31:最後の試合2
「光の魔法なんて使ったらああなるに決まってるじゃないの!」
「ちょ、ちょっと間違っただけですわ!」
壁の後ろで乱反射する光を防ぎながら、カトゥラはコーネリアを激しく責めた。
流石にコーネリアも今のは失敗だったと感じたらしく反論にも勢いがない。
「とにかく、光は使っちゃ駄目よ!」
「わ、わかりましたわ」
光の槍が全てあちこちにぶつかって完全に消えたのを確かめ、カトゥラは壁を消した。
壁に隠れていた間に水の球は随分と彼女らに近づき、その周りを囲もうとしている。
「核を氷の槍で狙うのよ!」
「ええ!」
二人は次々に氷の魔法を使い、水の球を打ち抜いた。核を砕かれた水の球はパシャン、パシャンと弾けてたちまち消える。 だがアーシャもジェイもそれを手をこまねいて見ているわけではなかった。
「それっ」
ジェイが小さく掛け声をかけて手に持った小さな瓶の中身を水の球へと振りかけた。
瓶の中身は赤い雨のように水の球達に降りかかる。
するとたちまち青みがかった透明だった球が赤く濁り、薄っすらと見え隠れしていた核は濁りの中に姿を隠した。
「なっ!?」
驚く二人の前で半分ほどの水の球が色を変えた。
ジェイが撒いたのはアーシャが常に持っている単なるインクだ。
だがそれは水を濁らせるには十分な役目を果たした。
ぽよぽよと弾んで動く水の球は、その核も当然動きに合わせて揺れている。
核の姿がはっきり見えなければそこに魔法を当てるのは難しい。
「コーネリア、壁を! どうせあれは時間がたてば崩壊するんだからそれなら守るだけよ!」
「わかりましたわ! 清らなる水の流れよ 寄り集いてここに壁を成せ! 壁は凍てつき堅固なる鎧となれ!」
アーシャはそれを見ながら頭の中で次の手を探っていた。
時間稼ぎは上手く行ったが、残った道具はあまり多くない。
今までと同じ道具はやはり対策を考えられているようだから、どれもあまり役には立たないだろう。
「ジェイ、袋の中身、全部あけてくれた?」
「ん? ああ、一つ残らず放り込んできたぜ」
「ならそろそろかな……」
堀の水は速度は遅いが常に流れている。そうなると、アレは多分違う場所から出てくるだろう。
アーシャは運が味方についてくれることを祈った。
目の前では、コーネリアが作った背の高い氷の壁が水の球を防いでいる。
氷の壁が相手では水では押しが弱い。
火の球も作れれば良かったのだが、この試合場は広いので篝火も随分と遠かった。
それにそろそろあれらは崩壊する時間だ。
あの皮袋の中に一つだけ混じっていた別の種類の魔具は、水の球が崩壊すると同時くらいに発動するようになっている。
そろそろか、とアーシャが考えた途端、水の球達がぶるぶると震え始めた。
「崩壊しますわ!」
「ええ」
カトゥラとコーネリアもそれに気付いた。
ぷるぷると震えた球はパシャンパシャン、と次々音を立てて弾け始めた。
辺りに水が散乱する。
コーネリアが視界を良くしようと氷の結界を解いた、その刹那。突然ドォン、と大きな音が周囲に響き渡った。
「えっ!?」
「何!?」
突如、カトゥラの後ろの堀が天高く水を噴き上げた。
何が、と二人が振り向く間もなく、噴き上げた水はまるで意志を持つかのようにその首を伸ばし巨大な口を開いた。
「キャアッ!?」
ゴボン、と水に何かが落ちたような鈍い音がして、カトゥラの体が突然その場から消える。
いや、正確には消えてはいなかった。その体は見えている。
堀から立ち上がった透明な水で出来た、巨大なトカゲのようなものの体内の中に。
カトゥラは自分に何が起こったのかわからず、水の中で必死でもがいた。
「トッ、トカゲ!?」
「もう一人も飲み込んで!」
コーネリアの驚く声に被せるようにアーシャが叫ぶ。
これは水の球と同じ、けれど核には石を使いもう少し複雑な魔法をこめた魔具だ。
基本は水の球と同じなので、できることもごく限られている。
せいぜい簡単な命令を聞き、アーシャが作った護符を目印として持たない近くの人間にじゃれつくだけだ。だがその体は人を軽々と飲み込めるほど大きい。
水のトカゲは重い体を左右に揺らし、カトゥラを飲み込んだままコーネリアへと迫り口を開いた。
「くっ、この! 清らなる水の流れよ 寄り集いてここに壁を成せ! 壁は凍てつき堅固なる鎧となれ!」
パキンピキン、とコーネリアの前に氷の壁が出来る。
トカゲはその氷の壁をガボン、と飲み込んだ。
その体の腹の辺りで漂うカトゥラが揺れ、苦しげに顔を歪めた。
氷の壁はパキパキと小さな音を立て、それを溶かそうとする水と拮抗する。
だが冬の気温が幸いしたというべきか、氷はそう簡単には溶けはしなかった。
壁に口を突き刺すようにしてトカゲはもがき、しばし歩みを止めた。
その機を逃さずコーネリアは即座に魔力を高める。
(水の球と違って体が大きい……氷の槍ではだめでしょうね)
カトゥラを助けなければ、と彼女はトカゲをきつく睨みつけた。
その腹の近く、カトゥラから幾らも離れていない場所に核と思しき石が見える。
制御を間違えれば彼女にも当たってしまうような場所に。
だがコーネリアは迷わなかった。
「母なる大地よ! ここに目覚めその身を起こせ! 小さき山はけれど鋭き槍と成る!」
ゴゴゴ、と地面が小さく揺れた。
「地の魔法!?」
アーシャが小さく驚きの声を上げる。
その目の前で、ゴゴン、と鈍い音を立ててトカゲの腹の下の地面が高く盛り上がった。
「あっ!」
アーシャは思わず小さく叫んだ。土の小山が鋭い槍さながらに下から突き出され、トカゲの核を打ち抜いたのだ。
バシャァン、と派手な音と大量の水を撒き散らしてトカゲの体が霧散する。
水の中に浮かんでいたカトゥラも地面に投げ出され、激しく咳き込んだ。
「ゴホッ、ゴホゴホッ」
「カトゥラ! 無事ですの!?」
「う、ゴホッ……なんとか、ね。助かったわ……」
カトゥラはゆるゆる頭を振り、濡れそぼった髪をかき上げるとアーシャをキッと睨んだ。
一方のアーシャもその視線を受け止めながら苦い思いを噛締めていた。
アーシャの思惑ではあのまま決めてしまうつもりだったのに上手く行かなかったのだ。
始めからコーネリアも水に飲み込んでしまえれば良かったのだが、それにはトカゲの体が小さかった。
闘技場が広くなり、堀からの距離が開いたせいでもある。
第二か第三競技場のままだったら堀からの距離が近く、トカゲはアーシャの意図した通りの働きをしてくれたはずだった。
コーネリアがどの魔法も平均的に扱えることはわかっていたが、この切り替えの早さも制御の正確さも予想外だった。それだけ彼女は実力があり、戦いにも慣れてきたという事なのだろう。
第二競技場を使えなくしたことを再び後悔しているアーシャの前で、カトゥラはゆっくりと立ち上がった。
べったりと顔に張り付く髪も、ずっしりと水を含んで重くなったローブも気持ち悪い。
カトゥラにとってこんな大勢の前で、こんなみっともない姿を晒したのは初めてだった。
なのに何故か不思議と怒りよりも先に闘志のようなものが湧いてくる。
「よくも……私に、水の魔法だなんて。お返しするわ!」
カトゥラは濡れた髪をもう一度かきあげ杖を振ると、高く声を張上げた。
「清らかなる水よ! 我が意志に従いその姿を変えよ! 密やかに漂い広がるもの 全てを隠す白き闇!」
カトゥラの詠唱の直後にシュゥ、と幽かな音が聞こえた。けれどその音はほんの一瞬で、その後は何も変化がない。
だが周囲を警戒して見回したアーシャはすぐに異変に気付いた。
辺りが良く見えなくなってきている。景色が白く霞み、全てがぼんやりと遠くなる。
「これは……霧だ」
アーシャは呟くと聖霊石を手に取った。
ブン、と腕を強く振ると風が巻き起こる。
けれど風に煽られた霧は一瞬薄くなっただけですぐにまた濃さを取り戻した。
「アーシャ、これは……」
ジェイの戸惑ったような声が隣から聞こえる。既に彼のその顔も良く見えなくなってきているくらいだ。
「アーシャ、どうする? 相手が隠してくれるなら、俺が行くには都合がいいけど……」
ジェイは少しずつ良く見えなくなる少女に小さく囁いた。アーシャはジェイに頷き返した。
相手の出方がわからないなら今のうちに手を打っておく必要がある。
そう判断したアーシャは、自分で決着をつけたかったという思いはひとまず置いておく事にした。
霧は雷を通すかもしれないがジェイは自分の精霊魔法なら影響を受けない。
アーシャは距離が十分開いているし、いざとなれば結界もある。
条件は整っている。
(気をつけて)
アーシャの声に出さない声を聞きながらジェイは慎重に周囲の気配を読み、霧の中に足を踏み出した。
気配を隠したままそっと移動しながら、同時にジェイは少し疑問を感じていた。
一回戦で煙幕に隠れて相手を倒した自分達の試合を彼女達も知っているはずなのだ。
それなのに霧を使って何をするつもりなのか。
早く決着をつけた方が良さそうだ、とジェイが急いだ時、辺りの霧が急に動いた。
アーシャは自分の周りだけ急速に霧が濃くなっていくのに気がついた。
吸い込む空気が湿り気を帯びて鬱陶しい。霧に囲まれてアーシャの服もじっとりと重さを増した。
それ以上の変化が起こる前にと、アーシャは胸のブローチに触れて結界を張った。本来は危険に反応して自動で発動する結界だが、意図して張ることも出来る。
結界の周りを覆う霧を見ながら、アーシャはカトゥラの意図を読もうと思考を巡らせた。霧の中で周囲が見えず不利になるのはむしろあちらのチームのはずなのだ。
森の中で育ったアーシャには相手の気配を読むことは難しくはない。武術学部のジェイもまた、そういう訓練を積んでいるので同様だ。
(何かするつもりなのは間違いないけど……)
ジェイの行動を読まれないために陽動で何かするべきかとアーシャが考えた時、突然声が響き霧が動いた。
「水よ、集え!」
風が吹いたかのように、自分を取り巻いていた霧が急に薄くなりジェイは慌てた。
まだカトゥラ達の横を回って近づこうと歩き出した所だ。こんなところで姿が見えては行動がばれてしまう。
アーシャの元に戻るべきか、とジェイが考えた次の瞬間、後ろから小さな悲鳴が聞こえた。
「アーシャ!」
振り向いたジェイが見たのは、ジェイの背丈よりも高さのある巨大な水の球の中に包み込まれて浮かび上がる少女の姿だった。
アーシャの周りを色濃く取り巻いていた水が急激に集まりその体を包み込んだのだ。
丁度さっきアーシャの作った水のトカゲがカトゥラを飲み込んだのと同じように。
周囲を霧で覆ったのはその意図を隠すため、水分を十分に周囲から集める為の時間稼ぎだった。
ジェイは慌ててその近くに駆け寄ったがアーシャは苦しそうな顔は浮かべていない。どうやら結界を張ってあったためそれごと飲み込まれたらしい。
だが結界に覆われていても何も出来ない事には変わりが無い。本人も困惑した様子で水の中からジェイを見下ろした。
「くそっ!」
ジェイは中のアーシャを引きずり出そうと手を伸ばしかけた。
(駄目!離れて!)
だが頭の中にアーシャの声が響いて慌てて飛び退る。それを追うようにぼよん、と水の球が動いた。
ジェイが下がった場所に転がった水の球は、新たな犠牲者を取り込み損ねてぶるぶると震えた。
「あら、残念」
その声にジェイはカトゥラの方を振り返った。その顔には勝利を確信した笑顔が浮かんでいる。
「ねぇ、イージェイ君。降参しない? あの子がこうなれば、もう打つ手はないでしょう?」
カトゥラは体についた水を振り払いながら甘い声でくすくすと笑った。
確かに、こうなってしまえばジェイには手の出しようがない。
この水の球にはアーシャが使ったような核がある訳ではないから外側から壊すのは難しいはずだ。
これを壊すには当然魔法を使っている本人を倒すしかないのだがジェイには許される攻撃の幅が少ない。
カトゥラの脇にいるコーネリアは杖を構えて防御に怠りがない。
二人を殴り倒せばこちらの失格だし、精霊魔法は防がれるだろう。
打開策が見出せず焦ったジェイの背中を汗が伝う。
カトゥラは焦りの浮かぶジェイの顔を見て更に楽しそうな顔をした。
「これが所詮魔具の限界ね。広い結界が張れないならそれごと飲み込んでしまえばどうという事もないわ。もう手も足も出せないじゃない」
「イージェイ様、降参して下さいな。彼女の結界だって、いつまで持つのかわかりませんのよ?」
コーネリアも言い募ったが、ジェイは頷く訳にはいかない。それを決めるのは彼ではないのだ。
キッと二人を睨みつけた時、アーシャが小さく身動ぎした。
(ジェイ)
「っ!」
ジェイの脳裏に小さな声が聞こえ、ジェイは表情を動かさずその声に意識を集中した。
(右手に力を込めて)
ジェイは言われるままに右手に意識を集中する。
(叩き壊してね)
「え?」
思わず声を出して振り返った瞬間、アーシャは水の中から笑って手を振った。
「アーシャ!?」
パキン、と高い音が響いたと思った瞬間、透明だった水の球は瞬時に白く染まった。
いや、白く染まったのではなかった。白くなった球は激しい冷気を発している。
なんとアーシャが中からその水を凍らせたのだ。
「アーシャ、馬鹿っ!!」
ジェイは右手をその球に向かって振り上げた。
ドゴン、と鈍い音がして氷の球は一気に砕けた。
破片が激しく飛び散り地面へと落ちる。
「アーシャ!」
破片の中から現れた小柄な体は弾け飛んだ氷と共に投げ出され、どさ、と音を立てて地面に転がった。
ジェイは慌てて少女の元へと駆け寄った。
助け起してその顔を見ると氷の破片がぶつかったのか、額にはうっすらと血が滲み、口の辺りもかすかに赤く腫れている。
「アーシャ、おい!しっかりしろ!」
少女の体を抱き起こしたジェイはその体の異様な冷たさに息を呑んだ。
「アーシャ!」
「う、らいじょぶ……」
小さな声が漏れてジェイはほっと胸を撫で下ろす。
アーシャはぶるぶると頭を振ると、口の中からぺっと氷を吐き出した。
その体のあちこちに無数の氷の欠片がつき、髪の毛も半分凍ってしまっている。
だがそんな事はどうでもいいとばかりにアーシャは左手を持ち上げ、そこにリボンがちゃんと結ばれている事を確認してほっと安堵の息を吐いた。
「良かった、まだ切れてなかった……」
これならまだ戦える。
そう呟くとアーシャは冷たく凍えた体を不自由そうに動かして立ち上がった。
ジェイはその冷えた体を支えたがアーシャの足元はまだふらついていた。
それでも少女は力を込めて立ち上がり、前に顔を向けた。
そして苦い顔をしたカトゥラと真っ直ぐに視線をぶつけ合う。
カトゥラは絶対の自信があった魔法を打ち破られた悔しさを顔に滲ませていた。
「何をしたの。どうやって……」
「……水の中で結界を解いて、魔具を使っただけ。結界があると使えないからね。ジェイが壊してくれるって判ってたから……リボンが切れるかどうかは賭けだったけど」
自分の体ごと水を凍りつかせるという危険行為を平然としてのけた少女にカトゥラは眉を寄せた。
そこまでして勝ちたいのかと馬鹿馬鹿しくも思う。だがカトゥラが感じた気持ちはそれだけではなかった。
少女の執念とも言えるような決断に己の魔法が破られた悔しさを覚え、けれど同時に何故か感嘆のような思いが胸の奥から湧き上がる。
それを己の内に確かに認めて、カトゥラは思わず唇を噛締め俯いた。
「貴女が……しぶといのは良くわかったわ」
そういうとカトゥラは自分のローブのポケットを探った。そしてそこからペンダントを二つと、魔法陣の描かれた札を取り出した。
「コーネリア、これを使って。水の二級魔法を使うわ」
「えっ!? でも私はまだ安定して使えるのは……どうにか三級までですわよ!?」
「私もよ。だからそれを使うの。『荒ぶる川の流れ』の魔法、呪文や現象の規模くらい憶えてるでしょ?」
「それは憶えてますけど……けれど、これは」
「いいから!」
渋るコーネリアに護符を押し付けるとカトゥラはアーシャに向き直った。
「このまま戦い続けても埒があかないから次で決めるわ。私達は、今使える最高の魔法を使う」
「……護符の力を使って?」
「何とでも言いなさい。ルール違反じゃないもの。護符に頼って力を底上げしたって笑ってもいいわよ」
それほどカトゥラは本気だという事だ。なりふり構わず、ただ勝ちたいと思っているのだ。
「呪文を唱えて無防備になった時の為に結界札まで用意しておいたのよ、私。ほんと、滑稽だわね」
手に持った札をひらひらさせながらカトゥラは自嘲するような笑みを浮かべた。
魔技師を馬鹿にしていた彼女なのに、決して使わないと思いつつも結局はそんな準備をしてきている。
そこまでして勝ちたいという思いが自分の中にあること自体が、カトゥラには何よりの驚きでもあった。
「どんな手を使ってもいいわ。正面から勝負しましょう。防げるものなら、防いで見せて」
口元に自嘲の笑みを浮かべながらも、カトゥラの瞳は真剣だった。
その目は真っ直ぐにアーシャに向かい、彼女にも本気を出せと訴えかけている。
カトゥラはもう目の前の少女を馬鹿にしていなかった。
「わかった」
アーシャもまたそれに応えた。
応えなければきっと解り合えないのだとわかったから。
カトゥラは頷くと、もう一度自分のパートナーへと視線を戻した。
コーネリアに向けたその顔はもう笑っていなかった。
真っ直ぐな視線だけが静かに交差する。
「貴女の信条じゃないことは解ってるわ。でも、お願い。協力して欲しいの」
「……わかりましたわ。私もあの子が本気を出すなら望む所ですもの」
コーネリアは笑顔で応えると護符を首にかけた。そして少女二人は強力な魔法を使う為に少し位置を下がる。
アーシャとジェイも試合場の中央から大分距離をとった。
いつの間にか試合場はシンと静まり返っている。
誰もが息を呑んで彼らの最後の勝負を見つめていた。