5.病床
と、雨の中働いたのが祟ったのか、ヨアンは病床に倒れていた。
熱が高く、悪寒がして、咳と共に胸に痛みが走る。いわゆる熱病である。
例の衝突の日、夕方から何か頭がぼんやりすると思っていたが、その翌日、戦列に加わろうとしてばったりといったのだ。
「よぉ、兄ちゃんは風邪かい」
「不甲斐無いことで……」
馬車の荷台に寝かされているのは、ヨアンともう一人。重傷で動けない古参の傭兵である。二人揃って蒼い顔をしながら、面を突き合わせて苦笑する。
砦の中では、他部隊の同じように動けない者の呻き声が時折聞こえる。
昼の間は、未だ終わり切っていない戦場へと健常な者は向かうから、砦の中は低い囁き声と苦痛を訴える呻き声だけが砦の中を埋めている。
こうして病床に寝ていると、朝晩と顔を出す兵らを見ながら得も言われぬ引け目を感じる。
戦場に出れない、という事がこれほど後ろめたいものだとは思わなかった。
「何、風邪を治すのも大事な仕事だからな」
「今のうちに休んでくだせぇや、若」
とは言われたが、生気に溢れる彼らが眩しく見えたものだ。
まさか、あの程度の雨と寒気でこうして倒れるとは思ってもみなかったし、実際にヨアン以外の者は皆、ぴんぴんとしている。
頭はぼんやりと靄がかかったような調子ではあったが、体には力が余っているような気がして今にも走り出したくなる。
常になく、眠り続けていたからだろう。病床に伏しているとはいえ、ずっと寝ていられる訳でもない。
「どうやら戦場はもう静かになったようだね」
重傷の傭兵は、何故か異様に落ち着いた調子だった。
名を聞けばプラットという彼は、槍を置き鎧を脱いでみれば、如何にも農夫然とした壮年だった。
「リュングは良い所だよ。湖と山があって、子供の頃はよく水遊びをして、素手で魚がとれないものかとやったもんだ。そのたびに爺さんに叱られてなぁ」
話すことくらいしかすることもないので、自然と雑談めいたやり取りをすることになる。
懐かし気に彼が語るのは、かつて住んでいた村の話である。
「僕の住んでいた村は農村で、裕福ではなかったけれど、森もあったから豚を離して。そう、いつだったか幼馴染がちょっかいをかけた豚に追われて突き倒されて、目の周りを青くしてたっけ」
お互いに病と怪我に途切れ途切れになりながらも、平和に暮らしていた頃の話を続ける。
こうして気が弱っているころだからこそ、その手の話題は尽きることはなかった。
「プラットさんの村は、まだ残っているのですよね?」
「形だけは、な」
殆ど、追い出されるような形だったようだ。
昔はエセルフリーダの父が領地としていたのだが、新しく領主になったものは税の取り立てを急に厳しくしたらしい。
挙句、竪琴王国側に寝返った。村民からすれば、どちらについていようと暮らし向きが変わるわけでもないのだが。
「最後の一押しは村に来た野郎の軍だな」
野郎、というのはその新しい領主の事らしい。
プラットは村に入ってきた領主の軍の兵士が、彼の娘に手を出そうとしたのにかっと来て思わず農具で撲殺してしまったらしい。
「そうなっちまえば、残ってたら捕まるだけだから逃げて来たんだ」
頼る先に困ってみて思い出したのは、エセルフリーダの事だった。
元々はリュングの一帯を継ぐ予定だった彼女のことなので、小領地ながら、村を一つその支配下に残していた。
そこに身を寄せたのが、こうして部隊に居る理由だとのことだった。
「じゃあ家族は」
「その村に居るはずだなぁ。今頃は娘も結婚して、無事にしてるといいんだが」
はずだ、と言うのも、その村も今や竪琴王国側の勢力下にある。
エセルフリーダの領地だった村も、最前線となってしまえばそう長く保つものではなかった。
その当時で既に歳が行っていたプラットは、既に持ち手も決まっているから畑を持つこともできず、だから、エセルフリーダの招集に応じたのだという。
「勿論、お館様が本来、リュングを継ぐべきだと思っていたし、代々、軍役にはついていたからな」
とは言うものの、実際的な理由があるからついてきた、という面が大きいだろう。
それは、プラットの顔に浮かんだ、微妙な笑みが語っていた。
「もう一度、娘の顔が見たかったなぁ……」
「何言ってるんですか、まだまだ元気そうですよ」
そんな、慰めともつかない言葉が反射的に出た。
しかし実際、彼は重症であるのを忘れるほどには穏やかな様子だ。
偶に姿勢を変える時、痛みに顔をしかめるのを見て傷を思い出すようなものだった。
「予後は良好。ですが……安静にしていてくださいね」
「姫さん手ずから、申し訳ないです」
「いえいえ、私に出来るのはこれくらいですから」
包帯を取り換えるエレインの笑みには、微妙に硬さがあった。
「ヨアンさんも、しっかり安静にしていなきゃ駄目ですよ」
「はい。けれど、もう動けそうなのですが」
「駄目です。どう見ても顔色が悪いのですから、寝ててください」
何やらぺたぺたと体を触られて、彼女に肌を晒すのも恥ずかしく冗談めかして言えば、彼女も面白がるようにそう言った。
その扱いの差に、やはり、プラットのそれは予断を許さないものなのだろうか、という疑念が過る。
「ところでこれ、嫌がらせではないのですよね」
「何を言っているのですが、熱病には胸元を冷やさなければだめですから、これ以上にない療法ですよ」
これ、というのは今、ヨアンの胸元に下げられている、首飾りのようなものだった。
そこには、紐で通したミミズが下がっている。胸に当たる触感は確かにひんやりとしたものなのだが、生理的な嫌悪感に背筋が震える。
「それでもエレイン様の治療はぁ」
「効くから」
と、目をそらして言う双子の顔色も、心なしか悪い。同じことをされたのだろうか。
エレインの作った、得体のしれないドロドロのシチューを喉に無理やり流し込みながら、これの正体は探らない方が身のためだ、と、さらに双子の様子をみて察した。




