第三話 取引
「いつ来ても変わらんなこの街は」
大通りを人が行き交いそこかしこで屋台が開かれ美味そうな料理の匂いが立ち込めている。
「最初に馴染みの宿に向かう。はぐれないようにな」
歩き始めて数分後ろから少し引っ張られるような感覚があった。気になり後ろを見るとリーネが私のマントの裾を掴んでいた。不安だから......ではなくはぐれないためだろう。そうとは分かっていても心には暖かいものが、口には苦いものが広がるのは止めようがなかった。
私がこの街に来るたびに利用している宿、木洩れ日亭は幸いなことに健在だった。それほど大きくはないが綺麗な外観の二階建ての建物がそれだ。実は中々に歴史がある宿屋なのだがいい意味でそれを感じさせない。ドアを開け受付まで歩いていく。
「いらっしゃいっ、て貴方でしたか。お久し振りです」
「ああ。今日は宿を使いたいんだが空きはあるか?」
この宿屋は料理屋もやっているので、宿をと断っているのだ。
「はい。偶然ですが前回泊まっていただいた部屋が空いてますよ。......おや? そちらの方は?」
私の陰に隠れるように立っていたリーネに気付いた受付が疑問の声をあげた。普段私は一人なので疑問に思ったのだろう。
「私の連れだ。部屋は同じで構わない」
「それでしたらベットはツインとダブルどちらになさいますか?」
「ダブルで頼む」
「畏まりました」
私と七歳ほどの少女というのは非常に奇妙な組み合わせに見えたことだろう。顔は似てないから親子だとは思えないだろうし、それにリーネは珍しい白髪赤瞳だ。これで興味を持たないほうが稀だろう。しかし受付の男は特に詮索することなく私に部屋の鍵を渡し頭を下げた。こういった気が利く所も私がこの宿を贔屓にしている理由だ。
◇◇◇
宿の部屋に荷物を置いてある場所を目指す。目的の家は宿から歩いて十分ほどのところにある。人通りは大通りと比べて非常に少なくかなり歩きやすい。人とぶつからないように注意を払う必要がないので周囲の景色を楽しむ余裕がある。景色を楽しむと言っても前に来たときとの違いを探すといったものだ。
そうこうするうちに目的地につく。その家は見るからにオンボロだった。この家に住んでる人物は非常に優秀な科学者だ。しかしその分頭もぶっ飛んでいる。国が禁止しているある実験を行っているのだ。
「入るぞ」
本人からノックは不用と言われているが一応ノックをする。最低限の礼儀というものだ。
ドアは当然の如く鍵がかかっていなかった。木製のドアを開けると最初に私たちを出迎えたのは家主......ではなく異臭だった。比喩表現でなく鼻が曲がりそうになる、そんな強烈な臭いだ。
何回もこの家に来て臭いのことを知っていた私は用意していおいマスクを着用する。そして私が着けたものよりもだいぶ小さなマスクをリーネに渡す。彼女はそれを、受け取ってすぐに着用した。無表情に見えたがどうやらこの臭いには彼女も堪えたらしい。
「おい! 早くドアを閉めてくれ! 臭いが逃げるだろう!!」
私が異臭の前に心の準備をしているとドアの向こう側から怒鳴り声がする。最後に一度大きく外の新鮮な空気を吸った私は急いで家に入りドアを閉めた。無論リーネも一緒だ。
家の中はしっかりと片付いている。どこに何があるのかすぐに分かるような配置でものが置かれている。埃などのゴミもまるで落ちていない。これで臭いさえなければ完璧なのだが。などと益体もないことを考えていると奥から家主が歩いてきた。
身長は百八十程と高いが猫背のせいでそう見えない。よく見ればかなり端正な顔立ちをしているのだが痩けた頬と目の下の隈のせいでそれに気づけるのは少数だろう。もっともこの男にとって自分の容姿というのはかなりどうでもいいことなのだが。不健康そうな顔に反して着ている服は綺麗なものだ。臭いだって異臭はするがそれは垢などの代謝物の臭いではない。
「お前だったか。久し振り......か? まあとにかくあがれ」
「お邪魔する」
家主――クロノ・エントリオは私の陰で佇むリーネを見付けるとどこか面白そうに呟く。
「その子が例の」
「お前には興味がないことだろう。早くするぞ」
私が警戒しながら喋る。ある意味この男は最もリーネに会わせてはいけない人間かもしれないのだ。何故ならこの男が研究しているのは魔族と人間のハイブリッドの作り方なのだから。
魔族とは一般に知能を持ち高度なコミュニケーションを交わすことが出来る人間以外の生物のことを指す。しかしこの男の場合、魔族とは人間と動物以外の魔力を持った生物を指している。
そしてこの男の目的は人間に魔族と同じだけの力を持たせることだ。当然人体実験やらなんやらも行っているようだが......私にはどうでもいいことだ。目の前でやられたら助けるかもしれないが、な。
「どちらを先にする?サンプルか?」
「別に期限が近いわけではないだろう。それならサンプルを先に済まそう」
わかった、そう答え腕をまくる。
「そこの椅子に座っててくれ」
「ああ。なるべく早くな」
これ以上この場にいたら鼻が使い物にならなくなる。私が言われた椅子に座るとその後ろにリーネが立った。用事が終わるまでまだいくらかかかる。その間ずっと立ちっぱなしというのは堪えるだろう。
「すまんこの子にも椅子を用意してくれないか」
「そこら辺にあるのを適当に使っていいぞ。但し実験器具には触るなよ」
「悪いな」
椅子を尻の下に置いてやるとリーネは素直にその上に座った。幸いなことに椅子は汚れておらず直接座ることが出来た。
「よしよし、待たせたな。では早速サンプルの採取といこうか」
クロノは何本も注射器やハサミが置いてあるトレイを持ってやってきた。これからやることは既に何度も体験済みではあるのたがそれでもそのトレイを見て薄ら寒さを感じずにはいられなかった。
◇◇◇
「では血液注射器五本分、髪の毛五束、爪二十枚確かに採取した」
肩口まで伸びていた髪は今は首にかかるかどうかになっていた。まあこの時のために伸ばしておいたものなので未練はないが。因みに一応言っておくと爪二十枚とは伸びて白くなっている部分だ。決して生爪ではない。
「悪いな私の研究に賛同してくれる者は少なくてな。君ぐらいしかサンプルを採取させてくれないんだ」
「どうでもいいから早く例の物をよこせ。お前を襲いかねんぞ。それに私はお前の実験に賛同しているわけではない」
襲うというのは冗談だが早く渡してもらいたいのは事実だ。こんな臭いところ一刻も早く出たい。
「そう急かすな。早く実験を再開したいのは私も一緒なのだから。ほれ」
クロノは私に赤い錠剤が大量に入った瓶を渡してきた。これさえ手に入れればもうこんな場所にようはない。
「ではさらばだ。また来る」
リーネを伴って足早に家を出た。
◇◇◇
未だ異臭が立ち込める部屋で一人になったクロノは呟いた。
「感情が許容量を越え髪と瞳が変色する......か。興味深い現象だ。しかしなにより気になるのは許容量を越えた感情は恐怖か憎しみか怒りかそれとも.....悲しみか」
それによって今後の運命が変わってくるだろう。そうクロノは思った。
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