後
学院で学ぶ期間など短いもの。しかし後のことを考えると、アンジェリーナ様をご不快にする原因は早めに取り除いておくに越したことはない。ということで、いろいろな準備を整えるのに半年。
アンジェリーナ様の視界にシンシア様を入れないように、残り香を嗅がせないようにと皆で協力してやりすごしたりしている間に、協力者の数人がシンシア様の魅力に負けて取り巻きに。おかげで目立つ集団を避ければいいだけなのですごく楽になりました。ありがとうフロイス殿下及び他のご令息方。
とはいえ、ご自分の婚約者がシンシア様の取り巻きになってしまい、悲しそうな様子を見せるご令嬢もいらっしゃった。申し訳なく思うも、もう少しの我慢ですと言う外にない。私とアンジェリーナ様を引き離そうとするフロイス殿下に恨みはあっても、他の方々に思うところは何もないのだから。例え、茶会で邪険に扱われたことのあるご令嬢であったとしても。ええ、何も思うところはございません。
無用な騒ぎを避けるため、長期の休みに入る直前、国王陛下のお言葉を賜る日。全ての予定を消化してから、万全の態勢で解決に至る手筈だった。
それがまさか先手を打たれるとは。アンジェリーナ様を独占しようとするライバルではあったけれども、能力的には認めていた第二王子フロイス殿下がご乱心するとは、全くの予想外の出来事だった。
「陛下、お待ちください!」
長期の休みに入る前の区切りの終了式。陛下のお言葉を賜り、粛々と閉会を告げた直後に無駄な美声が響く。予定外の事態にざわめく人々。
美声の持ち主はフロイス殿下。横にはシンシア様。後ろに侍るのは、何となく地位の高い貴族の子息なのだろうと思わせる方が4人ほど。逆ハー集団の中でも影響力の高いPTを組んできましたってところか。あ、魔術師長の孫息子と魔道騎士団団長の息子もためらう様子を見せながら出てきたね。
「このような場での突然の発言をお許しください。実は、私の婚約者であるアンジェリーナ嬢による、ある女生徒への」
「ならぬ」
「嫌がらせが…」
「そなたの発言を許しておらぬ。場をわきまえよ」
「お願いです、話だけでもっ」
「くどい。下がるがいい」
状況的に当然の流れである。なかなかの粘りを見せたが、これ以上一言も喋らせまいとする陛下の親心を理解できないのだろうか。悔しそうな表情で身を震わせるフロイス殿下。さすがに諦めるかと思いきや、おやおや、なにか始まりましたよ。
「フロイス殿下、このような、直訴などお止めください。わたしが、わたしが悪いのです…っ」
「そんなはずがないよ、シンシア。君は何も悪くない。何もしていない君が責められるなんてこと、許されていいはずはない。私は大切な友人である君を守りたいのだ」
「そうだよ、シンシア様。アンジェリーナ様は何か誤解されているけれど、話し合えば解決できるはずさ。私たちに任せて」
「シンシア、安心してくれ。俺がついている」
「今まで辛かったよね、シンシア様。貴女に涙なんて似合わない。いつも笑っていてほしいんだ。僕たちの願いはそれだけだ」
「みんな、ありがとう。気持ちは嬉しいの。でも、ほんとうに大丈夫だから…っ」
「殿下、皆さん。シンシア嬢に気を使わせてどうするのです。この場はここまでに」
「なにを言う。ここで引き下がってはなにも変わらないままになってしまうではないか。私はシンシアのために戦う!」
「フロイス殿下、ちがうの、そうじゃなくて…っ」
この状況下で盛り上がれるって結構すごい。降り注ぐ好奇の視線や陛下への無礼に対する怒りの視線にも負けず延々と展開される逆ハー劇場。私はもう胸やけしそうです。
あ、シンシア様を視界に入れるだけでもご不快になられるアンジェリーナ様はといえば、今は興味津々でご観覧されております。意外とベタ展開お好きなのですね。でもそこでフロイス殿下を応援されると、あとで殿下が泣くかもしれません。尊い犠牲となられたフロイス殿下に塩を塗るようで心苦しいですが、しっかりメモを取っておりますので報告書にて提出の予定です。
そして観客の、もうおなかいっぱいだおう~。という心の叫びが聞こえたのか、とうとう国王陛下が片手を上げた。静かにせよ、と。
あんなにいちゃついていてもさすがは有力貴族子息、一斉に口を噤んで姿勢を正した。それは良いが急すぎて対応できずに慌てていたシンシア様へのフォローくらいせんか。
「フロイスよ」
重々しい声が掛けられ、フロイス殿下他が頭を下げる。角度も揃っていて美しくもある。
でもその声の主、さっきまで君たちの劇場を楽しんで見ていたよ。目元に感動の余韻があるからもっとフランクでもたぶん怒られないよ。
「そなたらの訴えたいことはわかっている。この後、関係者のみを招いて対応する予定だったのだ。大事にしたくはなかったが、このような騒ぎになってしまっては致し方あるまい」
驚いたように陛下を見上げ、更に深く頭を下げる逆ハーPT。
陛下の合図を受け、教員がシンシア様の手を取って移動させる。初めは怯えていたようだが、学院一のイケメン教員と、雰囲気イケメン教員にエスコートされて悪い気はしないのだろう。実際赤くなってもじもじしているし。
イケメンが首飾りを、雰囲気イケメンが耳飾りを、いつ来たのかそしていつ脱いだのか肉体美を晒す騎士が腕輪を、それぞれがシンシア様につけると一歩下がり、代わりに出てきた研究者一同。お世辞にもイケメンとは言えない彼らに引き気味のシンシア様に構わず、様々な作業を行い、問題がないことを確認した。
「これにて、レディアン伯爵家令嬢の特殊能力である魅了は封じられた。これは本人の意思に関係なく、先天的に身についていたものだと確認が取れておる。よって、この件においてレディアン伯爵家並びにシンシア嬢を非難することは許されぬ。また、あまりに特殊な事例であることから、関係者以外への口外も禁ずる。守れぬ者は王家への反逆とみなし処罰の対象となることを記憶に刻み込むように」
陛下からのざっくりとした説明と脅しで修了式と茶番が無事終了した。
先天性の魅了などという異常な事態が起きたわけだが、心当たりのある大多数が納得した。何故、あれほど好ましく感じるのか、内心疑問を持っていた者が多かったからだ。それが問題になる前に解決した王家の株は上がった。殿下も、異常を察知して内偵しているうちに深く魅了にかかってしまったが、おかげで封じる魔具がスムーズに作れたのだとの研究者の言もあったので、決して良くはないが、そう悪くもない雰囲気で一連の噂は終息した。
というのが表立った話だ。一部アクシデントはあったが概ね予定通りに進んだ。真実は必要な立場の人間だけが知っていれば良い。
私はいろいろなことができるけれど、なかでも魔力を視ることが得意だ。植物から、動物から、人工物から、精霊から、魔物から、言葉から、人間から、発せられるものを見て解析する。全てに等しくあり、全ては等しくない。魔力はそのものの本質を元に、状況次第で輝き、温み、歪み、滲み、濁り、肥大し、摩耗する。「正しい」人だから清らかではなく、「悪い」人だから淀むのではない。様々な要因が絡むので規則性など考えても仕方ない。
ややこしいことはともかく、シンシア様が訳ありだと判断するのは至極簡単なことだった。変にすり寄ってくる魔力があるが、まとわりつかれないよう干渉すれば済む。幼少時から過ぎる好意を向けられて、喜びよりも困惑を感じていたシンシア様は普通に接し続けられる私に、たくさんのことを話してくれた。
あのね、信じてもらえないと思うのだけれど、わたし、幼いころ、池で溺れたのですって。お医者様の手当てで何とか息を吹き返したそうなのだけれど。それでね、それをきっかけに前世を思い出したの。…いやだ、冗談よ。わたし、冗談が下手だとよく言われるの、忘れて…え、信じてくれるの? うそ、あなたも日本人?ええっ! キャバ嬢に貢ぎすぎて…? あ、そうなんだ…。え、距離なんて取ってないよ、気にしないで。それでね、これって転生なのかな、シンシアになる前に、女神さまにお会いしたのよ。若くして死んでしまったわたしが気の毒だから、違う世界になってしまうけれど今一度の生をくれるって。知らない世界だと暮らしにくいだろうから誰よりも優れた能力と、人に好かれやすくなる体質をあげるって。うさんくさすぎるから夢だと思っていたんだけど、あまりにも現実味が強くて。今ではちゃんと生きていく覚悟もできたの。ただ、好かれやすくなる体質っていらなかったと思うのよね。ストーカー予備軍に囲まれて暮らすのはもう疲れちゃった…。
やはりあの状況は相当な心労と共にあったらしい。情報とともに友人も得られたのは良かったのだけれども、シンシア様と接触した後が大変だった。小一時間ほどでは匂いが抜けないらしく、アンジェリーナ様に嫌がられるという事態に。かなり念入りに匂いを飛ばしてからでないとお傍に侍ることが許されないので、少し面倒に感じ、早急にシンシア様の体質を解決しなければと決意した。
決意したからには、手段を選んではいけない。魔法院と魔道協会と神聖教会と国家魔術師団に根回し。それぞれ違う名前だけれどやっていることはほぼ同じなので、等しく声を掛けないと、それはそれはとんでもなくややこしーくなる。かの尊い方の後押しと、シンシア様の特異性でスムーズに協力体制を取り付けた。
まずは異常なまでの好かれやすさ。性的な魅力の底上げは多くあれども、人間性が好かれるというのは珍しい。抵抗値の高い魔具を各種揃え、シンシア様に近付いても不自然でない人物を使って実験が行われた。結果的にフロイス殿下の魔具の効果が低く、深く魅了されてしまうという大失態。しかしそこに、一日も早く殿下を解放するようにと、なんと追加予算が支給された。殿下、本当にありがとうございます。
次に、アンジェリーナ様が神経質なまでの反応を示した原因。これの改善にはとても時間がかかってしまった。シンシア様は幼少時に一度死亡し、「女神さま」という存在に生き返させられた。この「女神さま」は恐らく魔族、リッチであろうと推測された。シンシア様の証言から割り出すしかないので、自分の理論を試すためには手段を選ばない、奴らのしそうなことだからという単純な理由だけれど。
一度死亡した体を蘇らせる術はある。ただし肉体は生前のようには戻らず、腐敗や筋肉の硬化など、通常の死体と同じく劣化してしまうというのが今までの常識だ。シンシア様はその改良術の実験台に選ばれてしまい、中身は適当に呼び出して定着させたというところだろう。私の中にある記憶も、恐らく同時に呼ばれたうちの一部ではないかと思う。
肉体は死亡しているので腐敗していく。それを修復する。死亡した肉体を成長させるために細胞を活性化させ、当然無理が出るので細胞が壊れる。それを修復する。
「女神さま」に貰ったという誰よりも優れた能力が何かはまだわからないのだとシンシア様が言っていた。修復しながら使っている肉体への能力の向上は無理があるし、思考の速度や深さは常人程度なので、魔力の増幅だろうと思う。そもそも生きていない肉体を成長させるための魔力がどれ程必要なのか、すぐには計算できないくらいだ。所持魔力のほとんどを肉体の維持に費やしていると考えて良い。それでもなお、伯爵家に養女に入れるのだから、魔力量は相当だ。
死者蘇生の術に狂喜乱舞している一部の研究者を、将来リッチになりそうな危険人物としてリストアップして、まずは肉体の修復への負担軽減を考える。外部から修復の補助ができれば肉体に魔力が回りやすくなり、生者への擬態も楽になるだろう。少なくとも今の、怪我をしても出血しないといった異常事態は起きなくなるはずだ。成長しているうちは仕方ないが、ある程度成長が止まったら肉体をそのまま維持してしまうというのも手だ。しかし全く老化しなかったらさすがに嫌がるだろうか。
そして清浄なる魔力、いわゆる神聖術への抵抗値の低さ。
アンジェリーナ様の魔力は清らかすぎて、意識せずとも周囲を浄化している。純粋な幼少期に限定するならばたまにあることだけれど、ここまで成長されてもなお穢れないというのは、称賛を通り越して少し…いや、なんでもない。おかげでアンジェリーナ様のお近くにいるとこの上なく清々しくいられるのだから。
私にとっては草原に吹く爽やかな風のような魔力であっても、肉体に障りのあるシンシア様にはたいへん危険。
アンジェリーナ様は魔力の性質上、無意識にシンシア様へ違和感を覚え、しかしそれが何故かがわからずに混乱して、暴言という行動にでていたのだろう。無理に近付いて理解しあおうと考える方々でなくて本当に良かった。下手したらシンシア様の肉体が崩壊していた。
検討に検討を重ね、用意された魔具は耳飾り、腕輪、首飾りとなった。首飾りだけは外部からの魔力への抵抗値が少しだけ上がるという、従来品とそう変わらない物だけれど、ないよりはマシ。抗神聖術の研究は神聖教会が許可しなかったし、もし完成していたとしても、身に着けるシンシア様に強盗被害などの危険が及ぶ可能性もある。いろいろ問題ある用途でも使えるものなので。
シンシア様の体質への対策をとればどうしても変化は表れる。そのため、長期休暇前にこっそり魔具をつけ、体を慣らし調整を行い、周囲への影響を極力抑える方針が決まっていた。
結局、期待と緊張で精神が高揚したシンシア様から放出された、より強い魅了に踊らされた方々のせいでちょっとした騒ぎになってしまい、各方面への再調整が必要になったりしたが。
フロイス殿下に悪評が立てば婚約者であるアンジェリーナ様にも瑕疵がつきかねないというのに、許しがたい暴挙である。しばらくアンジェリーナ様に近寄れないように対策をしておいた。
当初の予定では学院卒業後にどこかの研究所に身柄を預けられる予定だったが、多数が知ることになった現状、いくら魔具で魅了を抑えたからとて、いや、抑えたからこそ、悪意に晒されかねないシンシア様は特例として休み明けには研究所に籍を置くことになった。学院にも来ることがあるが、アンジェリーナ様とは一緒にならないよう取り計らわれる。
後日、なぜ国家魔術師団を選んだのかとシンシア様に尋ねてみたら、腕輪を嵌めてくれた国家魔術師団の騎士が素敵だったからとの回答を得た。マッチョって良いよね! と力説されたが同意はできなかった。あの場で何故半裸かと思っていたが、シンシア様の好みに合わせた形振り構わない勧誘だったようだ。それなりの家格の貴族だったはずだが気の毒に。
そんなこんなで面倒な状況は改善された。
シンシア様は例のマッチョ騎士と好い仲になり、婚約も間近とのこと。元凶となったリッチを捕まえて、子供を授かれる身体にしてもらうのだと言って、戦闘訓練に励んでいる。研究者たちも喜んで手を貸しているから、もしかすると何とかなるかもしれないのが少し怖い。
アンジェリーナ様は、神聖教会から猛アプローチを受けているようだ。王家に入られては常時お傍に仕えるのは難しいが、神聖教会ならば何とかなる。フロイス殿下にはまあまあ愛着をお持ちのようだし、いっそ廃嫡させて、聖女として神聖教会に君臨するアンジェリーナ様を支えさせても良いかもしれない。王太子殿下を支えるために学んだことを存分に活かす道はここにもあるのですよと唆してみよう。
純愛を貫く恋愛物語だけでなく、仕事と愛のどちらを選ぶか苦悩する美男子物語も書けそうだ。素晴らしいモデルがいたものである。