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3:鬼ごっこの始まり

 

 

 ガラン、カラン、と再び乱暴にドアが開かれ、ドアベルが悲鳴を上げた。

 バタバタと慌しく店内に入ってきたのは数名のローブ姿の男達だった。

 ローブ姿と言う事は魔法学部の教授だとすぐにわかる。彼らの顔を良く見ればディーンやジェイでも一人二人は見覚えがあった。

(確か、精霊魔法関係の学科の教授達だな)

 彼らはきょろきょろと店内を見回すと、窓際に座るディーン達の姿を見つけ近寄ってきた。大分長い事走ってきたのか、誰の額にも汗がびっしりと浮かび、息も荒い。

 近寄ってきた教授達に一応の礼儀としてディーンが軽く会釈をすると、一番若そうな男が荒い息の合間から問いかけてきた。

「ア、アルロード君、今ここに、グラウル君が、来なかったかね? 探して、いるのだが」

「ええ、来ましたよ。そちらの技巧学部内に通じるドアから出て行きましたが」

「そうか、ありがとう!」

 外に面する扉とはちょうど真反対にあるもう一枚の扉をディーンは指し示した。教授達は慌ててゾロゾロとそちらへと向う。

 

 ふと、その内の一人が出て行く前に店内をぐるりと見回した。

 だがさして広くない店内に隠れられそうな場所はさほど多くは無い。

 テーブルにかかっている布の丈もあまり長くなく、屈まずともその下を見て取れる。

 規則正しく並んだテーブルの下には薄暗い影がわだかまるのみだ。

 教授はひょいと首を伸ばしてダリオの立つカウンターの中を覗き込んだ。だが中にはダリオ一人が静かにカップを磨いているだけだった。

 そこに余り期待はしていなかったのだろう。さほどがっかりした様子もなく、その教授も店を出て行く他の仲間達の後を追っていった。

 はた迷惑な一団が去ると、店内にはまた静けさが戻ってきた。

 

「……行ったぞ」

 その声に反応してごそごそと動く音が聞こえた。ゴツン、と鈍い音と共に、ディーンとジェイの目の前のテーブルが大きく揺れる。幸いにして飲みかけだったコーヒーは、もうこぼれるほどの量はなかった。

 うう、と小さく呻きながらテーブルの下から顔を出したのはアーシャだった。

「ありがと、二人とも」

 アーシャは二人に礼を言い、ぶつけた頭を手で擦りながらジェイの隣の席に腰を下ろした。ディーンは少女に頷くと、テーブルの下に潜り込んだ少女を隠すのに手を貸してもらっていた闇の精霊に小さく礼をいい、彼らを開放する。

 今日は天気もいいし、窓から差し込む明るい日差しは室内の影をいつもより濃く見せる。テーブルの下の影に見せかけた闇で小さなアーシャ一人を覆い隠す事はそう難しくはない。

 おかげで少女の姿は下をちらりと覗いただけの教授には見えていなかったのだ。

 

 アーシャは技巧学部へと続く扉に視線をやり、額に浮かんだ汗を手の甲で拭うとため息を一つこぼした。

「たくさん走ったら喉渇いちゃった」

 少女はそういうとダリオに香草茶を注文した。

 ディーンとジェイもついでに冷めかけたコーヒーを飲み干してお代わりを頼む。ダリオは三人の注文に頷くとカチャカチャと小さな音を立てながら作業を始めた。

 

「……それで。何故魔法学部の教授達に追われていたんだ?」

 やがて注文の品が三人の目の前に並び、アーシャが香りの良いお茶を一口飲んだところで、ディーンは当然の疑問を少女に投げかけた。

 アーシャはその問いに一瞬眉を寄せ、カップを置くとテーブルの端に寄せられた紙の束を指差す。

「それのせいだよ」

「……授業の選択?」

 うん、とアーシャは頷いて口を開いた。

 

 

 

 事の起こりは先日アーシャが提出した、次年度の選択科目の登録申請書だった。少女は春の休暇に入るとすぐに幾つかの学科を見学し、早々に選択科目を決定して提出を済ませていた。

 最近アーシャは比較的真面目に授業を受けている。とはいっても寝ていない、というだけで他の本を読んだりしているのだがそれに関してはもはやほとんどの教授達は諦めている。

 退屈な授業はそうやって時間を潰すとしても他に自由に選べる時間は色々な事を学びたいというのが今年のアーシャの希望だ。

 彫金や木工、装飾技術などの魔具作りに役に立つ技術を更に学びたいと言う気持ちも強い。

 だから選べる科目のリストを休暇に入る前から真剣に見つめ、技巧学部の授業を中心に幾つもの希望科目を真面目に選んで登録申請した。

 なのに、それに関して呼び出しが来るとは思っても見なかったのだ。

 

「グラウル君」

「はい」

 今日の午前、アーシャは呼び出しの通知を受けて魔法学部のタウロー教授の所へ出向いていた。訪ねた教授はアーシャの名前を呼んだきり、困ったように手元の紙を見つめている。それは先日アーシャが提出した登録申請書に違いない。

 何か問題でもあったか、と少女が紙の内容を思い返しながら見つめていると、教授は顔を上げて口を開いた。

「君のこの……今年度の選択科目だがね」

「はぁ」

「何人かの教授達から異論が出ている」

「は?」

 教授の言葉にアーシャは首を傾げた。

 

「異論って、何に……ですか」

「うむ、その……つまり、君を魔法学科に転科させたらどうか、あるいはせめてそれに準じた学科の選択を薦めてはどうか、という意見が出ているのだよ」

 アーシャはその言葉に思わず眉間に皺を寄せた。またか、と頭を抱えたい気分だ。

 実は去年のあの初めての野外実習以来、何度もこういった教授達からの薦めにアーシャは密かに悩まされてきた。それでも今まではずっと学年半ばで選択を変えるのは難しいことを言い訳に逃げ回ってきたのだが、どうやらここへきて更に攻勢が強まったらしい。

 恐らく、先の魔法競技会にも原因の一端があるだろう。

 あの大会の決勝戦でアーシャは最後に精霊魔法を使ってしまった。

 普段の授業態度からその実力が疑問視されていたアーシャだが、あれがきっかけでやはり精霊魔法を得意とする事が再確認されてしまったのだ。


 アーシャは苦虫を噛み潰したような顔を隠しもせず、不機嫌な声で教授に応えた。 

「変更はしない……しません」

「……君はきっとそう言うと思ったが。しかしだね、教授達の言う事も一理あるのだよ。以前学園長も仰っていたが、精霊魔法の使い手は確かに年々数を減らしている。この学園には優秀な生徒が多いから忘れられがちだが、それでも昔に比べればその傾向は顕著だ。君のように精霊に愛される素質のある生徒を一人でも多く育てたいと言うのが教授達の本音なのだよ」

 アーシャはその言葉に首を横に振った。それは確かに理にかなっているように聞こえるが、少女には納得できない理由だ。その本音の中には表には出てこない思惑がある事を知っているからだ。

 

 この学園は代々の学園長の方針で派閥争いなどが起こらないように厳しく戒めている。けれど水面下ではやはりそれに似た事は大なり小なり、起こりやすい。

 教授達の中には授業を行うだけの者もいれば、研究もそれなりにこなす者、あるいは授業は行わずに己の研究と、卒業して研究員として残った者達の指導にあたるのみの者と、色々な人間がいる。

 彼らのやり方はそれぞれなのだが、同じ学部の同系統の学科に所属する者同士は自然に寄り集まり、一つの共同研究会のようなものを構成することが多い。

 するとそこには、一人の指導者の下に繋がるような縦の派閥ではなく、同じ系統の学科全体で研究を進め予算を勝ち取ろうという横の派閥が出来上がる。

 学園側としてもそういった派閥が出来る事はなるべく避けたい所なのだが、研究と言うものは横の繋がりから様々な発見や発展が進む場合が多い事も否定できないため、目に余るような活動をしなければ放置しているのが現状だ。


 それでも、研究者肌の人間が多く集められている傾向からか、出世のためにガツガツとして、派閥を利用するような者は多くない。

 だが代わりに起こりやすいのが、研究費を巡る静かな争いだ。

 優秀な生徒を得て優秀な成績で送り出せればその実績から入ってくる生徒も増える。そうすればその学科へ支給される運営費、研究費も当然増え、自由な授業や研究がやりやすくなる。研究者肌の人間でも必死になる理由としては十分だ。

 研究者達は授業を受け持つ教授達と連携をして様々な生徒の情報を集め、自分達の学科に貢献してくれそうな優秀な生徒を常に探している。

 新入生の勧誘合戦や、下級生との交流と称した基礎学部生の興味を引く為の宣伝授業は季節になるとどこでも盛んに行われていた。


 つまりそういった諸々の大人の事情から、タウロー教授の言う通り最近優秀な生徒の数を減らしている精霊魔法関連の学科は、一人でも多い使い手を求めているのだ。

 しつこい勧誘に疑問を持って理由を調べた事のあるアーシャはその辺の事情を理解している。

 だがそんなのはアーシャに言わせれば身勝手な大人の都合であって、使い手が減っている理由を探らずにとりあえず使える人間を集めようというのも怠慢に他ならない。やりたい事があるのにそんな都合に振り回されるのもごめんだった。

 

「そんなの六大属性ばっかり教えるから……です。しかも机の上で教えたって大半が無意味だし。そもそも、弱い精霊しか使えない人が増えてるのは、素質のせいじゃない。精霊と仲良くなって、その力を貸してもらうっていう気持ちがないのが悪い。傲慢な気持ちで精霊を使うから駄目なん、です」

 アーシャの愛想のない答えに教授は苦笑を浮かべた。相変わらず彼女は誰に対してもほとんど敬語を使わない。それでも最近はタウロー教授や学園長にはかろうじて使おうと努力をしているようだが、ぎこちない事この上ない。

 それをけしからんと言う教授も多いがタウロー教授はその理由を知っているため、気にしてはいなかった。

 

「六大属性については確かに偏りすぎだと私達も思っているのだよ。だが生憎それ以外をわかりやすく教える事が難しい。だからこそ、君のようにそれ以外も得意とする生徒に来て欲しいのだろう」

「私は……無意味に精霊を呼び出すのは嫌い。だから変えま、せん」

 ません、といった時にアーシャは軽く舌を噛んだ。

 う、と呻いて口を手で覆う。

「また舌を噛んだのかね? 君は相変わらず丁寧語や敬語が苦手だね。無理をしなくても良いよ」

「……どうも」

 不満を滲ませた少女の声に教授はくすくすと笑い、アーシャは思わず頬を小さく膨らませた。

 丁寧語や敬語を使うとアーシャは五回に一回くらいは舌を噛む。

 これが、アーシャがそれらを使わない何よりの理由だった。

 使わないのではなく、使えないのだ。

 滅多にしない努力が今回も報われなかった事に内心で少々落胆しながら、アーシャは教授に迷いのない視線を向けた。

 

「とにかく、選択は変えない。それは私に許された自由なんだから」

 そう告げるとアーシャは話はこれで終わりとばかりにくるりと踵を返す。

 だがその背中に声がかかった。

「君の主張はわかったが……すまんがこれを持っていってくれ。君の登録申請書だが、私としてはどちらの側にも立てないのですんなりと受理する事も拒否する事も難しい。提出までまだ時間が大分あるし、再考を薦めろと教授達にうるさく言われているのだよ。せめて一科目くらい妥協してもらいたいと言うのが私の本音なのだが」

 アーシャは仕方なく向きなおって執務机に歩み寄ると書類を受け取った。だが不機嫌な顔は隠しようもない。

 

 少女の表情に気を悪くする事もなく、教授は書類を渡しながら独り言のように言葉を続けた。

「期限までまだ間はあるが……期限が間近になると、登録の駆け込みが相次ぐので学生課も教授達も大層忙しくなる。そうなると、一生徒の選択の中身まで、一つ一つ吟味するのはなかなか難しくてね。毎年の悩みだよ」

 ハッと顔を上げたアーシャに教授はいたずらっぽく片目を瞑って笑みを浮かべた。

「魔法学部の教授達は良く運動不足だと嘆いているよ。良かったら彼らをちょっとしたジョギングにでも誘ってやってくれ」

「……じゃあ、いつも走りやすい靴を履いておく事にする」

「それが良いだろうね。それと、図書館は最近どうも教授達で混雑しているようだよ。読書はほどほどに、な」

 期限ギリギリまで逃げ回れ、図書館は張られているから近づくな、という教授の助言にこくりと頷くと、アーシャは踵を返し部屋の出口へと向かった。

 

 しかし扉の傍まで来たところでその足が止まる。

 部屋の外に複数の人の気配を感じたのだ。

「……教授?」

「はて……君への連絡に学生課を通したのが悪かったか。すまん。今度から気をつけよう」

 教授の素直な謝罪に裏がないと見たアーシャはその言葉に頷いた。

「いいよ。ちょっと運動したかったところだし」

「うむ。健闘を祈る」

 教授に笑顔を見せ、バン、と派手な音を立てて扉を開け放つと、アーシャはぱっと駆け出した。

 前触れもなく開かれた扉に、中の様子を伺っていて逃げ遅れた教授が頭をぶつけて悲鳴を上げる。

「あっ、グラウル君! 待ちたまえ!」

「話があるんだ、こらっ!」

 目の前を走り抜けたのが目当ての少女であると気づいた教授達はバタバタとその後を追いかけ始めた。


 春休みのはずの校舎内で行われた奇妙な鬼ごっこは、こうして始まりを告げたのであった。



 

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