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4.襲撃

「三!」


 強弓の弦が解放され、微かに矢が風を切る音が続いた。実に軽快な音だ。


「ぐっ」


 声を上げる暇もなく、見張りに立っていた賊が崩れ落ちる。一人は喉に、一人は目にと矢を受けたようだ。

 肩に矢を受けて叫びかけた一人には、速やかに二の矢が撃ち込まれて強制的に黙らされた。

 それをやって見せたのは例のフェルト帽だ。流れるような動作で矢を番え、仲間の仕損じた一人を射抜いて見せた。

 見事な腕前である。後は歩兵の仕事だ。


「行くぞ」

「応」


 藪を越えて賊の野営地にそろりそろりと近づく。まだ走り出しはしない。ここで焦っては見張りを先に片付けた意味がない。

 あと百、五十、三十歩……ふと、賊の方から声が聞こえた。


「おぅい、どうした」


 弾かれるように、傭兵達が駆けだした。ヨアンは一歩遅れてそれについていく。

 槍を構えて一直線に突っ込んでくる傭兵の姿を見て、顔を覗かせた賊はぎょっとした顔で固まった。理解が追いつくまい。

 足の速い傭兵が賊に体ごと突っ込み、槍を突き立てる。もんどりうって倒れた賊に馬乗りになって、腰から短剣を抜き放つと、即座にとどめを刺した。


「突っ込め!」


 エセルフリーダが下した号令に、わっと傭兵隊の喊声が続いた。ヨアンもまた、無我夢中で叫ぶ。

 野営地に雪崩れ込んだ傭兵達は、我先にと目に付いた敵に槍を突き立てていく。

 賊のほとんどは、毛布にくるまり地面に寝ていた。喊声に気づき飛び起きた者もいたが、そのような者も武器を取る暇もなく仕留められていく。

 野営地の中は、武器のぶつかる金属音も殆どなければ、くぐもった声と、傭兵達の叫ぶ意味もない言葉に埋め尽くされていた。


「頭領は捕えろ! 殺すなよ!」

「応!」


 バーナードがかけた声に傭兵らが応じる。ヨアンが手を出す暇もなく、一方的な制圧は終局へ近づいていた。

 辺りを見回すと、背中を向けて逃げようとする一人を見つけた。


「待て!」

「ひっ」


 声をかけて追いすがれば、賊は足が絡んだか転んだ。地に倒れたそいつに向かってあらん限りの力で槍を突き刺す。

 無我夢中の事だった。手の中にはまるで水の入った皮袋を刺したかのような感触が残る。実に呆気ないものだった。


「痛てぇ! たすっ……助け! くそ」


 しかし、槍が腹に刺さったまま、その賊は死んではいなかった。既に致命傷ではあるだろうが、何とか逃れようと必死にあがいている。

 ヨアンは得も言われない気持ち悪さを感じて、槍を引き抜いて離れようとするが、抜けない。必死に何度も引くが、そのたびに賊が痛みに身を捩らせるだけで深く刺さった槍は抜けることはなかった。

 賊の叫び声は消えない。痛みを訴え、命乞いをする声に心臓を掻きむしるような不快感を感じる。

 ヨアンは思わず槍を手放した。恐い。こうして地面に倒れ、今にも死にゆく人間が恐かった。


「うわああああああ!」


 腰から剣を抜くと、男に振り下ろす。力任せに振られたそれは、肉に食い込み、血が舞うが、それでも死なない。

 叫び声がより大きくなって、不快だった。とにかく黙らせなくては。何度も、何度も剣を振り下ろす。

 血が飛び、紙が飛び、歯が飛び、肉が飛び、目が飛び……


「おい、何やってんだ、おい!」


 さらに振り落とそうとした手を、後ろから止められた。後ろを振り向けば、バーナードだ。


「殺さなきゃ!」

「やめろ! もう死んでるだろ!」


 何を言っているんだ、と思って見れば、確かにその人間だったものはもう動いていない。

 腹を槍に刺されて、顔は原型をとどめていない。周囲には黒い川のように血が流れている。


「そんな……」

「終わったんだ。全部な」


 それは確かに、人間の死体だった。そう、人に値しない死に方をした、人間の死体だ。

 そうだ。それは賊でも、兵でもない、こうなってしまえば、ただの人間の死体だ。


「う……わ……」


 父やブレンダ、村人たちの死に様とそれが重なる。人の所業とは思えない、尊厳を踏み躙るような……それをしたのは、誰だったのか。

 自らを見下ろすと返り血で真っ黒になっていた。手には、赤い血が。目を刺すような、ツンとした臭いが漂っている。

 胃の中からせり上がってくるものがある。


「あー、やっぱり駄目だったか」


 吐いた。バーナードが何やら声をかけてきているようだが、その意味が解らない。

 胃を裏返すように、中身を全て吐き出す。それを見てさらに吐いた。中身がなくなって、黄色い液体が出てくるまで吐いた。

 視界が明滅して、意識が遠くなる。物を考えるのも億劫で、体には力が入らない。

 遠い意識の中、両脇を支えられて、どこかへ歩いているのだけが理解できた。



**********



「さて、どういう事かな」


 死屍累々の元野営地の中、エセルフリーダは周りを見渡して溜息をついた。

 生かして捕まえた賊も数人を潰して尋問を終えてはいたが、特に重要な情報は得られていなかった。

 この賊どもの行動には怪しい点が多い。物資を略奪する目的であれば、村に火を放つことはないだろうし、夜を越すのに建物を使おうともしていない。


「まるで村を焼き払うのが目的だったようですな」

「そうだな……」


 うぐうぐ、と唸りながら地面に這っている賊の頭領に、傭兵は水をかけて意識を取り戻させていた。

 指を一本ずつ叩きつぶしていき、その痛みに気を失っていたのである。


「どうだ、話す気にはなったか」

「くそったれ」


 バーナードが声をかけても、憔悴した様子ながら何も言いはしない。

 ただの食いはぐれた傭兵団で、物資が足りないから略奪を続けていた。村を焼いたのは抵抗されたからだ。

 そんなことを言い続けている。確かに信憑性がない訳でもなく、嘘とも断じることはできなかった。


「実際にどうであるか、は、重要ではないがな」


 エセルフリーダは冷たく言い放つ。このまま尋問――いや、拷問で死なせてしまったところで何も痛くはない。

 裏に何かしらありそうだといっても、証拠は出てこないだろう。駄目元で聞いているだけだった。

 賊の頭領は苦し気な息の中、歯の間から恨み言を漏らした。


「どっちが賊だ、呪われちまえ」

「……私の顔が解らないか?」


 腫れた瞼の間から、賊がエセルフリーダの顔を見た。


「この、『冷血』め」

「ほう、私も有名になったものだな」


 『冷血』のエセルフリーダ、というのは、共に戦場に立つ傭兵の中では有名な話ではあった。

 元より、見目麗しい貴族の子女が、鎧を身にまとって戦場に立っているのだから目立たない訳はない。

 こいつを生かして帰せば、また『冷血』の悪名に磨きがかかるな、と涼しい顔で聞き流している。


「戦場から引き返させられて気が立っているんだ。死にたくなかったら、雇い主の名前を言え」

「断る」


 雇い主の領地で略奪が行われ、いくつかの村が焼き払われたと聞いて、その雇い主と共に前線からとって返してきたのだ。敵側、竪琴王国側の戦力を分散させる手に思える。

 エセルフリーダは顔色一つ変えず、傭兵から受け取った戦槌を賊の脚に落とした。

 骨が折れ、肉がつぶれる音と共に、くぐもった叫び声が夜の静寂に響く。夜はまだまだ終わりそうにはなかった。

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