9.転針
「お姉さま、戻られましたか」
「ああ。状況はどうだ?」
「伺われているとおりだと思います」
砦に戻れば、エレインが迎えた。
砦の中は殆どの軍が前線へと出張っており、満員となっている状況を知っている為か随分と閑散として見える。
到着した傭兵達は、ひとまずは、と灯りの準備を始める。
エレインから得られた情報は、先に伝令の伝えてきたものと相違なく、敵の小規模な隊が後方に居るものと思われる、ということだった。
「夜討ち朝駆けは基本だよなぁ」
バーナードは溜息と共にその言葉を吐き出すと、見張りに立つ順番を傭兵達に再度割り振っていた。
これからは、いつ襲撃があるものか解ったものではない。
「おお、エセルフリーダ卿」
「お疲れ様です。状況は伺っておりますが」
エセルフリーダに話しかけたのは、見覚えのある小太りの文官然とした貴族の男だ。
以前、この砦に来た時に、閲兵を担当していた人物である。
「卿が来てくれれば百人力だな」
そう言って、彼は懐から書簡を取り出した。どうやら、元帥からの指令を手にしていたようだ。
王は前線に居るが、軍議の場には武官文官問わず、宮廷貴族らが詰めている。
「確かに。それでは、翌朝より行動を開始します」
「うむ、うむ。私ももう少し若ければ槍を持って不埒ものどもに礼儀を教えてやるものを……」
元々は騎士だと言っていたか、彼は本当に悔しそうな表情で自分の足を叩いて見せた。
その様子に、控えていたエレインが笑みを浮かべながら口を挟む。
「ご自愛ください。貴卿の栄誉は誰もが存じております。これ以上に栄誉を重ねられれば、若い者たちはどうすれば良いものやら」
「おお、麗しいご婦人。これはこれは何と有り難いお言葉か。いやぁ、あと十も若ければ」
貴婦人の前で帽子を脱いで礼をしてみせる様子なぞ、まさに騎士道騎士、といった様子である。
つるり、と禿げ上がった頭が覗いているが、兜を被り続けて縮れた鬢は戦場慣れを感じさせた。
どこか滑稽さを感じる仕草をしていたが、彼は生真面目な騎士なのだろう。
彼は暇を告げると、また幕舎の中へ戻っていった。この時間にも関わらず、その中からは灯りと話し声が漏れている。
「さて、諸君。我々は明朝、砦を出立、索敵に移る」
エセルフリーダは傭兵達を集めて、これからの行動についての打ち合わせを始める。
諸侯から抽出された従士、騎士から斥候隊は既に準備されており、エセルフリーダの隊と足並みをそろえて出発する予定だ。
隊は、いくつかの傭兵団、ギブソンの隊ともう一つ、エセルフリーダ指揮下に編入されている。
独立して動ける諸侯、前線から抽出できる戦力として、騎士エセルフリーダはどうやら信頼されているようだ。
「陛下が我々に下命されたのは、後方に潜む敵の捜索と撃滅。補給線の確保がどれほど重要なものかは、説明する必要もないだろう」
一部、解っていなさそうな兵が首を傾げたが、それはともかくとして彼女は話を続ける。
解っているなら問題ないし、解らないなら説明しても仕様がない。
「お飯食い上げ、ってことだよ」
「そいつぁ恐いな」
こそこそとそんな呟きが聞こえた。まぁ、そう言う事だ。
最も真面目にエセルフリーダに顔を向けているのは、従士や若い騎士といった者らだった。
彼らは士気も高く、武功を立ててやろうという気概に溢れているために、実に頼もし気に映る。
同じく従士としてエセルフリーダに付いているヨアンとしては、肩身が狭い思いだ。
彼らは馬上で、指揮官の話を聞いていること自体が名誉なことだ、と言わんばかりに胸を張って力強い眼差しをしている。
その装具はまちまちで、全身鎧の者は少ない。今回、彼らに求められているのは正面戦力としてではなく、斥候としての役割だということもあるだろう。
そもそも、それほどの財力がない。ということもあるだろうが。
それでも各々の家門を染め抜いたサーコートや、錆びや解れ一つない鎖帷子、腰から提げた剣に、金や銀に輝く拍車と、実に色鮮やかである。
「出立するまでは各員、休憩をとるように」
そう話を結んだエセルフリーダは、眠そうな顔をした傭兵と、生真面目な騎手らの顔をざっと見て、思い出したように加える。
「私と同じく王に剣を捧げる騎士、従士諸兄らと轡を並べる栄誉を得られたことは喜ばしいことだ。諸君らの命を預かる名誉ある義務を果たす為に、力を尽くさせてもらう」
以上、解散。その指示と共に皆が思い思いに分かれる。
傭兵は傭兵達と共に、騎士らは騎士らで、ヨアンは自然と傭兵の方に向かったが、一瞬、躊躇う所ではあった。
「おう兄ちゃん、こっちで良いのか」
「そう、ですね。実際どうなのでしょうか」
「お兄さんは、斥候に出る訳でもないのだしぃ」
「こっちで良いと思う」
ニナとナナが顔を出す。今回は彼女らも馬車に乗って隊に追従する事になっていた。
砦に貯蔵されている資材の中から、一部を載せて行くわけである。
「向こうは居心地悪そうだしね」
「あら、ヨアンさんも騎士の御子息で従士なのですから、家格には問題ないと思いますけれど」
「エレイン様、そうは言いますが」
「様、じゃなくてさん、で良いです」
辺境伯の娘、とはいえ、今となっては騎士の妹である。そうなると額面の立場上はヨアンとそう変わらない。
彼女はそう言うものの、ヨアンにとってはそうは思えない。それに、彼女と話しているのを見ている若い騎士らの目が恐い。
改めて見るまでもなくエレインは麗しい娘である。婚姻にも適齢であり、財はさておき、家格を求める貴族からすれば魅力的だ。
婚約をしているという話も聞いたことはないのが不思議ではある。
「しかし、そう考えると複雑な気分だな」
思わず口を突いて出た言葉に、自ら首を傾げる。一体何が複雑な気分なのか。
「お兄さーん」
「手伝って」
「はいはい。今行くよ」
荷物をまとめる双子に呼ばれて、思索を止める。
今はともかく、明日の準備を終わらせよう。考える時間はたっぷりとある。