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8:新しい学科

「へーえーひんわはふ?」

「……食べてからでいい」

 

 夕食の魚のフライに齧りついていたアーシャはその言葉に頷くともぐもぐと食事を再開した。骨まで柔らかくなるくらいに良く揚がったフライは、尾びれの先まで食べられ、カリカリと香ばしくて美味しい。

 小さな口の端からはみ出していた尾びれを味わいつつ急いで飲み込んで、アーシャは目の前に座るディーンにもう一度声を掛けた。


「で、えーと、何だっけ?」

「精霊親和学、だ」

 ディーンの告げた学科の名前にアーシャは首を傾げた。

 精霊、と名が付くからには精霊魔法系の学科だと想像がつくが、そんな学科の存在は今まで聞いたことがない。

 精霊魔法系の学科の名前は確か、精霊魔法基礎とか、応用一種とか二種とか、そんな単純な名前だったとアーシャは記憶していた。

「それ今年から出来る新しい学科らしいわね。今生徒の勧誘中だっていう噂を私も聞いたわ」

「へぇ……」

 隣からのシャルの言葉になるほど、と頷いたものの、唐突にディーンがそんな話を持ち出した理由が分からずアーシャは首を傾げつつ彼の方を見やった。

「どんな学科なの?」

「私もまだ詳しいことは知らないのだが、聞いたところによると、精霊への理解を深め、絆を強める事を主目的にしている学科だとか。後は、日常生活における精霊の加護の影響やその制御などを学ぶと言う話だった」

「ふぅん……何か、役に立ちそうなのか立たなそうなのかよくわかんないね」


 アーシャの率直な感想にディーンも確かに、と頷いた。

 精霊の加護を受けている生徒の多くは、それを有り難い贈り物として己の人生に役立てようと積極的に精霊魔法の授業を受けているものだ。

 それを今更精霊と仲良くなるだの日常生活に使うだのと曖昧な事を言われても、既に授業を受けてきた殆どの人間には興味がないのではないかと思われた。

 そんな良くわからない新しい授業を取るよりも、自分の属性に合った精霊魔法系の学科へ今までどおり通って具体的な魔法の一つでも覚えた方が良いと考える人間は多いだろう。


「まぁ、新しく設立される学科と言うのは得てしてそういうものだろう。実際に始まってみなければ分からない事は多い」

「確かに一理あるわね。まぁ、作られたものの数年で廃止になる学科もあったりするから、その授業を取るかどうかはちょっと博打っぽいけど」

 シャルはジェイの食事のトレイに残ったままの甘さの強い果物をひょいと摘みながらそう言って笑った。甘い物が得意でないジェイは彼女のその行為に文句をつけたりせず、余分に取ってきたパンをぱくついている。いつもの当たり前の光景だ。


「で、その怪しい学科がどうしたってのよ。ただの話題って言うわけじゃないんでしょ?」

「ああ。三人に、その学科を受けないかと言う勧誘が来ている」

「三人? って、一体どの三人?」

 シャルの疑問を受けてディーンは目の前のアーシャと、己の隣に座るジェイ、そして自分を順番に指差して見せた。

 それを理解したシャルの眉間にたちまち皺が寄る。

「ちょっと待ってよ、なんで私が入ってないわけ? って言うか何であんたのとこにそんな話が行くのよ?」

「タウロー教授から、ついでに仲間達にも話をしてくれと連絡が来た。どうもアルシェレイアに直接連絡をすると色々と面倒があるからのようだったが」

「そっか、アーシャは今教授達に追っかけられてるもんなぁ」


 その話は既に聞いていたシャルも、ジェイの指摘になるほどと頷く。

 けれど自分の名がそこに入っていない事はやはり面白くないらしく、眉間の皺はまだ残ったままだ。

「連絡の事はわかったけど、じゃあそこに私の名前がないのはどういうわけ?」

「それに関しては聞いてみたところ、どうも勧誘の声を掛けているのが主に今現在精霊魔法関係の授業を取得していない生徒ばかりだかららしい。

 入学時の検査で精霊の加護があることは分かっているが、それがごく弱かったり、本人に役に立てる気がなかったりと言う理由で他の学部、学科に所属している人間を今のところ対象としていると言う事だった」

 ディーンの返答にシャルは不満そうな顔をしながらも納得して頷いた。

 シャルは受ける加護の強さもあり、精霊魔法関連の授業を毎年かかさず取っている。それを考えればディーンの語った対象からは確かに外れている。

 ディーンはシャルが納得した事を確かめると彼女から視線を外し、残る二人に交互に目をやった。


「それで、だ。今タウロー教授は対象の生徒を個別に集めて新しい教授との対面や、授業の説明をしているので一度顔を出して欲しいとの事だ。どうだ、二人とも?」

「まぁ、そう言う事ならおれは別にかまわないぜ。どうせ選択はまだ全部決め切れてないし」

「私は……もう選択の枠は他のに決めちゃってるから、ちょっと面倒かな」

 二人が返したそれぞれに違う答えにディーンは頷き、アーシャへと視線を向けた。

「タウロー教授から、君がこの授業を選択するなら代わりに必修科目の中から必要のない科目を特別に免除してもいいという提案があった」

「免除?」

「ああ。君が寝ていたり内職をしている授業を振り替えて良いそうだ。悪い話ではないと思うのだが、どうだろう」


 アーシャはううん、と唸って考え込んだ。

 魔技科の必修科目で少女が真面目に受けていない授業は色々とある。例えば古代語の授業などは魔具作りに必須であるため時間が多く取られているのだが、アーシャにとっては得意分野で今更学ぶ必要はないくらいだ。なのでそういった時間を他に有効活用できるなら確かに嬉しい。

 しかし、どうせならそんな博打のような学科ではなく、好きな選択を増やしたいというのが本音でもある。

 もちろんディーンはそんな少女の心中を正確に察して頷いた。


「君の考えている事は分かるが、話を聞いてみるだけでも損はないだろう。この学科は新しく来た教授の受け持つ学科だし、学園長の強い勧めで設立されたものだそうだ。他の精霊魔法学科の教授達とは関わりが薄いから研究費獲得の為の思惑に巻き込まれる可能性は今のところ少ない。

 加えて、形だけでも精霊魔法学科の一つを受けるとなれば、彼らの勧誘をかわす理由もできる」

「うーん……確かに、それは結構悪くないかも」

「いいんじゃない、アーシャ。今みたいに爺どもから逃げ回るのも面倒じゃない。とりあえず行くだけ行ってみたら? 私も一緒に行くから」

 シャルはアーシャの肩をポンと叩いてにっこりと笑った。


「え、お前、呼ばれてないのに行くのかよ?」

「あら、勧誘してる対象から外れてるからって、別に志願しちゃいけない訳じゃないでしょ。私の今年の選択の枠はまだ少し残ってるから丁度良いわ」

「まぁ、志願しても構わないと思うが……それなら、とりあえず全員で明日の午後にでもタウロー教授を訪ねると言う事でどうだろう」

 ディーンの提案にシャルとジェイは同意し、アーシャも多少渋りつつも頷いた。シャルは嬉しそうにそんなアーシャの手を取った。

「じゃあ決まりね。もし面白そうだったら一緒に授業受けようね、アーシャ!」

「ったく、目当てはそっちかよ」

「あら、悪い? だって同じ学部なのにアーシャとは全然授業が被らないんだもの。一つくらいそういう楽しみがあっても良いと思うのよね」


 四人は主として所属する学科が全く違う為、授業で顔を合わせる事は殆どないと言っていい。

 その上彼らはある意味個人主義者の集まりでもあるので、今まではわざわざ己を曲げてまで友人と同じ授業を受けようという気も端から持ち合わせていなかった。

 シャルもジェイもディーンも――ディーンの場合ごくまれであるが――己の役に立つのなら別だが、そうでない限りは友人達から同じ授業を取ろうと誘われても、それを受けた事はない。アーシャに至っては周囲の誰ともほとんど関わりを持ってこなかったので論外だ。

 けれど、今のこの四人なら、同じ授業を取ってみるのも面白いかもしれないとシャルは考えたのだ。


「ジェイは個人的にアーシャに精霊の扱いを習って結構上達してるじゃない。せっかく全員精霊の加護があるんだから、たまには顔を合わせてお互いの力を合わせる方法とか探っても良いんじゃない? 今後の野外実習とかにも使えるかもしれないし。まぁ全然役に立ちそうにない授業なら、さすがに悩んじゃうけどね」

「なるほどな。そりゃ確かに面白いかもなぁ」

「ああ。私もずっと独学だからな。これを機会に新しい事を学ぶのも悪くない」

「ん……そういう事なら私も別にいいかな」

 三人の意見にアーシャも頷き、笑顔を見せた。

「では決まりだな。明日の昼にでもまたここに集まろう。昼食を食べてから行けば丁度いいだろう」

 相談がまとまった四人はそれぞれ食後の飲み物などを取りつつ、しばし新しい学科についての予想を話しあった。

 新しい学科と教授への少しばかりの期待を抱き、春の日の夜はこうして更けていった。

 

 

 

 

 次の日、約束通り昼食を共にした仲間達は魔法学部の校舎の中を歩いていた。

 ディーンがタウロー教授に伝えた約束の時間にはまだ少し余裕がある。

 しかし四人はアーシャを追いかける教授達に見つからないように辺りを警戒しつつ進む必要がある為、早めに出てきたのだ。

 幸い春の休暇も終盤に差し掛かった校内の人気は少なく、見通しが良いために警戒もしやすい。結局彼らは誰にも見咎められる事無くタウロー教授の執務室に無事に辿り着いた。

 教授の執務室の前に着くなり、一番前に立っていたディーンは邪魔が入らぬうちにと、急いで扉をノックした。

 中からはすぐにどうぞ、と穏やかな声が返って来る。

「失礼します」

 ディーンは一言告げてから扉を開けると中に一歩踏み込んだ。その彼のすぐ後にシャル、アーシャ、ジェイが続く。

 しかし部屋に数歩踏み込んだところでディーンは足を止め、それにつられて後ろのシャルも歩みを止めた。

 少しばかり広めの主任教授用の執務室には数人の先客がいたからだ。

 

 ディーンの背中に鼻をぶつけそうになったシャルは眉をしかめながら一歩下がり、彼の肩越しに室内を覗き込んだ。

 タウロー教授の執務室の中には、執務机の脇に立つ教授を含めて四人の人間が立っており、それぞれが新たな客を振り向いて見つめていた。

 入り口から見てほぼ正面に位置する執務机の右手前に立っているのは学園長だ。しかしその隣に立つ二人の人物には見覚えがない。

 シャルは彼らが新しい教授か、と不躾にならない程度に二人を観察した。


 一人は魔法学部には似つかわしくない立派な体格の、三十前後に見える男だった。髪は癖の強い短めの茶色で乱雑に後ろに流され、旅装にも見える簡素な衣服を身に着けている。

 作りのはっきりとした顔は精悍と言える部類に入るだろうが、若干垂れ気味の目がそこに愛嬌を足していた。

 顎を飾る無精ひげは見る人によっては野性的で悪くないと言うかもしれないがシャルの好みではない。そんな事を一瞬の間に考えていると、男は不意に何かに驚いたような真剣な顔を見せた。


(あら、そういう顔は案外……)

 悪くない、とシャルが思った次の瞬間、男はパッと破顔して、タッと彼らの方に駆け出した。

 部屋の中に向けて再び歩き出しかけていたディーンの体が相手の突然の動きに一瞬強張り、シャルも思わず身を固くする。

 けれど、男は立ち止まったシャルの脇を素早く通り過ぎ、彼女の後ろにあった何かをさっとその手に掬い上げた――途端、部屋の中に悲鳴が響き渡った。

 

「ひきゃぁぁぁっ!?」

「アーシャッ! アーシャじゃないか! 会いたかったぞ、アーシャ! パパだぞぅ!」

「ええっ!?」

「は!?」

「パパァ!?」

 口々に叫んで硬直したシャル達三人の前で、男は小柄なアーシャの体を高く持ち上げくるくると室内で回った。

 その表情はいかにも嬉しそうで、確かに一見すると親子の邂逅に見えなくもない。持ち上げられたアーシャが青ざめて悲壮な表情を浮かべ、ばたばたと手足を振り回して逃げようとしていなければ、だが。

「久しぶりだなぁっ、アーシャ、大分大きくなったんじゃないのか? 少し重くなったぞ。っと、ごめんな、女の子にこんな事言っちゃパパ嫌われちゃうかなぁ」

 暴れているアーシャの様子はお構いなしに、男はそう言って実に楽しそうに少女の顔を下から覗き込んだ。


「いっ、いっやぁぁぁぁ!」

 それが少女の限界だったらしい。

 アーシャは高い声で叫ぶと、逃げるように体を大きくのけぞらせた。

 背をのけぞらせたことで少女の体の重心が後ろに傾く。

「おわっ」

 男は慌てて腕を下ろそうとしたが、すでに遅い。

 アーシャは後ろに傾いた体をそのままにさっと足を縮め、男の腕を両手で掴むとさらに体を後ろへと倒した。

 そのまま少女は己の腰を支える男の腕を支点にして逆上がりのようにくるりと半身を回し、そのついでに男の顎に固い革靴のつま先を叩き込む。

「ふがっ!?」

 今度は男が大きくのけぞる番だった。

 小柄な少女の体重は軽くても、回った勢いのついたつま先は結構な威力だったらしい。アーシャは自分を捕らえた腕が緩んだ隙に、もう片方の足で男の胸を強く蹴りつけた。

 そしてそのまま体を丸めて空中で軽々と一回転し、ふわ、とまるで猫のように綺麗に床に着地した――と、思った次の瞬間、少女の姿はフッと掻き消えた。

 

「アーシャッ!?」

「わっ、消えた!?」

「どこに……」

 しゃがみこんで顎を押さえて呻いている男は無視して三人は執務室内を見回した。

 部屋の入り口の扉の前にはジェイが立ったままだ。その脇をアーシャが通り過ぎればいかに素早くてもすぐにわかる。

 突如として消えた少女に三人が慌て始めた時、至極のんきな声がその雰囲気を打ち破った。

「これこれ、そんなに引っ張ってはローブが伸びてしまうよ」

 ハッと声のした方を見るとそこには己の足元に困ったような笑顔を向ける学園長の姿があった。

 つられるように学園長の足元を見ると、床に近い長さまであるその白いローブの下の方が不自然に膨らんでいる。

「いつの間に……」

 どうやらアーシャはさっきの一瞬の間に学園長のローブの下に逃げ込んだらしかった。

 ローブの端とその下のズボンを小さな手で掴まれ、学園長はもそもそとバランスを取るように体を動かした。

 

「うう、いてて……」

 やがて男は顎を押さえながら立ち上がり、ぶるぶると頭を振った。

「ひどいな、アーシャ。せっかく久しぶりのパパとの再会だってのに。相変わらず照れ屋さんだなぁ」

 その男の呟きに、シャル達はお互いの顔を見合わせた。アーシャには育ての親がいるという話は聞いていたが、それは彼女の話からするともっと老人だったはずだ。

 二人の関係を測りあぐね、シャルは意を決して男に声を掛けた。

「あの……失礼ですが、アーシャとどういうご関係ですか?」

 男はその問いにぐるりと振り向き、待ってましたといわんばかりの満面の笑みをシャルに向ける。芝居がかった大げさな動きで両手を広げると大きく頷いた。

「おお、良くぞ聞いてくれた。俺とアーシャは親子だよ親子! ソレ以外ないだろ!」

「違うぅ!」

 どう見てもそうは思えないから聞いたのだが、男はきっぱりとそう言ってのけた。しかし、学園長の方向から聞こえた悲鳴のような声がすぐさまソレを否定する。男はその声にショックを受けたような顔をすると、学園長の方に駆け寄った。成り行きを静かに見守っている学園長のローブの裾がその動きにびくりと揺れる。

 

「そんなに違わないだろう! アーシャ、ここで出会えたのは運命だ! やっぱり俺のところに養女に来い!」

「い、や!」

「何故! 俺は絶対良いパパだって!」

「嫌ったら嫌!」

 なおも強く拒否され、男は更に説得しようと学園長のローブに手を伸ばした。

 だがその手は慌てて駆け寄ったディーンに無言で捕まれ止められる。

 それを見ていたシャルも男に駆け寄り声を荒げた。

「ちょっと、止めてください! アーシャが嫌がってるじゃない! それにほんとは親子じゃないんじゃない、貴方一体何なの!?」

「だから俺は……っぐ!?」

 シャルの勢いにもめげず開きかけた男の口からは、それ以上声が出てこなかった。男が口を開いた瞬間どこかからシュッと鋭い音が立ち、何か紐のような物が後ろから飛んできて男の喉に絡みついたのだ。

 

「ぐ、あ……」

 細い革帯のようなそれは男の喉をギリギリと締め上げ、男がそれを引き剥がそうと伸ばした手に力を込めた瞬間、彼の体は後ろへと強く引かれてそのまま床に倒れこんだ。

「げふっ!」

 背中を強かに打ちつけ咳き込んだ男の胸に、実にたおやかかつ素早い仕草で足が下ろされ、その動きを完全に封じ込める。

 次いで細いため息の音と共に、呆れたような声が室内に響いた。

「もう、うるさいわねぇ。いい加減静かになさい、エリー。皆さんのご迷惑でしょう」

 声の主は、室内にいたもう一人の人物だった。男の行動で全員の意識がすっかりそちらから逸れていたが、一連の騒ぎをその人もずっと見ていたらしい。男を引き倒した革帯――と思われた物は細長い皮の鞭だった――の端を右手に持ってその喉を締め上げたまま、その人は美しい顔に優雅な笑みを浮かべた。

 シャルはすっかり観察しそびれていたもう一人の人物を驚きと共に見つめた。その人の容姿の美しさに強く目を引かれたのだ。


 真ん中で丁寧に分けられ、肩の少し上で綺麗に切りそろえられた髪は真っ直ぐな銀の糸。長い睫に縁取られた瞳は青玉をはめ込んだようだ。形のいい額に飾られた、瞳と同じ色の石が嵌った華奢な銀冠が実によく似合っている。

 切れ長の目やすっきりと通った鼻筋はどこか中性的な美しさを持っており、にっこりと微笑むその様はその色彩も相まって、街の教会の一つに飾られている水の女神の姿を彷彿とさせた。

 ひだの多いローブを纏った姿もいかにも優美で、男を足で押さえつける姿さえどこか様になっている。

 その人は呆気に取られて固まる生徒三人を順番に見つめると、笑顔のまま艶やかな唇を開いた。

 

「ごめんなさいね。エリーったらうるさくしちゃって。びっくりしたでしょう?」

 左手を頬にそえ小首を傾げて困ったように微笑むその姿は、指の先までたおやかで美しく、少しハスキーな声すらその魅力を引き立てている。

 だがその分、その足の下で鞭の端を握って苦しげにもがいている男との対比が何とも恐ろしかった。

 二人は外見だけならまさに美女と野獣という風情なのだが、その野獣が美女に足蹴にされているというのは何か大きく間違った光景のように見える。

 シャルは一体どう返事をしたものかと悩んだ挙句、曖昧に頷き返して床の男を指差した。


「あの……泡吹いてますよ」

「えっ? きゃっ、やだ!」

 足元に転がる男の顔色はいつの間にか青を通り越しそうになっており、口の端からは泡がこぼれている。

 その人は慌てて鞭を緩め乗せていた足をどけると、今度はその足で床の男をごろりと転がし背中を乱暴に蹴り上げた。

「エリー、しっかり!」

 その乱暴な行動に身につまされるところでもあったのか、後ろの方でジェイがヒッと小さな声を上げる。

「うげっ!? ごふっ!」

 男は盛大に咽て、大きく床でのたうったがどうにか息を吹き返した。


「ごほっ……カフー、てめ……!」

 床に這った男はごほごほと盛大に咳き込み、咳き込む合間から抗議の声が漏れる。だがそれを受けた当の本人は涼しい顔で、男の声が大きくなる前にその背中をむぎゅうと踏みつけた。

 ぐえ、とカエルが潰れるような音が足の下で起きる。

「ね、エリー。静かにする気になったら教えてくれるかしら?」

 しばしの間の後、男はうめき声と共に床をバンバンと叩いて降参を示した。しかしその合図はいかにも弱々しく、それを見つめる人々の哀れを誘う光景と言う他なかった。


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