10.接触
「前へ!」
じりじりと、エセルフリーダの隊は敵に迫る。
槍を手に手に持ち、攻撃を始めれば、正面と横からの二面攻撃に、思わず敵は隊列を崩し始めた。
「おうおう! 方陣だ方陣! 手前ら持ちこたえろ!」
敵の隊長はそんな号令をかけている。集まることで全周に対応しようというのだろう。
しかし、ヨアンから見てもそれは悪手に思えた。横隊から小さくまとまっては、包囲されてしまうのが目に見えている。
「大人しく諦めちまえ!」
「なにおう!」
傭兵同士で口喧嘩の応酬が始まる。実に賑やかで、おおよそヨアンの想像していた戦争とは違う。
しかし、手に持った槍や斧と言ったものは間違いなく凶器で、喧嘩と言うには余りに物騒である。
ヨアンの役割は剣を持っての切り込みだ。槍で敵を留めているところから漏れてきた敵を切るのが主な仕事である。
「もう勝ち目はねぇぞ!」
遂に槍と槍が交差する。相手側の傭兵隊は近づけまいと槍を突き出し、こちら側はそれを払いのけつつ近づこうとする。
相手側は持ちこたえているが、援軍が入らなければこのまま押しつぶされるだろう。
「オラオラオラァ!」
「ちょっ!? 少しは道理ってもんを考えろよ!」
敵の隊長だろうか、札鎧を着た大柄の男が、両手持ちにした大斧で槍を切り払いつつ突っ込んでくる。
「兄ちゃん!」
「やります!」
ヨアンは隊列から飛び出て、剣を擬してその相手と対峙する。
「抑えるだけでいいぞ!」
バーナードがそう言っているが、そうもいくまい。
「おう、手前が相手してくれんのかい! 俺がギブソン! この傭兵隊の隊長だ!」
「えっと……獅子王国騎士パウロ卿の息子、ヨアンです」
相手の名乗りに気圧されて、思わず自己紹介をしてしまう。これが例の猪武者か。
「ほう、騎士の子か! 相手にとって不足なっ!?」
「ナイスアシストだ兄ちゃん!」
延々と口上を続けようとするギブソンに、ヨアンの後ろから槍が突き出される。
「卑怯な!」
「傭兵に卑怯もくそもあるか!」
「おのれぇ!」
当たるを幸いとギブソンのぶん回した大斧を軽く退いて避ける。
「あいつを捕まえろ!」
「あー畜生、鬱陶しい。やる気がそがれるぜ……おい、兄ちゃん!」
「はい?」
鉄兜の下から、ギブソンの目がヨアンを睨む。
「この勝負、お預けだ。ヨアンっつったな、次はこうはいかねぇぞ!」
「は、はぁ……」
文句ならバーナードに言ってほしい。さもなくばエセルフリーダに。
迫る槍を避けて、ギブソンは隊に戻ると大声で呼びかけた。
「撤収! 撤収だ野郎ども!」
相手側の傭兵隊はじりじりと後退を始める。獅子王国側の隊も、別にそれを追いかけることはない。
「どうしますかね」
「いや、良いだろう。そのまま帰せ」
エセルフリーダの指示を受けて、こちらの隊も後退を始める。
ここで深追いしたところで、こちらには利益がない。ということである。
追撃は敵の被害を大きくするが、ギブソンの隊に被害を与えたところで何にもならないと判断したらしい。
「厄介なのに目ぇつけられたなぁ」
「いや、どういうことなのかさっぱり……」
ヨアンの偽らざる本音である。何が何だか。結局、小競り合いの中で負傷した者は数名いたものの、死人はどうやら殆ど出ていない。
この場合の戦死はよっぽど運が悪かった、と言うしかない。そんな理由で死にたくはない。というのは兵らの共通認識だろう。
「とりあえず、これで敵は退けたってことで」
「これで良いんですかね」
「死人なんざ出ない方が良いに決まってるだろ」
などと、後退する傭兵らの中からは聞こえる。
「小競り合い、って言っただろ。決死の戦い、なんて早々あるもんじゃねぇよ」
「そういうものなのですか……」
曰く、別に戦闘というのは、敵を滅ぼすのが目的ではなく、勝利とは敵を押し返すことにあるのだという。
傭兵も死にたくて来ている訳ではないのだから、不利と見たら撤退する。
それは諸侯の軍でも同じで、部隊が潰走するときでも、実際の被害は半分にも満たないのだとか。
「何か釈然としないのですが」
「まぁ、騎士様とかが来たら死人が出るのは避けられないがな」
確かに騎兵の突撃を受けて、生き延びていたら驚きである。
「実際、本当の被害はほとんど矢玉のもんだぜ。俺たちの仕事は殺すことじゃなくて押しとどめることだ」
そういう意味では、今回の小競り合いでは勝利したと言って良いのだろうか。
「敵の隊長だけでも捕まえられれば、話は違うんだがなぁ」
「どういうことです?」
「身代金かけてやるんだよ」
結局、戦争は資金がなければできないのだから、確実にダメージを与えられるものだという。そもそも、相手を殺すよりも、それが目的であると言っても良い。
貴族同士であれば、そもそもが血縁であったり、知り合いであったりするわけだから、殺すのは悪手である。
「子供の喧嘩じゃねぇんだ。引くとこは引かなきゃな」
戦争と言う場ですら、いや、戦争だからこそ、ルールがあるのだ。
このルールを無視したときに起きるのは、制限のない殺し合いである。
「そうなっちまえば、獣と同じ物だ」
戦争というルールから外れた暴力はどうなるか、それはヨアン自身が既に経験しているものである。
確かにそれは、人ではなく獣の所業で、力には目的と軛が必要なのである。
「しかし、これでは……」
いつになったら敵と当たることができるものか。ヨアンは握った拳に力が入るのを感じていた。