12.急変
冬も半ばを過ぎた頃、すっかり宿の裏口を定位置とした子犬と戯れているときだった。
「大変だ!」
息せき切って宿に飛び込んできた傭兵に、何事かと皆が目を向ける。
尻尾を振ってじゃれついてくる子犬に、丸めた布を投げてやるとヨアンも酒場に戻る。
子犬は、しっかりと洗われて、何色かもわからないような毛玉だったころの名残はない。
その茶色の毛並みは、愛嬌を振りまいて傭兵達から巻き上げた肉の切れ端なぞのお陰で艶々としていた。
「何事ですか?」
駆け込んで来た傭兵は息も絶え絶えの様子で、差し出された杯を飲み干すと、落ち着く暇もなく話し出した。
「敵襲だ、敵襲! さっき早馬が来て言ってたんだけどよ」
「何だって!?」
「おいおい、まだ冬は終わっちゃいねえぞ」
それまでのんびりとした空気が流れていた酒場は、俄かにざわめきに包まれた。
「それで、どこに居るんだ。その軍はよ」
「そいつぁまだ解らねぇけどよ」
しかし、当然、一大事である。これは事前通告のない奇襲ということになる。
休戦協定を結んだわけでもなく、暗黙の了解ということで戒めることもできないが、だからといって許されることでもない。
そんな様子だから、獅子王国側はまだ準備ができていない。急に開戦だと言われて、はいそうですかと動けるものではないのだ。
「ともかく、出る準備をしなきゃならんな」
喚いていても始まらない。バーナードの言葉に、傭兵達は荷物をまとめに走った。
「どうしたの?」
「何やら、竪琴王国側に動きがあったとか」
「そう……」
例に漏れずヨアンも出立の準備をせねばならないものだが、荷物は袋一つに納まる程度しかない。
馬も時折、歩かせているものだし、すぐにでも出立はできる状態だ。
「ここも危ういかもしれないね」
いくら、自身の準備を終えているとしても、傭兵団は動けない。
消耗品の補充をしなければならないし、それは他の隊もしていることだろうから、物資はすぐに集まるものではない。
春からの開戦を見込んでいた以上、冬の間からの備蓄は限定的だ。水など、数か月も置いていたら悪くなるのも自明だろう。
兵を招集しての動員も済んでいない。初動は遅れるだろう。
そして、戦線は現在、構築されていないのだ。
「とはいえ、私らにはどうしようもないよ」
リュング城から仮設の砦までは竪琴王国の勢力内。王都までの道は開いているも同然だ。
街に危険が迫っているからといって、庶民達に出来ることはない。
荷物をまとめて逃げ出す。等という事は、寧ろ禁じられているものだ。
そもそも、逃げ出したところで、野盗や戦乱の溢れる土地で、身寄りもなく如何しろと言うものか。
それに、別に両者の軍は市民をどうこうしようという意図はない。
領地の奪い合いをしている最中、自らが得た物の価値をわざわざ下げる者がいるだろうか。
戦争は軍が、国がするもので、昨日はあちらの旗だったが今日はこちらの旗。それが平民の生き方だった。
「精々、ここが戦場にならないように……頑張ってもらわないとね」
そう。むしろ恐ろしいのは、籠城戦である。
兵糧攻めとなれば、市民も無関係ではいられないし、攻撃の対象が街となってしまえば、巻き込まれることも避け得ない。
市民から志願した、民兵、武装市民と言うべき者らもこうなれば参加するものだが、街の防衛は悲惨である。
「微力は尽くすよ」
おそらく、ベアトリスなりの励ましではあったのだろう。ひどく不器用ではあったが。
ヨアン一人が奮戦したところで、戦局は変わりはしない。それは間違いないことだ。
「エセルフリーダ卿より伝言を預かった!」
扉を開けて、大音声で呼ばわった城からの使者は、慌ただしく準備に追われる傭兵達に目を丸くしながら困ったように目をさまよわせた。
代表者を探しているようだ。こうして使者が来るという事は、誤報であってほしいという儚い希望は最早潰えたということだろう。
「おーおー、お疲れさんです。閣下から現場指揮を任されておりますバーナードです」
「代表の方か。至急、出立の準備を整えるとともに、この書面を検めてほしいとの要望で」
「勿論で。それで?」
「ええ。竪琴王国側からの急な攻勢だそうで……」
軽く聞き耳を立てていると、どうやら哨所の一部が潰されたらしい。
まだこちらの勢力圏下にある村に駐在させていたものだが、とにかく、間違いなく竪琴側の兵の襲撃ということだった。
エセルフリーダの送ってきた書面をバーナードは読み終えると、確かに、と伝令の者に頷いた。
「では、私はこれにて。まだ声をかけねばならぬ隊があるので」
「お勤め、ご苦労さんです」
息を整える間もあれば、慌ただしく使者は駆けていく。
「おい、今、外に出てるやつはどんくらい居るんだ?」
「へい。確か五人ばかりかと」
「出先は知らねぇよなぁ」
「まさかこんな事になるとは」
休暇の最中である。この騒ぎに気付かないということはないだろうとはいえ、すぐに戻ってくるかは怪しいところだ。
「エセルフリーダ卿は何と」
「ああ。最短で明日には出発だ」
「出来るのですか」
バーナードに問いかければさあな、と肩をすくめて見せた。
「ま、物資に関しては、今回は王様が出してくれるとよ」
「陛下が」
兵を出して、追って補給物資を送るつもりだろうか。
「何はともあれ、冬戦の支度をせんといかんな。なぁ、嬢ちゃん」
「私?」
急に声をかけられたベアトリスがきょとんとした顔をする。珍しい。
「毛布とかあるだけ売ってくれないか」
「え、それは困るんだけど」
宿として運営できなくなる。毛布は安いものではないし、再び揃えるのも一苦労な品物だ。
「解ってる解ってる。言い値で良いから」
「ちょっと待って、父さんを呼んでくる」
忘れがちだが、この宿の主人はベアトリスではなく、その父親なのである。
バーナードの手際になるほど、と頷く。当然の事ではあるが、冬なら防寒具が必要で、宿で使っている毛布は当然、全員分の数を確認できている。
こなれている、というのはこういう事なのかもしれない。
「さて、忙しくなるぞ」
そう言って溜息を吐いたバーナードは、右往左往する傭兵らに指示を出すべく、声を張り上げた。




