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4.下衆

「あれ? あそこにいるのは」


 市中に入り、人馬ともに弾む息を整えながら街路を歩いていると、見知った顔を見つけた。

 薄暗くなり始めた街では、歩む人々も足早に帰路へとつき始めている。

 蠟燭を灯し、あるいは油に芯を浸して灯りとして、夜も営業している店もあるが、それらも無料ではない。

 夜と言えば寝るもの、というのは農村でも街でも変わりはなかった。

 そこを行くのはベアトリスで、宿の買い出しだろうか、両手に大荷物を抱えている。


「あっ……」


 馬を駆けさせて気分も良かったので、荷物でも持とうかと声を上げかけたところで、彼女に親し気に声をかける男が見えた。

 上げかけた手も、軽く握って開いてなぞしてしまう。少々、気まずいが、この道を通らなければ宿にはつかないし、人が歩くよりは当然馬の方が早いので彼女らの横を抜けるしかないだろう。

 ベアトリスに声をかけたのは遠目にも荒事慣れしている事が窺える男で、腰から提げた手斧を見るに、傭兵だろうか。

 宿の娘だし、そういうこともあるものか。


「ちょっと、何よ」

「構わねぇだろ、こんな時間に一人で歩くのは危ねぇぜ」


 知らぬ顔でもないしと、趣味の悪さを自覚しつつも様子を窺う。

 近づいて男を見れば、はだけたシャツからは分厚い胸板と、この寒い中でもこれ見よがしに捲って見せた袖からは手が回らないほどに太い腕が覗いている。

 顎髭を生やした顔は美男とは言えないが、味のある顔で、男らしい。

 自身には求めるべくもない、格好良さがあるのは確かだった。

 ああいうのが趣味なのか、とまで考えたところで、自身の下世話さに自己嫌悪を覚える。


「いらないって言ってるだろ」

「んだと、俺らは命がけでこの街を守ってやってんだぜ」

「だからって何なのさ」

「感謝くらいしてくれてもいいじゃねえか、な?」


 馬を進めて横を通ろうとしたときに、聞くつもりもなかった会話の内容が聞こえてくる。

 どうやらこれは、思っていた状況とは違うようだ。

 ベアトリスの背を追い越して、顔を傾けて後ろを見ると、ちらりとこちらを見た彼女と目が合った気がする。

 その表情は僅かに眉を顰めたもので、有体に言って苛立ちの色が濃い。


「やあ、ベアトリスじゃないか、どうかしたのかい?」

「あ?」


 我ながら下手な演技だったように思える。思わず声が上ずってしまい、ベアトリスが変な顔をした。

 幸い、男の方はこちらに振り向いたために、彼女のその表情は見られていない。


「何だ、なよっちい兄ちゃん。今、俺はこの嬢ちゃんと話しているんだが」

「僕は騎士パウロの息子、ヨアンと言うのだが、そこのベアトリスと知り合いでね」

「けっ、騎士様だか何だか知らねぇがよ、こっちが先約なんだ」


 自分でも何を言っているもの解らないまま、思いついたままに口を動かしていると、何が気に食わなかったのか男の神経を逆なでしたらしい。

 ベアトリスは口をはさむこともなく、明後日の方向を見ている。どうやら、呆れているようではあった。


「いや、僕も彼女には世話になっていてね。あなたは彼女と知り合いなのかい」

「何だよ半平民風情が偉そうに」


 半平民とは騎士の事である。

 貴族の位階としての騎士は最下級に位置し、一代限りの身分であることから、平民との差異は他の位階と比べて大きくない。

 それを揶揄した言い方が半平民、という訳である。平民上りが偉そうに、という意味合いで貴族が使う事もあったが。

 騎士であれば、それだけで怒っても良い所だろうが、ヨアンは聞き流した。自身が貴族階級の一員であるという自覚もないし、そもそも騎士ではない。


「どうなんだ?」

「知り合いじゃないよ。言い寄られて困ってたんだ」


 溜息と共に吐き出すように、ベアトリスが言った。


「何だと」

「待った、そうなれば言うまでもないだろう」


 男が逆上した様子で彼女の方を振り向く前に、声をかけてこちらに意識を向けさせる。

 ついでにベアトリスに視線を送ったが、首を傾げられるだけだった。逃げろ、というつもりだったのだが、そうも都合よくは伝わるまい。


「何だよ、俺が悪いっていうのか?」

「そうなるな」

「ふざけるんじゃねぇ! って、うお!?」


 手を振り上げたところで、馬を前に進ませる、それに気圧されて、彼は思わず後ずさった。

 踏まれれば骨の一本や二本は軽く折られる重量だ。

 よっぽどのことでもない限り、馬は前を蹴るようなことはなかったが、騎士の戦馬にはそれが出来るように調教されている者も居る。

 ヨアンの乗っている彼はあくまでも乗馬であり、それが出来る訳でもなかったが、何かの間違いで足でも踏まれれば事だ。

 愛嬌のある顔をしているが、その実、騎手の手綱次第で人を殺すのに十分な力を持った獣を目の前に、平常で居られるだろうか。


「くそ、手前ヨアンっつったな? 何処の者だ」

「……名乗る名はないな」


 名は名乗っているが。さておき、こんなことにエセルフリーダの名前を使っていたら面倒なことになりそうだ。


「けっ、澄ましやがって。覚えてろよ! 俺の顔に泥塗ってくれた礼はしてやるからな!」


 如何にも三下な台詞を残して、肩を怒らせて去っていった男を見送って、ヨアンは馬から降りた。


「いらない世話だったかな」

「本当にね。これでまた面倒なことになったんじゃない?」

「うっ」


 その通りである。如何にもな荒くれものに、ヨアンは正直、気圧されていた。

 ここで変な恨みを買ってしまうと、厄介事に巻き込まれてしまいそうだ。

 当然、宿にも迷惑をかけることにもなるだろうし、いつかは去るとはいえ、冬はまだ長いのだ。


「何と言うか、ごめん」


 正直に頭を下げると、ベアトリスは目を丸くして、次いで笑った。初めて見る笑顔だった。


「何を謝っているの? まぁ、その、助けてくれたことには感謝してるよ」

「えっ」

「私が礼を言うのはおかしい?」

「いや、そういう訳ではないけれど」


 そういう訳なのだろうか。さておき、彼女の怒りは納まったようである。


「とりあえず、荷物は預かるよ。馬も居るからね」

「うん……ありがと」

「何だって?」


 小声で何か言ったようだが、荷を馬の背に振り分けていたので聞こえなかった、

 何でもない、と言うベアトリスに首を傾げると、何が面白かったのか、また笑われる。

 すっかりと暗くなった夜道を馬の手綱を引いて歩く。

 面倒ごとに巻き込まれたように思えるが、下世話な想像をした自身にとっては仕方のない罰に思えたし、彼女の笑顔を買えたのなら安いものか。

 努めて軽く考えるようにしながら、足取りは軽くはなかった。

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