前編
吾輩はタンスである。ただのタンスではないぞ。最高級桐タンスである。吾輩が生まれたのは、とある名家のご令嬢が嫁に行く話が持ち上がってきた時であった。
なんでも、相手の男の家はたいそう格式も実力もある旧家らしく、ご令嬢の実家は確かにそれなりの家ではあるのだが、相手の家の方がはるかに格上であったそうだ。ご令嬢は、その美しさと気立ての良さで男の心を射止めたが、はてさて、相手の家に嫁いでも恥ずかしくない嫁入り道具を誂えるだけの金が、残念なことに、ご令嬢の家にはなかった。
そこでご令嬢の父親は、家の庭にあったそれはそれは立派な桐の木を、可愛い娘のために切り倒した。その桐から作られたのが、何を隠そう、この吾輩である。吾輩をこしらえた職人殿はこの父親の竹馬の友だったらしく、親友の娘のために、破格の値段で仕事を引き受けたそうだ。
こうして、たくさんの愛によって作られた吾輩は、ご令嬢とともに男の家に嫁いだのである。名のある旧家であっても、吾輩ほどの立派なタンスはめったに見られない。男の家の者たちは、次々に吾輩の美貌を誉めそやした。
ご令嬢と家人たちに大切に使われ続けた吾輩は、ご令嬢の子ども、その孫の代に至るまで家の衣裳部屋に君臨することになった。年を経るごとに味わい深くなっていく吾輩に、皆はすぐにめろめろになるので、偶に客人から売ってくれと頼まれることもあったくらいである。
ぴちぴちで若々しかった吾輩が、それなりに年を重ねた一人前のタンスになり、色味も艶も申し分ないくらいの重鎮へと進化した。更に年月が過ぎて、吾輩の最初の持ち主たるご令嬢の顔を思い出せなくなっていた頃、吾輩はとうとうタンスますたーの域にまで上り詰めていた。吾輩の意識がはっきりし始めたのは、ちょうどそんな時であった。
吾輩のような、モノに宿った魂を世間では付喪神と言うらしい。聞くところによると、百年経った道具に宿るのだとか。ということは、吾輩、百歳を越えているのだろうか? 人の定めた暦など知る由もないが、まあ季節はそのくらい廻ったかもしれないとは思う。もともとちょうステキな吾輩であったが、とうとう神と呼ばれる存在になったかと、誇らしく思っていた。後に、付喪神とはあやかしモノのたぐいであると知って落ち込んだのは、誰にも言えない秘密である。