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夏休み  作者: くらげ
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第二話 瀬奈々

 春野町についたのは正午を少し過ぎた頃だった。昼間なのに歩いている人は殆どおらず、バスターミナル内では有線放送から流れる歌謡曲が悲しげに響いている。恭一郎はバス内で飲んだコーヒーの缶を捨てた後、まっすぐに実家へと向かった。


 実家に着くと、既に引越しの準備が始まっているようで、近所の人たちが何人か手伝いに来ていた。


「おお、恭一郎じゃねえか」

「お久しぶりです」

「都会はどうだ? 楽しいか?」

「案外住みづらいですよ。僕はお勧めしません」


 還暦を過ぎたと思われる隣の人と取り留めのない話をした後、彼は玄関へとたどり着いた。奥で忙しなく動いている両親の姿を確認した後、彼は靴を脱いでリビングへと入る。


「二人とも、ただいま」


 その声を聞いた両親は作業の手を止め、久々に里帰りした息子との再会を喜んだ。


「恭一郎、元気だったか?」


 父親の晴彦が恭一郎の肩を叩く。恭一郎はすっかり老けた父を見て感慨深い気持ちとなった。


「退職金で都会に移り住むって、母さんから聞いたよ」

「ああ。そんなに出ないものだと思っていたが、思ったより出てな。それで決めたんだよ。みんな、少し休もうか」


 二人は一息つきながら麦茶を飲む。バスの中では缶コーヒー1本しか飲んでいなかった恭一郎の喉に冷たさが染み渡る。周りで手伝っていた大人たちも休憩しており、思い思いのことをやっている。喫煙するものもいれば、無心になって座っているものもいた。


「大学はどうだ。上手くやってるか」

「ついていくのも大変だよ。楽しいけどね」

「それならよかった」


 晴彦は幾分安堵しているようだった。楽しいと思えるのなら、それでいい。息子の希望通りに出来ているのだから……。そこに、母の清子(きよこ)がやってくる。


「あんたなら来てくれると思ったよ」

「俺が今まで父さんと母さんの頼みを断ったことがある?」


 恭一郎が茶化すように笑みを浮かべる。彼は文句を言いながらも、両親との約束は破ったことがなかった。


「母さん、引っ越しの準備が一段落したら、春野高校に行ってくるよ」

「ああ、定期演奏会ね。良いよ、行ってらっしゃい」

「ありがとう」


 両親も恭一郎のことを信頼しているようで、彼の望みであれば余程のことがない限り反対していなかった。恭一郎はモチベーションが上がったようで、コップに入っている麦茶を飲み干すと、すぐに作業に取り掛かった。


「疲れているだろうから、もう少し休んだら?」

「バスの中で寝てきたから大丈夫だよ。この新聞紙はどこに捨てればいい?」


 彼は早速、山積みになった新聞紙を抱える。


「あんたは本当に頑張り屋さんなんだから……。家を出た向かいに、ゴミ捨て場があるでしょう。そこに置いておいて」


 恭一郎が新聞紙を抱えて外に出る。30度を超える気温にへたばりそうになりながらも、彼は自分の出来ることをした。家に帰ろうとすると、学ランを着た三人の男子高校生が楽しそうに喋りながら帰宅しているのが見えた。春野高校の学生だ。彼は懐かしそうにその集団を見ていたが、どこかおかしい。彼が高校に在籍していた時と、何かが違っていた。


 彼らは頭髪を茶色や赤色に染め、耳に複数のピアスをしている。ズボンのポケットに煙草の箱をねじ込んでいる者もおり、不良であることは明らかだった。


「……え?」


 恭一郎は我が目を疑った。彼が在籍していたころは規律が厳しく、現在のようにちゃらちゃらしたことは出来なかったのだ。尤も、学力は低いのだが……。彼は急いで家に戻り、両親に現在の春野高校のことを聞くことにした。


「遅かったじゃないの」

「ねえ母さん、今の春野高校、なんか変じゃない?」


 恭一郎がそう問うと、両親は表情を曇らせた。


「あんたも気付いたかい。この町の高校生はすっかり変わってしまったんだよ」

「どういうこと?」

「今年入ってきた1年生がとびきりやんちゃな子たちでさ、先生方も手に負えなくなっちゃったの」

「そのせいで今まで規則で縛られていた奴らが一気にちゃらちゃらするようになって、ここら近辺の治安は滅茶苦茶だ」


 父が口惜しそうに言葉を絞り出す。恭一郎は言葉を失っていたが、直後に気がかりなことを口に出した。


「そうだ、瀬奈々は?」

「瀬奈々?」

「ん、ああ、愛川さんちの一人娘か」


 そこで先程恭一郎と立ち話をした男が割って入ってくる。彼は手拭いで汗を拭きながら恭一郎と向かい合った。何やら深刻な表情をしており、恭一郎の緊張は自然と高まってくる。


「瀬奈々のこと、知っていますか?」

「なんでも、酷い目に遭っているらしいな。俗にいういじめってやつか」

「いじめ!?」


 恭一郎の表情が凍りつくのが分かり、両親は心配そうな眼差しを向ける。


「この前も、泣きながら帰ってくる瀬奈々ちゃんの姿を見たよ。痛々しくて、直視出来なかったね」

「……そんな」


 そう言った恭一郎は突然立ち上がり、靴を履いて外へ飛び出していった。


「恭一郎、どこ行くの!」

「決まっているだろ? 瀬奈々の家だよ!」


 彼は脇目も振らずに走り出した。瀬奈々がイジメにあっている。その事実を知らなかった自分が悔やまれる。瀬奈々の家は恭一郎の家から近く、走って5分で到着することが出来た。焦った様子でインターフォンを押す。


「どなた?」


 扉をあけて出てきたのは、瀬奈々の母だった。彼女は恭一郎の姿を確認すると、懐かしそうに笑顔を浮かべた。


「あら、恭一郎君じゃない。どうしたの?」

「……瀬奈々はいますか?」

「さっき帰ってきたばかりよ。よかったら上がって」

「お邪魔します」


 靴を揃えて家に上がる。恭一郎の心中は、不安しかなかった。毎日泣いて帰ってくることを想像しただけでも、こっちが泣きたくなってくる。茶の間に着くと、瀬奈々の母はアイスコーヒーを作ってくれた。


「今呼んでくるから、待ってて」

「わざわざすみません」


 そういいながらも、恭一郎はアイスコーヒーに手をつけなかった。コーヒーに映る暗い表情が、その理由を物語っている。ほどなくして、母が戻ってきた。


「もう少しで来るから、待って」


 母が茶の間から姿を消すと、車輪が地面を転がる音が聞こえてきた。恭一郎は自然と立ち上がっており、額に滲む汗を拭う。ドアが開くと、一人の可憐な少女が姿を見せた。


「……瀬奈々」

「恭一郎先輩、お久しぶりです。卒業式以来ですね」


 手動車椅子を操りながら出てきた愛川 瀬奈々は、恭一郎の姿を見るなり顔を赤らめて俯いてしまった。胸まで伸ばした黒髪、まだ私服に着替えていなかったのか、清楚な感じの制服姿である。それは恭一郎が最後に見た瀬奈々そのものだった。どこも変わっていなさそうに見えるが、俯いた顔から覗かせる表情は少し寂しい。


「どうして、私のところに?」

「まあ固いことは良いからさ、少し話をしよう」


 恭一郎は笑顔になって瀬奈々の隣に行く。二人は久し振りに距離が近くなったのを嬉しく思っていた。彼は瀬奈々の手に右手を重ね、優しく語りかける。


「俺たち、付き合ってどれくらい経つ?」

「1年くらいですね。ちょうど去年のこの頃は、全国大会前の夏合宿でしたよね」

「でも、全国には行けなかった……」


 二人は男女の仲になっていたのだ。瀬奈々は昨年の出来事を回想しながら、恭一郎に身を委ねた。とても満ち足りた、天使のように安らかな表情で……。


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