1.出陣
「昨日、国境を越えて竪琴王国の軍勢が侵入してきたのが確認された」
王城の中庭、闘技会などでも使われるという広い場所で、集まった兵を前にしているのは今回の軍を統括する王とその補佐役だ。
玉座に堂々と体を沈めた元帥たる王の横で話すのは、公爵位にある貴族。彼が補佐役だ。
大きく声を張っているようには思えないのだが、その低い声はよく響く。その貴族らしい態度も、訓練の賜物か。
「この危急の時に当たって、招集に応じてくれた諸君に感謝を」
ヨアン達の前には、エセルフリーダが騎馬姿で微動だにせずに居る。
目だけで周囲を見れば、完全装備の傭兵らが気まずげに足を組み替えたりと小さく身じろぎしていた。
各々に得物を支えている腕が疲れたものか、ふらふらと時折、その穂先が揺れている。
そうして揺らぐ視界中の背中に、自身もまっすぐ立っているのか不安になる。
一方で、集まった兵の最前列で、こちらを向いている従士隊などは実に堂々としている。
人の緊張など知ったものか、と言わんばかりに馬は首を振っている。
「こんなお上品な場は苦手だぜ」
と、誰が言ったものか囁き声が聞こえたものだが、王の御前などというのはそうそうない機会だ。
荒くれもの揃いの傭兵は礼儀などというものを知らない。
「此度の戦では、陛下御自らが御采配を執られる。諸君は王の軍勢だ」
こうしてぎっしりと城に集まった兵を見るに、獅子王国もこの事態を考えていなかった訳ではないようだ。
あるいは、傭兵らを諸領地に留め置いたのは、まさにこのためなのかもしれない。
公爵閣下は獅子王国の正統性から竪琴王国の不正に至る一大歴史叙事詩を語り始め、その話の脱線にいよいよ傭兵らの必死の無表情が歪んでいく。
従士の一人がこっそりあくびを嚙み殺しているのを観察していると、どうやら話は絶好調、いよいよ最大の盛り上がりを迎えたようだ。
なるほど、話の流れとしては国の成立から今回の奇襲の不当について暴き立てるような流れだった訳か。
あまりにもありがたいお話に、思わず眠気がやってくる。そもそも、どれだけの人間がこの高尚な御題を理解して話を聞いていたものか。
「栄誉ある軍よ、彼の悪逆の徒に正義の鉄槌を下す時だ! 諸君の奮闘を期待する!」
話が終わったと同時に、万歳、の声が上がる。
万感の籠ったそれに、黒い髭も見事に整えられた公爵閣下は満足げに頷いた。
いやしかし、やっと退屈な話から解放されたのだ。万歳と叫びたくもなる。
「それでは、陛下からも一言頂ければ」
しかし、その喜びは、一瞬で萎びていく。余計なことを言うな、とその目が語れば言っていただろう。
億劫そうに頷いた王が玉座から立ち上がる。その瞬間、誰もが息を呑んだ。
金糸に縁どられた真紅のマント、そしてその身を鎧うのは白銀の輝き。頬当てを上げた兜の上には王冠の金色。
輝かんばかり、いや、輝くばかりの姿は遥か遠方からも確かめることができた。そして、彼は腰に佩いた剣を引き抜く。
それは切っ先を潰された王権の証明。
「我に続け。諸君。栄誉あるものには報いよう」
獅子の如き視線すら感じるようであった。
それだけを言った王が、その剣を如何にも手慣れた様子で振りぬくと、今度は心の底からの万歳の声が上がった。
王はその声を浴びながら表情一つ動かさない。その目は兵らを睥睨しているようで、どこか先、敵を見るようでもあった。
「出陣!」
そう話をまとめたのは公爵閣下。王は本当に一言を述べたのみ。
これもまた立派な、仰ぎ見るほどに大きな青毛の馬に跨った王は、従士隊を引き連れて、兵の海を割って、先頭を行く。
この時ばかりは、誰しもがその従士らに憧憬の目を向けていた。常には街を守る役目から厄介者のように扱われていたが、こうして王に随伴する姿は実に美しい。
超然とした王の態度に子供のように頬を染めながら誰もが万歳の声を上げる。
王の隊を見送った後には、王都に在留していた各諸侯に率いられて、割り振られた傭兵隊が進む。
「さて、行こうか」
「前へ、進め!」
今、この時、エセルフリーダ卿の隊は傭兵ではない。貴族から直接に指揮されている兵だ。
意気揚々と進む兵らの表情は、広場に集まったときの頃とは大違い。
煌びやかな王とその軍に当てられた分もあるが、城の門をぬければ、市民たちの好意的な期待の視線に迎えられる。
「我らの軍に、敬礼!」
留守を守る衛兵らは、その軍を敬礼で送る。
澄み渡った空の下、民家からは花なぞが投げられたりなぞした。
左右左。歩を進める。ヨアンは馬上からそれを見下ろすことが出来た。
道を行く兵は誰もが口を噤んで如何にも勇壮な顔を見せようと努力していたが、しかし、口元が緩むのは隠せないようだった。
「おう騎士さん、頑張れよ!」
「いやぁ、こうしてみれば立派だねぇ」
「馬子にも衣装ってもんだ」
市民に手を振り返す。見れば以前に市中で迷った時に先導してくれた人たちだ。
努めて背筋を伸ばして馬に跨る。彼らの為に戦うと考えれば、実に意義のあることに思えた。
隊の中でエセルフリーダは目立つ。白銀の鎧を身にまとった乙女。初めてその話を聞いたときには誰の事かと首を傾げたものだが。
今も市民からは、主に黄色い歓声が上がっているが、彼女は涼しい顔でそれを聞き流している。その涼やかな態度がまた良い。というのだから、よくわからない。
たしかにヨアンから見ても、エセルフリーダは実に騎士らしい麗しさがあるが、端的に言えば、恐い。
「残念だったな兄ちゃん」
「何がですか?」
街を抜け、声援の声も遠くなったころに、からかうようにバーナードが声をかけてくる。
「ほら、あの嬢ちゃん、いなかっただろ」
「いや別に……」
誰の事かと思えば、ベアトリスだろう。宿の前を通るときにその顔がないかと探しはしたが。
確かに期待していなかったと言えば嘘になるかもしれないが、別に彼女とはそういう関係でもない。
「ま、さておき、楽しい戦争の時間だ」
「鬱憤は敵にぶつけてやらなけりゃな」
やんや、とばかりに傭兵らに笑いが広がっていく。
街を出る門を潜れば、視界が大きく広がる。
「短い休みだったな」
最後に、王都の頼もしい城壁を見ようと後ろを振り向いたとき、遠くに黒髪の少女の姿が見えた。
子犬を抱いたその姿はもう見慣れたもので、視線が一度交わった。笑顔で手を振ると彼女も小さく手を振り返したように思えた。




