勇者なのに
老朽化を極めたようなこの宿。
トートさんのオススメを信じて、我々は宿へと一歩、足を踏み入れました。
中に入ると、そこはーー廃墟でございました。
ガラスが床を覆い隠し、埃が私たちに容赦無く襲いかかります。勢い良く埃を吸い込んでしまったナルさんは、ゴホゴホと咳き込み始めました。
あたりにも酷く咳き込んで、その場に蹲ってしまいました。そして、地面に手をついた所為で、ガラスで指を切ってしまいました。
「大丈夫ですか、ナルさん。はい、どうぞ」
揚げ芋を手渡して、怪我を治して頂きます。
ナルさんの傷が治ったのを見届けてから、私は宿を見渡します。やはり、廃墟でございますね。
壁紙は所々剥がれ、シャンデリアは壊れております。ですから、酷く暗い。
長居すると陰鬱な気分になりそうでございますよ。やはり、ここで泊まるのはやめましょうかねえ。
「来たよー」
「おやおや、トートちゃんじゃないかい」
トートさんが挨拶をしますと、二階から腰の曲がったおばあさんがやって来ました。彼女は朗らかな笑みを浮かべますと、私に近づいて来ます。私に、というよりもトートさんにでしょうか。
「トートちゃん。新しいご主人様が見つかったのねぇ」
「そうなんだー。拾ってきたー」
どちらかというと、拾ったのは私なのですが、まあどちらでもよろしいでしょう。
「トートさん。お知り合いですか?」
「うんー。そう。前に来た時に仲良くなったのー」
「前? 前回トートさんが来た時は二百年前だった筈では?」
二百年なんてあり得ません。
どう見ても、目の前のおばあさんは八十後半といった見た目ですからね。
私の怪訝な目に気がついたのでしょうか。おばあさんが私に説明してくださいました。
「スキルでね。おばあちゃんは年をとらなくなっちゃったのよ。だからこう見えて、おばあちゃんは七百五十九歳なのよ」
「七百五十九歳! 随分お若く見えますね。どう見ても、八十後半でございますよ」
「あらあら。そんなに褒めても母乳は出ないわよ」
そりゃあ、そうでしょうね。出されても困ります。
「で、今日は泊まるのかい?」
「ええ。泊まろうかと思っておりますね」
横目でこの宿の惨状を見つつも、そうお答え致します。
おそらく、マグさんとナルさんは文句ないでしょう。この宿を紹介してくださったトートさんも不服はないと考えられます。
けれども問題は、ミーアさんにありました。
「俺のようなイケメンがこんなオンボロ宿に泊まるのかい? いや、別に良いんだよ。本当はね。幾らボロくったて」
「そうなのですか?」
「ああ。冒険者は時として、こういう場面では妥協するものさ。でも、今回は話が違う」
「ほう。どのようなお話で?」
「この店はまったくもって管理されてないじゃないか。従業員がきちんと働いていない宿に泊まるのはごめんだよ」
まあ、仰る気持ちは共感できますね。
私もプロマグナト店員として、きちんとした労働をする義務を感じております。
きちんとした働きがなされていないお店には、あまり好印象は抱けませんね。
まあ、でも、これからまた新たに宿を決めるのも面倒でございます。どうにかここに決めたいのですが。
それにきっと部屋は普通の筈です。ええ、きっお。おそらく、多分。
「あのですね、ミーアさん」
「でも、まあ、いいさ。一日くらいは我慢してあげるよ。でも、その代わり……」
急に心変わりなさったミーアさんが、私から目を逸らします。どうなさったのでしょうか。
「きょ、今日の宿代を奢って、くれないかな?」
「構いませんが。どうかなさったので?」
「……女の子に全部貢いだ」
この方、ダメな方の勇者様でございますね。
「では、今日はここに泊まるということで」
おばあさんにメルカを支払い、我々は部屋に案内されました。
取った部屋は二つ。
私は男ですからね。念の為に二部屋でございます。安かったので問題はありません。
「じゃ、マグと青方はこっちの部屋だから」
そういって、マグさんが私の腕を掴みます。
「待て。君次と寝るのは妾だ。マグにも譲らないからな」
「洗脳された癖に」
「あ! あれは仕方ないだろうが」
喧嘩が開始されました。
「別にいいじゃないか。部屋割りなんて。俺が二人とも可愛がってあげるからさ」
「ミーアは黙って」
「勇者は人でも救ってろ」
マグさんとナルさんの鋭い言葉によって、ミーアさんの表情が固まりました。そのような彼女の反応を気にかけず、二人の口論はどんどんエスカレートしていきます。
間に立たねば。
「お待ちください。ここはミーアさんの仰る通り、三・一で別れましょう。それが健全です」
「うん」
そう言うと、マグさんとナルさんは私の腕を掴み、部屋へと引きずり込みました。部屋に鍵が閉められます。
ドアの向こうで、女泣きを繰り広げるミーアさんの声が轟きました。小さな声で「勇者なのに。勇者なのに」と呟いておられますね。
「おやおや、これは」
部屋にいざ入ってみますと、我々は全員目を見開くこととなりました。
この部屋を一言で言い表すのならば、
「王宮、ですかね」
あまりにも豪華な内装のお部屋でございました。塵一つないお部屋でございました。




