第六話 引き裂かれた二人
要の住所が分かったことは、瀬奈々にも伝えられていた。
『お前を虐めていた奴の住所が分かった。あとは悪事を証明すれば、八田が何とかしてくれる。だから今は、定期演奏会のことだけに集中しろ。健闘を祈る』
先輩からの心強いメールに、彼女は泣きそうになっていた。もう駄目だと思っていたのに、先輩や八田の力を借りてここまで来たのだ。もう失敗は許されない。彼女は二人の恩に報いるような演奏をしようと誓った。
「先輩、頑張りますからね」
瀬奈々は自分のトランペットを取り出す。それは昨年、彼女が恭一郎に買ってもらったものだった。それを枕元に置き、明日の定期演奏会の成功を祈る。そして直後、部屋の電気は消えた。
その頃八田は、KATARUの要追跡スレを開いていた。住所を晒した後の反応を見るためだった。
「私の予想通りだ。お祭り騒ぎになってる」
そこは彼女が晒した住所の話題であふれかえっていた。
『GJ! これで要を本格的にいじれるな』
『住所で検索してみたら、結構大きい家が出てきた。流石は町議会議員の息子』
『親も真っ黒なんじゃね? 子があれだから』
『その線はあるな。検索よろ』
八田はその中にこう書きこんだ。
『要と同じ高校に通っている者だけれども、明日で全てを終わらせようと思う。収穫をお楽しみに』
その書き込みを投稿して数分経たないうちに、レスはどんどん投下されていく。
『住所晒したのってお前か。期待している』
『有能。楽しみにしているで』
『レイシスト要を絶対に許すな。いっそのこと、親子ともども外に出られなくなるまで虐めてもええんやで(にっこり)』
『いやいや、喜ぶのはまだ早い。奴が自殺してからがスタートや』
八田はレスの流れにほくそ笑み、電源を切る。そして自分のクラリネットを取り出し、祈るようにしてじっと見つめる。先ずは定期演奏会だ。彼女は自分の成功を信じ、首を大きく縦に振った。
翌朝5時半、恭一郎はもはや外に出ていた。二人のことが不安で、学校の周りを散歩するようにして廻っている。あれだけ準備を入念にしているのに、この胸騒ぎは何だ。どれだけ動いても落ち着かない。
「くそっ……」
自分に毒づいたが、気持ちは変わらなかった。
瀬奈々は制服に着替え、恭一郎に買ってもらったトランペットを自分の膝に乗せ、定期演奏会前最後の朝練に向けて家を出た。彼女の中から、妙な自信が湧いてくる。二人の力を無駄にするわけにはいかない。そのためには、自分が頑張って結果を出さなくちゃ……。すると、一人の男が彼女の前を通り過ぎる。その直後、男はくるりと背を向け、いきなり瀬奈々のトランペットをひったくったのだ。
「あ!」
男は走ってどこかへ消えようとするが、瀬奈々は車椅子をこぎ、男に追いつこうとする。しかし、途中で完全に見失ってしまった。息を切らしながら、冷や汗が垂れてくる。
「どうしよう……」
瀬奈々が呆然としていると、近くで男たちの笑い声が聞こえてきた。それも、どこかで聞いたことのあるような声が。彼女はその声を頼りにして車椅子を進めていくと、集団で数人の男が、瀬奈々のトランペットを持ちながら談笑していた。
「あの、返してください!」
大声で男たちに呼びかけると、彼らは慌てて走り出す。そして行き着いた先は、あの踏切だった。男は踏切のど真ん中にトランペットを置くと、瀬奈々を挑発するように言い放った。
「悔しかったら取ってみやがれ、障害者!」
彼女はその声を聴いて愕然とした。まさか……。しかし、考える暇もなく、彼女は踏切へと入っていく。
「うう……」
しきりに手を伸ばすが、なかなか取ることが出来ない。挑発した男は未だに踏切の近くにおり、スマホで写真を撮っている。男の取り巻きも、彼女の様子を見てげらげらと笑っており、瀬奈々の悔しさは頂点に達した。
「要さん、こんなことして、どうなるか分かっているんですか」
瀬奈々は写真を撮っている要を睨み付け、必死にトランペットを取ろうとしている。しかし要は聞こえていないふりをして、未だに面白がって瀬奈々のことを晒し者にしている。汗だくになってトランペットを取ろうとしている障害者は、要にとってこれ以上の見世物はなかった。
「一生ここで座ってな」
ついに要たちはどこかへ消えてしまった。しかし、悔しさに涙を流している瀬奈々はそれに気付いていない。ただひたすら、恭一郎から買って貰ったトランペットに手を伸ばしている。すると、踏切の警告音が鳴り始め、遮断機が降りてきた。
「え?」
瀬奈々は凍りついて、より一層手を伸ばすことに集中する。そして遂に、トランペットを掴むことに成功した。喜びも束の間、彼女は踏切についている警告ボタンを押そうと車椅子を走らせようとする。しかし、溝にハマって一歩も動くことが出来ない。
「嘘だ! こんなこと……」
慌てふためいている間にも、列車は迫ってくる。しかも、通常の倍近くの速度で。春野町は早朝に、寝台特急が通る。要はその時間を知っており、瀬奈々をまんまと誘い出すことに成功したのだ。
精一杯の力を出して車椅子を押し出そうとしても、トランペットを取ったときに力を使い果たしてしまったようで、思ったように力が出ない。列車の轟音が、瀬奈々の耳に突き刺さる。
「嫌、嫌、いやあ!」
無情にも車椅子は微動だにしない。彼女は泣きながら押し出そうとするが、ついに列車は彼女の目の前まで来てしまう。そして鉄がひしゃける音を立てながら、瀬奈々は車椅子もろとも列車に轢かれてしまった。
それは恭一郎の耳にも聞こえていた。駅の方から物凄い音がしたので、彼は走り出す。そして見えてきたのは、煙を上げながら止まっている寝台特急だった。
「事故でも起こったのか?」
すでに周囲は野次馬が集っており、恭一郎はそれをかき分けながら現場へと歩みを進める。その道中、こんな会話が聞こえてきた。
「まだ若いのに……」
「即死みたいだな。車いすごとぐちゃぐちゃになって」
車いす? 恭一郎は嫌な予感がして、野次馬をかき分ける速度を早めた。数分後、野次馬の先頭に立った彼は、ショックに言葉を失った。
そこには青いビニールシートで隠された死体と、鉄屑と化した車椅子が横たわっていた。そして、トランペットも。警察が来ているのも忘れ、恭一郎は現場へと飛び込んでいった。
ビニールシートをめくってみると、そこには目を覆いたくなるほど無残な形となった死体があった。その近くには、砂埃と血がこびりついたバッグがあった。それを漁ってみると、春野高校の生徒手帳が出てくる。信じたくない気持ちで一杯だった恭一郎だが、現実を受け入れるようにしてそれを見る。
「2年5組、愛川 瀬奈々……」
それは紛れもなく瀬奈々のものだった。彼が崩れ落ちると、警察官が慌てて恭一郎を外に連れ出す。
「君、何やってるんだ。一般の人は立ち入り禁止だぞ!」
「……」
抜け殻のような恭一郎が野次馬の海から脱出すると、そこには八田が立っていた。彼女は恭一郎を見て、全てを察した。そして拳を握りしめ、唇を固く結んで、恭一郎の前から姿を消す。こんなこと、誰が想像しただろうか。あまりの衝撃に、恭一郎は涙を流すことも忘れていた。




