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16:最初の騒動

 

 大陸の中央を北東から南西に向かって横切る広大なセドラ山脈はこの大陸を二つに分ける天然の壁だ。千年前の大陸の分割の時にできたと言われる山脈は余りにも長く、人を拒む高い山が切れ間なく続く。

 このレアラード大陸のほぼ半分近くがその山脈の向こう側にあるのだが、山脈を越えられる場所は未だに見つかっていない。かといって海から回り込もうにも大陸の西側の海岸は全て、船をつける事も叶わないような断崖絶壁なのだ。これもまた、大陸が割れたことによる結果だと言われている。


 そんな人を拒む地形の中でただ一か所、セドラ山脈が低くなって終わりを迎える南西の端だけが、その未知の領域への入り口だ。そしてその切れ目の部分の土地を事実上所有しているのがフィリネスという国なのだ。

 それならば何故フィリネスは自国だけで未踏地域の開拓をしないのか。そうすれば自国の領土を好きなだけ広げられ、未踏地域からとれる様々な資源を独り占めできるというのに。

 だがその疑問の答えは非常に簡単だ。

『できない』という一言だけなのだから。





 予定通り船を下り、小さな町で一泊してから馬車に乗ること半日。

 生徒達は賑やかな旅路を終えてフィリネスの開拓地の中の学園所有の拠点に到着した。

 馬車を下りた生徒達がまず目にしたのは、粗末ながらそれなりの広さと数を備えた建物や設備、その脇に広がる開墾途中の畑や牧場、そしてその向こうに広がる終わりの見えない森と山。

 そして――


「ねぇ、何なのあれ……」

「うわ、気持ち悪っ」

「目の錯覚だと思いたい光景だな」

「一匹欲しい……え、だめ? でもあれ庭に植えたらきっと可愛いと思うな」


 ――生徒達をまず歓迎し、驚かせたのは森の方からやってくる何かおかしな生物の姿だった。

 大きさはおおよそ大人の腰の高さくらいで大したことはない。しかし、その姿が問題だ。

 彼ら(?)は思い思いに緑の葉を揺らし、しなやかな枝を振り、足のように器用に根を動かして、畑の方を目指して走ってくる。


「何だか嫌な記憶を掘り起こされる姿ですわ……」

「ここから見る限りあんまり大きくはないみたいだけど、あれって魔物かしら。やだ、怖いわライラス君」

「多分ね。あ、ラスは下がっててよ。ほら、そこの二人、さっさと前に出て壁になって」

「あ、うん……」

「……はい」

 それはどう見ても――例えるなら芽生えて一年か二年、やっとしっかりと根付いたばかりの頃の――若木の姿をしていた。背丈の割に幹が太い様な気もするが、枝は細く、葉の色も瑞々しい黄緑色だ。それが普通に畑に植わっていたのなら、誰も気にもしなかっただろう。

 しかしそれが森から出てきてこちらに走って近づいてくるとなれば平静でいるのは難しい。しかも数が多く、一本や二本どころではないのだ。ざっと見て二、三十本はいるし、まだ増えている。それらがシュタシュタと軽快な動きで走り、わらわらとこちらに近づいてくるのだから、不気味この上ない。


「木が走ってくるとか何かもう既に予想外なんだけど……俺、実験場所の想定、間違えたかなぁ……」

 非戦闘員の一人であるライラスはその不気味な姿に慄きながら、言われた通り少し後ろに下がる。

 他の生徒達も次々にそれらに気づき、ざわざわと不安げに森の方を見ては言葉を交わした。

 すると突然辺りにカンカンカンカン! と甲高い鐘の音が響き渡った。

 生徒達がそれに驚いていると建物の入り口が次々と乱暴に開き、手に武器を持った人間たちが続々と現れた。畑や牧場の方からも沢山の人が走り出てくる。


「おーい、出たぞ! 全員武器持って出動!」

「魔法部隊出ろっ、早く! 一匹も果樹園に入れるな!」

「おっ、人手が増えてる! おい、お前ら何年だ?」

「何年でもいいだろ、丁度いいからお前らもちょっと手伝え!」

「えっ、えええ!?」

 突然現れた先輩達や研究生らしき人々に口々に言われ、到着したばかりの生徒達はそれぞれに困惑を浮かべた。

 しかし半ば引きずられるようにして森の方へと皆向かわせられる。

 その間にも走る木々は更に距離を縮め、畑の端へと徐々に近づいてきていた。森と敷地の間には隔てるための柵が一応あるのだが、木でできている上にあまり背は高くない。

 若木たちは次々にその柵を脚力だけでひょいと軽快に飛び越えた。そこに年長者達の怒声が響く。


「おら、魔法部隊っ、燃やせぇ! ただし畑には火をつけるなよ!」

「他の連中は抜けてきた奴を叩き切れっ、反撃してくるから遠慮はするなよ! 武器もってない奴はとりあえず近くの奴と協力して捕まえろ!」

「口はないから噛んだりしねぇからな、枝で殴ってくるからまず枝を掴んで根を押さえるんだ!」

 上からの慣れた指示が次々と飛び、それに従って不慣れな生徒達もそれぞれが班単位で散らばっていく。

 畑や牧場を背に守るようにして彼らが配置につくと、もう木々は目の前まで来ていた。思ったよりもずっと早いその速度に生徒達は驚き、思わず後ろに引きそうになる。しかし次の瞬間、その目の前の木々が次々と炎に飲まれた。


「そーれ、っと! ふふ、着いて早々好きなだけ燃やしていいなんて、なんてすっきりする話なのかしらね!」

 シャルの放つ青みがかった炎が次々と走る木々を撫でてゆく。炎にまかれた木々はキィキィと軋むような音を立てて転がり回った。流石に木だけあって炎には弱いらしい。

 だが生木(?)故に火の通りは今一つのようで、全体を炎に包まれてあっという間に燃え尽きたものもいたが、かすめただけで逃げおおせたり、地面に転がったことで火が消えかけているものも多い。

 しかしすかさずそこに走りこんできた年長者達が、手に持った斧を足を止めた木々に向かって振り下ろした。細い若木は次々にその胴体を真っ二つにされ、動きを止めた。


「やるな、嬢ちゃん! おら、お前らもぼさっとしてないで燃やせ! 切れ! 捕まえろ!」

 檄を飛ばされた生徒達も我に返り、ようやくぎこちなくも動き出す。追いかけて剣を振りおろし、魔法でからめ捕る。

 やってみると数は多いが大きくはないし、多少すばしっこいくらいで相手にできないことはなかった。シャルのような炎の魔法が得意な生徒が嬉々として若木達に炎を浴びせているので数はどんどんと減っている。

 どの生徒もこんな未開の地まで来るくらいなのだから、元々それぞれがそれなりに戦う力は持っているのだ。心配した反撃も相手が小さいので大したダメージにはならないとわかれば、皆手際よく木々を刈り取っていく。

 医療学部や技工学部の生徒は後ろに下がり、人々の間をすり抜けようとする木がいたら仲間達に教えていた。


「シャル、楽しそうだなぁ」

「ああ。馬車の中で大分鬱憤をためていたようだから、ちょうどいい発散になるだろう。ほら、そっちにいったぞ」

「おっと、あぶね。よっ」

 ジェイは走ってきた木が脇をすり抜ける前に葉を掴み、引き倒して踏みつけた。

 キィキィと足の下から抗議の音が上がるが、放すわけにはいかない。さてこれをどうしようかと考えていると、近寄ったディーンが剣を振りおろし、踏んでいないところから真っ二つに切り分けてくれた。

 切り分けられた断面を見ると普通の木と何も変わりのない切り口で、数は少ないが年輪も刻まれている。動かなくなったその姿はただの木にしか見えない。さっきまで走り回っていたのが嘘のようだった。


「これって、木なのか? それとも木に似た何か?」

「さぁ。ところでジェイ、アルシェレイアは?」

「え、アーシャならさっきまで後ろに……」

 ジェイが言いながら振り向くと、さっきまでそこにいたはずの少女の姿はない。いつの間に、と思いながら二人が辺りを見回すと、少し離れた畑の脇にしゃがみこんでいる白いマントが見えた。


「ああ、いたいた、おーい、アーシャ!」

「アルシェレイア、どうかしたか」

 二人がが呼びかけると白いマントがもそもそと動き、立ち上がる。振り向いたアーシャはぱたぱたと二人の所に戻ってくると、にこにこと楽しそうに手に持ったそれを掲げて見せた。


「見て、捕まえた!」

 嬉しそうにそう言うアーシャの手には、他のものよりも一回り小さい若木が握られていた。枝と根を紐のようなものでがっちりと縛られ完全に抵抗を封じられたそれは、少女の手の中で諦めたようにぐったりしている。時々身をよじるところを見ると死んではいないらしい。

 アーシャはそれを地面に置くとどこからか巻尺を取り出してあちこちの長さを測ったりし始めた。


「……アルシェレイア、珍しいのはわかるが観察は後にしてくれないか」

「そうだぜ、アーシャ。ほら、まだ森から追加が来てるしよ。それにそいつが危ない奴だったらやばくないか?」

「でも捕まえていいって言ってたよ」

「それは『捕まえていい』ではなくて、『とりあえず捕まえろ』の間違いだ」

 ジェイとディーンの抗議を受ける間にも、アーシャは気にせずそれの太さを測ったり葉を一枚むしったりしてゆく。葉をむしられる時だけ木は小さく軋んだが、それ以外は走っていた時とは違い大人しい。それをいいことにアーシャは逆さにしたり軽く振ってみたりと更にあちこちを触り倒した。

 どうやら少女の好奇心の前には何を言っても無駄らしいと悟ったジェイとディーンの二人も、諦めてそれを横目に見ながら自分たちの所まで抜けてくる木々の始末に戻ることにした。


 しばらく作業を続けた後、気が付けば森から出てくる追加の木はいなくなり、動くものも少なくなっていた。あちこちに散らばった人々も今は残った数本の木々を追いかけている。

 開拓地での最初の騒動は、どうやら一応の終わりを迎えたようだった。






「え、じゃあこれが開拓地を押し戻している原因?」

 シャルは自分が散々燃やした木々の消し炭を前に首を傾げた。それにしては随分と簡単に燃やされたものだと不思議に思う。しかしシャルの目の前でその消し炭を集めていた研究員の男は笑って首を振った。


「いや、もちろん原因はこれだけじゃないよ。これはその一つってだけさ」

「あ、やっぱり。そりゃこんなに簡単に駆除できるのが原因なら、押し戻される事はないっすよね」

 手にした木切れを配られた袋の中に入れながらジェイは辺りを見回した。生徒達はそれぞれに自分が退治した若木のなれの果てを集め、それを先輩達や研究員からもらった袋に回収する作業をしていた。


「いやぁ、これもそう馬鹿にしたもんじゃないんだよ。こいつらは森の中でこのくらいの大きさまでに育つと、毎年今頃の時期に開けた場所を求めて一斉に移動するんだけどね、根付いた後の成長が早いのなんのって。おまけに周辺に他の木があるとそれそっくりに擬態して姿を隠すんだ」

「ああ、それで果樹園に入れるなと誰かが叫んでいたんですか」

「そうそう。なんたって一晩で他の果樹と同じくらいの大きさになっちまうからね。根付いたらもう動かないから気づきにくいし、擬態されたら区別がつかない。おかげで何度果樹園が壊滅しそうになったことか」

 壊滅、という穏やかでない言葉に皆は顔を見合わせた。こんな小さな、あっけなく倒される若木が一体何をどうしたらそんなことが出来るのか。

 そんな疑問が顔に出ていたのだろう。研究員は彼らに説明してくれた。


「こいつがねぇ、大きくなると美味い実をつけるんだよ。香りが良くて、そりゃもう甘い奴。残念ながら魔素を多く含み過ぎていて人間が食べるには向いていないんだけどね」

「人間が、という事は他の生き物が食べるんですか?」

 シャルの言葉に頷くと、彼は大きく両手を広げて見せた。

「こんなにでっかい、いや、もっとかな。まぁとにかくすごくでかくて厄介な猿とか、翼を広げると大人二人分は軽くあるような鳥がこの木の実が大好物なんだよ。どんな遠くからでも匂いを嗅ぎつけてやってくる。特に猿は最悪だ。群れで来るからね。ついでに他の作物や家畜や人間を襲ったりして、この拠点もあわや壊滅の危機ってことが何回もあったよ」

 そんな大きな猿というのはさすがに誰も想像がつかなかった。街で育ったのなら、猿など本物を見たこともないという生徒も少なくないのだ。その危険は想像するしかないが、男の口ぶりは冗談めいたものではない。


「その……一つ聞きたいんですけど、この未開地域って、燃やしてしまう訳にはいかないの? そりゃあ全部という訳じゃないけど、そういう危険を呼ぶものなんかを」

 ある程度範囲を決めて森を焼き、拓くことはできないのか、というシャルの疑問に男は首を横に振った。


「それを思いついた人間はもちろん沢山いたよ。そしてその結果が、今のここが各国の合同開拓拠点という形をとっていることの理由なのさ」

 どういう事か、とさらに質問を投げようとシャルが口を開きかけた時、おおい、と男の向こうから声が掛った。


「そっち終わったか? そろそろ終いにするぞ」

「ああ、今いく! さ、君たちもお疲れさん。荷物、馬車に置きっぱなしだろう? 部屋の割り当てもあるはずだから引率の先生の所に行った方がいい。早くしないと日が暮れる」

「あ、はい」

「ってか、いつの間にか結構日が傾いてるし……腹減ったな」

「この袋はどうすれば?」

「ああ、後でまとめて焚き付けにして、燃えカスや灰は肥料にするんだよ。まだ生きているけど、二つになったり折れたりすればもう動けないし、一晩地面から離れればもう走る力は失ってただの木切れになってしまうんだ」

 それを聞いてディーンは安心したように頷き、後ろを振り向いた。

 そこにいたのは作業の間中、妙に静かだったアーシャだった。


「だ、そうだ、アルシェレイア。だが一応その背中に隠しているのも出してくれ」

「えっ!?」

 紐で縛られた最後の木が回収されたのはそれから間もなくの事だった。






「持って帰っていいって!」

「そうは言っても……本当に大丈夫なの?」

「そんなものを持ち帰ってどうするんだ一体」

「それって結局植物と動物どっちなんだろ」

 皮袋に詰められすっかり動かなくなった木を楽しそうに眺めている少女に仲間達は半分諦めたような溜息をついた。結局あの後アーシャは研究員や教授達に訴えて、ディーンに回収された若木をその手に取り戻すことに成功したのだ。

 この木は一晩土から完全に隔離しておけばすぐに動かなくなってしまうし、魔素の少ない土地に持っていくのなら育ちも悪い上、危険な実をつける事もないのは確認されているらしい。

 毎年同じように何人かの生徒や教授が調査のために持って帰るらしく、アーシャの要望もあっさりと通ったのだった。


「一応植物の魔物って言う分類らしいよ。精霊が中に入ってる訳でもないのに自立行動するなんて、すごく不思議で面白い。どうするかは持って帰ってから考えるんだ」

 確かに危険がない事や、安全な扱い方は教えてもらったが、正体がわからないものをよく持って帰る気になると三人は呆れるばかりだった。

 そんな皆の反応は本人の目には入らないらしく、アーシャは嬉しそうにそれを荷物の中にしまい込んだ。


「私達は相部屋だから、その荷物は他の人のと混ぜないように気を付けないとね……」

「大丈夫。このくらいだったら鞄に入るもん。ずっと持ってる」

「そんなにそれが大事なのかよ……」

「……他にもっと大事なものがあるだろうに」

 アーシャを除く三人の口からまたため息がこぼれる。今度の溜息には間違いなく深い諦念がにじんでいた。


「そういえばこの木は魔力を通す媒体としても結構優秀らしいよ。乾燥させて焚き付けにする時も魔法の炎でならすぐに火がついて安定して燃えるからすごく便利なんだってさ。今日のにも使われてるのかなぁ」

 その言葉に三人の食事の手が一瞬止まる。目の前の素朴ながら暖かな食事があの走り回る木々を焚き付けにした火で作られていると思うと誰もが何となく複雑な気分を抱く。

 それを口にした少女だけは全く気にすることもなく、放っておいた食事をゆっくりと再開し始めた。



 着いたばかりで騒動に巻き込まれた生徒達がようやく解放され、宿舎に自分たちの荷物を運びこむ頃にはもう日は傾きかけていた。宿舎は男女別で、班もばらばらで適当に空いている部屋を数人で使う事になっている。

 アーシャ達四人は他の班に比べると荷物が少ないので、部屋だけ決めてから食堂の建物に集まり早めの夕飯を食べていたところだった。アーシャだけは木に意識を持って行かれていたので食事はそっちのけだったのだが。

 周囲には少しずつ食事をとり始める生徒も増え始め、広い食堂もあちこちで交わされる話し声で段々とにぎやかになっている。漏れ聞こえる話を耳にすると、こうしてここでの最初の食事を取っていると、口に上る話題はやはりこの不可思議な土地の事ばかりのようだった。


「なぁ、アーシャ」

「ん? 何、ジェイ」

 さっそく面白いものが手に入って上機嫌の少女に、ジェイはずっと考えていた疑問を投げた。

「昼間のさ、あの研究員のおっさんの話、聞いてたか?」

「んと……一応?」

「ここが合同開拓地である理由って言う話してただろ、最後の方で。あれってどういう事だか知ってるか? アーシャは前に開拓地に関する本を読んだっていってたよな?」

 ジェイの言葉にシャルも顔を向ける。それは彼女も気になっていたことだったのだ。

 この森を火で焼いてしまえない理由。そして、フィリネスがここを半ば手放した理由とは?

 

「ええと……火を使えないのかっていうこととかだったっけ? それは知ってる。その結果も。んっとね、フィリネスはもともと昔から何度もここを開拓しようとしてたんだって。戦乱の時代の間にも何度も挑戦したって記録に残ってるよ」

「フィリネスはあまり国土が広い国ではないから、土地を欲するのは当然かもしれないな」

「うん。でも、昔はもっと広かったんだよ」

「どういう事?」

 アーシャの言葉にシャルは疑問符を浮かべた。

 それにすぐには答えずに、アーシャは鞄の中から簡単な地図を取り出し、テーブルの上に広げる。

 地図は簡単ではあるがこの辺り一帯を描いたものだった。図書館でアーシャが写してきたものらしい。

 紙は縦長で、右上の方に山脈の終わりが、真ん中の辺りの上から左下に向かって川が描かれ、それは端の方で海へと繋がっていた。海側は大陸の終わりの崖っぷちらしく、何のしるしもついていない。

 山脈の終わりから大分下の、紙の右下部分に小さ目の丸が描かれている。どうやらこれが開拓拠点を表しているらしい。ここから山脈までも川までも大分距離がありそうなのに、それ以外の部分はほとんどが森を示す色で塗られていた。


「んーとね、この西の川の少し手前までと、北は確か山脈より少し入ったところくらい。この辺までが大昔のフィリネスだったんだって」

「え、今よりそんなに広かったのかよ」

 大雑把な地図だが、この縮尺から考えるとその広さは結構なものだった。今の開拓拠点だってかなり広いというのに、その何十倍もあることになる。


「でも、えっと二百年くらい前だったかな。もっと土地とそこから得られる資源が欲しかったフィリネスはさらに奥まで開拓する計画を立てて、そのために森に火を放ったんだって」

「……それで、どうなったの?」

「木々は燃えて、開拓は成功したように見えたらしいよ。最初のうちは」

 アーシャは本で読んだ事を思い出し、順を追って語って聞かせた。


 火は綺麗に森を焼き払い、開拓の最初の段階は成功したように見えたという。

 ここを開墾して畑にしたり森から得られる資源を使えば物資は今までよりもはるかに豊富になる。戦争で有利な立場をとれるかもしれない、とフィリネスの支配層は喜んだらしい。

 しかしその喜びがかき消されたのはあっという間だったという。


 木々を燃やしたあとから、また新しい木が生えてきたというのだ。それも、瞬く間に元の森になるくらいの速度で。開拓に挑んだ人々はそれに驚きはしたが、すぐにもう一度森に火をつけた。すると今度は木々は燃えなかった。

 生えてきた木が以前と違っていたのだ。火に強く、燃えることなく、それどころか炎に炙られて花を咲かせた木は、風に乗せて花粉を飛ばした。

 それを吸い込んだ人々は次々に体調不良を訴えて倒れ、そして何故か飼っていた家畜達が凶暴化しだした。

 それらの異変の原因が新しく生えてきた木にあると人々は考え、手に手に斧を取って森へと向かった。しかし彼らを迎えたのは物言わぬ木々ではなく、森の奥から押し寄せた魔物の群れだった。


「それまでも森や山に魔物はいたけど、群れを成したりしてなかったんだって。それが一度に襲ってきて森の際にあった村が幾つも壊滅したんだって」

「それで今の地図になったの?」

「ううん、まだもっと広かったみたい。でもフィリネスはその後も諦めずにまた挑戦したんだってさ。今度は兵士も人もお金ももっと増やして、大規模に。でもそうすればするほど逆効果だったらしいよ。森や山からの反発はどんどん大きくなって、ついにここから向こうを全て失って、もう人もお金も出す余裕がなくなって、やっと諦めたんだってさ」

「ふぅん、引き際を間違えたって訳ね」

「馬鹿な話だな」

「そのうちに戦乱の時代は終わって、結局フィリネスは戦争と開拓の失敗で失ったものを取り戻せなかったんだよ。元は貿易で栄えた海洋国家で海ではすごく強かったって言うけど、陸に拘りすぎてすっかり力を落として小国になっちゃった。で、今はここを他の国に開放して、共同の開拓拠点を作ってそこから得た資源や広がった土地の利用を融通する代わりに、お金や技術の供与を受けてるんだってさ」

 アーシャはそこまで語ると話は終わりとばかりに冷めかけのお茶をこくこくと飲み干した。


「そんな話だったのかぁ……しかし、そんな歴史があるのにまだ開拓してるとか、大丈夫なのかよ、ここ」

 恐ろしそうに呟かれたジェイの言葉に、アーシャはさぁと首を傾げた。

「本によれば、神殿に神託があったって言う話も残ってるらしいよ」

「神託……高位の神官や巫女が聞くことがある神の声って奴よね。あれって本当にあるの? 開拓についての?」

「うん、それが本物かどうかは知らないけどね。私が読んだ本には確か、『大陸が割れた時に理を失って狂った地は、力で御すことは叶わない。人の知恵を集め、狂った理を排し、新たな理を施せ』……だったかな、多分そんな内容が書いてあったよ」

「なるほど、それでこの開拓拠点は今の各国の協力に加えて、アウレスーラのような学園の生徒や研究生にも門を開いた形になっているのか」

「神託の全文は明らかじゃないし、解釈も色々らしいけど、多分そういう事なんだと思うよ」

「何だか不思議ね。アウレスーラの裏みたいに、ただの森や山に見えるのに」

 シャルは窓の外に目を向けた。しかしもう外は日も落ちて、遠くの山が影となって見えるだけだ。風の森に行った時もやはり入ったことのない深い森に不安を覚えたものだった。けれど、あそこはもっと明るかったようにも思える。


「そういえば合同の開拓拠点が出来てから、開拓はゆっくりではあるがそれなりに進んでいたと聞くが……今は、そうでもないらしいな」

「ここ数年の間に、もう一度広がってた地図は大分もとに戻っちゃったらしいね。原因はわかってないみたいだけど」

「おっさんの話じゃ、昼間のあの変な木なんかも影響してるって言ってたけどなぁ」

「森の中に入ったらあんなのがごろごろしてるのかしらね……」

 シャルの声は彼女らしくなく、どこか恐れを含んだような響きだったが、ジェイもディーンもそれを笑う事はできなかった。明日から四人は森とここを行ったり来たりする予定なのだ。その前にそんな話を聞いてしまえば何となく気後れしても仕方ない。

 だが、どこにでも例外というものはいる訳で。


「うん、楽しみだね!」

 いつになくうきうきとした少女の声が、場違いなほど明るく響く。


「……流石だな」

「そうね、うん。いっそ楽しみにした方がいいわよね」

「俺も見習おう……」

 

 開拓地での最初の一日は多少の不安はあるが一応穏やかに終わろうとしていた。

 明日からのここでの日々がどんなものになるのか。

 それはまだ誰にも想像がつかなかった。




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