35:それぞれの笑顔
閉会式が終わり解散が告げられた後の講堂の中を、ライラスは人波を縫うようにして歩いていた。
手には一本の杖をしっかりと握っている。
講堂の入り口付近から人の流れを遡るようにして歩きながら、ライラスは目当ての人物を探していた。
少しでも見知った顔が見つかれば彼も見つかるだろうと歩きながら辺りを見回す。
そしてようやく、人の群れの中にちらほらと見覚えのある顔を見つけた。ローブの下からちらりと見える彼らの制服のリボンタイを見れば、それは間違いなくライラスと同じ色だ。
ライラスは緊張を押し殺しながら三年生の群れへと足を向けた。
群れを掻き分けるようにして奥へ進むと、何となく神妙な顔つきをした一団が目に入る。
ライラスはそちらの方へとゆっくり足を運んだ。
その群れの中に優しげな顔つきの少年の姿が見えた。
灰色がかった茶色の髪も、穏やかでどこか気弱そうな顔立ちも良く知っている彼のままだ。
けれど少しだけ、自分の記憶にある彼よりも背が伸びている気がした。
自分も、友も、成長しているのだとライラスは強く感じた。
「……フランツ」
ライラスは小さく声をかけた。その声に目の前の少年が振り向く。振り向いた彼は大きく目を見開いた。
「ライラス……」
「……久しぶり」
「う、うん」
顔を合わせてぎこちなく挨拶を交わした二人に、周りにいる生徒の訝しげな視線が向けられる。
フランツと一緒にいた彼のクラスメイト達の多くはライラスの顔を知っていた。彼が魔技科であることも。
何の用か問うような彼らの視線にライラスは思わず手にした杖を強く握り締めた。手の中にじっとりと汗が浮かぶ。
「あの、俺……その、お前に」
「ライラス」
おどおどと言葉を紡ぎかけたライラスの背に涼やかな声がぶつかる。
呼び止められて慌てて振り向くと、そこにはアーシャとジェイ、それにその仲間達が立っていた。
「グラウル!」
少女とその仲間達の突然の登場に驚いたのはライラスだけではなかった。周りにいた三学年の生徒達の間にざわめきが走る。
この大会の話題の中心だった彼らは表彰を受ける時は壇上に現れたが、それ以外は三年生の群れには加わっていなかった。
特にライラスに声をかけたアーシャは、大会が始まる前から様々な噂の中心人物だ。誰もがその少女の言葉を聞き取ろうと口を噤み、辺りは不自然に静まり返った。
「グラウル、いたのか」
「うん。ライラスこそ、姿が見えないからどうしたかと思ってた」
「ああ……これ、くすんでたから磨いてたら遅くなっちまってさ、奥までこれなかったから入り口の辺りにいたんだ」
ライラスが見せた細長い杖を見て、アーシャは頷いた。
「これから?」
「……ああ」
何を、と問わずとも言いたい事がわかってライラスは頷いた。
アーシャはそれを見て頷き返すと、傍らに立つジェイを見上げた。
ジェイは少女の視線に笑顔を返すと脇に抱えていたものを持ち上げ、ライラスへと差し出した。
「ほら、お前の分」
「え?」
ぐい、と胸元に突きつけられたそれをライラスは反射的に手を出して受け取った。
持ったその手にずしりとした重みがかかる。
ライラスは重みに驚き、渡された板をまじまじと見つめた。
それは学年優勝者に与えられる立派な盾だった。アーシャとジェイがさっき壇上で受け取った物の一つだ。
「なっ、ちょ、これ……!」
「お前のだよ。俺はあくまでお前の代理で出ただけだからな。大会で使った魔具をアーシャと協力して作ったのはお前だろ?」
「けど、実際戦ったのはあんただろ!?」
ジェイは笑って首を振り、アーシャが慌てるライラスを宥めた。
「受け取って、ライラス。ライラスが力を貸してくれたから、今これがここにあるんだもん。本当は私のを渡そうと思ってたんだけど、ジェイがどうしてもって」
「俺は大した事してないからな。二人の作った魔具に助けられただけだ。貰う理由がないだろ?」
胸の前に盾を掲げたまま、ライラスはどうしたらいいのか途方に暮れた顔をした
アーシャは盾に手を伸ばし、ライラスの胸にぐいと押し付けた。
「これがあるのはライラスのおかげなんだから、胸張って、ほら」
アーシャはそう言ってライラスの片腕を掴んでぐいと引っ張った。
呆然としてその動きに逆らわなかったライラスの体はくるりとその場で回転し、後ろを振り向く。
振り向いた先にはフランツが立ち、黙ってライラスを見つめていた。
ライラスは盾を持ったまま友人と向き合い、ハッと自分の目的を思い出した。
その時、ポンと背中に小さな手が触れた。
まるで頑張れとでも言うように。
ライラスは盾を持ち直し、左手でぎゅっと抱えた。そして顔を上げる。
基礎学部からの親友は、昔と同じ穏やかな顔でライラスを見ていた。
「フランツ、これ」
ライラスは右手に持ったままだった細長い杖を差し出した。
「……これは?」
「いつか……約束したよな。お前の杖は、俺が作るって。腕によりをかけて、お前の助けになるような杖を作るって」
「うん……憶えてるよ」
フランツは深く頷いた。
「これ、俺が初めて作った杖なんだ。お前が使いやすいように、一生懸命考えて作った。まだ、全然未熟だとは思うけど……」
すぅと深呼吸を一つすると、ライラスはその杖をフランツに向かって更に突き出した。
「お前に、受け取って欲しいんだ。俺はこれからも、きっともっと良い物を作る。ずっとお前の杖を作る。その、約束として」
ライラスの言葉を黙って受け止めていたフランツは小さく目を見開いた。
そして、それから恐る恐る手を伸ばす。
ライラスの手から渡された細い杖は、フランツの手の平にしっとりと馴染むようだった。
「ほんとに……いいの? 貰っても」
「ああ。お前が受け取ってくれないなら、壊して作り直すさ」
「勿体無い……ラスはすぐそういう事を言うんだよね。もうちょっと自分の腕を誇っていいのに」
「フランこそ、いつも謙遜しすぎだ。今度お前の魔法の腕が上がったとこ見せろよな。その杖も合わせて調整するからさ」
ライラスとフランツは顔を見合わせて声を上げて笑った。
お互いの距離がほんの一瞬で、また元に戻ったのが解ったのだ。
本当は始めから距離など開いていなかったのかもしれなかった。ただ、開いたと思っただけで。
「ありがとう、ラス。大事にするよ」
「こっちこそ。受け取ってくれて、ありがとうな」
成り行きを見守っていた周りのざわめきは、いつの間にか静かになっていた。
ライラスが少しだけ恐れていたような、揶揄や罵倒はどこからも起こらない。
ライラスとフランツに向けられたのは、後ろめたさを隠したような静かな魔法科の生徒達らしき視線と、どこか憧憬のような熱を込めた、他の科の生徒達の視線だった。
「そうだ、お前にも紹介しようかと思ったんだ、同じクラスの……」
だが言いかけて振り向いたライラスは、目当ての姿をそこに見つけることは出来なかった。
慌てて辺りを見回すと、講堂の出口で仲間達と並び、彼に向かってひらひらと手を振る少女の姿が目に入る。
ライラスは言いたい事を言って彼を焚きつけたくせに、さっさと居なくなってしまった彼女らに呆れてため息を吐いた。
「んだよ、もう。薄情っつーか、らしいっつーか……」
「あはは、いいよ。また今度、紹介してよ」
今は周りも落ち着かないしね、とフランツが笑い、ライラスも周囲を見回してまた笑った。
変わっていなかったものと、変わったもの達を見ながらこぼれた笑いはどこまでも明るかった。
「……なんか良いね」
アーシャは講堂の中をもう一度振り返りながらポツリと呟いた。
「何が?」
シャルが問うとアーシャは首を捻って少し考えた。
「あの二人が、何となく。すごく良い友達って感じ」
「あら、私とアーシャだって負けてないと思うわよ?」
「え、ホントに?」
「ええ!」
くすくすと笑いあう二人の少女の後ろを歩きながら、ジェイはその様を微笑ましい気持ちで眺めていた。
シャルとは長い付き合いだが、シャルがあんなに一人の友人を大切にするのは珍しい。
シャルを恐れず遠慮のない少女の事をそれだけ気に入っているのだろう。
そんな事を考えて歩いていると、目の前の二人がぼそぼそと何か囁きあってくるりと振り返った。
「ほら、ね、アーシャ」
「うーん?」
「雰囲気が違うわよやっぱり」
「そうかなぁ」
どうやらジェイと、その隣を歩くディーンの事に付いて何か話し合っているらしい。
目の前でこそこそとやられてはジェイも気になってしまう。
「何だよ、俺達の話か?」
「そう。あんた達の友情の度合いは、絶対私達にもさっきの二人にも負けてるって話!」
「はぁっ!?」
「否定はしない」
「ちょっ、ディーンお前! 少しは否定しろ!」
シャルの意見をさらりと肯定したディーンに向かってジェイは腕を振って強く抗議した。
だがディーンはついと顔を逸らしてそれを黙殺する。
「だって、あんた達って友情って感じじゃないもの。どう見たってただの腐れ縁だわ」
「くっ、腐れ縁だって一応友情はあるだろうが!」
「そうだろうか」
「お前が否定するな!」
「やっぱり! ほーら、見なさい!」
勝ち誇ったシャルと必死で否定しようとするジェイは寒空の下で立ち止まって激しく言い争いを始めた。
この言い争いを見るのも久しぶりな気がしてアーシャはくすくすと笑いながらディーンを見上げた。
ディーンはやかましい二人に背を向け、そ知らぬ顔をしている。
その顔を見上げ、アーシャは口元に左手を当てて、内緒話するような姿勢でディーンを手招いた。
ディーンも少し身を屈めてそれに応える。
「本当はどうなの?」
小声で囁かれたアーシャの言葉にディーンは答えなかった。
その代わりにすっと立てられた人差し指が、ディーンの口元にそっと添えられる。
実に珍しい、悪戯っぽい表情を浮かべながらディーンは静かに微笑んだ。
その顔のたった一人の目撃者の少女はそれを見て同じように笑顔を浮かべると、同じようにそっと人差し指を立てた。
後ろの二人はそんな彼らに気付く事も無く、相変わらずじゃれあいのような言い争いを繰り広げている。
冬の晴れ間の空はどこまでも高く、澄んだ空気に喧騒がこだましていた。