表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/88

5:朝もやの道

 晴れた日の朝、アウレスーラ中央広場の端をアーシャはのんびりと歩いていた。

 

 アウレスーラの街は、百年を越す歴史を持つこの規模の都市にしては随分とわかりやすい作りだ。

 市街地を縦に真っ直ぐ割るように走る大通りを中心して、主要な通りは全てそれに垂直に交わり、あるいは平行に走り、縦横に編んだ網の目のようになっている。これらは全て、街を利用する子供達が迷わぬようにと配慮しながら長年街づくりが成されてきた結果だった。

 大通りには当然様々な商店が軒を連ねているが、そこにもある程度の住み分けがある。大通りの上下の端の方には、上は上級学部に近く、下は基礎学部に近いことからそれぞれの生徒達に必要な店が立ち並び、そこから遠ざかって街の中心部へと近づけば、住宅街に住む大人達にも必要な店へと少しずつ店構えも品揃えも変わっていく。大通り以外の路地にも沢山の店があるが、そちらには表通りにはない個性的な品が集まる傾向がある。

 それはそれで需要があるが、普通に生活する分には、大通りに出れば全てが揃うといって良い。

 その大通には、ほぼ真ん中には大きな広場があり馬車の発着場や広い公園と隣接している。この作りからも、大通りと広場はこの街に住む全ての住民の生活の中心と言える場所だった。

 

 その広場を歩く少女が目指しているのは、広場の西側に隣接する中央公園だ。周囲には人影は多かったが、この時間に少女と同じ方向へ向かう人はほとんどいない。逆方向を目指す人たちの間をすり抜けるようにして少女は足を進めていた。

 アーシャは徹夜明けの重い頭をゆるゆると振って大きなあくびを一つこぼし、それから片腕を上げて伸びをした。もう片方の手には買ったばかりのパンが握られているので上げる訳にはいかない。背中には朝市で買ったばかりの果物や野菜、魚やパンなどが入った鞄が掛かっていた。

 眠気に重くなってきた体を宥めつつ、少女は広場の喧騒から離れて静まり返った公園の入り口へ足を進めた。


 中央公園は隣接する広場から西へ細長く広く続いている。

 いつもは周辺の住民達の憩いの場所でそれなりに賑わっているのだが、朝の早い時間ではまだ人気も少ない。この時間は公園に隣接する広場から大通りにかけて朝市が開かれており、早起きな人々の目当てはそちらの方だからでもある。

 公園の中には当然だが、遊歩道の脇や東屋に沢山のベンチが設置してある。

 アーシャは静かな公園の中に踏み入ると、その道端の一つに歩み寄って腰掛け、荷物を置くと手に持っていたパンを一口齧った。

 揚げた魚と少し甘みのある瑞々しい野菜をはさみ、それに酸味のあるソースをかけた調理パンはまだ暖かくて嬉しい。特に、うっかり食事も睡眠も忘れて読書に没頭してしまった日の朝などにはことの他美味しく感じられた。魚の揚げ物にかけられた辛味のある香辛料がぼんやりした頭を少しだけ起こしてくれるような気がした。

 

 今が春の休暇で良かった、とアーシャは思いながらもぐもぐと口を動かした。

 本を読んでいて夕食を食べ忘れた挙句、そのまま徹夜したと仲間達に知れればきっと盛大に嘆かれるに違いないからだ。

 教授達に煩わされるのが嫌でここ数日家に篭っていたアーシャは、これ幸いとばかりに読みかけの本を読んだり、新しい魔具のことについて考えたりと、なかなか時間を有意義に使っている。今日もこのまま家に篭る予定だったが、その前にしばらく出かけなくて済むよう食料を仕入れようと市場に買い物に来たのだ。

 用も済んだし、これを食べたら帰って寝ようとぼんやり考えながら、アーシャはぱくぱくとパンを口に放り込んだ。

 やがて最後の一欠片を飲み込み、服に落ちたパンくずを払い落としているとあくびがまた一つこぼれた。街を緩やかに覆っていた朝霧も少しずつ薄くなり、辺りも段々と賑やかになってきている。

 街が完全に目覚めてしまう前に帰ろうかと公園の入り口に目をやったアーシャは、そこに見知った姿を見つけて動きを止めた。

 

 その人物は見慣れた明るい金の髪を揺らしながら、地面に視線を向けたまま憂鬱そうな足取りで近づいてくる。視線を下げている為かベンチに座る少女にも気づいていないらしい。アーシャは彼らしくないその様子に軽く首を傾げ、目の前をゆっくりと通り過ぎようとしている彼に声を掛けた。


「ジェイ?」

 少女に気づかぬまま歩いていた少年は名を呼ばれてハッと顔を上げた。声のした方に顔を向けると彼をじっと見ていた少女と視線が交わり、ジェイはほっと息を吐いた。

「アーシャか……びっくりした」

「うん。おはよう」

「ああ、おはよ。悪ぃ、気づかなかったな。考え事してた」

 ジェイはそう言ってくしゃくしゃと髪をかき上げ、ばつが悪そうな表情を浮かべた。 

「どこか出かけるとこ?」

「ん、ああ……その、ちょっと用事があってこの公園の向こうの教区までな」

「教区?」

 ああ、と頷いてジェイは首を傾げた。

「アーシャは教区には行った事ないのか? 名前のまんま、教会が集まってる地区なんだけど」

「行った事ない。ここにも教会があるのは聞いて知ってるけど……全部一箇所に集まってるの?」

「ああ。この公園を西に抜けたところに全く同じ建物が六つあるんだぜ。礼拝の日なんかは結構賑わってるよ」

 全く同じ建物という言葉にアーシャは不思議そうに首を傾げた。

 

 六柱の神と精霊を祀ったそれぞれの教会は国や街によって大きさや作りに差があるのが普通で、例えば光の大陸の中央に近い場所にあるこの街ならば光の教会が一際大きく作られていても不思議ではないからだ。

 建てる時の資金力や、寄付金の差という大人の事情も絡んでくる為、むしろ全てが同じ大きさという事の方が例外的だと言える。

 知識としてだけだがそれらの事情を理解している少女は興味を持ったような顔をして頷いた。

「皆同じ大きさって珍しいね」

「そうだなぁ、そういや他のとこじゃ違うもんな。アウレスーラは色んなとこから学生が来るから、他大陸の人間も多いだろ? だから昔から全ての神様を平等に讃えてるんだってよ。んな事で喧嘩になっちゃ困るもんな」

「ふぅん、なるほど。じゃあジェイはこんな朝に教会に行くって事は、礼拝?」

 アーシャの問いにジェイは一瞬口ごもり、それでも笑顔を浮かべて首を横に振った。

「いや、ちょっと……人と会う約束があるんだ」

「そっか。なら途中まで一緒に行ってもいい? 同じ教会っていうの見てみたい」

「あ、うん……まぁいいか。別に構わないぜ。んじゃ一緒に行くか」

「うん」

 

 アーシャはベンチから勢いよく立ち上がると脇に置いてあった鞄を背負ってジェイの隣に立った。ジェイはまたゆっくりと歩き出し、アーシャもそれに続く。

 二人はしばらくの間黙って歩き続けた。

 もともとアーシャは沈黙が気になる性質ではないし、何か疑問や話題がない限り自分から口を開く事は少ない。けれど普段は明るいジェイが黙ったままでいるということが気になり、少女は時折ちらりと隣を歩く少年の顔を伺った。

 だがジェイはそんな少女の視線にも気付かず、ただ足を前に運ぶだけだ。その足取りもいつもの快活な動きとは全く違い、実に重くゆっくりだった。

 彼には何かこの先に行きたくない理由でもあるのかとアーシャは考えを巡らせた。けれどジェイは人と会うと言っていたのだから、単純に考えればその人に会いたくないという理由くらいしか思いつかない。だがそれを尋ねていいものかどうかは悩むところだ。

 

 アーシャがそんな事を考えていると、不意にジェイの方が口を開いた。

「なぁ、アーシャ」

「ん? うん、何?」

 ジェイは己を見上げて言葉の先を待つ少女の顔を見下ろし、迷うように口を開き、また閉じ、そしてまた口を開いた。

「……アーシャはさ、もう次の選択全部決めたって言ってたよな?」

「うん。もう決めたよ。今年は技巧学部の授業を沢山取るつもり。もっと色々な魔具を作れるようになりたいし」

「そっか。なぁ、そういうの決める時って悩まないのか?」

 ジェイの問いにアーシャはしばし考え、それから首を横に振った。

「悩むよ。受けられる授業には時間的な限界があるから、無駄は出来ないし。色々受けたいのに諦めなきゃいけないのも結構あるし、体が二つあったらなって思うよ」

「アーシャは勉強好きだなぁ」

「別にそんなに好きじゃないと思うけど……どうなのかな。ジェイはもう決まった?」

 返された問いにジェイは言葉より先にため息で答えた。

「まだ半分くらいかな。俺、あれ決めるの苦手なんだよ。どれがいいのかさっぱりでさ。毎年ディーンやシャルに色々助けてもらうんだけど、駄目なんだよなぁ」

 

 武術学部は当然体を動かしての実技が多くなる傾向があるため、必修以外では座学の授業の選択を求められる事が多い。

 目指す道によっても選ぶ授業は様々だが、礼儀作法や話術、交渉術や品物の鑑定技術、地理や薬学などが比較的人気がある。武術だけではなく魔法を扱う才もあるなら魔法と武術を複合的に扱う術を学ぶ事も推奨されていた。

 

「ジェイだったら、もう少し魔法系の授業増やしてもいいかもね。あと買い物の交渉とかも結構上手かったから、そういうのを更に勉強しても良いんじゃないかな」

「そうか? まぁ魔法に関しては今ほとんど取ってないからなぁ。けどアーシャに教わってるからそれでもいいかと思うんだけど、ダメかな?」

「その辺はジェイの意思だから別にダメじゃないけど。でもまだ半分も残ってるなら何か一つくらい光魔法関係の授業を取っておいても悪くないんじゃないかな」


 ジェイに精霊の加護があることは、その見かけからも入学時の検査からも、学校側には当然知られている。

 そのせいで上級学部に上がる時に魔法学部からの彼への勧誘は一応あったのだが、本人に全くやる気がないことと、基礎学部での魔法関連の授業の成績があまりにも悪かった事から、結局それはほんの一時のもので終わったのだ。

 魔法競技会で精霊を使ったのだからまた勧誘が再燃しても良さそうなものだが、彼の使った魔法が見かけ的に極めて地味だったことと、魔具の補助があったという事、またアーシャが最後に使った精霊魔法によってその印象がかき消された、ということもありジェイの周辺は未だに静かなままだ。

 アーシャにとって選択への不干渉や自由さはかなり羨ましい事なのだが、ジェイにはその与えられた自由が悩みの種になっているらしい。


「そうだな、考えてみるよ。もうそろそろ全部決めないとなんだけど……はぁ」

 そういって吐き出されたため息は随分と長く重かった。

 笑ってはいけないと思いつつも、アーシャは思わずくすりと笑ってしまった。

「いっぱいありすぎるから決められないの?」

「いや、まぁ、それもあるけどな……なんていうかさ、俺、自分にコレが向いてるって言える物が何にもなくてさ。だから、何を選んだらホントに自分のためになるのかわかんないんだよな。皆はとりあえず選んでみて、合わなければ来年変えればいいだろって言うんだけどさ」

 ジェイはそう言いながら俯き、足元に転がっていた小石をコンと蹴った。石は跳ねて道を逸れ、脇の草地へと転がっていった。

「それじゃだめなの?」

「ダメじゃないな……。けど、そうしてまた次の年も自分に合うものが見つからなかったら、とか余計な事色々考えちまってさ。つまりダメなのは、俺だな」

 

 ジェイは自嘲するような笑みを一瞬浮かべ、それを振り切るように顔を上げた。けれど目に入るのはようやく木々が芽吹き始めた、色の少ない寂しいばかりの光景だ。見通しの良い木々の向こうには白い建物が見え、目的地が近いことを知らせている。

 その景色に少しの慰めも得られず、ジェイはまた視線を落とした。

「要するに、俺は自信がないんだろうな。才能があるなんて胸を張って言えるようなものは何一つ持ってない。おまけに臆病だから、闇雲に先を選ぶのも怖い。それじゃダメなのもわかってんだけど……ほんと、どうしようもないよな」

「そうかなぁ……」

 ジェイらしくない弱気な様にアーシャは歩きながらその横顔を見上げた。

 俯いたままの彼と背の低い少女の視線は丁度交わり、ジェイは心配させまいとするかのように淡い笑みを見せる。

「俺がこんなこと言ってたって、内緒な? シャルやディーンに知られたら絶対怒鳴られたり、それはもう冷ややかな態度で馬鹿にされるに決まってるからさ」

「ん……わかった。言わない」

「ありがとな。あ、ほら、着いたぜ」

 

 ジェイの言葉にアーシャが顔を前に向けると、もう公園の終わりを示す柵が目の前に見え、その向こうに赤茶色の敷石で作られた広い通りが姿を見せた。

「へぇ……」

 二人の前の幅広い通りの両側には、そっくり同じ見かけの白く大きな建物が左右に三棟ずつ、ある程度の間隔を置いてきちんと並んでいた。

 白い石造りの建物はどれも背の高い優美な佇まいで、三角の屋根も同色の薄い石の板で張られているらしく、春の日差しを浴びて眩しい。

 聖堂と思われる正面の建物の手前には何本もの立派な柱が立てられ、屋根を支えている。その柱の向こうに入り口であろう大きな扉が見えた。建物の裏手には一際背の高い鐘楼がそびえ、その向こうには鐘楼を囲むように背の低い建物が連なっている。恐らくは職員や訪問者用の宿舎だろう。

 通りに面した教会の入り口は一つ一つがそれなりに広く取られているため、一番向こうの建物までの距離は結構長い。さらに通りから建物の裏手へとかけてその敷地は細長く続いているので、かなり贅沢な土地の使い方をしているようだった。

 

 アーシャはその広い通りをゆっくりと歩きながら建物を仔細に観察し、あちこちに飾られた彫刻の見事さに感心したように何度も頷いた。

 それぞれの建物は一見全く同じように見えるが、良く見ると壁に刻まれた聖句や紋章、飾られた像などが少しずつ異なっていて、その違いが少女には面白かった。


 アーシャがそれらに目を奪われている間に、その少し先を黙って歩いていたジェイは一つの建物の前で足を止めた。

 彼にとってはこれらも見慣れた景色で、特に何の感慨もわかない。

 ジェイが見上げた建物に描かれた紋章は太陽を模したものだ。飾られた像や壁の浮き彫り細工は奔放に跳ねた長い髪をなびかせた雄々しい男性の姿をしている。

 

 ジェイは何となく周囲を見回したが辺りには特に人影もなく、見上げた建物にも人の出入りする気配はなかった。

 学園が休みだと言っても、生徒以外の人間の日々の生活にはそれはあまり関係がない。当然、休養日でない限り大人達は毎日忙しく立ち働いている。

 そんな平日の教会の朝の礼拝は熱心な人間しか来ない事もあり、かなり早い時間に行われている。今のこの時間には礼拝ももうとっくに終わり、教会の職員も周辺の住民も朝の仕事を始めているのか、教区は静まり返っていた。

「久しぶりだな、ここに来たの……」

 ジェイは建物を見上げたまま小さく呟いた。呟きと共に思わずこぼれたため息は誰に聞かれる事もなく静かな通りへ落ちた。

 

「……アーシャ」

「ん、うん? 呼んだ?」

 彫刻に見とれていたアーシャは小さく名を呼ばれて振り向いた。少女の方を見ているジェイと目が合い、呼ばれたことが確からしいと判ると少女は彼の方へと小走りで近寄った。

 駆け寄った少女が見上げた先にはいつもと変わらない笑顔がある。けれどアーシャはジェイの顔を見上げて首を傾げた。それは、いつもとはどこか違うように見える気がしたからだ。

 ジェイは微笑みを浮かべたまま、何かをためらうかのようにゆっくりと口を開いた。


「……頼みがあるんだ」

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ