後編
さて、吾輩は意志の宿るタンスとなったわけだが、何かすべきだろうか。ほら、一応は「付喪神」と呼ばれるくらいのタンスであるのだから、ただのタンスとは違うのだというところを見せねばなるまいて。ふむ、困ったことになった。よく考えたら、いや、よく考えなくても、吾輩にできることと言えば、収納することだけではないか。
収納量ならば、そこらのタンスとは格が違うのだと誇ることもできるのだが、今は「押入れ」なる空間を持つ家が増えているそうで、奴には苦杯を舐めさせられている。くそう、奴は化け物なのだ、タンスであるわが身は、布団など仕舞えぬというのに!
吾輩が、激化する収納業界で生きていくために必要なのは、希少性であろうか。“おんりーわん”と言うヤツである。年を経た木目の渋みはだれにも負けぬが、やはり人は便利なものを追及する生き物なのだ。人の怠け根性には恐れ入る。
そこで吾輩は熟考に熟考を重ね、ひとつの答えを導き出した。吾輩は衣裳収納の“えきすぱーと”、小物から帯にいたるまで仕舞える、数多くのひきだしを持つ、タンスの中のタンスである。ここで勝負するしかない。
そう心に決めた吾輩は、体内に収められている品々を把握することにした。持ち主の気分に合わせて、ちょうど良かろうと思われる品を、さりげなく取り出しやすい位置に置き換える。世界で一番使いやすいタンスに、吾輩はなる!
誤算であった。吾輩はどうやらやり過ぎたらしい。入れておいた着物の位置が、勝手に変わっていると気づかれてから、不気味がられてしまうようになった。難しいものである。
だが、吾輩はいまだにこの家に置かれているのだ。気味悪がって誰も触ろうとしないが、衣裳部屋の“せんたー”は吾輩であった。十年やそこらしか年食ってないような若造たちに、“せんたー”を譲るわけにもいかん。もはや、家中にて不動の地位を築いた吾輩を、蹴落とそうとする気概のあるものなどいなかった。いや、そもそも吾輩以外に、魂の宿ったモノなどなかったのだ。
吾輩は、少しばかり“あんにゅい”な気分に浸りつつ、衣裳部屋と着物たちを守り続けたのだ。家の中なら、自由に意識を飛ばすことができるようになったのは、はて、いつ頃であったろうか。吾輩の物忘れがひどくなった頃、悪鬼や怨霊のたぐいを認識するようになった。
腰も重くはなっていたが、家人のためにと悪い気を祓っていたら、いつの間にか幸運を呼ぶタンスになっていた。吾輩も驚いた。衣裳部屋に入ると清々しい心持がすると評判になり、人が集まるようになった時は、懐かしく感じたものだ。吾輩はとうとう招き猫業界に進出してしまったらしい。
こうなっては、幸せの青い鳥ならぬ「幸運を呼ぶすごいタンス」として、ほかのタンスとの差別化を図るしかない。吾輩はせっせと悪い気を祓い続けた。もしかして、これが「付喪神」の仕事であったのだろうか。よくわからん。わかったのは、ようやく時代が吾輩に追いついたという事だけである。
後になって振り返れば、この時が吾輩の青春期であったのかもしれない。ひとまず、「付喪神たるタンス」としての吾輩は、自らのあり方をようやく見つけたのであった。