29:求め得られるもの
弱い日差しに当たりながらアーシャは競技場の外の広場の芝生の上に座っていた。
風は冷たいがそれもむしろ気持ちいい。
頭を冷やすには丁度良い、と思いながら少女は空を見上げた。
結局あの後、第二競技場で決勝戦を行うのは中止になった。
もっと広い第一競技場で行う事にしたらしい。今頃は運営が会場の準備に奔走しているはずだ。
お昼を食べたアーシャは、ちょっと休憩するので一人にして欲しいと仲間達に言ってこうして外に来ていた。
やらなければいけないことがあったから。
アーシャはその場にごろりと寝転がり、空に向かってごく小さな声で歌を歌い始めた。
それは全ての精霊達を称える歌。
育ての親に教わった、アーシャが一番好きな歌だ。
優しい夜の闇 やがて来る朝の光
足は大地を踏み 傍らには炎が灯る
流れる水に指を浸し 頬を撫でる風に歌を託す
我が愛しき兄上姉上 どうか受け取りたまえ
我らの敬愛を 祈りを そして深い感謝を
「眩しい日の光……」
自分の周りにちらちらと様々な色の光が寄ってくるのを見て、アーシャは歌をやめた。
少女の歌を聞いた精霊達が次々に集まってきたのだ。
それを待っていた少女は彼らに向かってごめん、と心の中で何度も謝った。謝ろうと思って彼らを歌で呼んだのだ。
ひどい道具を作って彼らを追い立てるような事をしてしまった事を、アーシャは深く恥じていた。
精霊はアーシャにとって幼い頃からの何よりの友だ。
自分の今の居場所を守る為にその友を傷つけて良い理由はない。
いつだって精霊達の居る場所が少女の居場所だったのだ。
ごめん、と何度も何度も告げる少女に、精霊達はもういい、と優しく応える。
そして彼らからの呼びかけがアーシャの胸に響いた。
『どうして呼ばないの?』
精霊達が口々に囁く。
自分達を呼んで欲しい、と彼らは言っていた。
アーシャの戦いを手伝わせて欲しい、と。
沢山の精霊達の優しい意思がアーシャの決心を鈍らせる。
(いつも助けられるばかりだったから)
精霊達の願いに、少女は首を横に振った。
アーシャは戦って、人を傷つける事はとても怖い事だと知った。
それを知ってしまえば尚更、自分が始めたこの戦いで精霊達にその行為を肩代わりさせる訳にはいかない。
アーシャが授業などでもほとんど魔法を使わないのは別にそれを他人に見せたくない為ではない。
大した用もないのにたかだか授業の為に精霊達を呼ぶのが嫌なのだ。
彼らには彼らの、世界の理を維持するという立派な役目がある。
それを軽々しく邪魔をするのが嫌なのだ。
自分が彼らに好かれているから、自分も彼らの事が好きだから、尚更に。
「それじゃ駄目なのかな……」
「何が駄目なのかしら?」
アーシャの呟きに対する答えは、意外な人物からもたらされた。
アーシャは寝転がったまま視線だけ上げて声の主の姿を捉えた。声の主は日の光の中でにっこりと笑顔を浮かべている。
けれどアーシャにはその笑顔が綺麗だとは少しも思えなかった。
「決勝進出おめでとう」
「……どうも」
白々しい言葉にアーシャは小さく返す。
「まさか本当にここまで勝ち進むなんて思わなかったわ。
しかも魔具ばかりで。さっきの試合の事も聞いたわ」
「……」
アーシャは沈黙でそれに答えた。
カトゥラは自分に反応しない少女を苛立ったように見下ろした。
「貴女って本当に腹立たしい子ね。どうしてそうなの?」
「そうって?」
「どうしてあんな風を起こす力がある癖にそれを普段隠すの? どうして精霊が使える癖に魔技科なの? どうしてもっと上を目指さないの?」
カトゥラが何を言いたいのか判らず、アーシャは首を傾げた。
「風は魔具の暴走みたいなもんだし、精霊はむやみに利用したくないだけ。それを何故他人に責められなくちゃならないのかわからない」
「その答えが腹が立つのよ!」
アーシャは半身を起こしてカトゥラを見つめた。
さっきよりも近くなった彼女の表情が目に入る。アーシャはその表情を見て、首を傾げて問いかけた。
「じゃああなたはなんで私の事でそんなに苦しそうなの」
「っ!」
カトゥラは驚いたように目を見開いた。そして何か激情を抑えるように彼女は顔を背けた。
背けられた横顔にひらりと脇の髪が一筋落ちる。
今日は彼女は豊かな髪を後ろで複雑に編みこみ、その一部を結い上げていた。あまり見ない珍しい形だ。
だがアーシャはその髪型をどこかで見たことがある気がした。
「……誰が苦しそうなのよ。もう苛々するわ、本当に。私の、妹を思い出して」
(……妹を思い出すわ)
その言葉を聞いたアーシャの記憶の中で、誰かが小さく囁いた。
前に同じことをアーシャに言った人がいた。あれは誰だったか。
アーシャは懸命に思い出そうと記憶を漁った。
あれはもう、随分前のことだ。確か、この学園に来た頃の――
「あの時の……」
「え?」
「あなた、あの時の人だ。私に、道を教えてくれた……ここに初めて来た時の」
その言葉に、カトゥラの頬が突然赤く染まった。
彼女は赤くなった自分を持て余すように、パクパクと何か言いたげに口を閉じたり開いたりする。
怒鳴るかと思われたが、どうやら声にならなかったらしい。
しばらく不自然な沈黙を続けた後、やがてカトゥラは喉の奥から搾り出すような声を出した。
「……何で……何で今頃思い出すのよ! っていうか、今頃気がついたの!?」
そう言われてもアーシャとしては何とも言いようがない。
元々人の顔を憶えるのは苦手な上に、彼女はあの時と随分変わっている。
「だって……あの時と全然違う。髪型は今日と一緒だった気がするけど、あの時はそんなにけばけばしくなかったし雰囲気ももっと澄んでた」
「なっ、何ですって!!」
事実だ、とアーシャは胸を張った。
少女が初めてこの学園に来た時に、道を聞いたその人は親切に目的地まで案内してくれた。アーシャは案内してくれた彼女の後ろを歩きながら、その後姿を見ていた。
今日と同じ形に美しく結われたその髪をもの珍しく思いながら見上げていた記憶が薄っすら蘇る。
澄んだ水のような気配の人だと思ったのだ。あの時は。
なのに今、その水はすっかり濁ってしまっている。
「あの時も、私に向かって妹を思い出すって言ってた」
カトゥラは少女を睨みつけ、そしてまた顔を背けた。
「そうよ、貴女を見ていると妹を思い出して苛々するのよ。貴女と同じ、自分の才能を無駄にしている偽善者の妹を。精霊に愛されて才能に恵まれているのに……魔法医になりたいだなんて!」
「そう……」
アーシャの気のない返事にカトゥラの苛立ちは更に募る。
何を言っても何をしても応えないところが腹立たしい。
応えないという事はつまり彼女を相手にしていないという事に他ならない。
カトゥラは他人に存在を無視されるのが何より嫌いだった。
アーシャとの最初の出会いは、カトゥラにとってはどうという事もない、あっさり忘れてしまうくらいの出来事だった。
彼女が上級学部の一年の秋に、ここで年下の少女に出会った。
学生課への道を聞いてきた小柄で痩せた少女を基礎学部の生徒だと思ったから親切にしてやった。
故郷に居る妹と丁度同じくらいの年だったから少し懐かしく思った。ただそれだけの事だった。
その少女が、精霊魔法を見せて飛び級して編入した、と聞くまでは。
その頃のカトゥラは壁にぶつかっていた。
得意だったはずの水の魔法が、授業が難しくなってからなかなか成功しなくなったのだ。
カトゥラは自分の国で、基礎学部六年の一年をかけ必死で魔法の練習と勉強に励んだ。
そのかいあってアウレスーラの魔法学部に入学でき、念願の魔法科に入れたのに、このまま魔法がうまく使えなければカトゥラはいずれ教師から転科を勧められかねない。
毎日焦っていた時に、質問をしにいった魔法科の教授の部屋でカトゥラはその話を聞いた。
『どうでしたか、編入生は?』
『駄目でしたよ、散々説得したんですが逃げられました……』
『勿体無い、あんな見事な精霊魔法の使い手は最近いませんよ。しかもあの年で』
『本当に。しかし、これだけ使えればそれ以上必要はない、と言って聞かんのですよ。
だからといって研究室に勧誘するにはさすがにまだ早すぎる』
『何とも勿体無い……よりによって魔技科だなんて!』
『全くですな』
それがこの間自分が案内した少女の話だと、カトゥラはその少し後に知った。
彼女の中で許せない、と誰かが小さく囁いた。
自分が欲しかったものを持っていながら、と思った。
それが全くの逆恨みだと頭のどこかではもちろんわかっている。
けれど同時に自分の中で声がするのだ。
才能を活かさないのは罪だと。
水の精霊に愛され、水の神殿の巫女にと強く望まれていながら、神殿には行かない、魔法医になりたいのと無邪気に夢を語る妹のように。
妹がいらないと言った道は、カトゥラが幼い頃憧れ続けたものだった。
無邪気に憧れを語った幼い頃、あの頃はまだ家族の中心はカトゥラだった。
妹が、その才能を示すまでは。
「せめて貴女が……魔技科の眠り姫のままでいてくれたなら良かったのに」
そうしたらまだ、少女の噂は嘘だったのだと笑っていられたのに。
妹の面影を、この何の関係もない少女に見て苦しく思うことも無かったはずなのに。
得られなかったものへの憧憬もいずれは忘れられたかもしれない。
アーシャは悔しそうに呟くカトゥラの少し後ろを見ていた。
そこに小さな水の精霊が漂っているのが見える。
カトゥラは別に水の精霊に愛されていないわけではない。小さいが彼女を気にかけている精霊はちゃんといる。
彼女に限らず大抵の人間がそうだ。
特別愛されていなくても、精霊魔法が使えなくても、本当は精霊達は常に人間の傍にいる。
人が彼らに向かって目を塞ぎ、耳を塞ぎ、心を閉ざすから、精霊との絆が薄まり、距離が開くのだ。
カトゥラだって精霊の力を欲しながらも、本当は精霊と仲良くしたいとは思っていない。仲良くするものだという意識がないから。
アーシャはずっと手に握っていた聖霊石をそっと離した。
カトゥラが何を考えているのかわからなくて、ほんの少しだけ彼女の投げる想いを聞いたのだ。
彼女が欲しいのは成功や、それによって取り戻せると思っているもの。
けれど彼女が失くしたと思っているだけで、本当はすぐそこに変わらずあるのかもしれないもの。
あるいはどこにも存在しない、彼女の幻想。
彼女は、精霊に愛されたらそれらが手に入ると思っている。
「あなたが本当に欲しいものは、精霊の加護があっても手に入らない」
「……私が何を欲しがってるっていうのよ」
アーシャはその問いには答えなかった。
「私達は、確かに四人とも精霊の加護を持っている。でも、あなたが欲しいものは誰も持ってない」
アーシャは悲しそうな顔をしてそっと首を振った。
だから、自分達は四人で手を取り合ったのだ。
「それが欲しいっていうのは、わかる。でも、求め方を間違っている。あなたはまだ手遅れじゃないのに」
「……何を言っているのか判らないわ」
アーシャは立ち上がると服についた枯れ草を払ってカトゥラに背を向けた。
「あなたが……少し、羨ましいよ」
「アルシェレイア」
競技場に向かう少女は後ろから呼び止められて振り返った。
入り口近くの木の陰に立っていたのはディーンだった。
「ディーン、どしたの」
アーシャがパタパタと近づくとディーンは少しだけ眉根を寄せて難しい顔をした。
「……あの二人の試合を見た」
「え……」
「あの二人は強い。本来ならそれぞれが個人部門に出ても上位に残れる実力の持ち主だ。気をつけた方が良い」
ディーンの真剣な目に、アーシャは頷いた。
コーネリアもカトゥラも性格に難はあるが成績は良い。
恐らくペアに出てくる選手は彼女達にとっては格下の相手に当たる。
「どんなだった?」
「そうだな……息は合っていない。だが個人の技量がそれを補っていた。怖いのは二人が協力した時だろう」
気の合わない二人だがそれでも協力する気になったなら、それは利害が完全に一致した時だ。
なりふり構わなくなれば、確かに二人は恐ろしいだろう。
「使う魔法については前に調べた通りだった。
コーネリアはバランスが良く大体の魔法を扱えるが、光の精霊魔法や氷の魔法、水の魔法が好きなようだ。カトゥラは水にかなり偏っていたが能力は高い。水の大陸出身なだけはある」
「そっか……なら割と使う属性は偏ってるね……でも逆に怖いかな」
ディーンはアーシャの言葉に深く頷いた。
チームの二人が得意な属性が被るというのは汎用性という点では確かに劣っている。
けれど、その分力を合わせて強力な攻撃や防御がしやすかったり、同じ種類の魔法を多く使う事でその場の気が偏って、その属性の魔法を使いやすくなったりその逆の現象が起こったりする。
そうなれば二人の独壇場となってしまう可能性もあるのだ。
「一応色々考えてはいるんだけど……」
「あの扇が没収されたのは痛かったな」
「うん。でも、あれはもうどのみち使う気にならないからいいんだ」
アーシャは首を振って笑った。
今までに使った道具のほとんどが彼女達には通用しないだろう事はアーシャも覚悟している。
彼女達もこちらの情報を集めているだろうから尚更だ。
それでもアーシャは引く気はなかった。
競技場の入り口への方へのんびりと移動しながらアーシャは隣を歩くディーンの足元を見た。
彼の影に闇の精霊が出たり入ったりして遊んでいるのが見える。冬の弱い日差しでも彼の影はいつも一色濃い。
「ね……ディーン。ディーンはさ、精霊の力を使って、何かしたい事とか欲しいものとかある?」
ディーンはその問いに首を捻った。
「いや……何も。何もないな。私は彼らの力を色々な面で借りているが、本当は借りなくても自分の努力で出来ることも多い。実際、己を高める努力はしているつもりだ」
「うん」
「そもそも彼らの力だけで、したい事が叶い欲しい物が手に入るなどという事はありえない」
その通りだ、とアーシャも頷いた。
「じゃあ……精霊に、望むのは?」
「望む……そうだな。今と同じで良い。昔も今も変わらずずっと傍にいてくれたように、できるならこれからもそうして貰えたらいい。後は、時々力を貸して貰えたら言う事はない」
ディーンの返答に、彼の傍の精霊達が喜びに沸き立った。嬉しそうに彼に纏わりついてはしゃいでいる。
アーシャはディーンの返答に喜ぶ彼らを愛しく思う。
精霊に愛されたものほど、精霊に多くを望まない。だから精霊は彼らを更に愛し、その力になりたいと望む。
アーシャにとって、そして仲間達にとって、それは得られなかった血の繋がりや家族の愛の代わりに得た絆だ。
「アルシェレイア」
「ん?」
ディーンに声をかけられアーシャは物思いから覚めた。彼が指を指す方向を見ると、競技場の入り口脇にライラスの姿があった。
まだ松葉杖を突いているが顔色は先日より大分良い。
アーシャは手を振る彼に歩み寄った。
「よう。決勝進出おめでとう」
「ライラス、見てたの? もういいの?」
ライラスは頷くと杖を持ち上げて自分の足で立って見せた。
「今朝退院許可が出たんだ。さっきの試合、後ろの方からだけど見てた。ほんとはこの脚ももう大丈夫なんだけど、一応杖持ってでろって言われてさ。面倒くさいけど、そうじゃなきゃ出さないって言われたから……」
「そっか……でも良かった。頭も何ともなくて」
「親父や祖父さんに殴られ慣れてるからな。頭は固いんだ」
ライラスはおどけたように笑うと、不意に真面目な顔で黙り込んだ。
「……決勝、大丈夫なのか?」
アーシャが奥の手を失った事をライラスも聞いたのだろう。彼は固い顔をしていた。
二人で作った魔具で戦っているのだから、彼にはアーシャの手の内が良くわかっている。それだけで戦うには厳しいという事も。
「……何とかする。勝つよ。だから、最後まで見てて」
「……けど」
「ライラス、一つ約束して」
ライラスの言葉を遮ってアーシャは強く言った。
「約束?」
「うん。私と約束して。私が勝ったら、友達にあの杖を渡すって」
「……!」
アーシャはバッグから、自分の作った木の枝の杖を取り出した。
「私、杖を作る課題の時に、いずれ使うかどうかは別として、とりあえず自分に合うのをと思ってこれを作った。他の生徒も大体皆そうだったよね。
けど、ライラスの杖は違ってた」
ライラスの杖は増幅や制御の力が安定して付加された、バランスの良い杖だった。
何かに特化しているという事はないがその分学生には扱い易く、長く使えるような杖だった。
「ライラスの友達の話聞いたとき思い出したんだ。あの杖に、小さく入ってた文字。上手に他の文字に隠してたけどそれだけ現代語だったから気になってた」
「あれに気付いてたのか……」
驚くライラスにアーシャは頷いて、笑顔を浮かべた。
「RからFへ。そう書いてあったよね」
ライラスは思わず唇を噛んで俯いた。
渡す勇気もないのに、友人の事を思って杖を作った。そんな自分を馬鹿げていると思っていた。
「私……勝つよ。だから、ライラスも。自分は自分の戦いをするって、お祖父さんと約束したんでしょ?」
ライラスは顔を上げて少女の目を見た。
真っ直ぐ、迷いのない瞳はあの日と同じだった。負けないと言ったあの時と。
ライラスは少女に向かって力強く頷いた。
「わかった。俺、表彰式にあの杖持ってくる。お前が勝つって、信じてる」
ライラスはそう宣言し、そしてポケットから何かを取り出してアーシャに差し出した。
「……これ、大して調整しきれてないけど、少しなら使えると思う」
ライラスの差し出したものを受け取ったアーシャはそれを見てハッと息を呑んだ。
それは少女の掌より少し大きいくらいの銀のメダルだった。細かい文字が表といわず裏といわず彫り込まれている。
中心には穴が一つ開き、そこには親指の先ほどの透明な石が嵌められ、向こう側の景色を映していた。
「もしかして、ずっと調整してくれてたの?」
「ああ。昨日はまだ試合見にいけなかったからな。病室にこっそり道具持ち込んでおいてよかったよ。完璧には程遠いけど、少しなら使えるくらいにしておいた」
その石はアーシャがライラスの祖父から借り受け、ライラスと二人で魔具へと加工した精霊石だ。
けれどその石の持つ力が強すぎ、二人の知識や技術を総動員しても完全に力を制御する事ができなかった。
結局ライラスが、ぎりぎりまで手を加えてみると持ち帰り、今日までそのままになっていたのだ。
アーシャはそのメダルを強く握り締め、顔を上げた。
照れくさそうな申し訳無さそうなライラスの顔がそこにある。
「こんな事しか俺は役に立てないからな」
「……そんな事無い。すごく、すごく助かるよ」
アーシャの言葉にライラスは嬉しそうに笑顔を見せた。
けれどすぐにまた顔を引き締めて、真剣な声音でアーシャの掌の中のメダルを指差した。
「使い方、わかってると思うけど……絶対、間違うなよ」
「……ん。大丈夫。じゃあ、もう行くね」
アーシャはにこりと微笑むと競技場の入り口をくぐった。
黙って傍に立ち、二人を見ていたディーンも後に続く。
ライラスの隣を通り過ぎる時、ディーンは立ち止まった。
「行こう」
「え?」
「観客席に行くんだろう。連れが席を取っているはずだ。最前列だから、よく見える」
「あ……う、うん」
アーシャは並んでゆっくりと歩き出した少年二人を一度振り返り手を振った。二人が頷いたの見て控え室へと向かう。
最後の試合の時が近づいていた。
一方、控え室に戻ってきたカトゥラは無言で椅子に座ったままぼんやりとしていた。
その顔からはいつもの余裕のあるような笑みが消えている。
コーネリアは急ごしらえのパートナーのそんな様子を見てため息を吐いた。
「カトゥラ」
「……何」
「この試合が終わったら、結果はどうあれあの子に対する嫌がらせや噂を止めると約束なさい」
「あら、私がいつそんな事を?」
下を向いたままそれでもとぼけるカトゥラにコーネリアのため息も深くなる。
「私が何も知らないと思っているなら間違いでしてよ?」
「……なら何故付き合ったの? 私に」
コーネリアはそうね、と少し考えた。
「一番はあの子と戦ってみたいという理由ですけれど。後は、貴女の様子がおかしかったからかしら」
「……何よそれ」
「私、はっきり言って貴女が好きじゃありませんわ。実力はあるのに本気を出さないし、色恋のトラブルは耐えないし、性格が陰険ですし」
カトゥラは眉をしかめたが反論しなかった。どれも影では言われなれている言葉だ。
だがこうして隠しもせずに堂々と言われたのは初めてで、思わず聞き入ってしまった。
「でも、あの時の……競技会に誘いに来た時の貴女は、いつもと違っていて……笑っているのに、何か苦しい事があって仕方がないような顔をしていました。ご自分ではわからなかったでしょうけど。だから、気になったのですわ」
コーネリアの言葉にカトゥラは顔をしかめ、そして突然クスクスと笑い出した。
「何が可笑しいんですの?」
「あはは、だって……貴女ってもしかして、意外にお人好しなの? 私と同じかと思ってたのに」
「な……どういう意味ですの!?」
「そのまんまよ。貴女も私と同じ、貴族のお嬢様で高慢ちきで嫌な女なのかと思ってたのよ。だから手伝ってもらおうと思ったのに……意外だったわ。失敗したかしら」
「んなっ……!」
カトゥラの失礼な言葉に怒鳴り返そうとしたコーネリアは、彼女が楽しそうな声を出しているのにその顔が少しも笑っていない事に気がついた。
その顔を見ているとそれ以上強く言う事が出来ず、コーネリアはため息を吐く。
「貴女は……一体何がしたいんですの?」
コーネリアが静かに問うとカトゥラは困ったような顔をして笑った。
「私も今それを考えていたところ。私……何がしたかったのかしらね?」
アーシャが投げた言葉が、カトゥラの中で繰り返し繰り返し響く。
カトゥラはそれを振り払うように頭を振った。
「とりあえず、今は……勝つわ。全力を出して」
そうすれば、何か見えるかもしれない。
少女は未だ迷いの中にいた。
久々の更新です。お待たせしました。
遅い夏休みが取れたので久しぶりに長々と実家に帰省していました。
更新を待って下さった方々には申し訳ありませんでした。
またがんばります。