在だった。

 本来、一介の傭兵と顔見知り、というものではないはずなのだが、そこはそれ、他の傭兵と共に娼館に乗り込んだ時にひと悶着あり、それを納めたのが彼女である。

 金を貰ったからには、ということと、個人的に気に入った、という事で、ルリーナの『初めてのひと』という事になる。それ以来、どうにも頭が上がらない。今だって頬が赤く染まるのが解る。


「ふーん、となるともしかして」

「ええ、バレました」


 それを聞くとカミラは笑ってルリーナの背中を叩いた。その笑いぶりはまさに呵々大笑といったもので、街路に響き渡るほどである。


「今日は遊んでいきなよ」

「いやー、私も目指すところが」

「この街に帰っては来ないんだろ? だったら、さ」


 思い出作りに、と上目遣いで言われると、ルリーナは断りきる事もできず、結局、店に引きずり込まれ――結果を言えば、帝都を出るのは二日ばかり先送りになった。

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