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毒林檎の罠  作者: AIR
2/6

[1] 現状


 人間とは何か。


 ふとそんな命題が頭に過り、いたく馬鹿馬鹿しい問い掛けだと一笑に付した。

 大抵のこういったメタな問題は、どれだけの科学者や哲学者が各々答えを捻り出しても、答えにならないことが多い。

 例えば遠国の哲学者は「生命とは何か」に対して「生命とは問題を解くことである」と言ったそうだ。

 納得できるような、できないような。

 だって正直言って、語ってることが難しすぎて無知な私にはさっぱり頭が痛い話だ。

 噛み砕いて説明してもらっても、きっと内容の八割も理解できない。

 納得しろと言う方が無理がある。


 でもじゃあ、その哲学者の言葉を借りるとするなら。

 人間は生命のうちに入るのだから、人間とは問題を解くことであると言えるのか。

 うーん、答えは賛否両論ありそうだ。


 そもそも、こんな問い掛けに明確な答えを得ようとする時点で混乱するのは目に見えてる。

 だって人は、猥雑さにこそ個がある生き物であって、杓子定規な答えはあくまで「平均的な」でしかない。

 哲学も宗教も、深淵を覗けばいずれ辿り着くのは自己言及の世界。

 パラドックスやフラクタルのように、わけの分からないぐるぐるとした相似的世界だ。


 だから私は考えた。

 考えて、私だけの答えを見つけた。


 人間とは、感覚的な生き物だ、と。


 うん、ちっとも考えてないね。

 単に面倒だから、考える以前の所謂“生理的問題”で終わらせただけ。

 後の話をばっさり切り捨てたわけだ。


 人の言う本能と理性。

 どちらも言及すれば、辿り着くのは果てない何か。

 だから言葉では説明できない感覚的な事柄に答えを寄せた。

 自己言及の象徴である自分の尾を噛むウロボロスは形から言えば永続的であるけれど、どうして自分の尾を口に含んでいるかの答えは感覚的なものにならないだろうか。

 つまりはそういうことだ。


 さて。

 随分と哲学に傾向した滑り出しになってしまったが、では何故「人間とは何か」なんて言葉で表すことを難産とする話題が出たのか、その説明をしたいと思う。


 まず、私の名前は阿藤茜。

 とある私立高校に通う、人よりも少し裕福な家庭に生まれついたことで、以後の人生の運をありったけ使い切ってしまったような人間だ。


 不幸が一つ目に、私の父親はすべてにおいて完璧な人間だった。

 仕事はできるし、周りの信頼も厚く、誰にだって気配りを忘れない。

 家族には優しいし、休日は家事も率先して行う、まるで理想の父親を絵に書いたような人。

 ……そう対外的には言われていた。


 ここまで明かせば分かるだろうとは思うけど、父親が“良い父親”であるのはあくまで外だけだった。

 厚い面の内側は、家の中では平気で私たち子供に暴力を振るう、非人道的な生き物。

 母親も右に同じだ。彼女はより恐ろしい。

 普段は欠片も私たちの存在に興味を向けないくせして、子供が傷めつけられる様を見る度に興奮する異常性を持っていた。

 きゃはは、あはは、と素面であるにも関わらず異様にテンションが高くなる母は、クスリでもやっているのではないかと疑わざるを得ないほどに、人であって人ではなかった。


 父の虐待に耐え兼ねた弟が泣きついた時も同様だ。

「そう……。今まで大変だったわねぇ、私も助けられなくてごめんね。お父さんが怖かったのよ。でも、ええ。私の大切な大切な子供のために、お父さんに直談判しに行きましょうか。もう暴力は振るわないでと言いに行くの」などと珍しく優しい手つきで弟の頭を撫で、おそらく弟が今一番欲しがっていただろう言葉を投げたのだが、私には母親が何を考えているのかすぐに分かった。

 当時わずか十歳。伊達に歪な家庭で愛憎劇を愉しんではいない。


 馬鹿だなぁ、やめといたほうがいいよ。

 ロクなことになんないよ。

 私は視線だけで制止を伝えたけど、傷だらけの弟は聞く耳も持たなかった。


 で、そのまま父のもとに向かって、やっぱり母に裏切られて。

 弟はさらに傷を増やした。

 一生治らないだろう心の傷も。



「もう、誰も信じない。信じたら、馬鹿を見るのは自分だ」



 二度と他人に期待しない。

 副音声として聞こえてきた叫びに、私も心の中で同意した。


 そして不幸が二つ目。

 それは、現在弟と同じ高校に通っていること。


 何が不幸なんだって?

 ええと、話が長くなる上に面倒なので要点だけ纏めると。


 両親は死にました。

 五年ほど前に家で殺され火を放たれ、殺人事件だってさ。

 偶然にも出掛けていた私たちが後に対面したのは、すっかり黒焦げた焼死体。

 犯人は未だ捕まっていないらしい。


 両親の死に対して、私は特に思うことはない。

 弟はようやく虐待という名の地獄から解放されると諸手で喜んでいたけど。

 敢えて言うなら私は、飾られた両親の遺影を前に号泣しながら「ふは、あははは!ははは!」と狂ったように笑う弟に思わず母親の姿を重ね、ドン引きしただけだ。

 結果、遺影は弟の手により見るも無惨なものと化した。


 ネジがさ、一本のみならず数本まとめてぶっ飛んじゃったんだろうね、弟は。

 生き地獄から解放されたんだもの、仕方ない。

 姉は何も言わないよ。


 まあ、やつの気持ちになってみれば分からんこともないんだよね。

 私たちは双子の姉弟だけど、扱いの差は決定的に異なった。


 あれだよ、あれ。

 よく言うじゃん、双子は互いの身代わり的な。


 私たちの場合、一人が両親のストレスの捌け口で、もう一人は円満家庭の演出に欠かせないパーツだった。


 あいつらもよく考えるよ。

 双子で生まれたのをいいことに、一人は出生届を出さず、人権さえ無いものにして、家の中に隠した。

 存在の無い者に何をしても誰にも咎められないように。


 私は隠された弟のカモフラージュだった。


 だから私は笑っていた。

 痛い目に遭って喚く弟の分まで笑い、幼少期に形成されたねじ曲がった倫理観と自分でもよく自覚している道徳の無さを腹の内に仕舞い込んで、瑕疵を隠すように“普通の人間”として振る舞った。


 弟にはそれが異常だったのだろう。

 殴る蹴るの暴行を加えられる弟を前に、文字通り私は何もしなかったのだから。

 そう、母と同じ。

 けれど決定的に異なったのが、弟への接し方だった。

 母が弟に反応するのは暴力行為の最中だけで、それ以外は目もくれてやらないのだけど、私は違った。

 弟が話しかけてくれば笑顔で応じ、困っていればさりげなく助けてあげる。

 もちろん親からの暴力から救ってやることはしなかったが、他は完璧な“姉”でいた。


 弟の、私を見る目は、恨みつらみの篭った憎らしげな目だった。

 なんで自分だけが凄惨な思いをして、双子の姉だけはのうのうと日々を暮らしているのかと。

 仮に私が弟と共に両親に怯えるような存在であれば、弟が私を恨むことはなかっただろう。


 一応、悪いとは思ってるのだ。

 私なんかが弟の双子に生まれてしまってね。


 いや、この場合、私みたいな形だけの人間を育てあげた両親に怨嗟を向けろ、かな?


 戸籍を得、高校生になった弟は変わった。

 光差す外界に出て、初めて自分が生きていることを知覚が堪能できたと、神に感謝の祈りを捧げる熱心な教徒の如く歓びを噛み締めていた。

 正確には、とある少女との邂逅を果たしてから、なんだけどね~。


 名前はなんて言ったっけ。

 興味の欠片もなかったから記憶に残ってないけど、とにかく明るい名前だった気がする。


 名は体を表すか、その女は親しみやすい性格と容姿の良さ、加えて異様な正義感の塊だった。

 で、弟は見事に骨抜きにされて、現在初めて生まれてきた幸福感を味わっているというわけ。


 うんうん、良かったよねー。

 あの子なら家庭内暴力で歪んだ弟を十分に矯正できると思うし、今は救いの神に対する信仰心みたいだけどいずれ恋心に昇華させてくれたら、ねえ?

 お姉ちゃんも安心のあまり涙が出てくるよ。


 ……でも、まあ。

 今更何を言ったって、弟が私に復讐しようとしている事実は変わらないけどさ。



 感覚的な人間は、感覚で人を嫌うものだ。




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