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幼いころからそれなりに物事をこなし、なんとなく過ごしてきた。同世代の子供たちよりもかなり出来が良かったそうだが、そもそも家系的に賢い人が多いらしく、騒がれることもなかった。
やればできる。やらなくてもそれなりにはできる。
なんだかつまらない。いつもそう感じていた。
しかしある時、ふとした折に、経験した覚えのない記憶が頭を過るようになった時期があった。それは日常の中で、久しぶりに牛丼が食べたい、という欲望だったり、スマホどこだっけと目で探したり。これは何だと考えてみると、日本という国で生まれ育った記憶が沸いてきた。自分の前世なのか、何かの記憶が混ざったのかはわからない。
もっとも記憶にある何かが蘇ったところで、必要とする物に近い品はあるし、食事も美味しいし。使えそうな知識もないし使う気もないので放置しようとしたが閃いた。せっかくだから楽しもうと。
何しろここは、いわゆる剣と魔法の世界であり、私の生まれついた家が貴族であるように、王族をはじめ高貴な方々がいて、もちろん平民もいて、行きたくもないが行かねばならない学院もある。どこかで聞いたことのあるような状況ではないか。
未開の地ならともかく、文化そのものが違う場所で成長した技術や知識など、活用したとて高が知れている。しかしサブカル先進国にてオタクの入り口に居座っていた記憶が訴える。思想は違っていても嗜好はそう変わらない。この記憶が慣れ親しんだ妄想力の強みをいかし、現実と妄想を2:8くらいに混ぜ混ぜして適当な物語でも書けば? 本が売れ、名が売れれば嬉し恥ずかし大先生。憧れの作家デビュー!
目立ちたいなどと考えたこともなかった私が、この妄想という、これまた考えたこともなかった分野に挑戦する。それはいくら考えても先の見えることのない、新しい世界の発見だった。
以上、長々と語りましたが、目新しいもの見つけてテンションMAXになりました、と要約してくれて大丈夫です。
そうと決まればすわ取材、意気込んで社交界に乗り込んでみたものの、今まで壁際でおとなしーくしていた影薄令嬢が、急に鼻息荒く前のめりに出ていけば嫌な方向で注目の的となるのが世の常である。歳の近い令嬢たちからの集中砲火。どうやら、花形として名高いどこぞの令息様がご降臨される会だったらしく、色気づいて出てきてんじゃないわよと牽制されてしまった模様。
そんなつもりじゃなかったんです。そもそもそんなお子様(同年齢)趣味じゃないですYO。タイミングさいあくー。
やさぐれて華やかな輪から外れ、テーブルの片隅で自棄ジュースに自棄ケーキなぞしていたら、これぞお嬢様!という美しいご令嬢が様子見に来てくれました。そんなに食べていたらお腹を壊してしまうわよ?と心配をにじませた口調と、心配の形に少し下げられた眉で。
なんて良い子なのか。装いが日本の記憶に寄るところの悪役令嬢系なのは高貴と知性を醸し出すための演出なのかもしれないけれど、中身と合わせておっとりふんわり系のが似合うと思いますですよー。
少し優しくされればコロっとなびくチョロインとは私のことだ。あっという間に懐いた私は、チョロイン攻略する気なぞ欠片もなかったであろう悪役風令嬢、もといアンジェリーナ様の立派な腰ぎんちゃくになりました。
気配を殺しそっと寄り添う技を研鑽する日々。いつの間に来ていたのと驚くアンジェリーナ様を拝見するのが趣味になりました。目を丸くして心臓を抑える仕草がたいへんお可愛らしく。
ちなみにアンジェリーナ様の許嫁は第二王子であられるフロイス殿下とのこと。どうりで頻繁に会合の場が設けられている訳です。ストーカーではなかったのですね。何故知らないのかと不思議がられましたが、興味のないことには脳が働かない性質だとしか。
アンジェリーナ様が既に余所の殿方のものになると決まっていたのは残念ですが、どこへなりとも一生ついて行く所存です。母も喜んでいるし。
そう、一生ついて行けるものだと思っておりました。
私とアンジェリーナ様は固い絆で結ばれ、爵位に隔たりはあれども友人、いいえ、十把一絡げの友人などではなく親友、心友、ずっ友だと。
しかしここは貴族社会。なによりも階級大事。王家の姫も降嫁される由緒正しき侯爵家のご令嬢と、変わり者としてどちらかといえば悪い方に名を馳せている子爵家の令嬢。親しくお付き合いをするなど許されることではありませんでした。代官に任せっきりだった領地へ戻り出てくるなという勅命を受け、一家揃って一路僻地へと赴くことになったのです。
腰ぎんちゃく魂を発揮しすぎて気軽に登城していたのが悪かったのだろうねと、家族会議で結論が出たので素直に従いました。
愛する領民の待つ地へ向かう道すがら、馬車で5日ほどの旅程ではありましたが、たいへん有意義な時間となりました。最初のうちこそ、王宮でいただいたあのお料理がもう食べられないなんてと母と涙していたものでしたが、趣味に仕事に少しの社交の都合で滅多に王都から出ることがなかった我が一家。各地の名物料理や、森や山の植生、動物、魔物、自然発生したと思わしき霊力の塊など、自然に囲まれた土地で、時間に囚われずゆっくりと観察すれば物珍しく心躍る事象がたくさんあることに気付いたのです。田舎暮らし、悪くないね!
そんなこんなであっという間に7年の歳月が経ち、気付けば私も13歳になりました。おとな一歩手前の独特の不思議な魅力を醸し出し、無意識に周囲の殿方を翻弄している小悪魔ちゃんです。
この7年、アンジェリーナ様にお会いすることは叶いませんでしたがお元気のご様子です。侯爵様のお達しで直接の手紙のやり取りを禁止されているので、侍女を買収して日々の報告をいただいているので間違いありません。
当子爵家名産の不思議な霊力入り美容液は、正に不思議なほどの効力を発揮する大人気商品ですので、そうそう手に入るものではないのです。それを優先的にお分けしても良いと仄めかしたら釣れる釣れる。ちょっと口に出せないやんごとなきお方とも文通しています。大丈夫ですか情報管理。
さて、来年の初夏には魔術学院への入学が決まっております。これは魔力を多く持つ貴族に効率的な魔力の使い方を教えるという名目の、思想や能力の確認及び監視ですので義務なのです。ついでに同年代との交流もできます。
そう。冒頭で独白した気がする学院です。ここでの恋愛模様を観察し、ドロドロの愛憎劇に仕立て上げた物語を発行して有名になろうと思い至ったのが始まりでした。すっかり忘れておりましたが、思い出したからには頑張ろうと思います。
もちろん主役はアンジェリーナ様!
と言いたいところですが、昼ドラ真っ青の陰湿で粘着質な虐めとエロスにアンジェリーナ様を巻き込む訳にはいきません。たとえ妄想の中であったとしても。
では誰であれば都合が良いかと情報をまとめていたら、興味深い方を見つけました。情報提供者の多くの方から名が挙がった、レディアン伯爵家シンシア様。容姿端麗ながらも気さくで優しく、人好きのする方で、老若男女問わず人気者。
本職の諜報でもなし、こういう情報は主観主体の思惑混じりですから、好意的な情報が集まりやすい方はいます。実際、似たような評判の方はシンシア様の他にもいらっしゃいます。要するに見た目は悪くないけど他に特徴がない有力貴族のお嬢様という訳ですね。
気になって仕方ないのはアンジェリーナ様の侍女による報告にあった一文。
アンジェリーナ様はシンシア様を苦手に感じられているご様子。
心が広く優しく美しい純粋なアンジェリーナ様に嫌われるシンシア様。結構なレア物ですよ。
季節は進んで14歳の初夏がやってまいりました。魔術学園にてアンジェリーナ様と感動の再会を果たしている予定でしたが、何故かまだ子爵領にいる私です。
実は第二王子フロイス殿下による嫌がらせでまだ王都へ行く手続きが済んでおりません。私をアンジェリーナ様に近付けまいと必死ですね。8年前のちょっとしたすれ違いをまだ根に持っているなんて、なんて女々しい殿方でしょう。さるやんごとなき文通相手に手を打っていただくようお願いしたので、痛い目を見なければ良いのですけれどもww
結局、皆様にひと月遅れでやってまいりました魔術学院。早速アンジェリーナ様にご挨拶をと思ったものの、お取込みのご様子。8年経っても変わらないアンジェリーナ様の清らかさがにじみ出ている後ろ姿。向かい合う位置にいるのは、顔の造作は可愛いけど貴族ならこのくらいいるよねレベルのご令嬢。そして有象無象。第二王子殿下までいやがります。
嫌いなものほど察知できるというアレなのでしょうか、フロイス殿下が目ざとく私を見つけて顔を引きつらせました。王族なのですから表情はお隠しくださいまし。
フロイス殿下のせいで他の皆様も私に注目。中にはフロイス殿下と同様に顔を引きつらせる無礼な方もいましたが、アンジェリーナ様の瞠目後の笑顔! あまりの清々しさに、些細な事など全てを忘れました。ここには天使がいらっしゃるのです。
絵師がいないのを悔やみ、しかし私に向けられた笑顔を他の人間に見せるのは許しがたいと悶々としながら第二王子殿下へ挨拶を終えた後にアンジェリーナ様とご挨拶です。相変わらず悪役令嬢風な装いではありますが、そんなことよりもお顔の色が優れないようです。すぐに休みましょうとその場を辞そうとしたら、邪魔が入りました。そう、フロイス殿下です。
「其方、アンジェリーナによからぬことを吹き込んだのではなかろうな」
なんでも、アンジェリーナ様がこちらのご令嬢に嫌がらせをするのは私が何かしたからではないかと。
とんでもない誤解です。私はこの8年の間、アンジェリーナ様と(表立った)接触を禁じられていたのだからそんなことができる訳がないこと。アンジェリーナ様が周囲から見て不適切な行動をするのであれば、それはその原因となった方が一方的に悪く、周囲が騙されているのだと、きちんとご説明申し上げました。
「それはともかくフロイス殿下、私の入学許可の手続きを随分と丁寧にしていただいたようで。なかなか入学許可が来ないので、殿下になにかあったのではないかと心配しておりました」
「まあ…、随分と到着が遅いからどうしたのかと思っていたら、許可が下りていなかったの?」
殿下?と、ちろりとねめつけられて落ち着きを失う様は、良い具合にアンジェリーナ様の尻に敷かれているご様子。
「誤解だ! 兄上経由で届いたので日数がかかった上に、他の様々な報告書や日誌の束の一番後ろに目立たないように、本当に感心するくらい目立たさず付けてあったから目を通すのが遅くなっただけで、わざと許可を遅らせたとか、そういう意図は一切ない!」
何故神聖協会から圧力を掛ける!と喚いているところからして、それなりに効果があった模様。
うん。極力目立たないように、紙も形式もインクの色も工夫した甲斐があったようだ。アンジェリーナ様は、そんないたずらをしたのねと、ころころと笑っている。
「おやフロイス殿下とあろうお方が、あの程度の量を読むのに、そんなに時間を掛けられたとは」
「読み流せる内容ではないだろう。他の資料や其方の日誌とも突き合わせて検討し、各部署に振りわけるのにはどうしても時間がかかる」
「まさか、殿下があれを処理されたのですか」
もちろんだ、と頷くのに本気で驚いた。我が家から報告した内容への対応の経過を確認して、さぞ優秀な官僚がいるのだろうと感心していた。最初に目を通したらしき第一王子からは簡潔に結果だけをまとめて送れと返書が届いたので、大きな問題は起こしておりません、とだけ返してそれきりだったのに。
「まあ、日誌を古語で書くのは考えたな。良い勉強にもなるし、情報も漏えいしにくい」
早速私も取り入れたのだ。まだ思うようには書けないが、と至極当然のように言っている。
「…フロイス殿下、最上位を目指すお気持ちがあるのならばお手伝いいたしますよ」
思わず口をついて出た言葉だったが、滅多なこと申すなと怒られた。
学院到着早々に第二王子殿下と言い合いをしていたからか、少し遠巻きに様子をうかがわれている現状だけれども、それなりにわかってきたことがある。
第一にアンジェリーナ様。8年前に比べて美しさが段違い、いいえ、段などでは数えきれないほど、世界が祝福しているとしか思えないほど。これで未成年という末恐ろしさ。
第二にもアンジェリーナ様。心根の優しさは以前からだったが、貴族社会で暮らす以上少しずつ歪んでいくものだと思い込んでいた。まさか、8年を経て、いっそう磨きをかけておられるとは。精霊も喜んでお傍に侍りに来るでしょう。許すわけがないけれど。
第三にもアンジェリーナ様。例の、フロイス殿下が何か言っていたご令嬢への件。常日頃のアンジェリーナ様を知る者としては、確かに違和感しか覚えない。
曰く、ここは貴女のようなモノがいて良い場所ではない。 曰く、わたくしの知人に馴れ馴れしくしてはいけない。 曰く、貴女がいると臭くてたまらない。 曰く、目が穢れるからわたくしの視界に入らないで。 曰く、一日も早く王都から出ていきなさい。 曰く、わたくしに近寄らないで エトセトラエトセトラ。
そして、詰られる対象のご令嬢はと言えば、優しい、朗らかである、元気が良い、癒される、良い匂いがする、何だかわからないけど好き、などなど好意的な声ばかりが上がり、老若男女問わず大人気。アンジェリーナ様のことは尊敬しているけれども、シンシア様への態度だけは納得できないと、複雑なお心の方が大多数の様子。
確かに、アンジェリーナ様が口にされる内容であってはならない。何故ならお優しい方だから、口にしたご本人も傷ついてしまう。それでもちゃんと言える子のアンジェリーナ様の素晴らしさを私が褒めたたえずに、誰が認めて差し上げるというのだ。
そうそう、どうでもいいけれどもこのご令嬢、以前にチェックしていたレディアン伯爵家のシンシア様だった。当主が領地の女性にお手付きした庶子だけれど、魔力が豊富だったため養女にしたのだとか。
平民から伯爵家養女、そして王子をたぶらかしてのサクセスストーリー。王道ですね。