11:変わらないはずの日々
春も深まり、波乱に満ちた春休暇とは裏腹に、新しい一年は至極穏やかに始まりを迎えた。
アーシャ達四人は四学年へと上がり、去年よりも少しばかり難しくなった授業に追われる日々を送っていた。
「――ということで、えー、以上の理由から、大地の力の流れである『地脈』に合わせて都市を設計するというのは、その都市の発展の速度や人口の増加にある程度の影響をもたらすことは、歴史的に見ても実証されてるっつー訳だ。世界的に見ても、かつて栄えていた大都市の遺跡の殆どが、地脈に沿って存在する事は確かだ」
教壇に立つ男――エリウス教授は、言葉は適当だが至極真面目な顔を浮かべ、黒板に並べて貼った二枚の地図を棒でトントンと叩いた。一枚の地図は随分と古いようで幾分茶色く、この大陸の中央から東半分の大まかな地形と、その所々をなぞるように橙色の線で地脈の流れが描かれている。
もう一枚は同じくこの大陸の地図だが、国境線や都市の名前が細かく描かれた最新のもののようだった。
「ついでに言うとそういう遺跡の中で、人の領域にどうにか残った場所は大抵今の大都市の礎となってる。例えばこの辺りなら、ハルバラードの王都も、このアウレスーラもそうだな」
そう言ってさらに幾つか名を上げられた都市は確かにどれも大きめの都市ばかりだった。黒板の上の地図と照らし合わせても橙色の線の上に存在する都市が多い。
生徒達はそれらを見ながらエリウスの話を聞き、書き取ってゆく。
新しく始まったこの精霊親和学の授業を受けているのは総勢二十人ほどの生徒達だ。まだ試験的な授業だというせいもあるのか、生徒の数は多くはない。
所属する学部もバラバラで学年も二年から五年までと様々だった。彼らに共通するのは全ての生徒が精霊の加護者であるということくらいだろう。
だがその加護すらもそれぞれに個性があり、強さも種類も皆違っている。
もう既に何回目かになるこの授業はエリウスとカフィールという二人の教授によって交代で、あるいは共同で行われている。割り当てられた時間の三割ほどを座学が、残りを実習が占めており、今はエリウスが地脈についての講義を行っていた。
地脈というのは、要するに大地の下を通る地の力の流れのことだとエリウスは生徒達に語った。同じようなものとして、地下を流れる水脈や、溶岩の流れる火脈なども存在が知られている。それらに比べるとあまり聞かないが、地形の関係で風の通り道が出来る場所も風脈と呼ばれる事がある。
それらは精霊たちのたまり場だとか、移動のための手段なのだとか様々に言われているが、とりあえず昔からその存在だけは認められ利用されてきた。
都市の構築や結界の強化、農業や林業といった産業、果ては戦争への利用まで、その力の使い道は様々な可能性を秘めていたらしい。
しかし地下深くの力の流れを知覚し力を引き出すことができるのはそれぞれの精霊の加護者のみと言われている。それがそれらの利用を妨げる大きな障害となっており、近年ではその存在は必要とされつつも忘れ去られようとしているという。
「こっちの地脈図は見ての通り古くて、大体今から三百年くらい前のもんだ。これを作った地脈師達は地大陸から招かれた連中なんだが、結局は招いた国に殺されたって話でな。そう言う事も戦乱の時代には結構あって、今じゃ地脈師の技を継ぐ者は激減したってわけだな。
全く、国ってのはろくな事をしやがらねぇ。お陰で今はどこの開拓地でもなかなか十分な地質調査ができない状態だ。産業への利用もそのせいでいつの間にか廃れちまった」
殺された、という物騒な話に生徒達の間にざわめきが走る。
戦争を知らない彼らには随分と衝撃的な内容のように感じられるのだろう。生徒達の不安そうな顔を見て、エリウスは明るい笑顔を浮かべた。
「おいおい、今はそんな事はねぇからそう騒ぐな。むしろ今地脈が読める人間なんかがいたら、どこでも引っ張りだこだろうよ。就職先には困らねぇな、多分」
教授、と前の方の席から声が上がり、男子生徒の一人が手を上げた。
エリウスに視線で促され、彼はおずおずと口を開いた。
「あの、じゃあそれってもう習えないんですか? それに、地の加護持ってない人には意味ないんじゃ?」
そう言って首を傾げた彼は風の大陸の出身で風の加護を持っている、技巧学部の工学科に所属している生徒だ。
「まぁ、確かに廃れちまった技術なんだがな、全部が全部ってわけじゃねぇ。そういう技術に繋がる、精霊との対話の基本になる方法なんかは意外に細々と伝わってたりするもんだ。
俺は若い頃から結構あちこち旅してて、運良く少しばかり教わる機会があってな。まぁ、田舎の子供の手遊びみたいなもんだがな」
そういうとエリウスは身に纏った皮のベストのポケットを探り、そこから何か紐を引っ張り出した。
細い紐の先には親指と人差し指で輪を作ったくらいの大きさの丸い物がぶら下がっている。その茶色い球体の下部には一部に切れ込みが入り、どうやら土か木で出来た鈴か何かのようだった。
「いいかぁ、今一般的に使ってる精霊魔法ってのは、言葉で精霊を呼び出してそいつらに言葉でやって欲しいことを指定して現象を起こすってもんだろ。精霊が来たかどうかは普通は、自分の体が一瞬光ったりする事でまぁどうにか判断できる。
だが、その精霊が一体どのくらいの力を持っているのか、それを貸してくれる気があるのかはわからない。
つまり、呼び出した後で指示となる言葉を唱え、実際に現象が起こって初めて、精霊魔法としてどの程度成功したかわかるわけだ。そのやり取りはあくまで一方通行で、そこには対話も何もねぇ。精霊との会話はできないから仕方ない、と思いがちだが――」
エリウスは言葉を止め、指にぶら下げたままだった鈴を机の上に置いた。
少しばかりでこぼこのある鈴は平らな机の上では転がりもせず、何の音も立てない。
『地の精霊よ』
古代語が唱えられた瞬間、一瞬だけエリウスの体がオレンジ色の光を帯びた。すぐに消えたそれを気にもせず、彼はなお鈴を見つめる。
「我が友たる地の精霊よ、その声をここに」
エリウスが静かに呟いた言葉を聞きながら、生徒達もその手元にじっと視線を注いだ。
しばしの間の後、静まり返った教室内に不意に何かおかしな音がした。
コロ、コロ、と何かを転がすような、温かみのある音が室内に響く。
音の発生源はもちろん、エリウスの手にある鈴からのようだった。
「聞こえるか? これは俺が地の精霊に頼んで鈴を鳴らしてもらってるんだ」
エリウスはそう言いながら鈴に付いた紐をそっと持ち上げぶら下げた。
土でできた鈴は揺れてもいないのに、相変わらずコロコロと鈍い音がしてくる。どうやら中の玉がまだ勝手に転がっているようだった。
「我が友たる地の精霊よ、聞かせてくれ。この学園の大地の下に今も尚地脈は通っているか? 是であるなら返事を。否ならば沈黙を」
生徒達が息を呑んで見つめる中、静かに下げられたままの鈴はエリウスの問いに一瞬沈黙した後、まるで答えるように再びコロコロと音を鳴らした。
「そうか。ありがとう、もういいよ」
エリウスがそういうと鈴は途端に沈黙し、それきり音を立てようとはしなかった。
「さて……地味な一幕だったとは思うが、感想は?」
今の一連の出来事をじっと見ていた生徒達はエリウスの問いに途端にざわつきだし、近くの生徒達とひそひそと声を交わす。
好奇心に駆られたらしい何人かの上の学年の生徒達が、順に手を上げ声を発した。
「教授、今のは本当に地の精霊の返答だったって言えるんですか?」
「ほんとになんか地味だったんですけど……それは他の精霊でも使えるんですか?」
「何か対話っていうより占いっぽかったんですけど……?」
口々に向けられた疑問に苦笑を浮かべながら、エリウスは軽く手を振ってそれらを制した。
「まぁ、地味なのはしゃーねぇ。とりあえずほら、一番前の席のお前これ持ってみろ」
一番前の席に座る男子生徒はエリウスに促されるままに手を伸ばし、先ほどの鈴をそっとその手の平に受け取った。
「……重い!?」
生徒は手の平に感じたその意外なほどの重さに思わず声を上げた。
取り落とすほどではないが、その小さな見かけからは思いもかけぬほど重量があったのだ。
彼の反応を予想していたのだろうエリウスはいたずらが成功した子供のような表情で笑うと、一つ頷いた。
「それは土で出来てるんだがな。地大陸産の非常に密度の高い土で作ってある。中の玉も同じ素材で出来ていて、結構大きい。だからちょっと揺らしたくらいじゃ音を立てないようになってるのさ。吊るしてるだけではまぁまず鳴らないだろうな。精霊が干渉しやすいように魔具としての加工も多少してあるらしいしな」
そこまで語って顔を上げると、エリウスは生徒達をそれぞれ見回した。
「見た目から言えば非常に地味なやり取りだったと思うがな……答えもあるかないかの二択で役に立ったとは言い難い。実際の地脈の範囲とか力の強さとか、そういうのを専門に知ろうと思ったら多分もっとちゃんとした技術がないと駄目だろう。
だが、お前らの中に精霊とこういう対話をしたことがある奴はいるか? 殆どいないだろ?
多分、精霊魔法科に通っている奴の中にもほぼいないと思うぜ。人間は精霊を呼び出し『使役』する事に慣れてから、彼らと対話する事を忘れちまったから、そういう事を教えてねぇしな。だから対話が出来るなんて端から思ってない奴も多い。
だがなぁ、精霊ってのはその種類や強さにもよるが、案外おしゃべり好きだったりするんだよ。 例え『はい』か『いいえ』かの返答しか出来なくても、する質問を良く考えれば案外様々なことを知る事が出来る。占いで名を上げてる人間なんかには、結構精霊の加護者がいたりするしな」
何が出来るかは本人次第だろうが、とくくってエリウスは鈴を生徒から受け取り、もう一度目の前でふらふらと揺らした。
しかしやはり鈴から音はならなかった。
「この鈴は残念ながら地の精霊以外では鳴らすことは出来ない。だから、他の精霊の場合これとは別の、もっとそれぞれの精霊と相性の良い媒体を探す必要がある。そして今は地の精霊に呼びかけた上で、この学園の下に地脈が今も残っているのかどうかを聞いたが、他の精霊を呼び出す場合、地脈について聞いても恐らく答えは得られないだろうな」
「……つまり、呼び出した精霊の司る範囲についてしか、答えは得られないって事ですか?」
誰かが独り言のように呟いたその言葉に、エリウスはまた大きく頷いた。
「その通りだな。精霊達にはそれぞれ、各々が司る理以外には理由なく触れてはいけないという制約があると言われている。だから問いかける前にまず、その問いがその精霊にとって適切かどうかを考える必要がある。返事もわかりやすいとはいい難いことも多い。
だが、これは目に見えず、言葉も交わせない精霊との対話の糸口には確実になると言うことだけは知っておいて欲しい。お前達が真摯に問えば、精霊は自分の司る範囲においてのみだが確実に答えようとする。それが加護ってことだからな」
席に並んだ生徒達の一番後ろの列に座りながら、シャルは今の話を熱心に書き写していた。
今のエリウスの話は、彼女にとってなかなか興味深い話だった。地の加護があれば地脈を探す事ができるというのなら、シャル自身には火脈を探知できる可能性があるという事になる。
シャルは少し考え、隣に座って眠そうな顔をしている少女に小声で話しかけた。
「ね、アーシャ。今の話だと、私には火脈がわかるかもしれないってことよね?」
「……ん? うん、そうだね、練習すればわかるんじゃないかな」
「練習すれば、かぁ。でも火脈ってわかって何か得があるの?」
シャルの疑問にアーシャはこくりと一つ頷いた。
「火脈は時々火山の噴火とかそういう形で地表に出てくるから、あんまり勢いが強い所に住むと結構危ない。だから、場所や範囲や勢いを知っておく事は安全に繋がるんじゃないかな」
「そうなの? 怖いのね」
「あと火脈が近くにあると地下からお湯が沸くことが多いはずだよ」
「あ、温泉って奴ね! 行ったことないけど、火大陸の出身の子に聞いた事あるわ」
シャルの言葉に、彼女の隣にいたジェイが首を傾げ、不思議そうな顔で口を挟んだ。
「なぁ、火大陸って暑いんだろ? んなとこでお湯が沸いてどうすんだ?」
「火大陸は暑い所が多いけどそればっかりでもないよ。高地もあるし、低い場所でも昼夜や季節によって寒暖の差が激しい所もいっぱいあるっていうし。だから場所によっては有難いだろうし、温泉のお湯は薬効があって、怪我や病気に効くって昔から言われてるんだよ。生命に活力を与える火の精霊の加護があるんだろうって」
「へぇ、何か行ってみたくなる話だな」
「おいおい、行くなら夏期休暇にでもしてくれよ。今は授業中なんだからな」
「きゃっ!」
不意に聞こえた声に、小さな悲鳴が上がる。
ジェイが顔を上げると教壇から離れたエリウスがこちらに向かって歩いてくる所だった。
ちなみに悲鳴の主はシャルだが、別に彼女はエリウスの声に驚いたわけではない。近づいてきた彼の存在に気付いたアーシャが隣に座っていたシャルのローブの内側にさっと隠れこんだのだ。
少女に抱きつかれたシャルは頼られた事に嬉しそうな顔を浮かべ、不自然に膨らんだローブを宥めるように撫でる。
その様子にエリウスは寂しそうな顔をしたが、相方に厳しく戒められている為か、諦めたように少し距離をとって立ち止まった。
「授業中に聞きたい事があるなら、俺に聞いてくれると嬉しいんだがな?」
「あ、すいません」
素直なジェイが代表して謝り、エリウスは苦笑を浮かべた。
「ちらっと聞こえたが、火脈の話をしてたな? しかも結構解りやすい説明で、俺としては複雑なんだが……。
ついでだから教えておくと、火脈は地脈に比べると解りやすい部類だろうな。火山が近くにあったり、温泉がわいてたりするからな。水脈も谷や川として地上に出てくる場所とどこかで繋がっている場合が多いから、そんなに探しにくくはない。風脈は、地形や季節で結構変わるからこれと言う場所を探すのは難しい場合もある。まぁでも、風が良く吹く場所ってのに間違いはないんだから、こればっかりはわざわざ精霊に聞くよりも地元の人間に聞いた方が早いことも多いな」
それぞれの特徴を語るエリウスの言葉にジェイは不思議そうな顔を浮かべた。
「他のはわかりますけど、風脈ってなんか役に立つんすか?」
「ああ、風車を立てるとか、そういう時には役に立つな。風の吹かない場所に立てても無意味なもんだからな。風大陸に行くと、沢山立ってる地域がけっこうあるぜ。あとは風媒花の作物を植える時にも重要だな」
「あ、なるほど」
疑問に思っていた者も多かったのか、エリウスの挙げた例に納得したように幾人もの生徒達が頷きを返す。
この授業を受けている生徒達は、その殆どが魔法学部で精霊魔法を積極的に学ぶ、という事をあまりしてこなかった傾向がある。
加護を受けている事はわかっていてもそれが弱い部類であったため、具体的な利点や使い道がわからなかったのだ。
そういう意味では、エリウスの語る様々な精霊の力を借りた実例の話は生徒達を引き付けるものがあるようだった。
子供らの素直な反応に気を良くした教師は、授業の残り時間が少ない事を思い出して、よし、と一つ頷いた。
「そういう訳で全員に宿題な。次の授業までに、自分が使えそうな精霊との対話の媒体の候補を考えてくること。簡単で良いから、幾つか候補を考えて紙に書いて提出。んじゃ、今日はここまで」
途端に上がった生徒達の不満そうな声を背景に、カランカランと鐘の音が鳴り響く。エリウスは生徒達の文句をにやにやと聞き流しながら、頑張れとばかりに軽く手を振ってその場を後にした。
簡単で良いとは言われても、宿題と言う言葉を聞いただけで拒否反応が出るのだろう。
生徒達はそれぞれにぶつぶつと文句を言ったり、友人と宿題に関しての意見を交わしながら教室を出て行った。
一番最後まで残っていたアーシャ達四人は、大半の生徒が出て行ったのを見送ってからのんびりと帰り支度をし始めた。
今日はこれが最後の授業だったため、急ぐ必要はない。
四人が教室を出たところで、授業中は全くの無言で存在感が皆無だったディーンが徐にアーシャに声をかけた。
「アルシェレイア、さっきの宿題だが、例えば君なら媒体に何を選ぶ?」
「うん……それ、悩んでた。そういうのなくても話せるから、逆にすぐは思いつかなくて」
アーシャの言葉にディーンも頷いて同意を示した。頷いた彼の視線は自然と自分の足元に落ちる影に向かう。彼の影はいつも他の影よりも一色濃い。隣を歩くジェイの足元のものと己のものとを見比べながら、ディーンはため息を一つ吐いた。
「私も、物、というのに困っている。そういった物を必要とした事がないからな」
「ああそっか、お前いっつも影使ってるもんな。けど、それならそれでいいんじゃねぇ?」
ジェイの声にアーシャも少し考え、それからディーンの顔を見上げて頷いた。
「そうだね。光さえあれば何時でも影は出来るんだから夜でも光球が一個あればいいし……。いっそ紙にはいといいえとか書いたの用意して、そこに棒でも立てて日時計みたいに動いてもらったらどうかな」
「……なるほど、それで行くか」
ディーンが納得したところで、今度はシャルが光球、と小さく呟いた。どうやら皆あの宿題には結構悩みがあったらしい。
シャルは火の精霊が反応を返しやすそうな道具について考えていたのか、隣を歩く少女を見やって首を傾げた。
「私も赤熱石とか使ったほうが良いかしら?」
「うーん……あれは魔力を込めると熱が出るだけだから、解りにくそう。むしろ普通のローソクとか小さいランプとか燃やして、炎の加減で答えを得た方がやりやすいんじゃないかな」
「じゃあ俺は? 光球じゃだめかな?」
便乗したジェイの言葉にアーシャはふるふると首を横に振った。
「光球や赤熱石とかはそもそもあの中に魔法を起動するための魔方陣が入ってて、魔力を通すと決まった反応を返すだけの物なんだよ。ディーンが影を作るために使う、とかなら役に立つけど精霊との意思の疎通っていう意味では返って反応が読み取りにくいと思うな。ジェイだったらいっそ何も無しで、いつも練習してるアレでいいんじゃないかな。シャルの炎と同じく、光で強弱を示してもらえばいいと思う」
「アレって、コレか?」
そういうとジェイは右手を持ち上げ、人差し指を一本立てて見せた。
「そう、それ。慣れたやり取りの方が精霊も応えやすいんだよ。ジェイは前よりずっと精霊と仲良くなってきてるから、精霊も答えられることなら喜んで教えてくれると思うよ」
「なるほどなぁ。んじゃそれで行こう。ありがとな!」
ジェイのお礼の言葉にアーシャは首を横に振り笑顔を見せた。そんな二人のやり取りに不思議そうな顔をしたのはシャルだった。
「あんたアレまだ毎日やってるの?」
「おう、もちろん。訓練ってからには、続けるもんだろ」
「そりゃそうだけど……そういえばあんたって、単純な事にも結構飽きない性質だったわね」
アレというのは去年アーシャに教わってからジェイが毎日やっていた精霊魔法の鍛錬のことだ。
精霊を呼び出し、指先に小さな光を灯し続けるというだけの非常に地味な特訓である。だがそれにより確かにジェイは以前より精霊魔法が上手くなっている。
それを確かに日々の手合わせの中でも感じているディーンは、ジェイの隣を歩きながら感心した風に頷いた。
「愚直なまでに気長に努力を続けられるというのは、確かにお前の美点だな」
「何とかの一つ覚えって奴かしらね。まぁ、今までよりは格段に進歩しているわよね」
「お前らなぁ……褒めるならもっと素直に褒めろよ!」
いつも通りに始まった三人の賑やかなやり取りにアーシャがくすくすと楽しそうに笑う。
新学年が始まっても、四人での日々は相変わらず賑やかで明るい。
週に何回かの授業が重なるようになった事もあって顔を合わせる時間は以前よりも増えた。それぞれに課題も増えているため自由な時間は減っているのだが、その分お互いに協力したり教えあったりする事も多い。
共にすごす日々の中で少しずつ絆を深める四人の間には、何の問題もないように思えた。
たった一つの小さな変化を除いて。
「あ、そうだジェイ。明後日の休み、ちょっと買い物に付き合ってよ。家の掃除道具とか新しいカーテンとか、ちょっと買い物したいのよね」
ディーンと二人でジェイをからかっていたシャルが、不意に思い出したように声を上げる。
するとジェイは一瞬躊躇した後、悪い、と小さく答えた。
「明後日はちょっと先約があるんだよな。仕事入れちまってるから……悪いんだけど、別の日で頼むわ」
「また? 今度は何よ?」
「んーと、どっかの教授の部屋の引越しの手伝い。多分一日掛かりじゃねぇかな」
すまなそうに頭を掻きながらジェイがそう言うと、それを不満そうに睨みつけながらもシャルはそれ以上何も言わずにため息を一つ吐いた。
「しょうがないわね……じゃあディーン付き合ってよ、荷物持ち」
「断る。店に配達して貰え」
「配達料が勿体無いじゃないの。持って帰ってカーテンの取替えもして貰おうと思ってるのに」
「……少しは他人を使う事に遠慮と言う言葉を覚えて欲しいものなのだがな」
頭の上で交わされるシャルとディーンの冷ややかな応酬を気にかけながら、アーシャはディーンの向こう側を歩くジェイをそっと見やった。ディーンの肩越しに目が合うと、彼はにこりと少女に笑いかけごく小さく首を横に振る。その意味を理解したアーシャはまた黙って前を向いた。
ジェイはこのところずっと、学園内で受けられる学生向けの小さな仕事を沢山請けているのだ。
上級学部には奨学生なども多数いるため、学校内部の細々とした仕事を職員や業者ではなく小遣いを稼ぎたい生徒達に依頼する事が多い。
内容としては、例えば教材運びや部屋の整理の手伝い、実験の助手、街での買出しや注文の受け取り、図書館での資料の収集、返却といった、業者に頼むほどでもないが自分でやるのは面倒くさい、という風なお手伝い的なものが殆どだった。
教鞭を握る傍らで自分の研究や学園運営のための仕事などを抱えている教授も多いので、そういう小さな仕事というのは学園内にいつでもいくらでもある。
一つ一つの報酬は大した金額ではないが、幾つもやればそれなりに楽しい学園生活が送れるくらいの金額にはなる。
ディーンは昔から面倒の少ない依頼や自分に合った依頼を選んで定期的にこなしていたが、ジェイは今までは殆どそういう依頼に手を出した事はなかった。
ところが春の休暇が終り新学年が始まってからと言うもの、彼は依頼を受けるために学生課に頻繁に出入りし、放課後や休みを使って幾つもの仕事をこなしている。
不審がる仲間達には、去年仕送りからしている貯金をちょっとさぼったし、結構使ったからその穴埋めに、と笑って答えるのみだ。
それが何のためのものなのか、彼が何を抱えているのか、それをシャルもディーンも未だに問いただしてはいない。
偶然からとはいえ、その理由の一端を知るアーシャは三人を順番に見やりながら小さくため息を吐いた。
アーシャは彼女の信条として、内緒と言われた事を語るような事はしない。聞かれても嘘を答えることも。
だから、ただ口を噤むしかない。
シャルにもディーンにも未だ言っていないあの春休暇での出来事は、アーシャの心とジェイの行動に一筋の影を落としている。
それがこの先四人にどんな変化をもたらすのか。アーシャは穏やかな日差しを浴びながら見えぬ先行きを思う。
せめてその変化がこの日々の日差しの移り変わりのように、穏やかなものであってくれたなら。
少女は恐らくは叶わないだろう願いを胸に抱え、共に歩く仲間達を見上げてただ笑顔を返すのだった。
本当にお久しぶりです。
未だに更新を待っていて下さった方々には、長らくお待たせして本当に申し訳ありません。
日々の変化に負けて小説を書く事からしばらく遠ざかっていました。
今現在、まだ文章を書くリハビリ中でして、今回の投稿も何だかただ長くなってぐだぐだでお恥ずかしい限りなのですが、これ以上先延ばしにするのは止めようととりあえず再開する事にしました。
しばらくは更新のペースも内容も不安定だと思いますが、生暖かく見守ってくださると有難いです。
更新の再開と同時に、過去の手直しもちょくちょくしていこうかなと思っています。
頂いた感想等に全くお返事が出来ていないのですが、全て有難く読ませていただいています。大変申し訳ありませんが感想にお返事をする余力がない状態なので、お返しの方はご容赦ください。
その分少しでも執筆できるよう頑張ります。