2-9 諜報員の危機
「ぐっ!うああっ!」
蹴りをぶつけた夏樹が大きく悲鳴を上げる。
強打させたことについては問題はない。
しかし、斌の両腕を取り巻くプシュケーはまるで刃の様に尖っていたのだった。
夏樹の蹴りが命中した時には、靴を通して皮膚に貫通していた。
突き刺さるような痛みに、体制をうまくとれず背中から砂に落ちる。
「はぁっ!くぅっ!」
痛みに暫くのたうち回る。
夏樹のいる辺りの砂は赤黒く滲みていく。
外傷は大したものではなかったが、出血が特にひどかった。
血の滴る右足を庇いながら夏樹はなんとか立ち上がる。
「痛っ!」
だが、かばっていようと、その痛みは深くまで伝わっていた。
普通の刃物で切られる痛みなどではない。
まるで傷口から何かが入ってしまっているかのように、
「あまり、動かないほうがいい…俺のプシュケーは、他者のオーラに同化する事によって、微々たる物から結石の様に肥大化する。言ってみれば、傷口にガラスの破片が入っているような感覚なんだろうな」
斌は余裕の笑みを浮かべる。
ガラスの破片といっても、勿論普通のモノなどではない。
ましてや体内で肥大化するとあっては、人間が生きていた時代の痛みなど軽く超越してしまう事だろう。
人間の時もそうだが、男性は痛みに対しては意外に弱い所がある。
夏樹は勿論、それは斌も同じ事。
(足が!まともに動かせない…。なんて激痛だ!?こうなったら、一か八かで決めるしかない!)
足が切断されているかのような激痛を堪え、夏樹は起き上がる。
(アイツにも同じ事を…いや、遷してやるんだ!!)
痛む足を耐えながら夏樹は全速力で駆けだしはじめた。
それをみた斌は、死を覚悟で特攻してきたのだと直感する。
「どうせ死ぬなら道連れといった所か…だが、俺の力は接近を許さない力だぞ!!」
斌に腕に再びプシュケーが込もる。
「デュアクレイン・ライジンググローブ!!」
刃物の様に鋭く尖ったプシュケーが、斌の両腕を覆う。
「死にな!クソガキイィィーッ!!」
ドシュー!
夏樹の決死の覚悟とも言える一撃は、果たして斌に通じたのか…?
ブシャーッ!
巨大な肉片が飛び散った。
それはあたかも紅の髪の少女のモノかと思われたが、違った。
「へぇー…」
一連を目撃した準人は思わず感心を浮かべていた。
「咄嗟に闘神と化し、神の禁術・自意幻覚を起こした、か…やるじゃないか、君はあの堕天使の側近だったね。すっかり忘れていたよ」
マンティス・シャフラワースは闘神化した初音が起こした自意幻覚によって、バラバラになっていた。
自らを切り裂くことに現象を改竄させてしまうこの能力に、隙はまるでなかった。
準人が一人でべらべらと口遊んでいく。
その言葉を流すように聞いていた初音は闘神化したことによって、今以上に長い髪で表情が見えないまま腕を組んで立っていた。
「それが君の本性かい?なかなかいけてるじゃないか、とても女の子には見えな…」
準人の言葉が終わる前に、闘神は突っ込んできた。
そのスピードは先程のマンティス・シャフラワースから逃げていた時とは比べ物にならない!
(速い!!)
準人もその力に従って、なんとか距離を保とうとした。
しかし、能力界のオーラ・プシュケーと闘神化したことによってスピリトュスを得、融合変化したプネウマ・『ハーモルス』というオーラはプシュケーの何倍もの強さを放っていた。
「ちぃ!」
準人が舌打ちを鳴らしたと同時に闘神・初音は既に距離を詰めて振り上げていた左足を一気に準人に向かって振り下ろしていた。
直撃・クリーンヒット!
頭蓋骨に目掛けて踵落としを浴びせた。
一撃だけでも十分重いが直撃を狙えれば、たとえプシュケーに守られていても、かちわるのは容易い。
ところが命中したはずの準人が闘神の真下で砂に埋もれているのに対し、まるで出血していない。
不思議に思いその頭を掴み、砂から引き上げてみると、準人と思われるその頭には、『BOMB!』と書かれていた。
投げ捨てようと闘神が腕を振り上げた時には既に遅かった。
チュドーンッ!
ゼロ距離からの大爆発を起こした。
煙が立ち込める中、そこから少し離れたところに準人がいた。
薄ら笑いを浮かべている。
「あっはははははは!!闘神といっても所詮は力に溺れすぎた変異能力者に過ぎないんだね。おかげで騙す僕も中々楽しめたよ」
ケラケラと零れる笑み、準人は自身に絶対的な勝利の予感があると確信を抱いていたからこそ、今このような場面に直面している。
だったら、そんな場面を壊そうとするものだっているのだろう。
「!!」
準人の笑みが突然とまる。
気付くのが遅かった。
既にカタはついてしまっていた。
準人の心臓部を目掛けて闘神がその腕を伸ばしていた。
間一髪、後退したのもあり、直撃は避けられた。
しかし全力のプネウマは正に、準人が動かなければ即死させれたに違いない。
心臓の僅か手前、皮膚を切り裂かれるだけですんだ。
だが、これでも十分な深手を負わせたことになる。
鳩尾を押さえる準人、闘神は先程の爆発程度では傷一つ付けられてはいない。
その理由は準人には分かった。
「覚醒壁…確かに、そんな力があるなら物理的干渉は愚か、被弾という意味にすらならないか…」
「あの程度で死んだと思われては困る。貴様は闘神と戦った等とほざいていたが、嘘だろ?本物の闘神なら、全員が同等の覚醒壁を張れる。今のような人形を囮にした爆弾等、傷はもとより煤すら付きはしない!」
無言の表情で、低く怒りを露わにするかのように闘神が語る。
彼等闘神にとって、最も侮辱と思われるのはナメた覚悟で挑んでくる者達だ。
闘神達のモットーは全力、全身全霊を賭して戦う事。
それを相手が守れないというのなら彼等の逆鱗に触れ、死をもってその相手を償わせる。
そのような掟を闘神が決めていたのだと歴史の中で証明している。
能力者というものは常に上を行こうとする存在だ。
だから、目の前の準人のようなひねた輩も多数いる。
闘神はそういった者達を今まで、遭遇すれば全て葬ってきた。
そして今回も準人が犠牲者となるのだろう。
「掘削、今日はここまでのようだね」
しかし、トドメをさそうとプネウマを左腕に集中させる闘神を余所に、準人が突然戦闘放棄を申し出た。
もちろんそんなことを許す闘神などではないが…
準人は、心臓部を右腕で抑えながら左腕で、何もない空間にそっと指を下ろすと。
突如として、空間が出来上がり、その中へと入っていく。
「待て!!」
怒髪した態度で闘神が呼び止めるが、聞く耳持たずに準人は空間の内へと消えていく。
「また、会えることを祈るよ。今度は全力でやり合うと約束してね」
そう言い捨て気配でさえも完全に消してしまった。
「チッ!あの小僧。絶対に生きて帰さん!!」
そんな言葉を言い残して闘神は元の、紅:初音へと戻った。
人格を戻した途端、初音に大きな胸騒ぎを感じさせた。
闘神の時から僅かに抱いていた事ながら、今までそれに気付かなかった。
「夏樹が…危ない!?」
初音にとっての胸騒ぎはそれしかない。
いそいで初音は、広大な砂漠を駆け回った。
もう、手遅れだとも知らずに…
ドシュー!
夏樹の決死の覚悟とも言える一撃は、叶う事などなかった。
傷ついた足で再び蹴りつけようとしたものの、痛みで鈍くなったそれは簡単に斌に見切られ、更にはその足に向けて刃物となって腕を守られたプシュケーを向けられ切断される。
「うああぁぁぁーっ!!」
引き裂かれる痛みに夏樹は絶叫する。
足は夏樹の身体から切り離され、砂に落ちる。
もう夏樹に、立つことは許されないだろう。
だが、切断された部分から吹き出す血に広がる激痛を堪え、手で撫でる。
傷口に入る指に更に痛みが走る。
が、それも怯む事なく堪え、落下していく中、血にまみれた腕を斌に向かって空を切るような速さで振る。
ベタついた血の一部が飛散し、斌の身体中に付く。
「うおっ!?」
目に少し入るが、開けなく程ではなく、さして問題はないと、目をこすり体制を戻す。
最後の悪足掻きでさえも、天は夏樹の味方をしてくれなかった。
「フン、二度も態々切られに来るとはな…もう、お前に立つ事は出来ないな。かわいそうに、すぐに首も落としてやるよ」
倒れて荒い息を吐く夏樹に、刃物と化したプシュケーを振りかざす。
絶体絶命な時、最早助けは来ない。
絶望に飲まれる寸前に、奇跡は起きたのだった。




