4.自棄
頭は、異様に澄んでいた。
迫る敵の槍を掻い潜る。狙って突き出されたものではないと気づけば、意外と難しいものではなかった。
先ほど切り込んできた男の真似をしてみれば、すんなりと槍兵の目の前に出る。
そのまま勢いに任せて剣を振るえば、慌てて受けた敵の、槍の穂先が飛ぶ。
槍衾に綻びが出来た。それを逃さないように、後ろから味方の槍が伸びてくる。
「馬鹿野郎! おめぇ、死にたいのか!」
死にたい。もしかしたらそうなのかもしれない。
崩れた敵の陣に遮二無二剣を振って切り込んでいく。密集した隊形では槍は振りづらく、思ったよりも抵抗はなかった。
調子が良い。剣を一人の心の臓まで突き込みながらそう考えた。このまま一人でも多くを倒してやろう。
そう思っていたところで、ふと一本の槍が上から迫っていた。
意外と冷静にそれを眺めつつ、しかし、体は動かなかった。いや、動くこともできないほどの刹那だったのだろう。
それが強かに鉄帽を叩きつける。あまりの衝撃に目の前が真っ暗になり、一瞬の意識の空白の後、気づけば、襟首を掴まれて、どうやら引きずり倒されていた。
後ろから、ということは味方が引き寄せてくれたのだろう。余計なことを。
離れる敵の隊を見れば、既に瓦解寸前の様子だ。こちらも流血は少なくないが、確かに優勢に事を進めている。
それに満足感を覚えつつ、襟首を引っ掴んでいる手の主を見上げれば、酷く険しい顔がそこにあった。
「お前ぇなぁ……とりあえず後ろで頭冷やしとけ」
バーナードが渋い顔で言う。有無を言わせぬ口調に、仕方なく後方へ下がった。
一撃を受けてぐらぐらとする視界も歩いているうちに落ち着いてきた。
「いやぁ、若、随分な活躍でやしたね」
「さっき切り込んできた敵の真似をしてみただけだけれど」
「ははぁ、おいらもあんな風にやれるかねぇ」
後ろに控えていたのは、今回が初の戦場となる村の若衆だった。
若、というのは、父が騎士であるから、ということであろう。
「やめとけやめとけ、あんなことしてたら命が幾つあっても足りやしねえよ」
前の方に居た傭兵が、苦いものの混じった笑いを浮かべて言う。
なるほど、確かに危ないところではあった。しかし、ヨアンが倒れたところで、一人の損失で済むのだから、問題はないように思える。
ヨアンが首を傾げるところで、ふと、傭兵が空を見上げた。
「こいつは、今日はこれで最後かな」
「もう少し日はありますけれど……」
と、言ったところで、ぽつりと水滴が兜に当たって音を立てた。
傭兵に続いて上を見上げれば、いつの間にかまた重苦しい雨雲が空を覆っている。
「落ち着かねぇ天気だなぁ」
「濡れる前には帰りてぇが、無理か」
まだ陽が出ている時には過ごしやすい気温ではあったが、雨が降れば冷える。
服が濡れてしまうと、耐え難いほどになるもので、戦場に立つ誰しもがこの雨を降らす雲を恨めし気に思っているだろう。
「こうなっちゃ、戦争にもならんな」
「全員、退け。撤収だ」
槍を交えていた兵達も、おざなりにそれを打ち合わせると、互いに目を合わせて下がる。
結局、エセルフリーダの隊では二、三人の者が地に伏していた。
そのほかにも怪我を負っている者がいたが、ほとんどが、半ばから隊に参加しただろう、比較的若い者たちだった。
「若いやつから先に逝っちまうもんだ」
と、一人の、古参の傭兵が呟くように言う。
それは古参の者たちの総意であるようで、数人は硬く引き結んだ唇のまま、顎を引いて頷いていた。
これもまた放っていくこともできず、数人がかりで何とか持ち上げる。
ヨアンもそれに手を貸すが、肩に増えた重みと、自身の重みで雨にぬかるんだ道に足首まで埋まった。
そうしているうちに、ぽつりぽつりと降っていた雨は、霧雨の様相となり、荷を運ぶのすら一大事となる。
「いっそ置いていけば」
というのは、誰もが一瞬なりとも思ったことではあっただろうが、それを口にするものはいなかった。
雨に濡れた服が体に張り付き、容赦なく体温を奪っていく。
ともすれば止まりそうになる足を何とか前へ前へと運んで、それを取り落としたことも一度や二度ではない。
足が絡んで既に泥沼と化している地面に倒れ込むのも、同じく何度も、である。
霞んだ砦が見えた時には、薄暮の頃のはずだったが、雨雲も相まって、既に暗くなっていた。
「寒いな」
いつの間にか静かになっていた隊の中で、誰かが呟いた言葉が思いの外響いた。
震えに歯を鳴らしながら、ようやくたどり着いた砦のなかで、装具を外す気力も湧かずに座り込んだ。
焚火の火も勢いが出ず、寒さに骨が軋むようである。
「こいつら、埋めてやんねぇと」
「そうだな」
既に荷物、というような、若干恨めし気な気持ちも湧いていたが、何とか、引きずるようにしてそれを共同坑に持っていき、埋める。
自身がそうなったときに、せめてこうして扱ってもらえる。と、思うのは、大事なことだった。
雨の中でも、従軍僧は変わらず祈祷の文言を唱えている。他に出来ることもないからだろうか。
努めて、皆、そのことに対しては文句を言わないようにしていた。生前の彼らの事は知っているし、いつ自らもそうなるか解らないのだ。
仮設の天幕の張られた陣に戻り、体に張り付いた服と、かじかんだ指に難儀しながら、どうにか服を着替える。
それすらも億劫であったが、多少はさっぱりとした気分にはなった。
双子が既に煮炊きを始めており、それほど待つこともなく食事が用意されていたが、椀に盛られた緑色のシチューを見ながら、どうにも食欲がわかず、何とか胃の中に押し込む。
「まぁ、酒でも飲めや」
という声にすら、皆、いつものように盛り上がることもなく、雨の音が空しく響いていた。
この隊に限らず砦全体が沈んでいるようだった。待ち望んだ戦闘の後のはずだが、そういう雰囲気でもない。
何をする気にもならず、三々五々と皆が床につく。地面からしんしんと冷えが来るのを誤魔化すように、とにかく目を瞑ってみれば、意外と早く眠りに落ちることができた。




