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夏休み  作者: くらげ
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第五話 標的の男

 翌日、恭一郎は近所のスーパーマーケットに出向いていた。八田が部活前によく食べていたものを思い出しながら、菓子が陳列されている棚の前で睨めっこをしている。そして目的のものを見つけ次第、かごの中に放り込んでいく。情報料まで必要だということは、きっと重要なものなのだろう。彼はもはや、瀬奈々を救うことしか考えていなかった。


 ジュースやお菓子が詰まった段ボール箱を抱えながら春野高校の校門の前にスタンバイする。窓の外からは合奏の音が聞こえてくる。恭一郎はそれに耳を傾けながら、八田が来るのを待っていた。現在午後の二時半。少し来るのが早すぎたか? 猛暑の中、菓子を冷やすために段ボールの中に入れているドライアイスが微量の冷気を漏出させている。それを浴びながら、彼は暑さを凌いでいた。


 暫くして、合奏が鳴り止んだ。


「そろそろか」


 今まで座っていた恭一郎が立ち上がる。いつになく緊張した面持ちで。外から何人かの部員が出てくると、彼は軽く会釈をした。その度に、後輩たちから歓喜の声が出た。


「恭一郎先輩、お久しぶりです!」

「こんな所にいないで、学校の中にいらっしゃってもよかったんですよ」


 彼は感慨深い気持ちになっていた。自分はここまで後輩たちに慕われていたのか。在学中は何かと厳しく当たっていたのに。すると、部員に車椅子を押されながら、瀬奈々が現れた。彼女はとても驚いた様子で恭一郎を見つめている。


「先輩、定期演奏会は明日ですよ?」

「ああ、今日は八田に用があったんだ」

「弥生ちゃんに?」

「なんでも、お前を助けてくれるかもしれないらしい」


 恭一郎は笑っていたが、瀬奈々の表情は曇っていた。


「どうした」

「私、弥生ちゃんまで危険な目に……」

「危険な目に遭うかどうかは、まだ分からないだろ」

「そうだよ、瀬奈々ちゃん!」


 瀬奈々はびっくりして後ろを振り向く。ツインテールの髪を振り乱して、息を切らして立っていたのは、八田 弥生だった。あらかた後輩が帰ったと分かると、いきなり飛び出してきたのだ。


「先輩、お久しぶりです」

「昨日は済まない。これ、情報料。家に着いたらみんなで食べよう」

「わあ、こんなに沢山! ありがとうございます! 私、張り切って調べちゃいます!」

「あの、恭一郎先輩、みんなって……」

「瀬奈々、いきなりで済まないが、八田の家に来てくれないか?」


 恭一郎のお願いに、瀬奈々は少し考える素振りをして、首を縦に振った。


「私が蒔いた種です。皆さんに協力します」

「ありがとう」

「じゃあ、行こうか! 瀬奈々ちゃん、車椅子、押すね」


 恭一郎は「情報料」を抱えて、八田は瀬奈々を押して、八田の自宅へと到着した。中には誰もおらず、三人は思い思いの言葉をかけて家の中に入る。


「お父さんとお母さんは共働きで、夜まで帰ってきません。夜六時くらいまでだったら、自由にしていてもいいですよ」

「済まないな。さあ、先ずは食べようか」


 そういうと恭一郎は、段ボールの中から大量のお菓子とジュースを取り出した。まだドライアイスの冷気が残っており、中はちょうどいい感じに冷えていた。


「俺の奢りだ。食べてくれ」

「……いいんですか? こんなに」


 瀬奈々は目を丸くしてお菓子に見入る。チョコレート、一口サイズのチーズケーキ、飴、清涼飲料水……。すべてが色鮮やかに見えた。一方の八田は狂喜乱舞しており、どれから食べようか目星をつけ始めている。


「わあ、先輩、ありがとうございます! これなら私、沢山あいつのこと喋っちゃいます!」

「そうしてくれれば、こっちも嬉しいよ。長い時間かけてスーパーで選んでいた甲斐があった」


 瀬奈々は恭一郎にジュースを注いでもらい、一口含む。練習の疲れが吹き飛んだような感じがし、彼女の顔には笑みが広がった。すると八田はチョコパイを口にくわえながら、パソコンを起動し始めた。この中に情報が入っているのだろうか。恭一郎はいよいよ緊張してくるのを感じた。


「八田、これは?」

「えっと、これからとあるサイトを開きます。ここに、私たちがまとめた要 一の情報があります。驚かないで下さいよ」


 やけに自信に満ちた言動と顔で、八田は器用にパソコンを操作していく。


「このサイトです」

「これって有名な匿名掲示板、KATARU(かたる)じゃないか」

「私たちはここを拠点として、要の悪事を暴こうと日夜努力していました。まあ、要を狙う切欠(きっかけ)になったのは、別の出来事ですけどね」

「弥生ちゃん、それは何?」

「あいつ、差別主義を誘発するようなアフィリエイトブログを運営していたの」

「アフィリエイトブログ?」


 二人は訳が分からず閉口してしまった。そんな思考停止に陥った二人のために、八田が説明を加える。


「アフィリエイトブログっていうのは、インターネットの広告収入を利用して利益を上げるブログのことです。見る人が増えれば増えるほど利益は上がってきます」

「それって、巨大なブログであればあるほど、楽に大量の金を稼ぐことが出来るってことか」

「つまるところ、そういうことになります。私たちの所属する掲示板は、そんなブログを嫌っています。今回は、ちょっと事態が大事になっています」


 そういうと八田は、『要事件、これまでの経緯』というスレッドを開く。そこには細かい文字で、大量の情報が記載されている。1レス目の書き込みには、事件の発端が記されていた。


『今年7月上旬、いつも通りアフィ(アフィリエイトブログの略)を潰そうと日々努力している俺たちの元に、とある情報が飛び込む

「こんなアフィ見つけた。絶対に許すな」という書き込みの後に記載されていたURLに飛んでみると、そこは無法地帯と化していた。デマが飛び交い、ブログのコメント欄に巣食う住民は馴れ合いの嵐

ブログ名は『嫌韓速報』。主にネット右翼(以下ネトウヨ)御用達のまとめブログだ。俺たちはそれを潰そうと専用のスレッドを建て、管理人を骨の髄まで追い詰めることを決める

ドメイン名から誰がこのブログを管理しているのかを調べるサイトにアクセスし、早速調べる

要 一という糞野郎であることが判明。有志によって住所や家族構成など捜索中←今ココ』


「ここまで分かっているので、あとはこれさえ分かれば何とかなるのですが……」


 そういうと八田は、二つ目のチョコパイに手を付ける。その間に二人は要の運営しているブログ、嫌韓速報に目を通す。そこには信じられないことが書かれていた。


「キムチの中はジフテリア菌だらけ?」

「韓国経済、もうすぐ破たんか。なんて記事もありますよ」


 明らかなネガティブキャンペーンだった。ウソと分かりきったような情報に、コメント欄では韓国を罵倒するような書き込み、嘲笑に満ちていた。これで金を稼いでいるのかと思うと、恭一郎は腹立たしさを感じた。


「ふざけるな! 人格を疑うよ」

「でしょう? だから、このブログ、そして運営主である要を再起不能に貶めてやろうと思ったんです」


 サイダーを一気飲みしてチョコパイを腹の中に流し込んだ八田は、再びパソコンと向かい合う。彼女は過去のスレッドから要の情報を抽出しようとしていた。


「これから要の情報を抽出します。どんな些細なことでも」

「でも、ここにあいつが書き込んでいるという保証はないぞ?」

「それが、有志が捜してくれたんですよ。要が良く書き込んでいるスレッド」


 そういうと、八田はとあるスレッドを開き始めた。


「題名からしてあれですけど、まあ見てください。名前の欄に『孤高のファイター』と書かれているのがあいつです」

「……女性差別スレ?」


 そこには女性蔑視発言が多く書き込まれていた。クラスメートの不満、上司の悪口、セクハラだと間違われたことなど様々だ。恭一郎と瀬奈々は、孤高のファイターが書いたもののみに注目して読んでみることにした。


『孤高のファイター:障害持っている女がテレビに出てた。ああいう特集マジでムカつくんだけど』

『孤高のファイター:女なんて男とセックスするための道具なのに、どうしてこんなにでしゃばれるかねえ。理解に苦しむ』


 彼は特に、障害を持った女に対して差別意識を持っていたようだった。恭一郎は瀬奈々と顔を合わせた。彼女が虐められている理由が、なんとなく分かったかもしれない。


「次が問題の書き込みです」


 下に進めていくと、孤高のファイター名義での書き込みが多くなる。どうやらスレッド全体で人が来ない時間帯に書き込んでいるようで、一時期は彼のみが書き込んでいる状況になっていることもあった。


『孤高のファイター:障害持った女苛めてるけど、聞きたい?』

『名無し:詳しく』

『孤高のファイター:車椅子に乗った女で、下半身がないの。これだけでももう笑えてくるんだけど、そいつの鞄をひったくって、踏切の中に置いてやった!』

『名無し:マジキチ。そんでその後どうなった』

『孤高のファイター:陰で見ていたんだけど、必死こいて取ろうとしてるの! 姿見てみ? 笑えてくるから』


 そのレスには写真が貼られている。それをよく見てみると、汗だくになりながら鞄を取ろうとしている瀬奈々が映っているのが見えた。それに対する反応は凄まじいもので、何十にもわたってレスが続いた。


『名無し:クソワロタ』

『名無し:必死過ぎて草不可避』

『名無し:今度やってみようかな』


 瀬奈々は自分が盗撮された事実、笑いのネタにされた事実に、思わず涙が零れた。恭一郎も怒りに肩を震わせ、瀬奈々を抱き締める。


「瀬奈々ちゃん、ごめんね、こんな辛いもの見せて」

「……弥生ちゃんは悪くないよ。悪いのは、要さんだから」


 恭一郎に抱き締められながら、瀬奈々は涙を流してパソコンを見る。すると八田は、このページをお気に入り登録し、別のサイトに移動する。


「これは重要な証拠になるから、ウェブ魚拓を取っておきます」

「ウェブ魚拓?」

「このまま放置しておくと、要に消される可能性があります。だからウェブ魚拓を取って、いつでも閲覧出来るようにするのです」


 八田の分かりやすい解説に、恭一郎は思わずうなった。魚拓を取る作業を終えるとそのURLをコピーし、これまた別のページを開き始めた。KATARUだ。掲示板はジャンルごとに小分けにされており、八田はネットウォッチングという板にアクセスした。そこのトップページには、『アフィカス要を再起不能に陥れるスレ』というものが建っており、彼女はそこにアクセスする。そしてコメント欄に、こう記載した。


『要の悪事、貼っておいたで。消されんように魚拓も取っておいたわ』


 要が写真をアップした板と魚拓のURLを同時に貼りつけ、皆からの返信を待つ。その間に八田は冷えた板チョコにかぶりついた。チョコが割れる音が耳に気持ちいい。


「すごいな、八田」

「これくらい序の口ですよ」


 八田は恭一郎に褒められることに慣れていないようで、顔を赤くする。瀬奈々は自分を落ち着かせるために、恭一郎に入れてもらったジュースを少しずつ飲みながら精神を安定させようとする。目を瞑って、恭一郎の温もりに触れながら。


「あとは直接要を観察しなきゃダメですね」

「それにはどういうメリットがある?」

「住所や大体の家族構成を調べるためには、やはり直接見るに越したことは無いですね。私が行ってきましょう」

「ちょっと待って、弥生ちゃん。私に考えがあるの」


 すると今まで黙っていた瀬奈々が、急に口を開き始めた。


「どうしたの?」

「私、虐められてくる」

「いきなり何を馬鹿なこと言っているんだ! そんなことしたら……」

「私、もう要さんに虐められるのは嫌です。でもここで行動しなきゃ、駄目なんじゃないかって思えてきました。皆さんが骨身を粉にして頑張っているのに、私だけ見ているだけなんて、嫌なんです!」


 瀬奈々の表情は切迫していた。二人は困惑していたが、瀬奈々は二人を視線で捉えて離さない。恭一郎は昔の瀬奈々を思い出していた。何をやっても駄目で、おまけに優柔不断。顧問からはよく叱られ、正直言って、部の足を引っ張ってしかいなかった。でも今は違う。真っ直ぐな視線に揺るぎない信念。これも自分で蒔いた種だからだろうか。


 沈黙は暫く続いた。八田はこの時ばかりは流石におろおろしており、恭一郎に助けを求めるような視線を向ける。しかし当の恭一郎も判断を決めかねているようだった。もしかしたら、また彼女にとって命がけのことをされるのかもしれない。不安が頭をよぎる。


「彼が悪事を働いたという証拠を掴むためなら、何でもします!」


 瀬奈々の決心は揺るがなかった。みんなが頑張っているのに、私だけただ見ているわけにはいかない。彼女は、二人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「先輩と弥生ちゃんは証拠を収めるために写真を撮ってください。危なくなったら大声を出しますから、その時は、助けに来てくださいね?」


 彼女は一歩も引くことは無かった。恭一郎は彼女の信念の強さに溜め息が漏れ、ついに心を許すような表情になった。


「分かった。そこまで言うなら協力しよう。でも条件がある」

「なんでしょう」

「決行は明日にしてくれないか。明日の定期演奏会、重要なことをお前たちは分かっている筈だ」


 これだけはどうしても成功させてほしい。先輩からの、数少ない我が儘だった。八田と瀬奈々は首を縦に振り、先輩の教えを守る。


「ありがとう。明日は期待しているぞ」

「はい! 頑張ります」

「俺はもう帰る。瀬奈々、行こうか」

「はい」

「ついでに要の住所も教えておくから、携帯は見ておくんだぞ、八田」

「分かりました。明日は、絶対に見に来てくださいね」


 恭一郎らはそれぞれの思いを胸に解散した。彼と帰り道が同じである瀬奈々は、申し訳なさそうに俯きながら車椅子を押されている。


「私なんかの我が儘を聞いてくれて、本当にありがとうございます」

「いいんだよ。俺なんて、在学中にどれだけ言ったことか……」


 二人は漸く、普通の時間を取り戻したように思っていた。こうして車椅子を押されて、何気ない会話をする。それだけでも幸せであった。そしてゆっくりと歩みを進めていくうちに、瀬奈々の家に着く。


「それでは私はこの辺で」

「明日の定演、楽しみにしているからな」

「全力を尽くします!」


 こうして二人は名残惜しそうに別れた。しかし、恭一郎には要の住所を特定するという大事な仕事がある。彼は改めて気を引き締めると、要の家を探し始めた。幸い春野町は小さい町なので、少し歩けばどの家でも特定することが出来る。それに恭一郎は大学に入るまで、生まれも育ちも春野町だ。土地勘はある方だった。


 彼は先ず、大きい家を探し始めた。町議会議員の息子であれば、豪華な家に住んでいることは間違いない。現に春野町の議員は、ほぼ全員が豪華な家、黒塗りの高級車を所持している、金持ちだと言わんばかりの風格だ。


「ここでもない、そっちでもない……」


 春野町の議員の邸宅が散見される地域まで足を運んだが、要という表札はどこにも見えない。すると恭一郎は何かを思いつき、瀬奈々の家まで戻り始めた。


「あいつが瀬奈々の家を知っているとすれば、きっと近くにいる!」


 彼は急いで瀬奈々の家の半径500メートル以内を捜索し始める。きっとこの中に要の家が……。汗が落ちるのも忘れて早歩きで巡ってみると、彼の背後から重低音のクラクションが聞こえた。後ろを振り向いてみると、黒塗りの高級車に乗った、恰幅の良い50代の男が見えた。恭一郎は急いで道を譲ると、直後にその車を追いかける。まさか……。幸い車はゆっくりとしたスピードで走っていた。彼が車を見失わないように後を追っていると、予想は的中した。


「要!」


 彼は男に気付かれないように住所を見て、それを頭の中に叩きこむ。そして家から離れながら、八田に住所を書いたメールを送信した。


『了解です。KATARUの方に載せておきます。あとは要の悪事を晒せば、任務完了ですよ!』


 いよいよ希望の光が見えてきたことに、恭一郎は喜びを感じていた。これで瀬奈々に安全が保障される。自分のことでもないのに、彼は天に舞うような気持になっていた。




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