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ご指摘がいくつかあり修正しました。28.3.20
「運ばないなら俺が運ぶぞ」
いつまで経っても顔を背けたままのレイドムス殿下に痺れを切らせたのか……よくわからない。
どこか怒気を含んだ声はいい加減にしろとでも言うように小さな叱責。
そしてその言葉を聞いた殿下は瞬時に動く。屈めたと思ったらぶわりと浮遊感が襲う。
「うっ」
わー……揺らさないで……
何がどうなったか知らないけど、とにかく顔を思いっきり動かしてしまったのでしょうね。ぐわんと大きく揺れた。
私が小さく呻いた声が聞こえたらしい殿下は「大丈夫か?」と声をかけてくれる。
大丈夫だったらこんなに辛くはないと思う。なんだか体が中を浮いているように地の感覚がないけど気のせいにしておきましょう。
それよりなぜか、先ほどよりひどく右側が暖かい。これはどうなっているのかしら………
しばらく頭を抱えて黙ったまま踞っていたけど、ようやく目眩が治まったので顔をあげたら驚いて縮こまった。
なに、これ。レイドムス殿下の顔が近いっ!?なぜ!?しかも視界が高い!?
これでもかと目を見開いてつい凝視して淑女としてあるまじき行為ですけどっ。もう私はそれどころではない。
なんとなく殿下の頬が上気しているような錯覚を見ていたが急に歩き出すからしがみつくしかない。これ、令嬢が夢見る横抱きと言うやつですよね!?
なぜこうなっているの………よくわからないけどすぐ近くの従者がセッティングしてくれた二つの内一つの椅子に座らされる。
怖くて殿下にしがみついていた腕もやんわりと取り払われて彼はもう一つの椅子である目の前の席についた。
「軽すぎる。食え」
……無茶を言わないでよ。
こっちは急に食べる気力もないと言うのに。なぜ自分の皿を押し付けるのよこの殿下は。
おかげで少し正気を取り戻しましたけど。
「いいえ、これだけで十分です」
「ならん。これは絶対に食え」
「レイド、押し付けんな。彼女が困っているぞー」
「む」
え。なに今気づきましたって顔をするの。私の表情はそんなに読みにくいのかしら。露骨にしかめたのに……
そしてそこの殿下の幼馴染みさん。笑っていないで助けてください。
呆れていたと思ったら今度は苦笑い。なんなのかしら。殿下と回りの方々ってわからないわ。
とりあえず押し付けてくる厚切りのお肉は押し返して水を一口。喉がカラカラだったのでこれはありがたく半分を飲み干す。
次は……野菜かしらね。とりあえずお皿に盛られているものを食べられるまで食べるつもり。そして次にお魚かしらね?とりあえずお肉は食べる気がしないので遠慮したい。
「それで――婚約の話なのですが」
「破棄はさせん。押し通す」
「なぜでしょう?レイドムス殿下には確か隣国の王女様と、と言う噂を聞きましたが」
「あーそれね。例の如く王女様に泣かれて破談だよ」
「アル、黙れ」
「はいはい」
それでも私との婚約をそこまで押し通す意味はないと思うのだけど。
でも譲らない何かがあるらしい。必ずどこかで「破棄はしない」といれてくる。
つまるところ、レイドムス殿下は二十七で王妃陛下と側妃様がかなり心配しているらしい。そういえば殿下だけ婚約者がいないわね。
実母である側妃のマリアンナ様も結婚もせずに軍に入り浸って気を揉んでいらっしゃるそう。
当のレイドムス殿下は王妃陛下に言われたからと王位継承争いを避けるため私との婚約、果ては婚姻を成立させ王位を退いて親族を安心させたいらしい。
まだ裏がありそうな気配を感じているのですけど。それでもこの二つの理由以外は語らず頑なに私との婚約を主張する。
家柄も個人もまあまあ申し分なく、悲鳴を上げないことが好評したらしい。嬉しくないわ。
悲鳴をあげなかったのはそんな暇も体力もなく体調不良だったし思考が追い付かなかったからよ。
魚を半分ほど食べて降参し、もう一度婚約をお断り。今さら結婚は考えていないもの。
娘は親の言いつけで相容れぬ結婚が結ばれる。これが貴族社会の常識でも私はそれを受け入れられそうにない。少なくとも最高峰の白魔女であるかぎり父は結婚をさせないつもりだ。
それなのに今回はあっさりと。そんなに王族の後ろ楯は嬉しいものなのかしら。まあ、王族からの打診に伯爵風情が断るだなんてまず出来ないのですけど。
ああそうね。つまりレイドムス殿下――いや、王妃陛下の命令の裏は王族が白の属性魔法を欲しているからかも知れない。王族に白の属性魔法はいなかったはず。
整頓してみればそれが一番しっくり来る。そっか……王族も、名誉がほしいのね。
「それでも俺は解消しない。絶対に――ティエリア、お前を手にいれてみせる」
ぎらりと睨まれて勝手に出ていかれた。肩をすくめて一緒に出ていくアルバート様はため息をついて困ったように私を見た。
見ただけで何も。ただ青い瞳は何かを訴えているようで――結局私はわからず片付けに来た女官たちの手元を見て漠然とこれからを考える。
レイドムス殿下からの婚約発表は瞬く間に広がっていて……そのおかげで私はパンカー家から排出された侍女によって毎日、身綺麗にされた。
彼女たちのおかげでくすんだ亜麻色は輝きを戻し十年ぐらい前の私に元通り。
やって来た彼女たちは屋敷にいた頃に付き添ってくれていた侍女で双子のアーチェとサーチェだ。
一卵性で同じ金髪だけど属性を持つ瞳の色だけは違う。アーチェが緑でサーチェが青。女性にしては少し高めの背で女性にしては少し背の低い私はいつも彼女たちを少し見上げている。
まさにでこぼこな主従で少し面白い。面白いけど怒られるのは勘弁してほしいわね。
「「まったく!伯爵令嬢が信じられませんっ!」」
「……悪かったわ。だからもう少しコルセットを」
「緩めませんから」
「緩ませませんから」
まさか、パンカー伯爵令嬢ともあろう私が平民に近い格好で城に引きこもりなんてしていたとは……仕えるものとしてそれは、嘆かわしいわね。
自覚がなかったわけではない。一応。一度でもいいからパンカー伯爵家の顔に泥を塗りたかったのだ。失敗はしているけど。
彼女たちに知られてしまっては終わりである。殿下のことがなくならない限り、あの姿にはならないと思うわ。
「あ、ティエリアお嬢様。また送られてきていますよ」
「でもこれってティエリアお嬢様の好きな花だったかしら」
「……殿下って律儀な方よね」
あの日から一週間ぐらいは経っている。この七日間に毎日、同じ花が届いていて私はどうしたものかと悩んでいるのだけど。
本当に私と結婚をするつもりでこれを贈っているのかしら?花は好きだけど……
毎日贈られてくる花は薔薇だ。それも白とピンクと赤の三本で一つのものを朝に必ず届けてくる。
そして手紙には必ず『ティエリアへ 君の好きな花を贈る レイドムス』。
どうすればいいのかしら。どちらかと言うと私が好きなのは小振りな花なのだけど。花壇に小さく咲き乱れる花とか好きなのだ。
薔薇のように存在を強調する花はあまり好きではない。そう言う花の場合、すごく匂いが強くてくらくらとしてしまうから。
しかし殿下はなぜか私が好きな花を薔薇として贈ってくる。謎すぎて一度話し合った方がいいのではないかと疑わざる終えない。
……いや、そうだ。今つけているのはそれに似て非になる香水だからか。まさかね。
「確か今日は訓練所に呼ばれていたわね。ついでに言えばいいかしら」
「お嬢様、殿下の威厳もありますから直接言ってはなりません。私どもが側近に伝えて参ります」
「そう?とにかくマントを取ってちょうだい」
素顔のまま行くつもりは毛頭ない。今までそうだったし。顔を出しているとわざわざ声をかけてくる人がいるので出来るだけ影に潜んでいたいのよね。
でも今日は違うらしい。珍しく扉を誰かが小突いた。丁寧に三回鳴らして訪問を告げる。
「見てきます」
誰かしらねー。ガロン白魔法師か、研究者か……王妃陛下の使いで催促だったりして。やはり手紙だけでは駄目よね……
アーチェからマントを受け取りながらひらりと被る。これでいいわね。
ほどなく私の準備を終えると見に行ったサーチェが戻ってきた。珍しく青白い顔で。どうしたのかしら?
「レイドムス殿下が参りました。訓練所までご一緒するそうです」
「……なぜ」
「お嬢様。今はレイドムス殿下の婚約者ですよ。時間を割いて会いに来たに決まっているではありませんか」
「そうですよ。もう出る頃でしたのでお返事はしておきました」
顔が青くなっているのに、何を言っているの?そもそも貴方達は誰の味方なのかしら。
「「もちろん、ティエリアお嬢様にございます」」
「私は結婚する気がないのだけど……」
「今はそれでよろしいのです」
「お嬢様はお嬢様のままでいてください」
そして手際よく追い出される。なんなのかしら。
ついてくるのはサーチェ。廊下に出れば怒ってますと言わんばかりの鋭い眼光を放つレイドムス殿下。もう慣れたわ。そしてこれより女の嫉妬の方が怖い事に気づきましたとも。
怖くて近づけないくせに誰かのものになると嫉妬して嫌がらせをする令嬢たちにうんざりする。それなら怖いけど無害の方がまだましよ。
隣では苦笑いのアルバート様に私のために配置された護衛で無表情のマッシュ。因みにもう一人クローグと言う護衛騎士がいる。
揃ったところで「遅い」と言われたのだけど。女の支度は長いと聞いたことがないのかしら?そんなに遅いと文句を言うなら先触れでも出してくれればいいと思う。
そしてマントまでも指摘される。なぜと言われてもこれか私の外出時の格好だとしか言えない。
素直にそう告げるとなぜかため息をつかれた。まったく分からないわ。
そして小言をやめて無言で手を差し出される。エスコートをする気はあるらしい。
最近は身綺麗にされているおかげで踵の高いヒールまで履かせるから歩行が不安だったのでありがたくその手を取った。
「花は……」
「はい?」
「花は、どうだ」
もうすぐ訓練所である。それまで無言だったのに突拍子もなく花を尋ねてきた。
しかしどうだと言われても……
「綺麗でした」
「そうか」
それだけでよかったらしい。借りていた腕が少しだけ引き寄せられた。
よろめきそうになりながら堪えて出入り口まで行けばここで終わり。手を重ねられて今度は先導するように手を繋ぐ。
歩幅が違うので引っ張られそうになるが、耐えるしかない。心なしか焦ったアルバート様がこそこそと教えてあげているが歩幅が変わることはなかった。
だから――少し、イラついたのだ。
なぜ婚約させらたのか。花がどうだとか意味が分からない。しまいには注目を浴びながら強引に歩かされる。なんなのだろうか。
だから……つい、言ってしまった。サーチェが後ろで焦っているけど――飛び出た言葉はもう、止まらない。
同じ白魔法師のところまで案内してくださり、私を送り届けた殿下に一言を。では、と口の端をなぜかあげている貴方へ。
「あの花、私の好きな花じゃありません。もう花は結構です」
振り回されるのは好きではない。もう、嫌なの。