11.安穏
「さて。結局、お話していただけですね」
「気晴らしになってありがたいです」
何度目かの登城だった。書類仕事をしに来ている、というよりも、まさに茶飲み話をしに来ているような状況だった。
エセルフリーダは滅多に部屋に戻らない様子で、ニナとナナは話相手にならないのだろうか、という疑問には、彼女たちの有り様が答えを示している。
「エレイン様」
「お食事の時間です」
「あら、今日はどなただったかしら」
「それでは、僕はこのあたりで失礼します」
暇を告げて席を立つ。こうしてエレインに仕える双子は、まさに使用人の鑑、といった様子で、常のいたずらっ子のような態度は鳴りを潜める。
やはり、あくまでも仕事であり、義務として、その姿勢を叩きこまれているのだろう。
偶に忘れそうになるものだが、エレインは貴族の子女であり、決して軽視してよい相手ではないのだ。
「正直少し、羨ましい」
そう言ったのは、双子の妹で大人しい方のナナ。
城から出るのに衛兵を呼びに行く最中の話である。
「羨ましい?」
「私たちじゃ、ああしてエレイン様とは話せないから」
帰り道の廊下を、言葉少なに語ったナナの言葉を思い返しつつ歩く。
諸侯との会話では当然、気が休まらないだろう。そもそも、同年代の話相手、というものが彼女には居ない。
歳が近いとはいえ、身分差のある双子と、歳のいくつか離れた姉。それも、姉は家の跡継ぎだ。
思えば、エセルフリーダと話しているときは実に楽しそうにしていた。
今のエレインは、何というか、戦場に居るときよりも無理をしているように見える。
馬の手綱を握っていた時の嬉々とした様子を思い出すに、彼女は部屋で大人しくしているような性格ではないのだろう。
お飾りではない姫君。ヨアンは彼女を尊敬に値する人間だと思っていた。
「毎日、ご苦労だね」
「衛兵さんこそお疲れ様です」
毎日、顔を出しているうちに、気さくな衛兵の一人と顔見知りになっていた。
しかし、彼らはいつ休んでいるのだろうか。毎日、同じ者を見ているような気がする。
「ただいま戻りました……って、あれ?」
「ああ、傭兵さん達なら外に出たよ」
宿の戸を開ければ、料理の下ごしらえをするベアトリスの姿しかなかった。
手元から目を離さず、右から左に剥いた野菜を積み上げていく。
「槍構えェ!」
「応!」
と、外から宿を揺るがすほどの声が聞こえた。
一瞬、ベアトリスは手をとめて、眉を顰めて顔を上げた。
「……近所迷惑」
「何というか、申し訳ない」
どこかで驚いた犬が吠え立てる声が聞こえた。
バタバタと、抗議をするようにいくつかの窓が音を立てて閉められる。
「この前の件もあってどうしても訓練している、って見せなきゃいけなくてね」
「それを言われると、何も言えないけど」
続いてまた大音声。ベアトリスは寄せていた眉の力を抜いて、溜息を吐いた。
ギブソン隊との喧嘩騒ぎを、平常の訓練とした以上、いつも同じことをしていると見せる必要がある。
どうせ暇をしているのだから、という事も相まって、以外にも傭兵の士気は高かった。
というよりも、暇つぶしの方が主目的だ。体を動かしていた方が気が楽という訳である。
無計画に手当を使った者らはそろそろ懐が寂しくなっているころだ。
盛大に賭けに負けて素寒貧となっている一人は、この冬中、笑いの種だろう。
宿と食事は保証されているとはいえ、冬の間中、籠り切りでは鬱屈としてくるだろう。
「でもまあ、子供たちの外遊びみたいなものだけれど」
という言葉は飲み込んでおいた。実際、無意味とは言わないが、必要のある訓練という訳ではない。
遊びの中で仕事を学ぶ。というのは、実によくあることだった。
貴族の手習いでもなければ、教師がついて鬱々とした授業をするということはない。
「ヨアン……は、行かなくても良いの?」
「まぁ、時期を見て行くよ」
帰ってきたばかりで気が乗らない。という訳でもないが、どうせ運動するなら着替えてしまいたかった。
登城するのに着ているのは、唯一持っている多少はマシな服なのである。
「でも、そろそろ終わるんじゃないかな」
貴族の食事は会話が中心という事もあって長いとはいえ、帰る時にはもう食事時だった。
それに、部隊行動の訓練は初めと終わりにするのが定例となっていた。
もうすっかり、号令を聞けば何を考えることもなく動けるようになっていた。
そろそろ終わる、と言った端から、戸が開かれ、ざわざわと雑談をしながら傭兵達が宿に戻ってきた。
しかし、今日は少し様子が違うようである。
「ほらほら、坊主、お前人懐っこいなぁ」
「あ、こら、噛むな噛むな」
「まだ子供だぜ」
中心になっている一人の懐が、不自然に膨らんでいた。
何が起きたものか、と目を向けると、その襟口から、毛玉が頭を覗かせた。
「ほらほら、わんこ。干し肉だぞ」
わん。と吠えるそれは、見まごうことなく犬である。
うれしそうに尻尾を振りながら、与えられた干し肉を食べる姿に、口の端も緩むもので、傭兵達の強面も形無しになっていた。
「犬? ちょっと。宿に入れないでもらえる?」
「おいおい、嬢ちゃん。いいじゃねえか」
「駄目です」
嫌そうに顔を歪めたのはベアトリスである。
子犬は野良だったのだろう。元の色も解らないくらいに汚れていた。
宿にそれが入るのは、あまり気持ちの良いことではないのだろう。
「そんなこと言わないでよう」
「大体、誰が世話するっていうんだい」
「それは、なぁ」
なぁ、と言いながら手をすり合わせて、おもねるような態度をとる男に、ベアトリスの眉の角度がもう一段上がった。
「うちは宿だよ。食事に毛が入ったりしたら事じゃないか」
「そうは言っても」
「駄目だ。元の場所に置いて来な」
怒った様子で冷たく言い放つベアトリスは、寄る辺もないといった様子で、傭兵達は明らかに残念そうな顔をしている。
「せめて、冬だけでも」
「何度言っても駄目なものは……」
と、子犬がベアトリスの足元に駆け寄っていく。そして、つぶらな黒瞳がその顔を見上げた。
わん。と一つないて、体を彼女の足に擦り付ける。その様子に邪険にすることもできず、ベアトリスは困ったような顔になった。
「駄目なものは……?」
「……わかった。そう、冬だけ。冬だけだからね?」
そして折れた。冬だけ、と言っているが、たぶん、それでは済まないだろう。
手で触れるか触れないか彼女が悩んでいるのを見て、その子犬の脇をつかんで持ち上げる。
顔を舐めてくるのは実に可愛らしい。しかし、洗ってやらなければいけないだろう。




