幸せにできませんでしたね
日記には人助けの話が書いてあった。こういうことで困っている人がいるから、こういうことをしよう。
そのような具合に、様々な人をどう助けようかと迷っている様子が、日記には書かれていた。
まるで人助けの教科書のようであった。
また、この日記には他のことも書かれていた。そう、僕のことである。
孫はやっぱりかわいい、などと書いてある。僕のどこがかわいいのだろうか。
人助けの話は徐々に少なくなり、日記には焦りのようなものが生まれてきていた。
最近、身体が思うように動かない。
年だから仕方がないと思うのだが、どうやらそういうレベルを超えているようだ。
通院についても書かれている。
そして、およそ二週間前くらいには、
『もう人助けは無理そうですね。残念でございます』
と、そう書かれていた。
僕は驚いた。毎日、僕に対して幸せがどうの、人助けがどうのと語っていたおばあちゃんは、この時、もうそれらから引退していたのだ。
『けれども、私にはまだ残された使命がございます。あの子を、きーちゃんを最後に幸せにせねばなりません』
僕を幸せにする?
『あの子は幼い頃に両親を亡くし、それでも気丈に己を保ってきました。年不相応のその態度は周囲からーー』
そこに描かれていたのは、僕の境遇。僕が捻くれてしまった理由。
『私はもう何年、彼の笑みを見ていないのでしょうか。実に寂しく、また己の無力さが恨めしいのでございます』
確かに、僕は笑わなかった。それどころではないし、意味もなく笑う程酔狂でもなかったのだ。
「結局、僕のこと何か誰も見てないんだ。おばあちゃんだってそうさ。最後まで、僕が嫌だって言ってたマグナトを……」
そして、一週間前。
おばあちゃんは包丁を握れなくなっていた。
『手が震えるのです。少し重いものを持っただけで、これ。もう料理はできませんね。残念です』
料理ができなかった?
おばあちゃんは生き甲斐と言えるものをどんどん失っていっていた。
人助けもできず、料理もできない。おばあちゃんはそれ程に、弱っていたのだ。
僕はそれに気が付かなかった。いつもにこにこと笑っているおばあちゃんは、きっと辛いことなんて一つもないのだと思っていた。
『これからのお食事をどうしましょうか。ああ、そうです。そうでした。あれがございましたね』
あれ、とは何だろうか。
『マグトナルト。あれは実に良いですね。きーちゃんがご両親を失って悲しんでいた時。彼が笑わなくなってから』
「……」
『少しでも慰めようとした私が連れて行ったチェーン店。あそこの幸せ包み』
思い出す。
僕が初めてマグナトに連れて行って貰った時のことを。僕の両親は一切、ジャンクフードを与えてくれなかった。それはいいことなのだが、同級生の中で僕だけがその味を知らなかったのが寂しかった。
両親が死んでから、ある日。おばあちゃんが連れて行ってくれたのだ。
そこで初めて手にしたのが、幸せ包みであった。僕は玩具というものを生まれて初めて手にした。
今にして思えば幼稚である。
ただ、ボタンを押せば笑う人形。
けれども、何故だろうか。妙に嬉しくて、こんな玩具が貰えたことが誇らしくて、ついつい僕は笑ってしまったのだ。
『私はもう一度、あの子の笑顔が見られるでしょうか?』
答えなんか知れている。
僕は笑顔を見せるどころか、怒ったのだ。
そして、おばあちゃんが亡くなった日。
『怒らせてしまったようですね』
震える文字で、そこには後悔が描かれていた。
『もう、私はここまでのようでございます。私はどうして、彼を幸せにしてあげられなかったのでしょうか』
「僕は……」
『私がしてきたことは間違えだったのでしょうか』
「違う。みんな、おばあちゃんに感謝してた」
本当は僕だって、おばあちゃんに感謝していた。
誰もいなくなった日。僕の隣にいてくれた。
暗い夜の日。僕と一緒に寝てくれた。
僕が笑わなくなった日。本当は僕と同じくらい悲しい筈なのに、僕の代わりに笑ってくれた。
「どうして……いなくなるんだよ。どうして、あんな最後になるんだよ。僕だって、本当はーー」
頬に冷たい感触が走る。
僕は首を振り、その事実を認めない。
『幸せにできませんでしたね』
僕は黙って日記を閉じた。そのまま、茫然自失としてリビングに向かった。
そこには、昨日僕が薙ぎ払ったマグナトバーガーがあった。
「……」
無意識だった。
手を伸ばし、食べていた。
ああ、どうして僕は素直になれなかったのだろうか。いつも、思ってはいたのだ。心の奥底、自分でも気が付かない場所で、僕は確かに感謝していた。
「言えば良かったんだ」
ありがとう、って。
たった一言。それだけで良かった。それだけで、おばあちゃんはきっと喜んでくれたのだ。
「美味しい、よ」
おばあちゃんが死んでから初めて食べたマグナトバーガーは、幸せの溢れる味がした。
美味しいとか、美味しくないとかではなかった。
おばあちゃんの愛。
それが詰まった、最高に幸せな食事だった。
僕は顔中を涙で濡らして、謝りながらバーガーを口にした。
「美味しいよ。凄く、幸せな味がするよ。ありがとう」




