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毒林檎の罠  作者: AIR
5/6

[4] 歪曲



「学校はどうです?楽しめていますか?」



 校内での私の立場を知ってるだろう男は、あけすけに物を言ってきた。


 疲れを癒やすためにつけていたお気に入りのホットマスクを外し、存外近くにいたヨルを見遣る。

 ヨルのこういうところが嫌だ。

 こちらが隠そうとしているものを平気で突こうとする、その無粋なところが。



「私が楽しめてる様に見えるなら、あんたは一度、その目を酸性湖で死なない程度に洗い流してきた方がいいわ」


「そうおっしゃらず。なかなか悦に入っているのでしょう?」


「………アルカリ性の湖にしたいのかしら?どこかの国に、触れただけで生物を石にする死の湖があるそうよ」


「おお、怖い怖い」



 肩を竦めてかぶりを振るヨルだが、その顔に怯えの色はない。

 ムカついたのでヨルの向こう脛を蹴ってやった。

 苦痛に歪むのも一瞬、どこか興奮した面持ちになるやつは、やはり紛うことなき変態だ。



「学校は私の自治領。あんたなんかに手出しさせないわ」



 勿論です。

 ヨルは朗々とそう返し、私の頬にできた傷痕に口付けた。






 翌日の校門前。

 ヨルに車で送ってもらうと、そこには会いたくもなかった男の姿があった。


 戸川だ。



「ああ、同じクラスのやたらと貴女に絡んでくる男ですね。どうします?」


「どうもしないわ。見送りありがとう」


「………お気をつけて」



 威嚇を兼ねた挨拶くらい、とぶつぶつ物を言うヨルの頬にキスをすれば、呆気ないくらいにやつはしおらしく去っていった。

 実に操りやすい男である。


 一方の……と戸川に視線をやって、私はさっそく後悔した。

 目が合った瞬間に微笑まれたのだ。

 なんて薄気味悪い。



「妬けるな。俺の前で、見せつけるように乳繰り合って」


「彼氏でもない男に配慮しろと?笑っちゃうわ」


「そうだな、まだ彼氏ではないな。さっきの男も同様だろ」



 まだ、まだですって?

 笑止千万。


 戸川の戯言を無視して歩き出した私に、やつは苦笑い。



「………焦らすのが好きだな。意地を張る女は落とし甲斐がある」



 知るか。

 手に持った鞄を戸川に投げつけたい衝動に駆られたが、非常に良い働きをしてくれる私の理性が制止をかけた。

 いくら私にとってうざい男でも、校内ではそれなりに地位のある男。

 下手なことをして面倒が増えるのだけは御免だ。



「姉さん……」



 ここには、弟と寵愛姫、その取り巻きたちもいるのだから。


 戸川が校門にいたのは風紀委員の仕事だとして、弟たちは……ああ。

 確か、取り巻きの一人が生徒会役員なんだっけ?

 臨時で手伝いに駆り出されたのだろうか。

 どうでもいいけど、メンバーが勢揃いなのには笑っちゃうよねえ。

 流石は仲良しグループだ。



「姉さん、やっぱりあの噂は本当だったんだ。淫乱女。あんたと同じ血が僕に流れてると思うと、ゾッとするよ」



 それは奇遇だ。

 私も思う。



「今度の標的はそいつってわけ?見境ないね、僕たちを産んだあの女と同じ」



 いつもに増して、弟の言葉が鋭さを帯びている。

 私はそんな弟を一瞥もせず、弟の口から発せられる悪口雑言はただのBGMにした。

 取り巻きたちも口々に私を責め立てているようだが気にしない。



「いいのか?言われたままで」


「………」



 戸川が何か言ってくるが、それさえスルーした。

 遠くで「姉さん!」と弟の叫び声が聞こえた気がしたけど、振り返ることはなかった。



 少し、誤解があるかもしれない。

 私は弟を疎ましく思ったことも、まして憎んだこともない。

 生まれてこの方ただの一度も、だ。


 例え弟が私を恨み、復讐を企てようとも、私の可愛い弟であることに変わりはなかった。


 ただ、私は歪んでいる。

 弟を愛しく思っても両親の暴力から救ってやらなかったし、そのまま弟が壊れてゆく様を静かに鑑賞していた。


 それは何故か。

 理由を言葉で表すのはとても簡単だった。


 ―――弟に、私と同じになってほしかったから。


 それだけだ。



 ………と、いうか。



「いつまで着いてくるの?風紀委員の長が率先して仕事サボってどうするのよ」



 昇降口に入っても私の傍を離れない戸川を詰れば、やつはむずがるように私の肩に手を置いた。

 問答無用で払い除ける。



「サボってねえよ。個別指導だ。じゃじゃ馬には腕のいい調教師が必要だろ」


「あんた、何考えてんのよ。以前までは他のやつらと同じ様に私を非難していたクセに、どういう風の吹き回しかしら」


「単純な好意……と言いたいところだが、どうせお前にはそう映らないだろう。裏ばかりにしか目のいかない女だしな」


「節穴って言いたいの?」


「まさか。大当たりだ。俺はお前が何を考えてるか知りたい」



 お互いの吐息がかかる至近距離で、問い詰められる。

 何を、ねえ。

 あんたには関係ないでしょうに。



「妙な事を企んでる。違うか?これまでまったく接点のなかった俺にだってすぐに分かった。あんたは歪んでる」


「そんな女の尻を追いかけるあんたも相当なものだわ」


「………お前は、常軌を逸してるぞ」



 ただの空気の読めない粘着質な男かと思っていたけど、割とそうでもなかったらしい。

 なかなかに慧眼の持ち主だ。

 常軌を逸してるだなんて、最高の褒め言葉。



「なあ、おかしな領域に足を突っ込むことはない。俺にしておけ。ドロドロに甘やかしてやる」



 そう言って私を抱きしめようとする男だが、二度目はない。

 やつの足の指先を、全身全霊の力を込めて踵で踏み付けた。



「~ッ!」


「そういう台詞にはもう飽き飽き。私、愛されるだけじゃ足りないの。貴方には、一生かかっても補えないものが欲しいのよ」


「ま、待て!」


「じゃあね、さよなら。戸川くん(・・・・)



 戸川に背中を向けてから思ったのだけど、どうせなら顔面くらい踏んでやれば良かった。






 派手な修羅場を目撃したのは、それから数分後。



「ねえ待って!どこに行くの、普くん!」


「やめて、もうやめてよ!」


「関わらない方がいい!あの人はおかしい!」



 教室まで聞こえてきた盛大な嘆き声に、ひょこっと顔を覗かせてみれば、廊下で泣きわめく女子生徒―――嶺朱理がいた。

 彼女の取り巻きたちは必死に宥めようとしていたが、効果はなく。

 彼女が涙ながらに訴える相手、私の弟も、彼女の言うことに聞く耳は持っていない様子だった。



「どうしちゃったの普くん!戻ってきてよ!」


「………」



 弟はそのまま、視線が絡んだ私のもとへ一直線。

 にっこ~り笑ってやると、乱暴に腕を掴まれた。

 で、無理やり引っ張られて、どこかに連行される。



「ダメだよ普くん……っ」



 愛しの彼女が何か言ってるよ~?

 いいのかな。

 あ、いいのか。



 そしてどこかの空き教室に投げ入れられ、うん、ゴミでも捨てるようにポイッとさ。

 背中を打ってしまった私は痛みに悶えた。


 てか、なんたる偶然。

 ここってば、あの子が話があるって連れてきた場所じゃないか。



「姉さん……」



 ガチャリ、と扉の鍵を締めた弟。

 薄暗い室内が静寂に包まれる。


 あの子、いいの?と問えば、関係ないと一刀両断された。

 女神さまに対する信仰心はどこやった。



「姉さんこそ、いつからそんなに淫乱になったの?今もどこの馬の骨とも知れぬ男の家に住んでるんでしょ、気持ちが悪い……」



 弟は倒れ込んでいた私に馬乗りになり、首筋に両手を添えた。



「殺してやるッ。あんたみたいな姉、いらなかった!双子だから何?あんたは一度も僕を助けてくれなかった、外道じゃないか!何度も何度も叫んだ!助けてお姉ちゃんって!けどあんたは無かったことにした!僕への虐待、そのすべてを!」



 喉に爪が食い込む。


 幼い頃はそっくりだった私たち。

 けれど成長期にはお互い男女の性差が現れ、身長も体重もまったく異なる様になった。


 一卵性の双子だったら良かったのに。

 私は何度もそう思った。



「いつも憎くて、殺してやりたかった!双子なのにどうしてこうも違うんだって!全身に流れる血を掻き毟りたかったよ!あんたと同じ血なんていらない!」


「かっ、……は」


「ねえ今どんな気分?実の弟に殺されそうになるのって!」



 苦しい。

 意識が遠くなる。

 あれだけ痩せ細っていた弟は、いつの間にこんな力を得たのだろう。


 弟はふと、ひどく柔らかな表情に変わった。



「姉さん。僕、後遺症があるんだよ。暗闇と、人に触られることが苦手なんだ。あの頃を思い出して、胃の中の物をすべて吐き出してしまう」



 それは知っていた。

 私たちを引き取った中年夫婦が、弟に対しては特に気を遣っていたから。



「それだけじゃないよ。パニックになるんだ。頭の中が真っ白になって、不安に押しつぶされて、何もかもが怖くなる。その時だけは、自分が何をしたのか正確に覚えてなくてね」


「対人関係を築くのも苦手だよ。後遺症のおかげで初めは見る人すべてが敵だった」


「ようやく普通の学校に通えるようになって、朱理たちに出会って、自分が変われたと思った。なんて幸せなんだろうって」


「でも違った」



 酸素が足りずに、頭がシャットダウンしそうになる。

 しかし、弟は何故かそのタイミングで首への圧迫をやめた。



「ごほっ、」


「姉さんの存在がね、いつまでも頭の奥に引っ掛かるんだ。この人がいる限り、僕は本当の幸せを掴めない。だから姉さんを消したかった」


「………」


「姉さんを目にする度、憎悪の感情が奥底から沸き上がる。だけどさっき、気づいてしまった。姉さんが憎く見えるのは、決まって男といる時だって」



 弟は自分で締めていた首筋を優しく撫で、ゆっくりと目を細めた。



「どういうことか分かる?僕を見ようとしない姉さんなんて嫌い。僕以外を気にする姉さんなんて殺したくなる。不思議だよね。こんなに憎いのに。

 僕は姉さんを―――愛してるんだよ」



 ああ。

 なんてことだろう。

 私は自然と涙が出た。



「昔からそう。姉さんだけが変わらず僕の傍にいてくれて、優しく微笑んでくれた。打算でも同情でもなく、僕をただの弟だと可愛がってくれた。憎いのに、どうしても嫌いになれない。

 姉さんの近くにいる時だけだよ。暗闇も怖くないし、姉さんになら触れても吐き気がしない。

 それに、どうしてあんなに朱理に惹かれていたか分かったよ。姉さんと名前が似ているからだ。それ以下でもそれ以上でもなかった。

 姉さん、姉さん。愛してる。双子の弟としてじゃなく、一人の男として僕を見て」



 涙を拭いながら、弟は私にキスをする。

 しばらく私は弟にされるがままの、放心状態だった。


 弟が私を愛してる。

 家族としてではなく。

 そのことを噛み砕いて理解するのに、かなりの時間を要してしまった。



「普……」


「何?姉さん」



 ようやく。



「ありがとう、普」




 ―――ようやく私のもとまで堕ちてきてくれて。






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