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9:旅立ちの朝

 二日後の朝。

 待ち合わせ場所の乗り合い馬車停留所の前で、ディーンとジェイは少々焦っていた。

 待ち合わせの時間を過ぎても少女二人が現れないのだ。辺りを見回しても、二人の他に誰もいない。

 もうすぐ乗合馬車がやってくる時刻が近づいている。迎えに行きたいが行き違いになるのも怖いという残り時間だ。

 そもそも二人とも、シャルはともかくアーシャの住む場所は知りもしないのだ。失敗した、とディーンは深く反省していた。

 馬車が先に来たら待ってくれるよう御者と交渉するべきかとディーンが考えていると、あ、とジェイが声を上げるのが聞こえた。

 そちらを見ると遠くからヨロヨロと近づいてくる黒いローブの人影がある。

「ジェイ」

「おう」

 心得たとばかりに返事をするとジェイは荷物を置いて人影の方へ走り出す。

 ヨロヨロ歩いてきたのは間違いなくシャルだ。恐らく荷物が重くてここまで来るのもやっとだったのだろう。

(先が思いやられる)

 ディーンは爽やかな朝の空気に似つかわしくない深い深いため息を吐いた。


「おはよ」

 不意に真後ろからかけられた声に体が一瞬緊張する。

 だが、すぐにその緊張を解いた。この状況で声をかけて来るのは一人しか居ないのだ。

「……おはよう」

 答えて振り返り、一昨日ぶりの少女の姿を視界に確かめる。

 アーシャは昨日は結局寮には来なかったのだ。

 ちゃんと食事を摂ったろうかと少し心配していた。

「ごめんね、寝坊した」

「いや、間に合ったならいい」

 そう言ってアーシャを良く見ると、ディーンはなんとなく違和感を感じた。

 少女はいつもと同じ余り長くない丈の白いフード付きマントを纏い、首元に着けた青い石の嵌った銀色のメダルで止めている。これはいい。

 動きやすさを重視してなのか、腰までの深いスリットの入ったオレンジ色のチュニックワンピースと丈夫そうな茶色の七分丈のパンツ。

 これもいいだろう。

 ふくらはぎまでを安定して覆う長さの丈夫そうな皮のブーツに、腰に回したベルトにも小さなポケットが沢山着いたヒップバッグ。

 いつも通りだ。

 問題は、その背中のバッグだった。

 白いマントを下から持ち上げているそれは、間違いなく先日彼女が買っていた見かけもサイズも可愛らしいオレンジ色のディパックだった。


「アルシェレイア」

「ん? 何?」

「一昨日の買い物の時に、各自備えは万全にするという事で合意したと考えていたのだが」

「うん、そうだね」

「君のバッグはどう考えても……」

「あー! もうっ、疲れたぁ!」

 ディーンの質問は疲れきったシャルの叫び声でとぎれた。

「お、アーシャも来たな! 間に合ってよかったぜ」

「うん、おはよー」

 シャルの荷物を担いで歩いてきたジェイがおはよう、と声をかける。


「もーやだ! 重いったらないわよ!」

「お前なぁ、寮からここまで十分だろ? そのくらい持てなくてこの先どうすんだよ」

「しょうがないでしょ!? 私はこんな重いもの持って歩いた事ないのよ! 向こうではあんたが持ってくれればいいのよ!」


 私はか弱いんだから! と声を荒げるシャルは今日も朝から全開だ。

 幾らなんでも二つは無理だ、とどうにかこうにか文句を言うジェイは完全に押されている。

 それを黙殺したシャルはつん、と顔を背けた時にそれに気づいた。

「あー! 何よアーシャ、そのバッグ!」

「これ?」

 シャルに指差されたアーシャは首を傾げながら背中のバッグを下ろした。

「そうよ! それって一昨日買ってた小さいバッグじゃない。そんなんじゃ旅の荷物なんて全然入ってないじゃないのよ! ずるいわよ!」

 ディーンは自分もそれを指摘しようとしていた事を思い出したが、彼の言いいたいことのあらかたはシャルが告げた後だった。

 だが、シャルの文句にアーシャはふるふると首を振る。

「入ってるよ。寝袋も着替えも食料も全部ちゃんと入れてあるから大丈夫。」

「いや、どう考えても入る大きさじゃないだろ、それ……」

 ジェイの指摘に、うーん、と首をひねったアーシャはその場にしゃがみこんでバッグの口をあけた。

 開いた口からは保存食の入った袋が見える。

 アーシャはごそごそとその中をしばらく漁ると一枚の敷き布を取り出しそれをパッと地面に広げた。

 そしてそこにカバンの中身を並べだす。

 どうやら、論より証拠という事らしい。


「これが保存食でしょ、後これが寝袋、下に敷くマット、薄い毛布、着替え、タオル、救急セットと薬、おやつと果物、あと赤熱石と光球と……」

「す、ストップ!」

「いやいやいやいや!」

「ちょっと待て」

「へ? 何?」

 皆からの突っ込みにアーシャは手を止める。

「どうなってんのよそのカバン!」

「おかしいだろそれ!」

「何故そんな小さなカバンにそんなに物が入っている」

 どう見てもおかしい。

 明らかにそのカバンはそんなに物が入るサイズではないのだ。

 目の前に並べられた荷物の中で言えば保存食とおやつを入れたらいっぱいという程度の大きさだ。

「だって、このカバンいっぱい入るように改造してあるもん」

 これに時間かかって徹夜しちゃって、とアーシャはふぅ、とため息を吐いた。


「んーと、中の空間を広げて、それを更に圧縮してあるような感じかなぁ」

 いっぱい入るでしょ、と言いながらアーシャは三人の目の前で、出した荷物を次々しまっていく。

 小さなカバンにありえない量の荷物が次々入っていく様は、驚きを通り越して少し不気味だ。

 最後の敷き布をパン、と払って畳むとそれもきゅ、と詰め込む。

 パチ、とフタをする音で三人はようやく我に帰った。

「そ、そんな道具初めて聞いたわよ!?」

「俺も。そんな便利なもんがあるなんて……」

「自分で作ったのか?」

 三人の質問にアーシャはこく、と頷く。

「古代には似たような道具はあったらしいよ。これは私のアレンジしたオリジナルだけど」

 カバンの内側に施した刺繍で空間の拡張とその限度、圧縮率などを規定し、外側に見えないように施したペイントで広がった中身に耐えられるように耐久性を上昇させ中身との均衡を保つ術を施す。

 さらに要所に取り付けた魔石に魔力を注ぎ、それらの術を発動、維持しているのだ、とアーシャは説明する。

 全ての理解は難しかったが、どうやらアーシャが作った魔具の一種である事には間違いはないらしい、と三人は理解した。

 だが理解したらしたで、不満が生まれてくる。

「……そんな便利なのがあるなら私にも教えてくれればよかったのに」

 重い荷物にヨロヨロしながらここまで辿り着いたシャルは、筋違いだと理解しつつもつい恨めしい声を上げてしまう。

 アーシャもそれは予想していたのだろう、ごめんね、とすまなそうに謝った。

「出発の日がもうちょっと遅かったら良かったんだけど、カバンの改造時間かかるんだ……失敗することもあるし」

 アーシャを出発日三日前に誘った三人はもちろんそれに文句を言えるはずもない。


「あ、けど、代わりにこれ作ってきたから」

 そう言ってごそごそとヒップバッグを漁ってアーシャが取り出したのは、幾つかの小さなバッジのようなものだった。

 親指と人差し指で輪を作ったほどの大きさの緑とオレンジの二種類メダルで、それぞれ同色の小さな石がはめ込まれている。

 メダルにはびっしりと文字のような模様のような物が書かれていた。

 アーシャは緑とオレンジの一対のバッジを手にとるとシャルの荷物に近づき、オレンジ色のものをバックパックの底に、緑色のものを上のふたの部分に取り付けた。

 さらに、ちょうど上下からバックパックをはさむ形に取り付けたそれに手を当て、

「開放と加護を」

と小さく呟いた。

 するとその手の下から緑とオレンジの光が一瞬漏れる。

「うん。ね、シャル、持ってみて」

 立ち上がってシャルを振り向くとアーシャは手にした荷物を差し出した。

「う、うん」

 自分の荷物の重さを思い出したシャルは嫌そうな顔で両手を差し出す。

 けれどそれを受け取った次の瞬間、その顔は驚きに染まった。

「わっ、何これ!? 軽−い!」

 先ほどまであんなに彼女を苦しめた荷物は、まるでその重さが嘘だったかのように軽くなっていた。

「ちょっと二人とも、これ持ってみてよ!」

 興奮したシャルに促されるままにジェイとディーンも交互に手を伸ばした。

「嘘だろ!?」

「……軽い、な」

 特に先ほどシャルの代わりに荷物を運んだジェイの驚きは大きかった。

 彼が持った時は確実に二十キロ近くはあったのだ。それが今ではどう考えても一、二キロくらいの重さにしか感じられない。


「アーシャ、一体何したの!?」

「うーんと……大地の加護を少なくして、風の加護をつけてあるの」

「護符のようなものか? しかしそれだけで?」

 ディーンは緑とオレンジのバッジを丹念に観察してみる。

「これは古代文字か? 死者を送る時の聖句に少し似ている気がするが……」

 その言葉にアーシャは軽く目を見開いた。

「すごいね、ディーン。ちょっと当たってる」

「ディーンは古代語の解読とか趣味なんだぜ」

「少し齧った程度だ。なんと書いてある?」

「んーと、簡単に訳すと、オレンジの方の表は、『母なる大地の女神よ、この存在をその深き御手より一時解き放ちたまえ』かな。死者を送る時に棺桶に彫られる、開放と加護を願う聖句と似てる単語を結構使ってるかもね。

 ちなみにその裏は逆。大地のささやかな加護を願う言葉が書いてあるよ」

 アーシャの言葉にバッジを裏返してみると、なるほど裏にも幾つかの文字が彫りこまれている。

「緑の方はオレンジの方の裏のとほぼ一緒、風の加護を願う言葉が彫ってある。」

 バランスが難しいんだよ、説明は続く。

「つまり、鳥が飛べるのは風に属しているからで、物や人が重いのは大地に属しているから。だから一時その大地の加護から解き放たれ、風に加護を願う事で、軽くしてもらう。でも飛んでっちゃう程だと困るから、少しだけ大地に加護を願う言葉と、対にしておく」

 だから、この魔具は単独ではなくセットで使うように、とアーシャは皆に注意した。

「重さとしては二十分の一くらいになってると思うよ」

「へぇ……すごい! すごいわよアーシャ!」

 シャルは上機嫌で軽くなった自分の荷物を背負ってくるりと回って辺りを歩き回る。

 これなら幾ら歩いても重さは気にならない。


 カバンといいこのバッジといい、眠り姫などと呼ばれている彼女は本当はちゃんと魔技科の生徒らしい事もしていたらしい。

「ほんっとに、貴女を仲間にして良かったわ!」

 戦力にならなくてもいい、と思っていたのに現金な話だが感謝の気持ちは本当だ。

 アーシャも少し嬉しそうな顔を見せた。

「ディーンとジェイもいる? 二人の分もあるよ」

 そう言ってバッジを二対差し出されたが二人はしばし迷う。

 二人には自分の荷物はさほど苦ではない重さだし、これをつけると何の鍛錬にもならない気がしたからだ。

「今はいい。馬車に乗るだけだからな。だが、森に行ったら機敏な動きを求められることもあるだろうから、その時借して欲しい」

「俺もそうするよ。ありがとな!」

 うん、と頷くとアーシャはバッジをしまった。

 ちょうどその時、通りの向こうからガラガラと馬車の走る音が聞こえた。

 時計台を見上げると時間は八時四十分になろうとしている。

「……定期便の癖に十分の遅刻だな」

「まぁ、二人も遅刻してきたしちょうどいいんじゃねーの?」

「そうよ、固いこと言わない! はい、アーシャ、これ!」

 そういってパタパタと走ってきたシャルはアーシャに何か紙包みを手渡した。

 ほんのり暖かい包みを受け取って開くと、中からは薄く焼いたパンに野菜やハムなどの具を挟んだものが出てきた。

 すぐ側で行われていた朝市の屋台のものらしい。

 アーシャが不思議そうにシャルを見上げると彼女はにっこり笑って背中を指差した。

「これのお礼よ! 徹夜して寝坊なら、どうせまた朝ごはん食べてないんでしょ?」

「……ありがとう」

 暖かいパンとシャルの顔を交互に見ながらアーシャは呟いた。

 こちらこそ、と笑うシャルの笑顔が眩しい。

「ほら、二人とも、乗るぞ」

 ジェイからかけられた声に二人は馬車の方に歩き出した。

 結局今朝の馬車に乗るのはこの四人だけらしい。

 遠方に出かける学生以外の本格的な野外実習は来週からがほとんどだからだ。

 幌と簡易座席の着いた荷台に四人を乗せると馬車はゆっくりと動き出した。


 アーシャはガタゴトと揺られながら手元のパンに齧りついた。

 暖かいパンはとても美味しかった。

(……こういうの、いいかもね)

 今まで自分が楽をする為の道具ばかり作ってきたのに、それで人に感謝されてしまった。

 誰かの、仲間の役に立ったという事実はなんだかすごく暖かかった。

 その暖かさが、随分久しぶりに感じた≪嬉しい≫という気持ちだと言う事にアーシャが気がついたのは、馬車の振動の中で眠りに落ちる寸前のことだった。



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