壊します
私は猫耳少女さんを抱き締めました。
恥ずかしさからでしょうか。鼻がムズムズ致します。大衆の面前でこのようなことをするだなんて、何て破廉恥な、という方もいらっしゃるでしょう。
だからどうした。
「お前……何を」
「さぁ、召し上がれ」
「む!」
彼女の唇に、揚げ芋を差し込みます。彼女はそれを咀嚼して、そして飲み込みました。
きょとん、とした顔をしております。
「何?」
「ええええ!?」
猫耳少女さんはきょとん、とした顔を継続しております。え、おかしいですよ。
普通、マグナト商品を初めて食べたら、もっとこうーーあるでしょう?
涙を流すなり、今迄の人生を悔いるなり、もっとリアクションを取って頂かないと、当店としましても対応致しかねます。
私が困惑していますと、猫耳少女さんはそのお口を容赦なく開きました。
「それ……だけ?」
「なん、ですと」
この世界おかしいのでございますよ。狂っています。
い、いいえ。
マグナトの接客マニュアルに敗北の二文字は記載しておりません。きっと、彼女はあまりもの美味に、困惑していらっしゃるだけなのでございましょう。
あぁ、何とお可哀想な猫耳少女さん。
「何をやってるんだ。俺たちは金を払って見に来てるんだぞ!」
観客席が怒声で満ち溢れます。
人が接客をしている最中に、何事ですか? 本当に野蛮でございますね。どうしてそのように怒りっぽいのでしょうか。
バーガーが足りていませんよ、バーガー。
習いませんでしたか? 身長を伸ばしたいときにはバーガー、目を良くしたいときにはバーガー、苛々を解消するにはバーガー、と。
そのようなことも知らないだなんて、もうバーカバーカ、でございます。
「猫耳少女さん、こちらへ来てください」
もうこのような方々に構っている暇はないのでございますよ。私は知ってしまいました。
この世界は腐っています。
この腐敗を見過ごすことは、飲食業系のプロ(アルバイトではございましたが)としてはできません。
私は猫耳少女さんに手を伸ばし、問いかけました。
「さあ、私の手をお取りください」
「で、でも……この手はき、きたない、から」
「汚い? どうしてですか?」
「魔界族、で。メルセルカじゃ、ない」
猫耳のことを仰っているのでしょうか。
おそらく、この世界では猫耳がある人間のことを魔界族と呼んでいるのでしょう。そして、差別の対象としているようです。
猫耳少女さんは続けます。
「手を伸ばして貰う権利なんて、ない。魔界族で、奴隷で、汚い……から」
「……」
「……お前の手を汚してしまう」
彼女は今迄沢山、人から罵られてきたのでしょう。魔界族として、メルセルカたちから毎日心を壊されていたのでしょう。
彼女は己をまるで汚物のように考えてしまっているのです。
それに加えて、何かを殺したという罪の意識。
そのような自分では、誰かに手を伸ばして貰う権利がないのだと、そう決めつけているようです。
この世界の常識ならば、彼女に手を伸ばすことは禁忌なのでしょう。
けれども、私はマグナト店員です。
そう、メルセルカであるとか魔界族であるとか、そのようにちっぽけなことは気に致しません。お客様はみな神様なのですから。
私は地面に片膝をつき、一度は拒絶された手を再度差し伸べました。
「手をお取りください。今日から貴女様は私のお客様です」
空気が凍り付きました。それもその筈でございましょう。
お客様という言葉は、あくまで同じ種族が用いる言葉でございます。
本来、魔界族には、奴隷には決して使われない言葉。それでも彼女をお客様と表したということは。
それはつまり、魔界族も奴隷も関係ないのだと宣言したことと同義でございます。
意味を把握して、アリーナには二つの動きが生じました。一つは困惑。そして、もう一つが、
「……う、うぁ」
猫耳少女さんは顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、私の表情を伺っていました。
私が笑顔を返しますと、彼女はこちらへと手を伸ばしてきました。
本当に大切な物に触れるかのように、恐る恐る壊さないように、けれどもしっかりとーー手を取ってくださいました。
「さぁ、行きましょうか」
「……何処へ? ここからは逃げられない。もう二人で死ぬしかない」
「決まっています。今日はテイクアウトでございます!」
アリーナの壁へ向かって歩を進めます。壁に数度軽く触れて、強度を確認しておきます。
「どうするつもり?」
「壊します」
「え?」
息を吸い込み、全力で拳を壁に叩き込みます。
「会場の皆様、ご覧下さい! 憐れな死刑囚が、無駄な抵抗を行っております! あの壁は龍の一撃すら防ぐ壁。メルセルカにはとても破壊できません」
会場が一変して、侮蔑の笑いに包まれました。観客たちは私に石やゴミを投げ付けます。
ゴミ箱はこちらではございませんよ。
二度目の打撃を敢行致します。
「もう、やめて」
「まだです」
拳は傷付き、血液が流れています。ですが、このようなことで諦める訳には参りません。
「私は知らなかったのです」
拳が壁を強く打ちます。それと同期して、我が拳からは血液が溢れました。
「まさかマグナトがないだけで、人々がこんなにも歪んでしまうだなんて!」
「……よくわからないけど、多分違うと思う」
「マグナトがないから、人々はここまで残酷なのです。私は早くマグナトを作らないといけません! ですから」
このような場所で諦める訳にはいかないのでございます。
「は、馬鹿なメルセルカだ。魔界族の相手なんかするから壊れちまった! 壁が壊……なんだ。この揺れは?」
「マグナト店員を舐めるなあ、でございますよ!」
『創造せよ、至高の晩餐』により強化された身体能力の殴打によって、壁には亀裂が走ります。
慌てて観客たちが逃走を開始しました。
「ば、化け物だぁ!」
「否です。記憶に留めて置きなさい。これがプロマグナト店員で、ございます!」
渾身の一撃。
壁が爆音を奏でながら、木っ端微塵に粉砕されました。
「凄い」
「マグナトは奇跡を起こし、常識をぶち破るのですよ」
「凄いのはお前だと思う」
「それよりも、貴女様のお名前を決めましょう。ないのですよね?」
「うん」
ならば、私に良い考えがある。
「貴女様のお名前は、今日からマグでございます」
「マグ」
「はい。ほらご覧下さい」
崩れ落ちた壁の先には、世界が広がっていました。澄んだ青い空、何処までも続くような地平線。
まるでマグさんの新たなる誕生を祝うかのように、世界は輝いておりました。
「凄い」
「いつか。貴女様にマグナトを美味しいと言わせますからね」
さあ、歩き出しましょうか。