10.有閑
「お兄さんー」
「お久しぶり」
部屋に入って、真っ先に声をかけてきたのはニナとナナの双子だった。
目に映ったのは、机の上に広げられた書類とインク壺、そして羽ペンといった筆記用具。
「ヨアンさん、お待ちしておりました」
「エレイン様。ご無沙汰しております」
左右を見てみれば、エセルフリーダの姿は見えない。
「エセルフリーダ卿は?」
「お姉さまですか? 今は諸侯との昼食会に呼ばれているはずですけれど」
てっきり、エセルフリーダにお叱りを受けるものだと思っていたのだが。
エレインのきょとんとした表情を見るに、どうやら的外れな予想だったらしい。
「えーっと、本日お招きいただいた理由は」
「ああ、そういえば言ってませんでしたね」
手を打ち合わせて、エレインは花が綻ぶように笑う。
「ヨアンさんには書類の整理を手伝って頂きたくて」
何だ、そういうことなのか。落胆にも似た安心感に、知らず肩に入っていた力が抜ける。
しかし、その安心も次の瞬間に吹き飛ぶのだが。
どさり、と置かれた書簡の数に、顔がこわばるのが解る。
それは机の上から零れるほどで、さらに、床に置かれている物を見ると、何か冗談のような量である。
「じゃあ私たちはー」
「お湯でも入れてきます」
逃げた。あの双子たち、逃げたぞ。
「そういえば、何やら外で決闘をなさっていたとか」
「いや、決闘というよりもただの喧嘩ですが」
エレインの耳にも届いていたのか。いや、それも当然か。
薦められるままに椅子に腰かけて、書類に目を通しながら、軽く雑談の種を投げられる。
「喧嘩、ですか。皆さん怪我は大丈夫でしたか」
「ええ。幸い、打撲や軽い擦り傷といったところで」
「そうですか。ちょっと残念」
「残念……?」
何から手を付けるべきかと手元を見ていた視線を上げると、エレインがおもちゃを取り上げられた子供のような顔をしている。
「ちょっと、新しい軟膏を試してみたいなと思っていたのですけれど」
そう言って彼女が手を置いた本は、少し年季が入っていたが、見事な革の装丁が施されている。
表紙には複雑な文様が刻まれており、何故か美しい、というよりも禍々しさを感じる。
「それは……」
何だろうか。と、問うことは躊躇われた。
エレインの治療を間近で見た、いや、直接受けたヨアンとしてみれば、追及した結果、恐ろしいものが出てきたらどうするべきかと考えると、知らない方が良いのではないかと思う。
確かに、彼女の治療は効く。ならばそれだけで良いではないか。良いという事にしておこう。
「ところで、これらの書類は」
「ええ。報酬の受け取りと、資材の補給。あと、気は早いですけれど、次の出立に向けた準備ですね」
相変わらず、厄介な表計算だ。しかし、まだ冬も半ばだというのに、もうこれらの準備を始めているのか。
冬の間に一刻、刻一刻と多くの資金が消費されているのを見ると、実に人足というのは金食い虫だ。
「いつ、何があるか解りませんからね」
とはエレインの言葉であるが、確かに準備しておいて損はないだろう。
それとも何か、これから起きるという事を予想しているのだろうか。
「何か、不穏な動きでもあるのですか?」
「いえ、そういう訳でもありませんが。心配性だとは私も思うのですけれどね」
書類をどかしていくと、冬の間に見直そうというのだろう、勤務評定やら契約書やらが出てくる。
「これって、僕が見ても良いのでしょうか」
「そうですね。問題はないと思いますけれど」
「そう、ですか」
努めて内容を意識の外に置いて、手を動かすが、やはりそこに自分のものが含まれているとなると、気になるものだ。
とはいえ、そこには当たり障りのない概要が書いてあるだけではあるのだが。
何処に報告するものでもないので、名簿、といった方が近いだろうか。
ヨアンのものには、紹介状が添付されており、中身を見るのはこれが初めてだった。
そこには、父である騎士パウロの活躍と、家系図、そして推薦する旨が、かつての領主の名で記されていた。
このような推挙の文言を見るのは少々、面映ゆい。ヨアン自身は別に何を為したという訳でもないのだから。
「……っと、これは」
それらの中から出てきたのは、何通かの手紙。
「せめて、村には伝えておきたいものですからね」
傭兵らの郷里に向けた、戦死報告。
傭兵に身をやつした者らに、郷里の家族との関係が残っているのか、という疑問はあるが、その一枚にヨアンは思わず息を呑んだ。
そう。プラットの郷里に向けた手紙である。
「何か、ヨアンさんも書くことがありますか?」
「……いえ。僕からは」
思わず、胸から提げたお守りに手を当てる。
これを返してしまうのも、手ではあるように思えたが、しかし、返すのなら手渡しにするべきではないだろうか。
「お湯をぉ」
「お持ちしました」
双子が部屋に戻ってくる。彼女らからそれを受け取って、ヨアンは一息を吐いた。
もしかしたら、これを書くための名簿なのかもしれない。
「僕が死んだら、何処に手紙が届くのでしょうね」
「……あまり、考えたくはないですが、おそらく、郷里の領主様の所ではないでしょうか」
それもそうか。しかし、彼との接点はほとんどないと言っても良い。
どのような気持ちで、それは受け取られるのだろうか。
「さて、書類を片付けましょうか」
「そうですね」
一つ首を振って、益体もない考えを捨てる。
とりあえず、やることはたっぷりとある。書類は山のようで、何処から手を付けるべきか悩むほどだ。
「しかし、僕が見直す必要って……」
「その、正直に言っても怒りませんか?」
ざっと目を通しても特に間違いはないようだが、と疑問を口にすると、エレインが珍しく歯切れの悪い口調で返してくる。
「その。話し相手もいなくて暇で」
「……はい?」
少々、恥ずかし気にした彼女の言葉は、何とも想定外の内容だった。




