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15:賑やかな旅路

 

 旅立ちの朝は晴天だった。

 空は雲一つなく、しかし気温は暑いというほどでもなく、実に気持ちのいい朝だった。

 上級学部の正門の前で待ち合わせて顔を合わせたアーシャ達四人も、馬車の発着場までの道のりで何度となく空を見上げて幸先が良いと喜んでいた。

 集合場所に待っていた馬車は二頭立ての箱馬車で中も広く、向い合せになった座席の乗り心地も悪くなかった。途中で川を下る船に乗り換えるとはいえ、これも嬉しい出来事だった。そこまでは確かに、良い旅立ちの朝だったのだ。

 そう、そこまでは良かったのだ。だというのに――


「……これはない」

「……だよな」

 ジェイはディーンがぼそりと呟いた言葉を耳に入れ、深い同意を示した。

 そのディーンは馬車の後ろに陣取り、中の光景から目を逸らすように流れてゆく風景を見ている。

 ジェイはそれをちらりと見やり、自分もいっそ目を逸らしたいと思いつつも、ディーンと反対隣に座る少女の赤いローブの端を懸命に握りしめた。


「ほんっと信じらんない! よくもまた実習の時に人の前に顔を出せたわね!?」

「あら、それについては去年ちゃんと謝罪したじゃありませんの!」

「確かに随分と心の篭らない謝罪みたいな言葉をもらったような気がしないでもないけどね、それで全てが帳消しだとでも思ってるの?」

「過ぎたことを今更ぐちぐち言うなんて小さいですわよ?」

「小さくて結構よ! 生憎あんたほど態度もでかくないし神経も太くないのよ!」

「なんですって!?」


「……どう考えてもいい勝負だよなぁ」

「聞こえるぞ」

 ジェイは慌てて口をつぐみ、馬車の座席から立ち上がろうとしたシャルのローブを引っ張り、まぁまぁと宥めてどうにか椅子に座らせた。たったそれだけの事で精神を著しく消耗した気がして、思わずため息がこぼれる。

 すぐ隣で繰り広げられているシャルとコーネリアの口喧嘩が実力行使を伴うものにならないように時々宥める、という大変に損な役は、生憎ジェイ以外に負う者がいないのだ。


 女にまつわる面倒事を嫌うディーンは完全に無視を決め込んでいるし、アーシャはと言えば発着場について早々、引率の一人だと言って現れた無精ひげの教師の笑顔を見て止める間もなく素晴らしい身のこなしで箱馬車の屋根に飛び乗り、上に積まれた荷物の間に隠れてしまった。それっきり降りてくる気配もないが、時々ディーンが覗いて無事を確かめているのでどうやらちゃんと乗っているらしい。

 では車内にいるコーネリアの連れはと言えば。


「ねぇ、ライラス君。私、果物持ってきたのよ、剥いてあげるから食べない?」

「え、いや、えーと、い、今は胸……じゃなくて腹、いっぱいだから……」

「マグルール、もうちょっとラスから離れてくれない? 要らないって言ってるんだからさ」

「貴方には聞いてないわよ、フランツ・カッセル。何なのさっきから、邪魔しないでくれる?」

「するに決まってるじゃないか。親友が君みたいな性悪女の毒牙にかかるのを黙って見ている訳には行かないからね。ラスは昔っからお人好しだし、どこか抜けてるから心配なんだよ」

「余計なお世話よ。彼の心配は私がするから気にしなくていいわよ」

「君はそっちで縮こまってる取り巻き君たちの心配をしてあげたらいいじゃないか。放っておかれて哀れだろう」

「……や、あの、二人ともちょっと落ち着こうぜ、っていうかフラン、何か性格変わってねぇ……?」

 美人と名高いが扱いが大変難しそうな女生徒と、しばらく会わない間に何だか随分と性格が変わってしまったように思える親友。

 馬車の中ほどで彼らに挟まれながら所在無げに両方を見やり冷や汗を流しているライラス・バルドに助けを求める気には、さすがのジェイもならなかった。

 というか、あの中にも間違っても入りたくない。それなら対処に慣れている方を相手にしていた方がまだましというものだ。取り巻き君たち、と言われた二人の生徒もまた、前の方に座り何も見ない聞かないとばかりにひたすらに御者をしている教師の背だけを見つめていた。


「こいつらと合同ってわけじゃなくて、乗り合わせなのが唯一の救いだけど……まだ道は長いし、宿舎でも顔は合わせるんだろうしな……」

「……言うな。馬車から飛び降りたくなる」

 走り出していくらも経ってないというのに騒々しい馬車の有様は、流石のディーンをも辟易とさせたようだった。

 本格的に野外実習の季節が到来し、他の地域へ行く学生たちを乗せた馬車は、今日も沢山出発している。

 彼らが乗っている馬車の後ろにも前にも同じ方面へ行く馬車が何台も連なっていた。そのうちの幾つかとは途中で道が分かれるが、フィリネスへ行く馬車は他にもある。なのによりによってこの面々で同じ馬車に乗る羽目になるとは、四人のうちの誰もが予想していなかった。


「今回は問題はないと思っていたんだが……要注意人物のいる班の行き先くらいは先に確認しておくべきだったか」

「今更言ってもしょうがねぇって、さすがにこれは予想してなかったしよ。まぁ、面子が前と違うのが一応救いだろ」

 そう言ってジェイはもう一度車内を見回した。ディーンと彼の話す小さな声は馬車の走る音と合わさって他の人間には聞こえてはいないようで、後ろの方に座る彼らに注意を向ける者はいない。

 シャルとコーネリアの二人はしばらくは声を荒げて睨みあっていたが、今は少し気が済んだらしく静かな嫌味の応酬へと移行している。

 去年の野外実習で四人に多大な迷惑を掛けてくれたそのコーネリアだが、彼女の今回の班は前回とは全く違う人間ばかりだった。


 魔法競技会以来色々ありつつもそれなりに親しくしているらしいカトゥラ・マグルール。

 カトゥラの伝手で参加している――させられているという方が正しいようだが――名前は知らない二人の武術学部の男子生徒。

 そして競技会以来ライラスとの友情を確かめ、以前よりも親しくしているらしい魔法科のフランツ・カッセル。

 コーネリア含むこの統一感のない五人が一つの班で、魔技科の実習課題を抱えてフィリネスの開拓村へ行くライラスを護衛する、ということらしい。

 正しく表現するならば、フィリネスへ行く課題を教師から勧められたライラスが護衛の生徒をつけてもらう事を申請し、それに目を付けたカトゥラがコーネリアを巻き込んで名乗りを上げ、親友を心配したフランツがそこに割り込み、偏ったメンバーを補うために残りの二人がカトゥラによって強制参加させられた、というのが真相らしいが。


 それを聞いた時はジェイもディーンも、よりにもよって同じ方向へ行く課題を選んでくれたライラスを少々恨めしく思ったものだが、今は彼に深く同情している。

 何でこうなったんだろう、と自分の置かれた境遇を思いうつろな目をしているライラスを見れば、これ以上責めるのも酷というものだろう。

 彼が護衛を申請しているのなら自分達が請け負っても良かった。それならこんな面倒がなかったのに、とも思ったりもしたが全ては今更だ。

 とりあえず、残念ながら乗り合わせた馬車は今更降りられないし、途中の川の街で同じ船に乗ることも恐らく決定している。フィリネスまでの道のりも、そこから先も、おそらく前途多難なことは間違いなさそうだった。








 気持ちのいい初夏の川風に吹かれながら、アーシャは魔風船の帆桁の上でのんびりとくつろいでいた。

 人の姿はずっと下の甲板の上にあるのみで、風を受けて帆がはためく音や水の音しか聞こえない。下に降りれば大勢の生徒達で騒々しいのだが、さすがにここまで登ってくるものはいないのでアーシャはご機嫌だった。始まりから色々あって少々けちのついた感のある今回の旅だったが、それでもこうしていつもとは違う風に吹かれているだけでもそれなりに楽しい。

 それに加えてこの船には数多くの魔法による仕掛けがあって、アーシャを飽きさせることがないのだ。今もこうして上から甲板を見下ろしながら、その表面に施された様々な魔法を眺めていたところだった。


「喫水が浅いのに帆が大きいから……その釣り合いを取るための魔法かぁ。うん、面白い」

 この魔風船は川を行くためのものなので喫水が比較的浅い。しかしレアス川はかなりの川幅があるので船自体は大きく、その大きな船で速度を上げたり川を遡ったりするためにはどうしても帆が必要となる。

 なのでその大きな帆を支えて船を維持するための色々な魔法が甲板をはじめとした船の各所に施されているのだ。

 それらを高いところから一望できるというのはアーシャにとってはかなり楽しい。こういう楽しみがあるなら、少々どころでなく騒がしい旅路もどうにか我慢できようというものだ。


 生徒達がアウレスーラを出発してから半日、途中で馬車は幾つかの行き先に別れて数を減らしつつ旅は進んだ。

 アーシャ達を乗せた馬車は去年レイアルに行く時にも通った川沿いの街リドにつき、一行はそこから船に乗りかえた。セドラ山脈に端を発するレアス川は途中で二つに別れて方向を変える。東に行けばレイアルに、西に行けばフィリネスへと川は繋がる。


 アーシャ達の乗っている船は西への航路を辿り、そろそろ丸一日。

 今日の夕刻には川沿いの小さな街に着き、開拓地に行く生徒達はそこで船を降りる予定だった。フィリネスの北の開拓地へ行くにはその街からまた馬車に乗り、西にもう半日ほど走る必要がある。

 今いる船でも生徒達は全員が一つの大部屋――一応男女で仕切ってはあるが――で過ごしているのでそれはそれは騒がしいが、馬車に乗ったらきっとまたひと悶着あるだろう。

 また箱馬車だったら屋根に乗ろうかな、とアーシャは密かに考えていた。


「おーい、グラウル」

「ん?」

 これからの道のりに思いを馳せていたアーシャは、不意に下から聞こえた呼びかけに顔を上げた。

 アーシャを呼ぶほど親しい人間は数少ない。声の主に予想をつけて下を見下ろすと、予想通りの顔が帆柱にかかった梯子を恐る恐る登ってくるところだった。

 その姿を確かめてアーシャは立ち上がる。帆桁の上をひょいひょいと歩いて帆柱近くまで行くと、ちょうどライラスが帆柱の天辺の見張り台の所まで登りついたところだった。


「うう、怖えぇ。お前よくこんなとこで普通に歩けるな……」

「慣れればどうってことないよ。落っこちても掴まるロープはたくさんあるし」

「無理無理! そんなこと想像させるな!」

 そう叫んで下を見、一瞬ふらついたライラスは台の手すりに取りすがってしゃがみこんだ。

 アーシャはそんな彼を不思議そうに覗き込み、声を掛けた。


「そんなに嫌なのに登ってきたの? 降りられる?」

「……ちょっと休めば」

 どうやら実際に登ってみると予想外に高く感じたらしい。ライラスは下を見ないように体をそっと起こすと、手すりに寄り掛かって座り込み、空を見上げた。


「それで、ライラスはこんなとこまで何しに来たの?」

「ん? ああ、そうそう。これをお前に見せようと思ってよ。あとちょっと頼みがあってさ」

 そう言ってライラスは背負っていた鞄を肩から下ろし、その中から二の腕ほどの長さの布包みを一つ取り出した。

「ほら、これ。落とさないように開けてくれよ」

 アーシャはそれを受け取り、そっと布を開く。中から現れたのは、細長い一本の棒だった。だが棒と呼ぶには片方が細くなっており、全体的な形も角ばっている。とても細長い四角錐状の何かと言った方がよさそうだった。

 全体は金属でできているのか細さの割に結構重い。滑らかに磨かれた黒い表面には細い銀線と金線が縦横に走り、幾重にも重なる紋様や文字を描いている。

 四角錐の底辺に当たる部分には水晶らしい透明な石がはめ込まれ、その中にも複雑な魔法陣が込められているのをアーシャは見てとっていた。


「これは……結界用の魔具、かな?」

「当たり。やっぱお前はすげぇなぁ、見ただけでわかるのかよ」

「何となく。でも、今までとちょっと様式とか形が違うんだね」

 アーシャの問いにライラスは頷き手を伸ばした。その手に魔具を戻すとライラスは水晶に触れ、中の魔法陣を展開して見せてくれた。滑らかな曲線を持った飾り文字のような古代語が青くきらめく。


「ああ、これは地面に深めに刺して使うんだ。最初にこの水晶に魔力を込めて起動して、その魔力を呼び水にして周辺の魔素を取り込むってのを目的にしてるんだ。それを魔力に変えて結界の維持をしようと思ってさ、その試作品なんだ」

 結界用の魔具というのは昔から数多く存在し、力の強弱に差はあれど魔具を扱う店に行けば普通に買えるものだ。

 ただそれらの殆どは、中にいる人間が普段の生活で自然に発散している魔力を自動的に吸って結界を張る、という仕組みになっている。

 だから結界の強さというのは必然的にその中にいる生き物の数で変わってしまうというのが今の常識だ。

 大都市なら強固な結界が張れるが、人口の少ない小さな村などならそれなりの強さになる。


「今ある魔具だと、危険の多い地域にある小さな村とか、旅する時とか、そういう場所で結界を強くするためには必要な魔力を自分で籠めないといけないだろ? でも魔力があんまりない人には結構負担なんだよな、あれって」

「うん、確かに……辺境の村なんかだと、魔力が多めの人が交代で結界を維持してるって授業でも言ってたね」

「そうそう、だからこれはそれを解消できないかと思って作った奴なんだよ。お前と色んな魔具作ってた時に考えたんだ。ただ、まだ魔素を魔力に変換する効率がものすごく悪くて、魔素の多いところじゃないと実験も難しくてさ……」

「それで開拓地に行くんだ?」

 アーシャの言葉にライラスは深く頷いた。


 魔素というのは自然界に存在する魔力の元となる物質だと言われている。生き物は世界のあらゆるところに存在するそれを取り込み、自分の魔力に変換して無意識の内に使っている。

 それを魔法として様々な形で利用し、大量に消費するのは人間だけだ。だから人の多いところでは魔素は少なく、そうでないところでは多くなるという傾向にあるという。

 ただ、水が高いところから低いところに流れるのと同じように魔素も濃いところから低いところへ拡散する性質があるので、偏り過ぎたり枯渇したり、という事はないとも言われている。


「道具による魔素の魔力変換……昔から沢山の魔技師が取り組んでるけど、未だにあんまり成功してないっていうけど、ライラスのこれはどう?」

「まだ全然さ。けど開拓地はすごく魔素が多いって聞いてるから、少しは動くかなって思ってるんだ。まぁ、自分でも無謀だとは思うんだけどよ。あの大会からこっち、俺もだけど、魔技科は皆やる気出してるだろ? 今なら、これからならまた新しい発展があるんじゃないかって……なんかちょっと、挑戦したいんだよな」

 ライラスはそういうと照れくさそうに笑って頭を掻く。そこには確かに以前にはなかったやる気と、少しばかりの自信があるように見えた。


「だからグラウルにも意見を聞きたいって思ってよ。これ、一本渡しておくから、良かったら向こうで試してくれよ。んで、結果とか、改良案とかあったら聞かせてほしい」

「ん、いいよ。じゃあ預かる。けど開拓地で実験させてもらえるほどなんてすごいね」

「うーん、あそこはいつだって大変だっていうから……何でも新しい事は試してみようってとこなんじゃないか?」

「本で読んだだけだけど、やっぱり昨日切った木が今日また伸びてる、みたいなことが相変わらずあるのかな」

「先輩に聞いたとこじゃ、そうらしいぜ。まぁおかげで木材には困らないらしいけどな」

 アーシャやライラスは技巧学部にも出入りすることが多いので、開拓地の話は結構よく聞くし本で読んだこともある。貴重な薬草や不思議な木々、珍しい石や様々な動物のことなど、以前はいくら聞いても飽きることのない不思議な話が多かった。

 だが最近ではあまりいい話は聞こえてこなくなっている。人が自然に挑み、そして敗れたという話ばかりと言ってもいい。特に近年はせっかく広げた土地を押し戻されるばかりだという。

 だがまだその戦いを知らない子供たちにとっては、未踏地域は物語の向こうにある、夢と冒険の香りのする憧れの土地だった。


「どんなとこなんだろうね。千年前に森に呑まれたままの、未踏地域って」

「さあなぁ……どんなとこでもいいけど、面白いといいよな。色々勉強したいしよ」

「ライラスの班ならきっとどこに行っても面白いと思うよ」

「……それは言わないでくれ」

 アーシャの言葉にライラスのやる気が一瞬で霧散する。

 どうやら彼は相変わらず班の仲間達に悩まされているらしい。

 未開の土地に行って自然に挑もうという勇気ある少年でも、残念ながら自分を取り巻く現状に挑む勇気は持ち合わせていないのだった。



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