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7:二つの道

 

 

 大きな扉は来た時と同じようにキィ、ときしんだ音を立てて開いた。

 ジェイは背中に感じる兄の視線にも振り向くことなく、ゆっくりと両開きの扉の片側だけを押し開き、少し広めに開けて外に出た。

 しかし外に出た途端に目に飛び込んだ日差しの眩しさに思わず足が止まる。その背後を一瞬だけ何かがスルリと通り過ぎたような気配がした。それを確かに感じてから、ジェイはまたゆっくりと扉を閉めた。

 ジェイはそのまま黙って教会の前を離れ、さきほど通ってきた公園の方へと歩き出した。少し歩いたところで公園の方からやってきた老人とすれ違ったが、それ以外は辺りは相変わらず人影も少なく静かだった。


 やがて公園の入り口から少し中に入ったところでジェイは足を止めた。

 周りを見回したが近くに人の姿はない。それでも念のためと遊歩道から外れて公園の奥へと続く細い道に入り、近くにあった東屋まで行くと中にあった木の椅子に腰掛けた。

 そこに座り、もう一度周りに人がいないことを確かめてから、ジェイは目の前の何もない場所に向かって一つ頷いた。

 途端、何もないはずの空中がゆらりと歪む。まるで陽炎が立ったように歪んだ空気の向こうから姿を現したのはアーシャだった。

 姿を見せた少女は、指から外した白い石のついた小さな指輪を腰のバッグの中にしまいこんだ。以前、魔法競技会の時に作った姿を消すための指輪を、アーシャは今までずっと身につけていたのだ。

 ジェイはアーシャのその様子をじっと眺めていたが、少女が彼に向き直ると途端に視線を下げ、その腰にぶら下がった緑の石の嵌った飾りに目を留めた。

 

「……聞いてたか?」

「うん」

「どう、だった?」

 ゆっくりと顔を上げたジェイの視線を真っ直ぐに受け止め、アーシャは口を開いた。

「あの人の言葉に、嘘はなかった」

「……そうか」

「あの人は、少なくとも自分の言った事を真実だと信じていたよ。それが本当にジェイの為になるんだって思ってた。ただ……何か、小さな不安みたいなものも抱えてたけど、それ以上は良く分からなかった」

 教会に入る前、ジェイがアーシャにした頼みごととは、姿を隠して教会の中に入り傍で話を聞いていて欲しいと言う事だった。

 更に聖霊石の力を借り、サディアスの言葉に嘘がないか、彼の内心を探って欲しいとジェイは頼んだのだ。

 

「開拓地がどうとかっていう話も本当か?」

「うん、あれも本当だよ。その話は私も聞いたことあるし」

 サディアスが語った未開地域の開拓の不振の事を、アーシャは街の本屋や図書館で手に入る本で読んで既に知っていた。

 魔物の増加と行動範囲の拡大、植物の異常繁殖による開拓地への侵食、突然の豪雨や長い干ばつなどの、未開地域での気候の異常――近年、これら様々な現象がどこの大陸の未開地域でも規模の大小はあれど頻発し、一時広がりを見せた人間世界の地図は、停滞どころか後退を余儀なくされているのだという。

 しかもそのどれもが原因不明で、多くの研究者が開拓地に請われて理由を探っているらしいが、成果が上がったと言う話はまだ聞こえてこない。

 アーシャの語る開拓地の事情を詳しく聞き、そうか、とジェイは静かに頷いた。

 

「……ごめんな、アーシャ。嫌な事させちゃって」

「ううん」

 アーシャは首を横に振り、荷物を下ろすとジェイの隣に腰を下ろした。

 横からジェイを見上げると、彼はアーシャの方に笑顔を向けた。

「参るよな、ホント。選択肢を二つ用意したからそっから選べなんて、どっちも望んでないっつーのに。ひでぇよなぁ。兄貴が、そんな事が俺の為になるって本気で信じてるなんてさ。笑えないっての。なぁ?」

 ジェイはそう言いつつもくすくすと笑いながら東屋の壁に寄りかかり、微笑を浮かべたまま遠くを見つめた。その瞳に何を映しているのか、見上げたアーシャには分からない。

 黙って視線を向けるアーシャの方を向きもせず、ジェイはどこか遠くを見ながら口を開いた。

「……なぁ、例えばさ、目の前に道が二つあったとして、アーシャだったらどっちを選ぶ?」

「どんな道?」

「そうだなぁ、多分どっちも真っ直ぐ続いててなだらかで、整備されてて綺麗で。両脇には花とか植えてあってさ……危険もない。草原を突っ切る街道みたいな感じかな。んで、どっちの道も大きくてキレイで平和な街に続いてるんだろうな」

 

 アーシャはジェイの語るそんな道を想像してみた。

 その道はどちらも平坦で、何処までもただ真っ直ぐに前に続いている。

 勾配の少ない道は遥か先まで見通せそうで、道の脇には多少の色の違いはあれど、美しく整えられた花が並んでいる。

 今までも沢山の人が歩いたのだろう石ころ一つないその道を、自分が歩く姿を想像する事はさほど難しくはない。その先に待っている、穏やかで平和な街も、美しい景色も。

 しかし少女は想像の中のそれらをくすりと笑い、首を横に振った。

「どんなに楽な道で、キレイで平和な景色が待っていようと、行きたくないなら選ばないよ。それくらいなら、草原の中を歩いた方がずっといい」

「なら、その草原の中には危険がいっぱい待ってたりしたら?」

「危険があってもそれが自分の選んだ道ならそれでいいんじゃないかな。行きたくない場所に行って生きながら死んでるような生活を送るのと、行きたいところへ行ってあっさり死ぬのと、そんなに違いはないよ。

 それに……そういう危険に対抗するために、こうしてこの学園に通ってるんじゃない?」

 少女の力強い言葉にジェイは目を見開き、それからまるで自嘲するような笑顔を浮かべて頷いた。

 

「そっか……そうだよなぁ。確かに、そのためにここに来たんだよな、俺」

「それでも、ジェイは迷うの?」

 向けられた問いに、ジェイは笑った顔のまま頷いた。

 遠くを見ていた視線を戻し、足元に落とす。

「昔はさ……選べたんだよな。ほんとはな、俺がここに入る時も、親父と祖父さんはそりゃあ揉めたんだよ。

 あの頃、親父は俺を士官学校へ続く、王都の基礎学部に入れるって言っていたんだ。お袋は俺を全寮制の学校に早々に放り込みたかったみたいで、早いうちに神殿学校を受けさせたらどうかって言ってたらしい。だから、前からどっちもあった話なんだ。 

 けど、俺はどうしてもここが良くて、祖父さんと祖母さんにそりゃもう頼み込んで味方になってもらって、どうにか説き伏せたんだよ」

 

 幸い、アウレスーラの基礎学部にも寮があったため母の反対が弱かった事もあり、祖父母の強い後押しでジェイはここには入れる事になった。 

 ジェイがこの学園を選んだ理由は単純だった。唯一の友人だったシャルと同じ学校に行きたかった事と、兄達と同じ学校に行きたくなかった、その二つだけだ。

 その頃には、やっと触らせてもらえるようになった剣も、つけて貰えた家庭教師も、ジェイはもう欲しくなくなっていた。誰も彼もが兄達とジェイを比べたからだ。その比較に必死になって応えようともしてみたが、それらはジェイの望むものへは繋がらなかった。ジェイはやがて、結局何をしても己の望みはあの家では叶わないのだと幼心に悟って諦めてしまった。


「ここでなら、俺だけのものが何か見つかるかもって思ったんだ。なんでも勉強できるって聞いたからさ。単純だよなぁ」

「ふぅん。じゃあ、私と一緒だね」

 アーシャはジェイの言葉を笑いもせず、ただ頷いて同じように遠くの景色を見上げた。

「私も、ここなら色々あるって聞いたから来たんだよ。何か一つくらい良いものが見つかると良いと思って。あとは、暇つぶしかな」

「そっか……見つかったか?」

「うん。見つかった」

 何をとはアーシャは言わなかったけれど、ジェイはその言葉に何度も頷き、良かったな、と小さく呟いた。

 それを見つけた少女が羨ましくもあり、また彼女がそれを見つけられたことが我が事のように嬉しくも感じられてジェイは微笑んだ。

 自分にはまだ見つけられなくても、ここには希望があるとジェイにも少しばかり信じられる気がした。

 

「ねぇ、ジェイ」

「うん?」

「あのね、さっきみたいな時……笑いたくない時には、笑わなくていいと思うよ」

 ジェイはその言葉に小さく息を呑んだ。

 それに応えようと口を開きかけたが言葉は出ず、また口を閉じて、足元に落としていた視線を前へと向ける。

 少し離れた場所に見える遊歩道を、一組の親子連れが歩いていくのが見えた。ゆっくりと歩く母親らしき女性の前を、兄弟だろう子供二人が手を繋ぎながら走っていく。

 大きい方の子供が小さい方の子供の手を引いて走っていくのを眺めながら、ジェイは無意識のうちに自分の手をきゅっと握りこむ。けれど自分の手のひらの暖かさが嫌で、そっとそれを解いた。

 

「俺の……聞こえたか?」

「うん、少し。ごめんね。けど、聞かなくても顔見てたらわかるよ」

「いや、良いよ。分かってて頼んだんだ。けど、顔にも出てたなんてみっともねぇなぁ……それ、兄貴は?」

「あの人は、気付いてなかったよ」

「そうか……」

 ほっとするべきか、嘆くべきか。

 その答えは出ず、仕方なくジェイはまた曖昧に笑う。

 アーシャはその笑顔にもう何も言わなかった。ただ心配そうな瞳を静かに向けるのみだ。少女にそんな目をさせてしまったことを、ジェイは胸の内で悔やんだ。

「アーシャ、あのさ、今日の事全部……あの二人には、言わないでくれ」

「けど……それでいいの?」

「ああ、まだ時間はあるし、俺が、一人で決めるべき事だと思うから。頼むよ」

 ジェイの言葉にアーシャは迷ったのか、しばらく視線を彷徨わせ、しかし結局はこくりと頷いた。

「わかった。これも言わない。でも……決めた時は、言わないと駄目だと思うよ」

「ああ、分かってる。その時はちゃんと二人にも話すよ」


 アーシャが気付くくらいなのだから、シャルやディーンがジェイの様子がおかしい事に気付いていないはずはないのだ。けれど二人は恐らく、ジェイがそれを気付かれないように平気なフリをしている事もわかっているのだろう。

 平気なフリをしているうちは気付かないフリをするのが、彼らのお互いへの気遣いなのだと、今ではアーシャにも判る。

 

 少女がそんなことを考えていると、不意にジェイはいつもの悪戯っぽい笑顔を浮かべて彼女の顔を覗き込んだ。

「あ、あと俺も、今日のことは内緒にしとくよ。アーシャがひどい寝不足らしいってことは」

「うぇっ!?」

 何も言わなかったはずの事をいきなり指摘され、アーシャは思わずおかしな声を上げてしまった。 

「なんで……私、言った?」

「それこそ言わなくても分かるって。目の下にそんな隈作って、疲れた顔して。また徹夜でもしたんだろ? ごめんな、疲れてるのに付き合わせちまって」

 ジェイの指摘にアーシャは思わず自分の顔をぺたぺたと触ってみた。鏡もないので己の顔のどこが疲れているのかアーシャには良く分からなかったが、やはりしょっちゅう顔を合わせている仲間達は侮れないらしい。

 今度から徹夜明けで出かける時は気をつけよう、とアーシャが心に決めていると、ジェイが立ち上がって少女を外へと誘う。

「もう帰ろうぜ。帰って寝ないとだろ? 今日はありがとな」

「ううん。その……二人には内緒ね?」

 わかってるって、とけらけら笑いながらジェイは先に立って歩き出した。

 その笑い声は今日聞いたものの中で一番明るく、アーシャはほっと息を吐く。

 パタパタと彼を追って東屋から飛び出すと、ジェイは立ち止まって待っていてくれた。二人はまた並んでゆっくりと、今度は広場へと向かって歩き出す。

 アーシャは歩きながらあくびを一つ、隠さずにこぼした。

「帰ったら寝て、夕方は寮にご飯食べに行く事にする」

「ああ、そりゃいいな。じゃあちゃんと良く寝るんだぞ?」

「ん、がんばる」

「あはは、んじゃ、俺もがんばるよ」

 二人は明るく笑い合いながら日が高くなり始めた道を歩いた。

 道に落ちる春の日差しはまだ弱さを残しているけれど、この先の暖かな季節を期待させる色をしている。

 二人はその光を浴びて歩きながら、新しい季節には何をしようかと、楽しいことだけ話し合った。

 

 ジェイの笑う顔にまだ少しだけ影があることに、アーシャは気付かない振りをして。


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