9.登城
昨日は如何様にして宿に戻ったものか。
気づけば、隊の泊まっている、いつもの部屋のベッドの上だった。
個室とまではいかないものの、全ての寝台は清潔に気を付けられており、敷布も毎日変えられているものか、蚤の心配をすることもなかった。
とはいえ、傭兵らの服は綺麗とはとても言えないものなので、その心遣いがどれほど意味があるかはわからないところではあった。
重い頭を寝台から引きはがして、ヨアンは辺りを見渡す。
「うぐぐぐぐ」
「ぬぅ」
幾つか歯抜けになった寝台の上から、この世のものとは思えぬ唸り声が響いている。
酒精と、何とも形容しがたい男臭さ、というべきか、そんな臭いが混じりあって、気分が悪くなりそうだ。
換気の為か開けっ放しにされた扉から、少し顔を出したベアトリスは嫌そうな顔をして素通りしていった。
「登城しろって言われていたっけ」
何とか部屋から出て、食堂を見れば、そこもまた死屍累々といった有様だった。
机に突っ伏していびきをかいている者はまだましな方で、酒瓶を抱いて床に座り込んだ者も居れば、地べたに大の字になっている者もいる。
「朝食、作るべきかな」
「……どうだろう」
ベアトリスの言葉である。この様子では傭兵らはしばらく起き上がってこないだろう。
「ま、軽食は置いておくから好きに食べて」
「気遣いありがとう」
「仕事だからね」
パンを入れた籠と、果物を少々、そしてチーズを置いて彼女は奥に戻っていった。
何か胃に納めなければいけないような気がするのだが、食事は喉を通るだろうか。
とりあえず水だけを口にして、顔を洗いに外に出る。
「おう、兄ちゃん起きたか」
「はい。バーナードさんも早いですね」
「おうよ。あの程度いつものことだからな」
しかし、と、井戸の冷たい水で顔を洗うヨアンを見て、彼は感慨深げに何度も頷いて見せた。
「昨日は荒れてたな、兄ちゃん」
「……僕、何か言ってましたか?」
記憶が曖昧である。しかし、確かに何事かに文句を言っていた気もするし、結構な大騒ぎをしていたような気もする。
「ま、偶には良いんじゃねえか」
「お酒には注意した方が良いかもしれませんね……」
思えば、体調は最悪だが、何やら気分はすっきりしているような気がする。
常ならば言うに躊躇うようなことを、酒に任せて言い切ったのだろう。たぶん。確か。
「で、兄ちゃん今日は城に行くんだったか」
「ええ。なので、せめて顔でも洗って行こうかと」
「そうだな。ま、酒の臭いは消せやしないだろうがよ」
昨日は夜遅くまで飲んでいたものだから、未だに酒気も抜けきっていないような気がする。
思わず、服に鼻をつけて嗅いでしまうが、いまいち自分ではわからないものだ。とりあえず、服も着替えなければ。
「大丈夫ですかね?」
「まぁ、別に大丈夫だろ。謁見って訳でもねぇんだからな」
という訳で、軽く体を拭って新しい服に袖を通す。何枚も持っているものではないが、とりあえず比較的ましなものを選ぶことになる。
靴に至っては、一つしか持っていないので選ぶこともできない。
外に出る旨を改めてバーナードに伝え、腰に剣を吊り下げて街へ出る。
平民であるので、馬に乗って登城する訳にはいかない。のんびりと朝の街を歩く。
着く頃には昼前だろうか。燦々と太陽は降り注いでいて、白い漆喰が目に眩しいほどだ。
戦利品で手に入れた毛皮のコートを着ていても、寒さが身に染みるようで、ぶるり、と思わず肩を震わせた。
「止まれ。何の用だ」
「はっ、騎士パウロの息子、ヨアンと申しまして」
通用門に近づけば、衛兵に止められる。それも当然だ。
平時にも関わらず、鎖帷子に鉄鉢を被り、槍を携えた彼は、皺をしっかりと伸ばした、王の紋章の染め抜かれた外套を見せつけるように胸を張って堂々とした風体だった。
特に悪いことをしている訳ではないのだが、誰何する衛兵の鋭い目に晒されるのは慣れることではない。
「それで」
「エセルフリーダ卿に召喚を受けておりますので、引き継ぎ願えればと」
衛兵らは、王の紋章を身に着けることを許されるということで、並み居る兵の中からも選抜された者だ。
従士隊と共に王都の治安を委任された、彼らくらいのものだろう。貴族に向かって物言える平民というものは。
職務上の都合から、極一部とはいえ王の代理として振舞う事を許されているのである。
「エセルフリーダ卿であるな。おい」
「はい!」
伝令役の、小奇麗な服を身にまとった小間使いの男児が、城の中へ駆け込んでいく。
「こら! 走るな」
「はい! すみません!」
流石にこの国を司る王城だけあって、そこで暮らす一人一人に至るまでヨアンとはかけ離れた価値観の持ち主なのだろう。
自らの身を省みて、肩を落とすほどだ。おそらく、身に着けているものすべてを売り払ったところで、小姓の上衣ほどの価値にもならないだろう。
あるいは、輝かんばかりに磨き上げられた皮靴程にもならないのではないか。
たっぷりと葡萄酒の杯を干すことができるほどの時間を、無遠慮な視線に気まずく耐えた頃、ようやく城に入る許可を得た。
表の、貴族達の通る通路とは別に、使用人が通る道を案内される。
それは、貴族たちに向けた配慮というよりも、むしろ、ここで働く平民に対する配慮で作られたものである。
同じ通路で歩いていれば、頭を下げたまま上げられなくなるだろう。全く気が休まるものではない。
「ここだ」
「ご案内、ありがとうございます」
「帰りの際は、また衛兵か小間使いに言伝るように」
「はい」
ずっと監視されながら、かつ、すれ違う者らに好奇とも何ともいえない視線を向けられながら、肩身の狭い思いをして、ようやくエセルフリーダに割り当てられた部屋についた。
もうすでにかなり神経の磨り減る思いをしたが、兎にも角にもとノックをして扉越しに声をかけた。
「ヨアンです。ただいま参りました」
返事のないことを確認して、十分に待ってから扉を開ける。
さて、どんな用件だろうか。お叱りを受ける可能性を考えると、なかなか気が引けた。




