1-10 空間を斬りし二人
ドッゴーンッ!
ズガーン!
幾重も振り下ろされる拳に、空間は徐々に不安定な状態となる。
「オラァ!さっさとでてこい!!下敷になんかなっていやがったら許さんぞ!?」
無駄に大きな叫び声に、空間で反響する。
その巨大化したハルトの左肩に小さな人影。
千博だった。
最初の拳で吹き飛んだ衝撃と石片を利用して、ハルトの肩に登りつめていた。
急斜面が多いものの、石片を階段にように駆け上がっていけば、次第にたどり着けていた。
「…馬鹿うるさいやつだ、とはいえこの空間では外に漏れない分、近所迷惑にならないだけマシか?」
普通の声量で一人つぶやくが当然ハルトの耳には聞こえはしない。
これだけ大きな声を出している為、ハルトの耳はおそらく垢でふさがっているも同然の状態だろう。
仮にそれが外れていたとしても、声帯まで巨大化している以上、聴力も同等の変化を遂げているのだとすれば、千博が耳元で囁いてようやく聞こえるほどでしかないのだろう。
「やれやれ…」
千博の左腕に、キラリと光るものが、
右手は動き回るハルトの肩から落ないようにするために、首筋に付けていた。
しかし、ハルト本人に気付く様子はない。
「すぐに終わる。このサイズならな…」
左手に握ったバタフライナイフをハルトの首に突き立てる。
痛み…というよりは、ハルトからすれば、虫に刺される程度の痛みが走り、首に指をかける。
しかし千博はその指を巧みに交わし、ぐるっとナイフを突き刺したまま一周をする。
切られた首の部分から血液が流れ出す。
呼吸に合わせて回る動脈瘤は全身を巡り、首に戻る仕組みだ。
最初は僅かにしか出血しなかったが、次第に膨大な量の血が吹きはじめる。
「う、うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーっ!!」
溢れ出る血にハルトは、怨霊でありながら自らに死が訪れる。
そんな予感を浮かばせた。
しかし、既に生前を失くし、行き場の無い怨霊と成り果てた先にあるのは、冥界へと消えること。
巨体の姿のまま、ハルトは地面に倒れこむ。
拳を振り下ろすよりも強い振動が空間全体に響いた時、千博は幻覚を見るかのように突然意識を失う。
千博も倒れ込んだ後に、空間が姿を消した。
そして、未だ誰もいない屋上前で、ただ意識を失っている千博なのだった。
黄泉校屋上前/星夢空間
その頃、善之とその兄とされる善久は、
一か八かの賭けの末、捨て身のハートアタックをお互いにかけていた。
その結果は…
「ぐあはぁっ!」
善之が左肩に、善久が心臓部に、それぞれの得物があった。
善久には、ナイフに近い形状の破片が心臓のど真ん中を刺しており、クリーチャーと化した今でも絶命の寸前に至っていた。
「な、なぜ・だ・・?」
一方善之の心臓を狙って伸ばしたはずの善久の触手は、善之の左肩を貫通していたに過ぎなかった。
一瞬の出来事は正に捉えようがなく、その瞬間を知っているのは善之だけだった。
「僕の血…ですよ。兄さん」
傷く善之から言葉が零れる。
善之が握りしめていたナイフによって自ら流した血。
それが、今の結果となっている。
あの時の決着はつまり、こうだ。
善之が心臓部に到達する直前、背後から触手がきているのは善之にもわかっていた。
その為の、血。
血に染まった腕を大きく振り上げ、ナイフを飛ばす。
そして空中から落下する際、軌道を僅かに変えた。
血はナイフ全体を覆うようにして、善久の心臓部に刺さった。
それが今のこの状況だ。
ナイフはちゃんと刺さっている。
しかし、万が一このナイフが心臓を刺したとしても、善久は倒れなかったかもしれない。
それを考えて善之は血をナイフに纏わせた。
その意味は簡単だ。
善之はRH-、善久はRH+の血液だからだ。
兄弟とはいえ違う血液同士を混合すると、赤血球が引っ付き合う凝集反応が起こり、やがて塊の中で赤血球が破壊され溶血することがある。
これが体内で起こると、血管の閉塞や、ショックまたは悪心などの症状に繋がるのだ。
今善久にはそれが起こっている。
血液を循環させる部分、心臓の中で。
あまつさえ半覚醒生物と化している不安定な状態、善久は苦しむ挙句その場に倒れ息絶えた。
かなり強力なショックだったのだろう。
不自然という復活でさえも起こす事ができず、善久の怨霊は消え星夢空間も消滅していく。
左肩を触手に貫通された、善之も一時的に意識を失う。
これで、二つの空間を形成せし怨霊は消え去った。
黄泉校屋上階段/扉前
千博が目を覚ました時、すぐ隣で左肩から血を流して俯せになっている善之を見つけた。
すぐに飛び起き、介抱する。
「善之、大丈夫か!?」
抱きかかえた善之は、とても重かった。
生死を彷徨う中の彼は…
「ゆ・き・・ひろ・・・さま?」
一命をとりとめていた。
「喋るな、今応急手当をする」
そういって千博の腕からオーラが発せられる。
覚醒能力者は、同じ気を扱える種族であれば、互いにその力を分け合うことができる。
これは最近になって発見された処置方法とのことだが、千博は善之に対して何度か行なった事がある。
まだ善之という人物が神月家に仕えたばかりの頃。
とても、執事など務まらないと確信していた千博。
しかし、彼・善之の頑張りは、とても評価できるところが伺えた。
ほかの使用人からすれば迷惑極まらない行動の数々ではあったと思うが。
善之は、千博の執事として少しでも、その座に足を踏み入れれるように努力に努力を繰り返してきた。
そんな彼を千博は、気に入ったのだ。
執事だから、使用人だから、仕えているのだから、
千博に迷惑を与えてはいけない、そんなものは関係ないのだ。
ご主人が良ければ、自らが助けてあげれる。
善之は、千博にいつの間にか信頼をもらっていたのだ。
それが今の、事。
千博の腕から発せられるオーラ。
とても暖かい感じがする。
傷は塞がらなかったが、出血の大部分は抑えることができた。
あとは、包帯でも巻いておけば、戦う事はできなくとも動くのには申し分ない。
千博は自前の包帯を能力の一つ、『空間ラック』から取り出すと、それを何十にも善之に巻いた。
「これでいいだろう。どうだ、左肩は痛くないか?」
千博の確認の言葉に、善之は
「はい、ありがとうございます。千博様」
元気の良い返事をしたのだった。




