第四話 情報提供者
「今思うと、よく心折れなかったよな」
「ここで折れたら負けだと思ったので。これから辛いことは、まだ一杯あるでしょうから」
アイスコーヒーを飲みながら、恭一郎は瀬奈々に寄り添っている。
「まさに今、とても辛いんじゃないのか? 瀬奈々」
「え……?」
「隣に住むおっさんから聞いたよ。お前、虐められているんだってな」
彼は遂に本題に切り出した。それを言われた瀬奈々の表情が、次第に曇っていく。図星だと判断した恭一郎は、俯いている瀬奈々と向き合った。彼の切迫した顔に驚いたのか、瀬奈々は話を始めた。
「今年の部活動のオリエンテーションで、新入生に演奏を披露したんです。その時、ちょっと柄の悪い一年生たちが私を見て笑い出して、それからですね。嫌がらせが始まったのは」
やはり瀬奈々は虐められていたのだ。恭一郎は衝撃を受けると同時に、瀬奈々の手を握る。彼女は唇を噛み締めていた。その時の体験が余程心に来たのだろう。
「それから通学路で私に会う度に、脅してお金を取ろうとしたり、鞄を踏切のところに持っていかれたり、色々されました」
「踏切? 危ないじゃないか!」
車いすの人が踏切を渡ることは、生きるか死ぬかの瀬戸際だ。段差が激しくタイヤがハマりやすいので、大抵は誰かに押して貰いながら渡る。しかし春野町は田舎なので人通りが少なく、瀬奈々はそこを避けて、遠回りをして線路を渡っていた。
「私も躊躇いましたけど、遅刻しちゃうと思って、無我夢中で取りに行きました。結局、鞄は取ることが出来ましたけど、この日は朝のホームルームには参加出来なかったです」
「……他にどんなことされた? 言ってみろ」
恭一郎はもはやいてもたってもいられなくなっているようで、次第に怒りで血の気が多くなっている。瀬奈々はそんな彼の豹変ぶりに気圧されたのか、真実を包み隠さず話すようになった。
「えっと、煙草の吸殻を、火がついたまま投げられたり、何度も平手打ちされたり、あと……」
「なんだ?」
「無理矢理、制服を脱がされたこともありました。大声を出したので、すぐに逃げてくれましたけど、あの時は本当に……」
そこまで言って、瀬奈々は泣き出してしまった。恭一郎は怒りで顔を朱に染めた。
「お前を虐めた奴の名前は何だ!」
すると瀬奈々は泣くのを止め、俯き加減になって恭一郎に告げた。
「要 一っていう人です。1年生の中で、特に悪い人だと聞いています」
「分かった、ありがとう。お前の母さんははそのことを知っているのか?」
「知っていますけど、言えないんです」
「どうして!」
「実はこの人、お父さんが町議会議員、お母さんが春野病院の副院長を務めているんです。いじめを告発しても、権力の前に倒れるのは明白だって、要さんに言われました」
恭一郎は頭を抱えた。このまま瀬奈々が虐められる姿を見ていくしかないのか……。二人は絶望の淵に叩き落されたような気分になった。
「私、恭一郎先輩を巻き込みたくなくて、どうしても言えなかったんです。先輩は将来有望で、都会の医療系大学に進学したと聞きました。だから、先輩の将来を私なんかのために不意にしてほしくないんです」
瀬奈々の目から、再び涙が零れ落ちる。しかし、恭一郎は首を横に振った。
「これ以上お前の悲しい顔を見たくないんだ。あいつは俺がどうにかする」
「先輩、駄目ですよ。そんなことしたら……」
「心配するな。俺に任せろ」
恭一郎はあくまでも笑顔だった。追い詰められてもなお、こんな顔をすることが出来る彼を見て、瀬奈々は更に泣いてしまう。自責の念に駆られている彼女は、恭一郎の腕を掴んで泣きじゃくった。下手をしたら、恭一郎が危険な目に遭うかもしれない。そんな不安が、二人の頭の中をよぎった。
暫くして、恭一郎は瀬奈々の家を出た。まさか自分の恋人が、一年経ってこんなことになっていたとは。彼女は未だに泣きながら、恭一郎を見送っていた。
家に着いた時、引っ越しの準備はほぼ終わっていた。両親が疲れ果てた表情で座っている。
「ごめん、遅くなった」
「いくらなんでも遅過ぎるぞ。何時だと思っているんだ」
晴彦が愚痴をこぼし、時計を見る。しかし、恭一郎は溜め息をつくことしか出来ずにいた。瀬奈々が性的暴力を振るわれそうになった事実、要という奴の暴走を止められないという悲痛な現実。全てが彼に重くのしかかる。彼は空腹だったはずなのに、そのまま自分の部屋に引きこもってしまった。
「恭一郎、ご飯食べないの?」
「いらない。置いといて」
虚無感に襲われながら、寮から持ってきたノートパソコンを開く。実家から帰ってきた後に学校に行き、所定の枚数のレポートを提出しなければならなかったのだ。タイプする音が響くが、それは最初だけだった。次第に行き詰っていき、一時間後には全く進まなくなってしまった。どうしても瀬奈々のことが思い浮かぶ。仕方なくノートパソコンを閉じて横になると、スマートフォンに着信が入る。誰かと思って電話に出ると、若干アニメ声な、ある後輩からだった。
「もしもし」
「恭一郎先輩、お久しぶりです。二年生の八田 弥生です」
「八田か。元気だったか?」
「おかげさまで、無病息災でございます!」
恭一郎は久方振りの後輩との再会に喜んでいた。しかし、何でいきなり? 疑問もあったが、今は何も考えたくないという思いが勝り、十数分ほど会話を楽しむことにした。
「今日、瀬奈々に会ってきたよ」
「え? じゃあ、春野町にいるんですか!」
「ああ」
そういえば、ここへは引越しの手伝いと、高校の定期演奏会を見に行くために来たのだ。いつの間にか、こんなに重苦しい気持ちになってしまったのだろう。
「定期演奏会、見に来ますか?」
「勿論」
「ありがとうございます! 終わったらご指導のほど、お願いします」
その後何度か話した後、恭一郎は電話を切った。彼は八田から活力をもらったような気になり、再びノートパソコンを開ける。そして、今までの倍の速度でレポートを執筆し、日付が変わらないうちに全ての作業を完了させてしまった。
しかし、彼の中に達成感というものはなかった。瀬奈々を危険な立場から解放してあげなければ……。レポートと言う余計なものが終わってから、彼は本格的に彼女を救う方法を考え始めた。インターネットを開き、いじめを無くすための情報を、少しでも多く集めようと努める。
結果は駄目だった。いじめで困っている人は多いようで、恭一郎が検索して引っかかったサイトも、虐められた人たちのコミュニティーのようなものであったり、恭一郎と同じような悩みを抱えている人が質問を投じていたりと、彼にとって参考になるサイトは一つもなかった。
「駄目か……」
すると、再び八田から電話がかかってきた。こんな夜中になんだ? 彼はノートパソコンを閉じ、電話に応じる。
「どうした」
「瀬奈々ちゃんに会ったって言ってませんでしたか?」
「言っていたけど」
「あの子、虐められているらしいんです」
「知ってる。今日聞いた。要 一っていう一年坊主にな」
どうやら吹奏楽部の人たちは瀬奈々が虐められていることを知っているらしい。彼は少し安堵しながら八田と話している。するとその直後、八田は思わぬ爆弾を落とした。
「私、彼について幾つか知っていますよ」
恭一郎は眠くなった頭が一気に醒めたことを覚え、勢いづく。
「どんなことだ」
「彼の素顔、色々と」
「教えてくれ」
その情報は、彼にとっては喉から手が出るほど欲しい。しかし、今は深夜0時を過ぎており、相手側の事情もある。八田は慎重に言葉を選んで恭一郎に告げる。
「明日の午後3時、春野高校の前で待っていてください。それと申し訳ないんですけど……」
「なんだ」
「情報料として、甘いお菓子、欲しいです」
八田は大の甘党で、部室でもチョコレートやジュースを常備している。差し入れに甘いお菓子が渡された時には、小躍りなんてしていたほどだ。恭一郎はそれをしっかりと覚えており、二つ返事で了承した。
「適当なものでいいか? チョコレートとか、サイダーとか」
「嬉しいです! 待っていますね!」
甘いお菓子や飲み物の名前を聞いただけでテンションが上がるとは、あいつらしいな。恭一郎は電話越しに微笑を浮かべて、八田との連絡を切った。しかし、あいつはどんな情報を持っているのだろう。彼の中にちょっとした疑問が生まれた。




